25 / 48
25 第二皇子アンドレア
しおりを挟む
「初めまして、キアラ・リグリーア伯爵令嬢。……いや、義姉上と呼んだほうがいいかな?」
「っ……!」
他人事のようにお菓子をぱくついていたキアラの前に、未来の義弟である第二皇子がやって来た。
想定外の行動に脈が跳ねる。彼女は慌てて小麦粉とクリームの塊をお茶で流し込んで、すっと立ち上がった。
「第二皇子殿下にキアラ・リグリーアがご挨拶申し上げます」
そして丁寧にカーテシーをする。仮ではあるものの、今の自分は皇太子の婚約者であるので、たとえ敵対派閥の中心人物でも礼を尽くさなければ。
「顔を上げてくれ。未来の義姉上に頭を下げられるなんて、こそばゆい気分だよ」と、アンドレアは苦笑いをする。
「私の現在の身分は、殿下の臣下でございますわ」
「他人行儀だね」
「殿方と親しくすると皇太子殿下から叱られますから。今日も監視がついているのですよ?」
キアラは影のように側に控えている侍女を見ながらくすくすと笑う。これは場を和ませる風に見せかけた牽制だった。
第二皇子は人当たりは良いと言われているが、いかんせん素行が宜しくない。彼の性質なら義兄――しかも己の競争相手の婚約者を寝取ろうと行動を起こすのは容易く想像できた。
(なっ……なんで知っているんですか!?)
一方、済ました顔で立っているジュリアは内心焦っていた。彼女は本当にレオナルドから監視を命じられていたのである。
侍女だけではない。皇太子は会場の執事やメイドたちも、自身の手の者を紛れ込ませていた。
特にジュリアは常にキアラの一番近くにいるので、もしもの時のために攻撃魔法のマナが宿った魔道具も託されていた。だから実のところは監視というよりは護衛のようなものだ。
この侍女は、皇太子が婚約者の動向を知りたがっていることは重々に承知していた。それも大きな愛情の気持ちから。
なので、今日の出来事も一語一句漏らさずに報告しようと思っていたのだが、それも全て見破られていたとは。
(さすがです、キアラ様!)
侍女の好感度が上がった一瞬だった。
「義兄上は意外に嫉妬深いのだな」アンドレアはくつくつと笑う。「戦に明け暮れていたから、女とは縁が皆無なようだったからね。やっと掴んだチャンスを手放したくないのだろう」
(……は?)
婚約者の義弟の、兄を小馬鹿にするような発言にキアラは苛立った。自分は大した功績を上げていないくせに、随分な上から目線だ。
(抱いた女の数が多いほど男として上だと思っているのかしら? とんだ下半身脳ね)
実際に、アンドレアの浮名は枚挙にいとまがない。彼の女癖の悪さには皇后も頭を抱えているみたいだ。
だからこそ早く名家の令嬢と婚姻をさせて、子を作らせて地盤を固めておきたかった。
高貴な血筋の跡取りさえできれば、皇子が女遊びを再開させようと問題がない。それに派閥としても、神輿は軽いほうが良かったのだ。
ちなみに、皇后は本音は他国の王女を娶りたかったのだが、どこからも恐れ多いとオブラートに包んで女遊びを理由に断られていた。
あまつさえ「皇太子殿下でしたら……」と、毎回のように矛盾した言葉も付け加えられて、彼女のレオナルドへの憎しみは一層深まるばかりだった。
「私が皇太子殿下から愛されていることを、第二皇子殿下もお認めくださって光栄ですわ」
キアラはにっこりと笑う。これも牽制だ。愛し合う二人の仲に邪魔者は入って来ないでね、と。兄は弟のような軽薄な人間ではない。
「全く……。令嬢のような純真さを持っているな、義兄上は」
「それは嬉しいお言葉ですわね。婚約者から真っ直ぐに愛されることは喜びですから」
「なるほど。義兄上がなぜ君を選んだのか、なんとなく分かった気がするよ。君も一途なんだね」
「恐れ入ります」
アンドレアは女性関係ですこぶる悪い噂ばかり聞くが、それでも令嬢や夫人たちとの噂が絶えない理由が理解できた気がした。
第一印象は、誰もが好感を覚えることだろう。人を惹き付ける容姿はもちろん、物腰の柔らかさや美しい立ち居振る舞い……見てくれだけなら完璧な皇子様だった。
短時間だけ見る張りぼてなら、兄のレオナルドより立派に感じるかもしれない。
「殿下をお慕いしている令嬢たちの視線を感じます。皇太子殿下の婚約者である私が独り占めをするのは恐れ多いですわ」
「これは参ったな。僕としては、義兄上の婚約者のことをもっと知りたいのだけれど?」
アンドレアは令嬢たちの熱視線に優越感を覚えながらも、知らんぷりを決め込む。どうやら天性の女好きらしい。きっと今日も会場にいるどこかの令嬢と個人的に親しくなるのだろう。
「……私とは皇太子殿下を通じて再びお目に掛かる機会もございましょう。令嬢たちが首を長くして待っておりますわよ」
「ははは。そこまで言われたらレディーたちのもとへ行くしかないね」
その時、キアラはふと妙な気配を感じた。
