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27 議会は迷走する
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「私は、皇太子殿下に愛する婚約者を奪われてしまいました……!」
議会は盛り上がっていた。
普段と変わらない顔ぶれなのに、今日は人々の興奮が熱気となって会場を渦巻いていた。
その中心には、ダミアーノ・ヴィッツィオ公爵令息と、皇后派閥の数名の貴族。
彼らは演台から懇願するように王族席を見上げ、令息はまるで悲劇のヒロインみたいに訴えかける。
その様子に同情している者など皆無で、議場は皇后と皇太子の政治的な戦いへの興味しかなかった。
可憐な令嬢が婚約者を奪われることは社交界の同情を集めるが、令息が婚約者を奪われるのは噴飯ものとされていた。一人の令嬢の心さえも掴めない男は、貴族としての信頼にも傷が付くのだ。
なので、間抜けにも婚約者の令嬢を取られた令息たちは、そのことをひた隠しにするのが常だった。
しかしヴィッツィオ公爵令息は、恥知らずにも議会という公の場で「皇太子に婚約者を奪われた」と主張したのだ。
通常なら家門から追い出されるくらいの情けない行為だが、今回は事情が違った。
彼のバックには皇后が付いている。これは女を取られた男の陳情ではなく、政治的な攻撃だった。彼らの目的はただ一つ――皇太子を引きずり下ろすことだった。
ダミアーノは今回の計画に賭けていた。マルティーナと婚約するために、皇后からの推薦を貰うのだ。
いくら両親でも、皇后の言葉には逆らえまい。それに上手くいけば、第二皇子政権で宰相の椅子も手に入るかも……。
(やれやれ。契約を破ったら賠償金を払うと記してあるのにな)
レオナルドは白けた様子でこの茶番を眺めていた。
キアラとダミアーノの婚約解消の際に、ヴィッツィオ公爵家とはいくつかの契約を結んだ。その中の一つに、今後この件で騒ぎ立てるようなことがあれば賠償請求をするという項目がある。
公爵は息子には言い聞かせていなかったのだろうか。はたまた、皇后が後ろ盾になっているので関係ないと思っているのか。
奇しくも、今日はヴィッツィオ公爵と夫人は領地へ戻っている。愚かな息子が単独でこの機会に乗じたのだろう。
「……で、私とリグリーア伯爵令嬢が貴公と婚約中に不貞を行っていたという証拠はあるのかな?」
一通り話させたあと、注目の皇太子はうんざりしたように問いかける。
「まさか感想文だけではないだろうな」
皇太子の挑発に会場内から失笑がこぼれた。現段階ではどう見ても公爵令息の「お気持ち表明」だったのだ。
「あれが次期ヴィッツィオ公爵か」
「将来は家門の勢力図も変わるでしょうな」
……と、そんな嘲りがどこからともなく聞こえてきた。
皇后も微かに眉を顰める。まさか公爵がこれほど使えないとは。公爵見習いの仕事は素晴らしい出来だと聞いていたのに、どういうことだろうか。
「例えば、私が伯爵令嬢に恋文でも渡した証拠があれば良いのだが?」
レオナルドは鼻で笑う。
ダミアーノはぐっと歯を食いしばって、
「何よりも状況証拠が物語っているではないですか! 私とキアラ嬢が婚約解消をして、早々に殿下と婚約をしている。それは、彼女の男の交際期間が重なっていたという何よりもの証左!」
「貴公と婚約解消をした直後に婚約を申し込んだのかもしれないぞ。武人はせっかちなのだ。いつ死ぬか分からぬからな」
「ふざけないでいただきたい! 皇族の婚約が、このように早急に決まるわけがない!」
「伯爵令嬢は非常に魅力的だ。他の男に取られないように急いだまでだ」
「それは詭弁です!」
議場が水を打ったように静まり返る。ダミアーノだけが顔を上気させて、肩で息をしていた。
公爵令息を取り囲む空気は、反対にどんどん冷めていく。
