8 / 47
7 ダイヤモンド鉱山① 〜王太子の噂〜
しおりを挟む
アンドレイ様のためならエンヤコラ!
アンドレイ様のためならエンヤコラ!
「おーい、オディオ! こいつをトロッコまで運んでくれ」
「は~い! ……よいしょ、っと――わわっ!」
ドスン、と鈍い音を立てて尻もちを付いた。途端に周囲からどっと笑い声が起こる。
「またやってしまった……」と、わたしは照れながら頭を掻いた。
「大丈夫かよ~、これくらいでヘバってちゃあ昼まで持たねぇぜ」
「女みたいにひ弱だな、オディオは」
「こっ、これでも初日よりかは運べるようになったんだよ!」
「初日は一袋も運べなかったからなぁ!」
ワハハハハ、と坑夫たちの豪快な笑い声が洞窟内に響いた。
ここは、ローラント王国とアングラレス王国の国境付近にあるダイヤモンド鉱山。
わたしは少年坑夫のオディオとして二週間前からここで働いている。
貧民街の生まれで病弱な母親、兄弟が多く、父親も怪我をして働けなくなって借金だけが残り、その返済のために坑夫となった哀れな少年……という設定だ。スカイヨン伯爵がねじ込んでくれたのだ。
わたしにとって初の潜入調査。
場所が場所だけに、本音を言うと不安のほうが大きかった。
鉱山はとても劣悪な環境で、死人も多いと聞いている。アングラレス王国では、貧しき者に加えて罪を犯した者が強制労働をさせられるような場所だった。それこそ、休みなく最期のときまで。
お妃教育の一環で、一度アンドレイ様と炭鉱へ視察に行ったことがある。
そこは暗くてジメジメしていて異臭も酷く、気味の悪さに背筋がゾクゾクして、あのときは一刻も早く帰りたかった。
死神のように青白い肌をして、骨と皮だけの坑夫たち……彼らは鞭で打たれ、倒れても冷水を掛けられて、使えなくなったら打ち捨てられる。そこには人間の尊厳なんて存在していなかった。
わたしは泣きながらアンドレイ様に「なぜ、このような惨たらしいことをするのですか?」と訴えたけど、彼は「彼らは犯罪を冒したのだから、その報いを受けているだけだ」と、なんのことはないと答えていた。
彼の言葉はいつも正しいから、そのときはそういうものなのだと首肯したけど……包み込むように襲ってくる恐怖心はいつまでも拭いきれなかった。
だから、目的を達成する前に身体が限界を迎えちゃうんじゃないかって心配だったんだけど、意外にもそんなことはなかった。
ここでは最低限の人権が守られている。
わたしたちは起床したら朝日を浴びながら軽く体を動かす。そして栄養のある食事。更に十分な休息と睡眠。
たしかに常に監視をされているし労働は厳しいことも多いけど、仲間たちと会話をしたり、皆で力を合わせてきつい仕事をやり遂げたり……思った以上に充実した日々を過ごしていた。
でも、昔はもっと粗悪な労働環境だったらしい。
それをレイモンド王子がまだ成人にも満たない頃に「このような状況下では作業効率が悪い」と大幅に改革したそうだ。
その結果、死者や病人が著しく減って、産出量も増加したみたい。
だからか鉱山の人々は王太子のことをとても敬慕していた。彼らはよく「陛下も素晴らしいが、王太子殿下の治世も楽しみだ」と口にしていた。
わたしはそんな彼らの話をなんとはなしに聞いていたが、次に発した言葉に驚きを隠せなかった。
「でも王太子様は令嬢が嫌いなんだろ? 世継ぎはどうするつもりかね」
「いや、さすがに子は作るだろ。でねぇと、跡継ぎがいなくてこの国がなくなっちまう」
「でも王太子は男が好きなんだろ? 男同士でガキは作れねぇって」
「それはただの噂だろ。王太子様はどこぞの貴族令嬢と婚約間近と聞いたが――」
「どっ、どういうことっ!?」
思わず身を乗り出して坑夫たちの中に割って入った。
今、とんでもないことを耳にした気がする。
令嬢嫌いって……殿方が好きって…………どういうこと!?
