上 下
30 / 48

30 チップの価値観

しおりを挟む
「これは……?」

 レオナルドから差し出された花束に、キアラは困惑を隠せなかった。
 その花束は小さな白い花と緑のシンプルなもので、ミントのような爽やかな香りが鼻腔をくすぐった。

「プレゼントだ」と、レオナルドは真面目くさった顔で言う。

「ありがとうございます。嬉しいです。……ですが、記念日や行事でもないのに、いただいてもよろしいのでしょうか?」

 キアラは恐縮するように、おずおずと花束を受け取った。過去にダミアーノから花束を貰ったことがあるにはあったが、それは誕生日などのがある時だけだったのだ。

 こんななんでもない日に贈り物を貰ったことなど、彼女は経験がない。だから、素直に好意を受け取って良いものか、正直分からなかった。

 レオナルドは少し照れくさそうに顔を指で掻いてから、

「貯金が貯まったんだ。君に似合うと思って」

「ちょ……貯金んん!?」

 帝国の皇太子の口からとんでもない発言が出てきて、キアラは素っ頓狂な子えを上げて弾かれたように仰け反った。
 言われてみれば、手元の花束はたしかに洗練されて美しいが、お世辞にも皇族御用達のような最高級品には見えない。平民でも手の届く範疇の品種だろう。

(貯金って……? 皇族が? 皇太子が?)

 レオナルドは驚くキアラの姿を認めると得意げな顔になって、

「あぁ。君から貰ったチップを貯めていたんだ。まとまった額になったので、プレゼントを買いたいと思ってな」

「まぁ! そういうことでしたのね。それは、とても嬉し――……!?」

 彼女の顔がみるみる真っ赤になる。彼の真心が純粋に嬉しかったが……とてつもなく恥ずかしい、気がする…………。
 こんな気持ちになるのは初めてだった。ダミアーノに対して、魅了魔法抜きで純粋に喜べることなどなかったから。

 レオナルドはキアラの反応を楽しむようにニヤリと笑って、

「ふふん。どうだ、驚いただろう? 平民の恋人たちで流行している『サプライズ』というものだ」

「え、えぇ……。心臓が飛び跳ねましたわよ……」

「限られた予算からプレゼントを考えるのは新鮮な経験だった。意外に楽しいものだな」

 君だけの為に考えるのは――と、喉元まで出かかったが、慌てて口を噤む。にわかに羞恥心が襲って来て、身体が熱くなった。

(何を考えているんだ、俺は……)

 伯爵令嬢とは互いの利益のための、契約の関係だ。だが最近は、それ以上のことを期待してしまう。
 最初は「婚約者ごっこ」がそのような思考に向かっているのかと思っていたが……どうやら異なるみたいだ。

 彼女を愛おしく思う気持ちが、どうしても溢れてしまう。
 つい数ヶ月前までは彼女を殺そうと躍起になっていたのに、人の感情というものは不思議だ。

「レオナルド様、お気持ちはとても嬉しいのですが……」

 婚約者の呼び掛けに意識を戻すと、彼女はとても困惑気味に仮の婚約者を見上げていた。

「チップは、感謝の気持ちを込めて渡すものです。……まぁ、若干、よこしまな気持ちも入っておりますが……。
 ――で、ですので、お好きに使ってくださいまし」

「好きに使った結果なのだが」

「これでは、私に戻って来てしまいましたわ」と、キアラは苦笑いをした。「賄賂チップの意味がありません」

「意味はあった。俺にとっては、な。とても尊い経験ができた」と、彼はふっと笑った。

「えっ……?」

 キアラはますます困り顔をする。婚約者の言っている意味がよく分からなかった。なぜ、あんなに嬉しそうにしているの?

 数拍して、レオナルドが再び口を開く。
 彼は今言うべきだと思った。

「……金とは便利ものだ。小さな物体なのに、人を動かせる力がある」

「えぇ。おっしゃる通りですわね」

「だが、結局それは、道具の一つでしかない。人の心の芯の部分は、また別の場所にあるのだよ」

「それは……同意しかねますわ」と、キアラは眉根を寄せた。

 彼女の七回目の人生では、金銭こそが自分を覆う武器になっているからだ。その威力は魔女のマナより絶大だった。
 チップの配布と他より豊かな報奨の提供で、屋敷の人間や商会の関係者の心をしっかりと掴んでいるのだ。

 レオナルドは見透かしたように、じっとキアラの瞳を覗き込む。彼の強い眼球を伝って全てを吸い取られそうな気がして、彼女の胸が早鐘を打った。

「賄賂がなくとも、君の後ろ姿を見ている人物も大勢いるということだ」

「それは……どういう意味でしょうか?」

「君への信頼を作っているのは、紛れもない君自身なのだからな」

「…………」

 やっぱり意味が分からなかった。

(私は……今回こそは裏切られないように上手くやっているだけ……)

 過去六回ともダミアーノの偽の魅了魔法で操られ、彼のために汚いことを沢山やった。その過程で多くの人を陥れたし……最後は愛しの婚約者のせいで殺された。

 もう、懲り懲りだった。人は裏切るし、裏切られる。
 だから、今度こそ人と人を結びつける道具を見つけたのに。

(私なんて、金銭を間に挟まないと……。信頼される価値なんてないのに……)

 暗澹たる過去が、みるみる彼女を支配した。嫌なことを思い出して、ずんと心が沈み込む気がした。

 自分は、人として最低なことばかりやってきたのだ。処刑されるような人間だ。我ながら、本当に碌でもない人間……。

 その時、俯きかけたキアラの頬を、レオナルドがそっと持ち上げた。再び彼の強い視線を浴びて、彼女ははっと息を呑む。

 彼の顔はみるみる彼女に近付いて来る。突然のことで恥ずかしさも追いつかず、彼女は呆然と彼を見る。
 そして彼の口元は彼女の耳に近付いて、そっと息を掛けるように囁いた。

「もっと自信を持ちなさい。君は、よくやっている」

「っ……!?」

 途端に、キアラの顔が赤くなる。堰き止められていた羞恥心が急激に襲いかかって、思わず一歩後ずさった。

「ジュ、ジュ、ジュリア……」

 狼狽えながら、壁と同化していた侍女を呼ぶ。

「は、はい、キアラ様! わ、私は何も見ていません聞いていません!」と、同じく慌てふためくジュリア。彼女は婚約者同士の甘い時間を邪魔してはいけないと焦っていた。

 キアラは動揺したままふらふらとジュリアの前へ向かって、

「チ……チップをあげるわ! お礼よ!」

 どかどかと機械的に懐の小袋を全て侍女に渡した。

「きゃあっ! キアラ様、これは金貨の小袋です! こんなに多くはいただけませんよ!」

「いいの! いいの! 取っておいて! チップは、あればあるほど良いものでしょう?」

「それはそうですけど……今日の私は功績になるようなことを何もやっていませんって! 落ち着いてください!」

「功績っ!? そうね、お茶を淹れてくれた功績よ!」

「それは功績ではありませんっ!!」

 二人の微笑ましい様子を、レオナルドはくつくつと笑いながらおかしそうに見つめていた。



「殿下、国王陛下から緊急のご連絡が……!」

 その時、アルヴィーノ侯爵が急いで部屋に入って来て、レオナルドに耳打ちをする。すると彼の瞳が大きく見開いた。

 それは大洪水が起こった東部で反乱があり、皇太子が至急向かって収拾せよ――という皇帝直々の命令だった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】烏公爵の後妻〜旦那様は亡き前妻を想い、一生喪に服すらしい〜

七瀬菜々
恋愛
------ウィンターソン公爵の元に嫁ぎなさい。 ある日突然、兄がそう言った。 魔力がなく魔術師にもなれなければ、女というだけで父と同じ医者にもなれないシャロンは『自分にできることは家のためになる結婚をすること』と、日々婚活を頑張っていた。 しかし、表情を作ることが苦手な彼女の婚活はそううまくいくはずも無く…。 そろそろ諦めて修道院にで入ろうかと思っていた矢先、突然にウィンターソン公爵との縁談が持ち上がる。 ウィンターソン公爵といえば、亡き妻エミリアのことが忘れられず、5年間ずっと喪に服したままで有名な男だ。 前妻を今でも愛している公爵は、シャロンに対して予め『自分に愛されないことを受け入れろ』という誓約書を書かせるほどに徹底していた。 これはそんなウィンターソン公爵の後妻シャロンの愛されないはずの結婚の物語である。 ※基本的にちょっと残念な夫婦のお話です

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

【完結】熟成されて育ちきったお花畑に抗います。離婚?いえ、今回は国を潰してあげますわ

との
恋愛
2月のコンテストで沢山の応援をいただき、感謝です。 「王家の念願は今度こそ叶うのか!?」とまで言われるビルワーツ侯爵家令嬢との婚約ですが、毎回婚約破棄してきたのは王家から。  政より自分達の欲を優先して国を傾けて、その度に王命で『婚約』を申しつけてくる。その挙句、大勢の前で『婚約破棄だ!』と叫ぶ愚か者達にはもううんざり。  ビルワーツ侯爵家の資産を手に入れたい者達に翻弄されるのは、もうおしまいにいたしましょう。  地獄のような人生から巻き戻ったと気付き、新たなスタートを切ったエレーナは⋯⋯幸せを掴むために全ての力を振り絞ります。  全てを捨てるのか、それとも叩き壊すのか⋯⋯。  祖父、母、エレーナ⋯⋯三世代続いた王家とビルワーツ侯爵家の争いは、今回で終止符を打ってみせます。 ーーーーーー ゆるふわの中世ヨーロッパ、幻の国の設定です。 完結迄予約投稿済。 R15は念の為・・

王子は婚約破棄を泣いて詫びる

tartan321
恋愛
最愛の妹を失った王子は婚約者のキャシーに復讐を企てた。非力な王子ではあったが、仲間の協力を取り付けて、キャシーを王宮から追い出すことに成功する。 目的を達成し安堵した王子の前に突然死んだ妹の霊が現れた。 「お兄さま。キャシー様を3日以内に連れ戻して!」 存亡をかけた戦いの前に王子はただただ無力だった。  王子は妹の言葉を信じ、遥か遠くの村にいるキャシーを訪ねることにした……。

妹と旦那様に子供ができたので、離縁して隣国に嫁ぎます

冬月光輝
恋愛
私がベルモンド公爵家に嫁いで3年の間、夫婦に子供は出来ませんでした。 そんな中、夫のファルマンは裏切り行為を働きます。 しかも相手は妹のレナ。 最初は夫を叱っていた義両親でしたが、レナに子供が出来たと知ると私を責めだしました。 夫も婚約中から私からの愛は感じていないと口にしており、あの頃に婚約破棄していればと謝罪すらしません。 最後には、二人と子供の幸せを害する権利はないと言われて離縁させられてしまいます。 それからまもなくして、隣国の王子であるレオン殿下が我が家に現れました。 「約束どおり、私の妻になってもらうぞ」 確かにそんな約束をした覚えがあるような気がしますが、殿下はまだ5歳だったような……。 言われるがままに、隣国へ向かった私。 その頃になって、子供が出来ない理由は元旦那にあることが発覚して――。 ベルモンド公爵家ではひと悶着起こりそうらしいのですが、もう私には関係ありません。 ※ざまぁパートは第16話〜です

【完結】思い込みの激しい方ですね

仲村 嘉高
恋愛
私の婚約者は、なぜか私を「貧乏人」と言います。 私は子爵家で、彼は伯爵家なので、爵位は彼の家の方が上ですが、商売だけに限れば、彼の家はうちの子会社的取引相手です。 家の方針で清廉な生活を心掛けているからでしょうか? タウンハウスが小さいからでしょうか? うちの領地のカントリーハウスを、彼は見た事ありません。 それどころか、「田舎なんて行ってもつまらない」と領地に来た事もありません。 この方、大丈夫なのでしょうか? ※HOT最高4位!ありがとうございます!

【完結】捨てられ正妃は思い出す。

なか
恋愛
「お前に食指が動くことはない、後はしみったれた余生でも過ごしてくれ」    そんな言葉を最後に婚約者のランドルフ・ファルムンド王子はデイジー・ルドウィンを捨ててしまう。  人生の全てをかけて愛してくれていた彼女をあっさりと。  正妃教育のため幼き頃より人生を捧げて生きていた彼女に味方はおらず、学園ではいじめられ、再び愛した男性にも「遊びだった」と同じように捨てられてしまう。  人生に楽しみも、生きる気力も失った彼女は自分の意志で…自死を選んだ。  再び意識を取り戻すと見知った光景と聞き覚えのある言葉の数々。  デイジーは確信をした、これは二度目の人生なのだと。  確信したと同時に再びあの酷い日々を過ごす事になる事に絶望した、そんなデイジーを変えたのは他でもなく、前世での彼女自身の願いであった。 ––次の人生は後悔もない、幸福な日々を––  他でもない、自分自身の願いを叶えるために彼女は二度目の人生を立ち上がる。  前のような弱気な生き方を捨てて、怒りに滾って奮い立つ彼女はこのくそったれな人生を生きていく事を決めた。  彼女に起きた心境の変化、それによって起こる小さな波紋はやがて波となり…この王国でさえ変える大きな波となる。  

自殺した妻を幸せにする方法

久留茶
恋愛
平民出身の英雄アトラスと、国一番の高貴な身分の公爵令嬢アリアドネが王命により結婚した。 アリアドネは英雄アトラスのファンであり、この結婚をとても喜んだが、身分差別の強いこの国において、平民出のアトラスは貴族を激しく憎んでおり、結婚式後、妻となったアリアドネに対し、冷たい態度を取り続けていた。 それに対し、傷付き悲しみながらも必死で夫アトラスを支えるアリアドネだったが、ある日、戦にて屋敷を留守にしているアトラスのもとにアリアドネが亡くなったとの報せが届く。 アリアドネの死によって、アトラスは今迄の自分の妻に対する行いを激しく後悔する。 そしてアトラスは亡くなったアリアドネの為にある決意をし、行動を開始するのであった。 *小説家になろうにも掲載しています。 *前半は暗めですが、後半は甘めの展開となっています。 *少し長めの短編となっていますが、最後まで読んで頂けると嬉しいです。

処理中です...