もはや勝負ありと意見が傾きかけたところだったが、ダミアーノも負けていなかった。
「私たちの婚約解消には、皇太子殿下自らが対処されました。我が屋敷にも、わざわざ殿下がいらっしゃっています。……これは、密かに二人が通じていて、邪魔者を消したかったからではないのですか?」
会場がざわつく。公爵令息の主張も一理あると考えた。短い期間の婚約や皇太子の行動から鑑みると、証拠はないが確証があるように思えてくるのだ。
レオナルドは会場のざわめきを一通り眺めてから、酷く困ったように口を開いた。
「これは、彼女の名誉のために、本来ならば公表したくなかったのだが……」
その発言に、ダミアーノの瞳が鋭く輝く。
「やはり! お認めになるのですね――」
「あれを持って来なさい」
皇太子が合図をすると、侍従が一束の書類を持って来た。
「私が公爵家と伯爵家の婚約解消に一役買ったのは認めよう。だが、それはキアラ嬢から相談事を受けたからだ。私は帝国の皇太子として、貴族の不正は許せないからな」
またしても、興奮を帯びたざわめきが広がる。
心当たりのあるダミアーノは、青ざめた。
「っ……」
ややあって、皇太子の朗々とした声が会場の隅々にまで響いた。
「この書類は、ここ3年のヴィッツィオ公爵家、及びミア子爵家の収支報告と裏帳簿だ。それから、恋人同士の恋文と密会の記録だな。誰とは言わないが……?」
レオナルドは挑発するように顎を上げてダミアーノを見下した。
公爵令息は蛇に睨まれた蛙のように硬直し、言葉を閉ざし、ぎこちなく頭を垂れる。
どちらの勝利かは、一目瞭然だった。
(キアラ嬢の名誉は守れそうだな)
騒がしい場内で、レオナルドだけが安堵の笑みを浮かべていた。
「そこまでだ」
その時、雑音を引き裂くように皇后ヴィットリーアの声が響いた。まるで訓練された犬みたいに、貴族たちはピタリと静まり返る。
「もう、よい。経緯は分かった。とんだ茶番だな」
皇后の氷のような冷たい視線がダミアーノの瞳を貫いた。恐怖に背筋が凍り付く。
自分は失敗して、今、切り捨てられようとしている。……暗い未来が、彼の頭の中を支配した。
「全く、おっしゃる通りで」と、レオナルドは肩を竦める。
「だが、これは皇太子の軽はずみな行動が招いた結果なのだろう? 責任を取るべきではないか?」
皇后はは歪んだ口元を吊り上げた。
(そうきたか……)
レオナルドはうんざりと眉根を寄せる。
おそらく、皇后は最初から論調をココに持っていく予定だったのだろう。その前に成功すれば幸運なくらいの感覚で。
「私が責任を取る理由が、よく分かりませんね」と皇太子。
「愚か者に噛み砕いて教えてやろう。そなたが騒ぎを起こした責任だ」
「騒ぎなら私より第二皇子のほうが頻繁に起こしているではないですか。彼はその度に責任を負っていましたっけ?」
「第二皇子は、議会にまで持ち込まれるような騒ぎなど起こしてはおらぬ」皇后は鼻で笑って一蹴する。「……対して皇太子は、痴情のもつれを公の場にまで持ち込むとはのう? 情けない限りだ」
「そのような事実はありません」
「だが、訴えられるような誤解を招く行動を起こしたのは事実。貴重な議会の場を汚した責任を取るのは筋であろう?」
「っ……」
勝った――と、皇后はほくそ笑んだ。
議会にまで女関係を議論される皇太子など前代未聞。このような痴れ者が帝国の政を牽引するなど言語道断。上に立つ者は人格も優れていなければ。
面倒くさいのに絡まれたな――と、皇太子はもう何度目か分からないため息をついた。
義母上は隙あらば攻撃を仕掛けて来る。俺に文句を付ける前に実の息子の性教育をしろよ……と、彼は心の中で毒づいたのだった。
会場内が皇后の威圧感で支配されようとした、その時だった。
「陛下! 大変ですっ!!」
侍従の一人が血相を変えて、大慌てで議会の場へ飛び込んで来た。
そして咎める皇后を通り過ぎて、指先を震わせながら皇帝に耳打ちをする。