「なんだ、オディオは知らねぇのか? 有名な話だぞ」
「そうなの……?」
「そうだよ。王太子様は令嬢が嫌いで、未だに結婚どころか婚約もしていないんだ」
「だから男が好きなんだって、こないだ酒場で話題になっていたぞ」
「そんな…………」
わたしは閉口した。
一瞬、頭の中が真っ白になって凍り付く。
ええと……王太子殿下は令嬢嫌いで……殿方がお好きで…………、
だから面会の要請をずっと拒否していたのね!
自分の置かれていた不合理な状況にやっと得心する。
通常なら隣国の未来の王妃が謁見を求めているのに拒否をする理由がない。顔見知りになることで自然と親近感も生まれる。それは両国の外交にとってプラスにはなるが、よっぽど相性が悪い限りはマイナスにはならない。
それを撥ね付けるなんて……そういうことだったのね。
言われてみれば、王太子殿下はわたしより3つ年上なのに婚姻どころか婚約者もいらっしゃらないなんて、おかしい話よね。
アングラレス王国では、王太子妃の座を巡ってローラント王国の貴族たちが水面下で熾烈な戦いを繰り広げていて、政治的なしがらみでなかなか王太子の婚約者が決まらない……って噂になっていたけど、まさかこんな事情があったなんて。
これじゃあ、令嬢のわたしがいくら頑張っても近付けないはずだわ。
でも……困ったわね。
アンドレイ様からは「王太子を籠絡せよ」との任務を授かっている。それが早くも暗礁に乗り上げてしまったわ。
なんとか軌道修正をしてローラント王国の情報を確実に得ないと……。
婚約破棄、そして戦争――……!
不吉な言葉が脳裏をよぎって、思わずぶるりと震えた。
「お~い、オディオ! 休憩終わったぞ!」
「早く持ち場につかねぇとまたどやされるぞ!」
「あ、は~い! 今行きます!」
わたしは鶴嘴を掴んで慌てて駆け出した。
と、そのとき、
「わっ!」
足元に転がっていた拳大くらいの石に躓いて、倒れ――、
バシッ、と大きな腕に胴体を掴まれた。
危機一髪。ほっとして顔を上げると、一人の青年がくすりと笑ってわたしを見ていた。
「大丈夫?」
アンドレイ様のためならエンヤコラ!
「おーい、オディオ! こいつをトロッコまで運んでくれ」
「は~い! ……よいしょ、っと――わわっ!」
ドスン、と鈍い音を立てて尻もちを付いた。途端に周囲からどっと笑い声が起こる。
「またやってしまった……」と、わたしは照れながら頭を掻いた。
「大丈夫かよ~、これくらいでヘバってちゃあ昼まで持たねぇぜ」
「女みたいにひ弱だな、オディオは」
「こっ、これでも初日よりかは運べるようになったんだよ!」
「初日は一袋も運べなかったからなぁ!」
ワハハハハ、と坑夫たちの豪快な笑い声が洞窟内に響いた。
ここは、ローラント王国とアングラレス王国の国境付近にあるダイヤモンド鉱山。
わたしは少年坑夫のオディオとして二週間前からここで働いている。
貧民街の生まれで病弱な母親、兄弟が多く、父親も怪我をして働けなくなって借金だけが残り、その返済のために坑夫となった哀れな少年……という設定だ。スカイヨン伯爵がねじ込んでくれたのだ。
わたしにとって初の潜入調査。
場所が場所だけに、本音を言うと不安のほうが大きかった。
鉱山はとても劣悪な環境で、死人も多いと聞いている。アングラレス王国では、貧しき者に加えて罪を犯した者が強制労働をさせられるような場所だった。それこそ、休みなく最期のときまで。
お妃教育の一環で、一度アンドレイ様と炭鉱へ視察に行ったことがある。
そこは暗くてジメジメしていて異臭も酷く、気味の悪さに背筋がゾクゾクして、あのときは一刻も早く帰りたかった。
死神のように青白い肌をして、骨と皮だけの坑夫たち……彼らは鞭で打たれ、倒れても冷水を掛けられて、使えなくなったら打ち捨てられる。そこには人間の尊厳なんて存在していなかった。
わたしは泣きながらアンドレイ様に「なぜ、このような惨たらしいことをするのですか?」と訴えたけど、彼は「彼らは犯罪を冒したのだから、その報いを受けているだけだ」と、なんのことはないと答えていた。
彼の言葉はいつも正しいから、そのときはそういうものなのだと首肯したけど……包み込むように襲ってくる恐怖心はいつまでも拭いきれなかった。
だから、目的を達成する前に身体が限界を迎えちゃうんじゃないかって心配だったんだけど、意外にもそんなことはなかった。
ここでは最低限の人権が守られている。
わたしたちは起床したら朝日を浴びながら軽く体を動かす。そして栄養のある食事。更に十分な休息と睡眠。
たしかに常に監視をされているし労働は厳しいことも多いけど、仲間たちと会話をしたり、皆で力を合わせてきつい仕事をやり遂げたり……思った以上に充実した日々を過ごしていた。
でも、昔はもっと粗悪な労働環境だったらしい。
それをレイモンド王子がまだ成人にも満たない頃に「このような状況下では作業効率が悪い」と大幅に改革したそうだ。
その結果、死者や病人が著しく減って、産出量も増加したみたい。
だからか鉱山の人々は王太子のことをとても敬慕していた。彼らはよく「陛下も素晴らしいが、王太子殿下の治世も楽しみだ」と口にしていた。
わたしはそんな彼らの話をなんとはなしに聞いていたが、次に発した言葉に驚きを隠せなかった。
「でも王太子様は令嬢が嫌いなんだろ? 世継ぎはどうするつもりかね」
「いや、さすがに子は作るだろ。でねぇと、跡継ぎがいなくてこの国がなくなっちまう」
「でも王太子は男が好きなんだろ? 男同士でガキは作れねぇって」
「それはただの噂だろ。王太子様はどこぞの貴族令嬢と婚約間近と聞いたが――」
「どっ、どういうことっ!?」
思わず身を乗り出して坑夫たちの中に割って入った。
今、とんでもないことを耳にした気がする。
令嬢嫌いって……殿方が好きって…………どういうこと!?
「なんだ、オディオは知らねぇのか? 有名な話だぞ」
「そうなの……?」
「そうだよ。王太子様は令嬢が嫌いで、未だに結婚どころか婚約もしていないんだ」
「だから男が好きなんだって、こないだ酒場で話題になっていたぞ」
「そんな…………」
わたしは閉口した。
一瞬、頭の中が真っ白になって凍り付く。
ええと……王太子殿下は令嬢嫌いで……殿方がお好きで…………、
だから面会の要請をずっと拒否していたのね!
自分の置かれていた不合理な状況にやっと得心する。
通常なら隣国の未来の王妃が謁見を求めているのに拒否をする理由がない。顔見知りになることで自然と親近感も生まれる。それは両国の外交にとってプラスにはなるが、よっぽど相性が悪い限りはマイナスにはならない。
それを撥ね付けるなんて……そういうことだったのね。
言われてみれば、王太子殿下はわたしより3つ年上なのに婚姻どころか婚約者もいらっしゃらないなんて、おかしい話よね。
アングラレス王国では、王太子妃の座を巡ってローラント王国の貴族たちが水面下で熾烈な戦いを繰り広げていて、政治的なしがらみでなかなか王太子の婚約者が決まらない……って噂になっていたけど、まさかこんな事情があったなんて。
これじゃあ、令嬢のわたしがいくら頑張っても近付けないはずだわ。
でも……困ったわね。
アンドレイ様からは「王太子を籠絡せよ」との任務を授かっている。それが早くも暗礁に乗り上げてしまったわ。
なんとか軌道修正をしてローラント王国の情報を確実に得ないと……。
婚約破棄、そして戦争――……!
不吉な言葉が脳裏をよぎって、思わずぶるりと震えた。
「お~い、オディオ! 休憩終わったぞ!」
「早く持ち場につかねぇとまたどやされるぞ!」
「あ、は~い! 今行きます!」
わたしは鶴嘴を掴んで慌てて駆け出した。
と、そのとき、
「わっ!」
足元に転がっていた拳大くらいの石に躓いて、倒れ――、
バシッ、と大きな腕に胴体を掴まれた。
危機一髪。ほっとして顔を上げると、一人の青年がくすりと笑ってわたしを見ていた。
「大丈夫?」
0
お気に入りに追加
417
あなたにおすすめの小説
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。

【完結】【35万pt感謝】転生したらお飾りにもならない王妃のようなので自由にやらせていただきます
宇水涼麻
恋愛
王妃レイジーナは出産を期に入れ替わった。現世の知識と前世の記憶を持ったレイジーナは王子を産む道具である現状の脱却に奮闘する。
さらには息子に殺される運命から逃れられるのか。
中世ヨーロッパ風異世界転生。

悪役令嬢に転生したら手遅れだったけど悪くない
おこめ
恋愛
アイリーン・バルケスは断罪の場で記憶を取り戻した。
どうせならもっと早く思い出せたら良かったのに!
あれ、でも意外と悪くないかも!
断罪され婚約破棄された令嬢のその後の日常。
※うりぼう名義の「悪役令嬢婚約破棄諸々」に掲載していたものと同じものです。
嫌われ聖女さんはとうとう怒る〜今更大切にするなんて言われても、もう知らない〜
𝓝𝓞𝓐
ファンタジー
13歳の時に聖女として認定されてから、身を粉にして人々のために頑張り続けたセレスティアさん。どんな人が相手だろうと、死にかけながらも癒し続けた。
だが、その結果は悲惨の一言に尽きた。
「もっと早く癒せよ! このグズが!」
「お前がもっと早く治療しないせいで、後遺症が残った! 死んで詫びろ!」
「お前が呪いを防いでいれば! 私はこんなに醜くならなかったのに! お前も呪われろ!」
また、日々大人も気絶するほどの魔力回復ポーションを飲み続けながら、国中に魔物を弱らせる結界を張っていたのだが……、
「もっと出力を上げんか! 貴様のせいで我が国の騎士が傷付いたではないか! とっとと癒せ! このウスノロが!」
「チッ。あの能無しのせいで……」
頑張っても頑張っても誰にも感謝されず、それどころか罵られるばかり。
もう我慢ならない!
聖女さんは、とうとう怒った。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
婚約破棄されましたが、帝国皇女なので元婚約者は投獄します
けんゆう
ファンタジー
「お前のような下級貴族の養女など、もう不要だ!」
五年間、婚約者として尽くしてきたフィリップに、冷たく告げられたソフィア。
他の貴族たちからも嘲笑と罵倒を浴び、社交界から追放されかける。
だが、彼らは知らなかった――。
ソフィアは、ただの下級貴族の養女ではない。
そんな彼女の元に届いたのは、隣国からお兄様が、貿易利権を手土産にやってくる知らせ。
「フィリップ様、あなたが何を捨てたのかーー思い知らせて差し上げますわ!」
逆襲を決意し、華麗に着飾ってパーティーに乗り込んだソフィア。
「妹を侮辱しただと? 極刑にすべきはお前たちだ!」
ブチギレるお兄様。
貴族たちは青ざめ、王国は崩壊寸前!?
「ざまぁ」どころか 国家存亡の危機 に!?
果たしてソフィアはお兄様の暴走を止め、自由な未来を手に入れられるか?
「私の未来は、私が決めます!」
皇女の誇りをかけた逆転劇、ここに開幕!

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

【完結】王太子殿下が幼馴染を溺愛するので、あえて応援することにしました。
かとるり
恋愛
王太子のオースティンが愛するのは婚約者のティファニーではなく、幼馴染のリアンだった。
ティファニーは何度も傷つき、一つの結論に達する。
二人が結ばれるよう、あえて応援する、と。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる