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「反乱など起こっていないだと……?」

 皇太子一行が東部へ到着すると、水害の復興作業にいそしむ領民たちの姿が目に入って来た。
 男たちは汗を垂らしながら瓦礫撤去などの重労働に励み、女たちは炊き出しをしたり服を繕ったりしている。
 そこには、反乱への激しい怒りの感情など、少しも宿っていないように見える。

 レオナルドは早速領主の屋敷へと赴き、此度の嘆願書についての事情を聞きに行ったのだが――……、

「それは……私が記したものではございません」

 待っていたのは、ただ困惑する領主の姿だけだった。


「嵌められたな」と、レオナルドは渋面を作る。
 首謀者は疑いもなく皇后だろう。皇太子を遠い地方へ飛ばしている間に、宮廷で陰謀を繰り広げているのだろうか。どうせまた碌でもないことに違いない。

「急いで戻ったほうがいいな。復興の様子は気になるところだが……」

「そうですね。皇都には伯爵令嬢が待っていますし、殿下は心配ですよね」とアルヴィーノ侯爵。

「そっ……」側近に図星を突かれてレオナルドは言葉を詰まらせた。「それは……その……問題ない……」

 頬が熱くなるのが分かった。つい心無い言葉を口走ったが、本音はキアラのことが心配だった。
 絶対的な力を手に入れた彼女は、同時に危うい立場にもなってしまったからだ。

 たしかに、魔女のマナを持つ彼女は強い。だが、それが世間に露見すれば忽ち窮地に陥ってしまう。綱渡りのような危険な力なのだ。

 己が側にいれば皇太子の権力で守ってやれるのだが、彼女はいくら皇族の婚約者とはいえ、今はただの伯爵令嬢にすぎない。第二皇子おとうとや元婚約者の件で落ち着かない皇都に一人置き去りにするのは、酷く胸が痛んだ。

 ――と、だぐだと理由を並べてみたものの、彼は単に愛しの婚約者にただ会いたかったのだ。


 レオナルドは軽く息を吐いて気持ちを落ち着かせると、皇太子の顔で領主を見た。

「見たところ復興は順調なようだが、なにか困っていることはないか? 私でよければ喜んで協力しよう」

「ありがとうございます、殿下」領主は恭しく頭を下げる。「殿下とリグリーア伯爵令嬢のご尽力で、復興作業は滞りなく進んでおります。食糧をはじめとする物資も十二分にいただいております。
 ですので、もし東部の街が完全に復旧したら是非伯爵令嬢とご一緒にいらしてください。に!」

 領主は先程の皇太子と側近の会話を見逃さなかった。あの英雄である皇太子に、このような年相応の顔があるとは。

 レオナルドは目を白黒させ、アルヴィーノ侯爵はプッと吹き出した。すぐさま主にギロリと睨まれて、さっと目を逸らす。その様子を領主は目を細めて眺めていた。

 数拍して、

「ま、前向きに考えておこう……」

 ほんのり顔を赤くした皇太子が、ぎこちなく顔を背けながらボソリと答えた。

「はい。是非お待ちしております!」


「領主様、大変です!」

 その時、ドンと勢いよく扉が開いて、領主の側近が飛び込んで来た。和やかな空気が一気に冷える。

「殿下の御前で無礼だぞ。どうした?」

「まっ……魔獣です! 魔獣の大群が街外れにっ……!」

「何だって!?」







「久しいな、ヴィッツィオ小公爵。そなたから面会の申し出とは、珍しいことだ」

「ご無沙汰でございます、陛下。ご機嫌麗しゅう」

「ふんっ。機嫌など良くないわ。お前たち夫婦のせいでな」

「……返す言葉もございません」

「新婚生活はどうだ?」

「お陰様で、私も妻も障りなく過ごせております」

「そうか。新妻の管理は怠るなよ」

「勿論でございます」

「……して、今日は私に何の用だ?」

 皇后は壇上からダミアーノを見下ろす。二人の視線が交差した途端、彼の背中にゾクリと悪寒が走った。
 彼女の瞳には温かみなど少しも含まれておらず「お前は既に戦力外なのだ」と通告しているように感じた。悔しさと焦燥感が彼の胸を掻きむしった。

 だが、今日はかつてないほどの強い覚悟を持ってここへやって来たのだ。これくらいで怯んではいけない。
 幸いにも、皇后は自分からの謁見を拒否していない。
 ……まだ、希望は残っている。


 ダミアーノは一度深呼吸をしてから、

「本日はお願いがあって参りました!!」

 がばりとこうべを垂れ、膝を付いた。高位貴族のプライドのない姿に、思わず皇后も目を見張る。

 少しばかりの困惑した沈黙。
 そして、皇后のほうから口火を切った。

「願い、とな?」と、彼女にしては珍しく興味深く尋ねる。

「はっ! 私に今一度チャンスをいただけないでしょうか?」

「ほう……」皇后の唇の片端が微かに上がった。「チャンスとは? そなたは何を望む?」

「私が……。私が、皇太子と伯爵令嬢を潰す機会をお与えくださいっ……!!」

 ダミアーノは頭を床に付けて懇願する。もうなりふり構っていられなかった。上へあがるために、何がなんでもやり遂げなければいけない。

 今のヴィッツィオ家は社交界で嘲笑の的になっている。家門の威厳はどん底だ。
 だが、堕ちたままではいられない。他人の噂話ばかり興じている貴族どもを見返して、上へ戻り……その先へ行く。そのためにも、もう手段なんて選んでいられないのだ。

 皇后は実力主義だ。ここで挽回できれば、再び日の目を見ることが出来るはずだ。
 そうしたら、また、未来の宰相の座だって……!

 皇后は困ったように首を傾げて、

「だが、そなたは何度もしくじっておるからのぅ……」

 わざとらしくため息をついた。
 しかしダミアーノは引き下がらない。獣が獲物に食らいつくように皇后に縋り付いた。

「何でもやりますっ! 何でもやりますので、どうか……どうか、お願いいたしますっ……!!」

 にわかに場は静まり返って、ダミアーノの声だけが反響する。空気はひんやりと冷たかった。
 皇后は思案するような素振りを少し見せてから、

「何でもする、と言ったな……?」

 ニヤリと口元を歪ませた。


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