すぐさま議会は中止されて、皇帝は足早に執務室へと向かった。
第二皇子と子爵令嬢の婚約宣言がなされ、同時に皇太子と伯爵令嬢の不名誉な噂が消えた瞬間だった。
議会は盛り上がっていた。
普段と変わらない顔ぶれなのに、今日は人々の興奮が熱気となって会場を渦巻いていた。
その中心には、ダミアーノ・ヴィッツィオ公爵令息と、皇后派閥の数名の貴族。
彼らは演台から懇願するように王族席を見上げ、令息はまるで悲劇のヒロインみたいに訴えかける。
その様子に同情している者など皆無で、議場は皇后と皇太子の政治的な戦いへの興味しかなかった。
可憐な令嬢が婚約者を奪われることは社交界の同情を集めるが、令息が婚約者を奪われるのは噴飯ものとされていた。一人の令嬢の心さえも掴めない男は、貴族としての信頼にも傷が付くのだ。
なので、間抜けにも婚約者の令嬢を取られた令息たちは、そのことをひた隠しにするのが常だった。
しかしヴィッツィオ公爵令息は、恥知らずにも議会という公の場で「皇太子に婚約者を奪われた」と主張したのだ。
通常なら家門から追い出されるくらいの情けない行為だが、今回は事情が違った。
彼のバックには皇后が付いている。これは女を取られた男の陳情ではなく、政治的な攻撃だった。彼らの目的はただ一つ――皇太子を引きずり下ろすことだった。
ダミアーノは今回の計画に賭けていた。マルティーナと婚約するために、皇后からの推薦を貰うのだ。
いくら両親でも、皇后の言葉には逆らえまい。それに上手くいけば、第二皇子政権で宰相の椅子も手に入るかも……。
(やれやれ。契約を破ったら賠償金を払うと記してあるのにな)
レオナルドは白けた様子でこの茶番を眺めていた。
キアラとダミアーノの婚約解消の際に、ヴィッツィオ公爵家とはいくつかの契約を結んだ。その中の一つに、今後この件で騒ぎ立てるようなことがあれば賠償請求をするという項目がある。
公爵は息子には言い聞かせていなかったのだろうか。はたまた、皇后が後ろ盾になっているので関係ないと思っているのか。
奇しくも、今日はヴィッツィオ公爵と夫人は領地へ戻っている。愚かな息子が単独でこの機会に乗じたのだろう。
「……で、私とリグリーア伯爵令嬢が貴公と婚約中に不貞を行っていたという証拠はあるのかな?」
一通り話させたあと、注目の皇太子はうんざりしたように問いかける。
「まさか感想文だけではないだろうな」
皇太子の挑発に会場内から失笑がこぼれた。現段階ではどう見ても公爵令息の「お気持ち表明」だったのだ。
「あれが次期ヴィッツィオ公爵か」
「将来は家門の勢力図も変わるでしょうな」
……と、そんな嘲りがどこからともなく聞こえてきた。
皇后も微かに眉を顰める。まさか公爵がこれほど使えないとは。公爵見習いの仕事は素晴らしい出来だと聞いていたのに、どういうことだろうか。
「例えば、私が伯爵令嬢に恋文でも渡した証拠があれば良いのだが?」
レオナルドは鼻で笑う。
ダミアーノはぐっと歯を食いしばって、
「何よりも状況証拠が物語っているではないですか! 私とキアラ嬢が婚約解消をして、早々に殿下と婚約をしている。それは、彼女の男の交際期間が重なっていたという何よりもの証左!」
「貴公と婚約解消をした直後に婚約を申し込んだのかもしれないぞ。武人はせっかちなのだ。いつ死ぬか分からぬからな」
「ふざけないでいただきたい! 皇族の婚約が、このように早急に決まるわけがない!」
「伯爵令嬢は非常に魅力的だ。他の男に取られないように急いだまでだ」
「それは詭弁です!」
議場が水を打ったように静まり返る。ダミアーノだけが顔を上気させて、肩で息をしていた。
公爵令息を取り囲む空気は、反対にどんどん冷めていく。
もはや勝負ありと意見が傾きかけたところだったが、ダミアーノも負けていなかった。
「私たちの婚約解消には、皇太子殿下自らが対処されました。我が屋敷にも、わざわざ殿下がいらっしゃっています。……これは、密かに二人が通じていて、邪魔者を消したかったからではないのですか?」
会場がざわつく。公爵令息の主張も一理あると考えた。短い期間の婚約や皇太子の行動から鑑みると、証拠はないが確証があるように思えてくるのだ。
レオナルドは会場のざわめきを一通り眺めてから、酷く困ったように口を開いた。
「これは、彼女の名誉のために、本来ならば公表したくなかったのだが……」
その発言に、ダミアーノの瞳が鋭く輝く。
「やはり! お認めになるのですね――」
「あれを持って来なさい」
皇太子が合図をすると、侍従が一束の書類を持って来た。
「私が公爵家と伯爵家の婚約解消に一役買ったのは認めよう。だが、それはキアラ嬢から相談事を受けたからだ。私は帝国の皇太子として、貴族の不正は許せないからな」
またしても、興奮を帯びたざわめきが広がる。
心当たりのあるダミアーノは、青ざめた。
「っ……」
ややあって、皇太子の朗々とした声が会場の隅々にまで響いた。
「この書類は、ここ3年のヴィッツィオ公爵家、及びミア子爵家の収支報告と裏帳簿だ。それから、恋人同士の恋文と密会の記録だな。誰とは言わないが……?」
レオナルドは挑発するように顎を上げてダミアーノを見下した。
公爵令息は蛇に睨まれた蛙のように硬直し、言葉を閉ざし、ぎこちなく頭を垂れる。
どちらの勝利かは、一目瞭然だった。
(キアラ嬢の名誉は守れそうだな)
騒がしい場内で、レオナルドだけが安堵の笑みを浮かべていた。
「そこまでだ」
その時、雑音を引き裂くように皇后ヴィットリーアの声が響いた。まるで訓練された犬みたいに、貴族たちはピタリと静まり返る。
「もう、よい。経緯は分かった。とんだ茶番だな」
皇后の氷のような冷たい視線がダミアーノの瞳を貫いた。恐怖に背筋が凍り付く。
自分は失敗して、今、切り捨てられようとしている。……暗い未来が、彼の頭の中を支配した。
「全く、おっしゃる通りで」と、レオナルドは肩を竦める。
「だが、これは皇太子の軽はずみな行動が招いた結果なのだろう? 責任を取るべきではないか?」
皇后はは歪んだ口元を吊り上げた。
(そうきたか……)
レオナルドはうんざりと眉根を寄せる。
おそらく、皇后は最初から論調をココに持っていく予定だったのだろう。その前に成功すれば幸運なくらいの感覚で。
「私が責任を取る理由が、よく分かりませんね」と皇太子。
「愚か者に噛み砕いて教えてやろう。そなたが騒ぎを起こした責任だ」
「騒ぎなら私より第二皇子のほうが頻繁に起こしているではないですか。彼はその度に責任を負っていましたっけ?」
「第二皇子は、議会にまで持ち込まれるような騒ぎなど起こしてはおらぬ」皇后は鼻で笑って一蹴する。「……対して皇太子は、痴情のもつれを公の場にまで持ち込むとはのう? 情けない限りだ」
「そのような事実はありません」
「だが、訴えられるような誤解を招く行動を起こしたのは事実。貴重な議会の場を汚した責任を取るのは筋であろう?」
「っ……」
勝った――と、皇后はほくそ笑んだ。
議会にまで女関係を議論される皇太子など前代未聞。このような痴れ者が帝国の政を牽引するなど言語道断。上に立つ者は人格も優れていなければ。
面倒くさいのに絡まれたな――と、皇太子はもう何度目か分からないため息をついた。
義母上は隙あらば攻撃を仕掛けて来る。俺に文句を付ける前に実の息子の性教育をしろよ……と、彼は心の中で毒づいたのだった。
会場内が皇后の威圧感で支配されようとした、その時だった。
「陛下! 大変ですっ!!」
侍従の一人が血相を変えて、大慌てで議会の場へ飛び込んで来た。
そして咎める皇后を通り過ぎて、指先を震わせながら皇帝に耳打ちをする。
すぐさま議会は中止されて、皇帝は足早に執務室へと向かった。
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