そっと視線を移すと、マルティーナ・ミア子爵令嬢が近寄って来ていた。彼女の手元には香水の瓶ようなものが握られている。不穏な気配の元はその魔道具だった。
子爵令嬢はカサコソと警備を掻い潜り、第二皇子のすぐ近くまで来ていた。それに気付いた近衛兵が令嬢を咎めようと慌てて近寄る。
しかし、マルティーナの動作のほうが早かった。彼女はさっと蓋を開ける。
「えいっ!」
次の瞬間、キアラにしか見えない黒い煙が、勢いよく広がった。
「っ……!」
他人事のようにお菓子をぱくついていたキアラの前に、未来の義弟である第二皇子がやって来た。
想定外の行動に脈が跳ねる。彼女は慌てて小麦粉とクリームの塊をお茶で流し込んで、すっと立ち上がった。
「第二皇子殿下にキアラ・リグリーアがご挨拶申し上げます」
そして丁寧にカーテシーをする。仮ではあるものの、今の自分は皇太子の婚約者であるので、たとえ敵対派閥の中心人物でも礼を尽くさなければ。
「顔を上げてくれ。未来の義姉上に頭を下げられるなんて、こそばゆい気分だよ」と、アンドレアは苦笑いをする。
「私の現在の身分は、殿下の臣下でございますわ」
「他人行儀だね」
「殿方と親しくすると皇太子殿下から叱られますから。今日も監視がついているのですよ?」
キアラは影のように側に控えている侍女を見ながらくすくすと笑う。これは場を和ませる風に見せかけた牽制だった。
第二皇子は人当たりは良いと言われているが、いかんせん素行が宜しくない。彼の性質なら義兄――しかも己の競争相手の婚約者を寝取ろうと行動を起こすのは容易く想像できた。
(なっ……なんで知っているんですか!?)
一方、済ました顔で立っているジュリアは内心焦っていた。彼女は本当にレオナルドから監視を命じられていたのである。
侍女だけではない。皇太子は会場の執事やメイドたちも、自身の手の者を紛れ込ませていた。
特にジュリアは常にキアラの一番近くにいるので、もしもの時のために攻撃魔法のマナが宿った魔道具も託されていた。だから実のところは監視というよりは護衛のようなものだ。
この侍女は、皇太子が婚約者の動向を知りたがっていることは重々に承知していた。それも大きな愛情の気持ちから。
なので、今日の出来事も一語一句漏らさずに報告しようと思っていたのだが、それも全て見破られていたとは。
(さすがです、キアラ様!)
侍女の好感度が上がった一瞬だった。
「義兄上は意外に嫉妬深いのだな」アンドレアはくつくつと笑う。「戦に明け暮れていたから、女とは縁が皆無なようだったからね。やっと掴んだチャンスを手放したくないのだろう」
(……は?)
婚約者の義弟の、兄を小馬鹿にするような発言にキアラは苛立った。自分は大した功績を上げていないくせに、随分な上から目線だ。
(抱いた女の数が多いほど男として上だと思っているのかしら? とんだ下半身脳ね)
実際に、アンドレアの浮名は枚挙にいとまがない。彼の女癖の悪さには皇后も頭を抱えているみたいだ。
だからこそ早く名家の令嬢と婚姻をさせて、子を作らせて地盤を固めておきたかった。
高貴な血筋の跡取りさえできれば、皇子が女遊びを再開させようと問題がない。それに派閥としても、神輿は軽いほうが良かったのだ。
ちなみに、皇后は本音は他国の王女を娶りたかったのだが、どこからも恐れ多いとオブラートに包んで女遊びを理由に断られていた。
あまつさえ「皇太子殿下でしたら……」と、毎回のように矛盾した言葉も付け加えられて、彼女のレオナルドへの憎しみは一層深まるばかりだった。
「私が皇太子殿下から愛されていることを、第二皇子殿下もお認めくださって光栄ですわ」
キアラはにっこりと笑う。これも牽制だ。愛し合う二人の仲に邪魔者は入って来ないでね、と。兄は弟のような軽薄な人間ではない。
「全く……。令嬢のような純真さを持っているな、義兄上は」
「それは嬉しいお言葉ですわね。婚約者から真っ直ぐに愛されることは喜びですから」
「なるほど。義兄上がなぜ君を選んだのか、なんとなく分かった気がするよ。君も一途なんだね」
「恐れ入ります」
アンドレアは女性関係ですこぶる悪い噂ばかり聞くが、それでも令嬢や夫人たちとの噂が絶えない理由が理解できた気がした。
第一印象は、誰もが好感を覚えることだろう。人を惹き付ける容姿はもちろん、物腰の柔らかさや美しい立ち居振る舞い……見てくれだけなら完璧な皇子様だった。
短時間だけ見る張りぼてなら、兄のレオナルドより立派に感じるかもしれない。
「殿下をお慕いしている令嬢たちの視線を感じます。皇太子殿下の婚約者である私が独り占めをするのは恐れ多いですわ」
「これは参ったな。僕としては、義兄上の婚約者のことをもっと知りたいのだけれど?」
アンドレアは令嬢たちの熱視線に優越感を覚えながらも、知らんぷりを決め込む。どうやら天性の女好きらしい。きっと今日も会場にいるどこかの令嬢と個人的に親しくなるのだろう。
「……私とは皇太子殿下を通じて再びお目に掛かる機会もございましょう。令嬢たちが首を長くして待っておりますわよ」
「ははは。そこまで言われたらレディーたちのもとへ行くしかないね」
その時、キアラはふと妙な気配を感じた。
そっと視線を移すと、マルティーナ・ミア子爵令嬢が近寄って来ていた。彼女の手元には香水の瓶ようなものが握られている。不穏な気配の元はその魔道具だった。
子爵令嬢はカサコソと警備を掻い潜り、第二皇子のすぐ近くまで来ていた。それに気付いた近衛兵が令嬢を咎めようと慌てて近寄る。
しかし、マルティーナの動作のほうが早かった。彼女はさっと蓋を開ける。
「えいっ!」
次の瞬間、キアラにしか見えない黒い煙が、勢いよく広がった。
17
お気に入りに追加
86
あなたにおすすめの小説
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
公爵令嬢アナスタシアの華麗なる鉄槌
招杜羅147
ファンタジー
「婚約は破棄だ!」
毒殺容疑の冤罪で、婚約者の手によって投獄された公爵令嬢・アナスタシア。
彼女は獄中死し、それによって3年前に巻き戻る。
そして…。
とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ
【商業企画進行中・取り下げ予定】さようなら、私の初恋。
ごろごろみかん。
ファンタジー
結婚式の夜、私はあなたに殺された。
彼に嫌悪されているのは知っていたけど、でも、殺されるほどだとは思っていなかった。
「誰も、お前なんか必要としていない」
最期の時に言われた言葉。彼に嫌われていても、彼にほかに愛するひとがいても、私は彼の婚約者であることをやめなかった。やめられなかった。私には責務があるから。
だけどそれも、意味のないことだったのだ。
彼に殺されて、気がつけば彼と結婚する半年前に戻っていた。
なぜ時が戻ったのかは分からない。
それでも、ひとつだけ確かなことがある。
あなたは私をいらないと言ったけど──私も、私の人生にあなたはいらない。
私は、私の生きたいように生きます。
誰にも言えないあなたへ
天海月
恋愛
子爵令嬢のクリスティーナは心に決めた思い人がいたが、彼が平民だという理由で結ばれることを諦め、彼女の事を見初めたという騎士で伯爵のマリオンと婚姻を結ぶ。
マリオンは家格も高いうえに、優しく美しい男であったが、常に他人と一線を引き、妻であるクリスティーナにさえ、どこか壁があるようだった。
年齢が離れている彼にとって自分は子供にしか見えないのかもしれない、と落ち込む彼女だったが・・・マリオンには誰にも言えない秘密があって・・・。

【完結】二度目の恋はもう諦めたくない。
たろ
恋愛
セレンは15歳の時に16歳のスティーブ・ロセスと結婚した。いわゆる政略的な結婚で、幼馴染でいつも喧嘩ばかりの二人は歩み寄りもなく一年で離縁した。
その一年間をなかったものにするため、お互い全く別のところへ移り住んだ。
スティーブはアルク国に留学してしまった。
セレンは国の文官の試験を受けて働くことになった。配属は何故か騎士団の事務員。
本人は全く気がついていないが騎士団員の間では
『可愛い子兎』と呼ばれ、何かと理由をつけては事務室にみんな足を運ぶこととなる。
そんな騎士団に入隊してきたのが、スティーブ。
お互い結婚していたことはなかったことにしようと、話すこともなく目も合わせないで過ごした。
本当はお互い好き合っているのに素直になれない二人。
そして、少しずつお互いの誤解が解けてもう一度……
始めの数話は幼い頃の出会い。
そして結婚1年間の話。
再会と続きます。
君のためだと言われても、少しも嬉しくありません
みみぢあん
恋愛
子爵家の令嬢マリオンの婚約者、アルフレッド卿が王族の護衛で隣国へ行くが、任期がながびき帰国できなくなり婚約を解消することになった。 すぐにノエル卿と2度目の婚約が決まったが、結婚を目前にして家庭の事情で2人は…… 暗い流れがつづきます。 ざまぁでスカッ… とされたい方には不向きのお話です。ご注意を😓

【完結】婚約者が好きなのです
maruko
恋愛
リリーベルの婚約者は誰にでも優しいオーラン・ドートル侯爵令息様。
でもそんな優しい婚約者がたった一人に対してだけ何故か冷たい。
冷たくされてるのはアリー・メーキリー侯爵令嬢。
彼の幼馴染だ。
そんなある日。偶然アリー様がこらえきれない涙を流すのを見てしまった。見つめる先には婚約者の姿。
私はどうすればいいのだろうか。
全34話(番外編含む)
※他サイトにも投稿しております
※1話〜4話までは文字数多めです
注)感想欄は全話読んでから閲覧ください(汗)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる