84 / 88
第三章 クロエは振り子を二度揺らす
84 パリステラ家の消滅
しおりを挟む
パリステラ家の処刑が終わった。
呆気なく首が飛ぶ様子は、料理人が朝食のハムを切っているみたいになんの感情も乗っていなくて、クロエは笑いさえ込み上げてきた。
クロエは王族の近くの席で、隣にはユリウスが座って、二人並んで断頭台を眺めていた。
処刑の様子に彼女は特に感想は持たなかった。ただ、目の前で流れる景色を見ているだけだ。
しかし、父親の首が落ちた瞬間、なぜだか急激に視界がぼやけてしまった。意味が分からなくて不思議に思っていると、隣からすっと影が伸びて来て、再び視界が晴れた。
見ると、ユリウスが湿ったハンカチを持っていた。
刹那、彼女の胸の奥から、長いあいだ閉じ込めていた感情が溢れて来る。
普通の家族でいたかった。
父に、自分のことを……そして、母のことを愛して欲しかった。
普通に育って、普通に成長して、自分も普通に婚約者と結婚をして、また普通の家庭を築く。
それは、地味でも派手でもない……そんな普通の人生が良かった。
でも、彼女の望むものは、もう二度と手に入らない。
◆◆◆
パリステラ家は静寂に包まれていた。
あんなに大勢いた使用人たちは一人もいなくなって、今では時おり王家の使いの者が出入りするくらいだった。
家門は消滅したので、これまでパリステラ家が所有してい財産の全てが王家のものとなる。
ただし、クロエの私物は今も彼女の所有物で構わないと国王が慈悲を与えてくれた。
彼女は今、引っ越しの準備に取り掛かっていた。……といっても、帝国へ持ってくものをただ選別しているだけだが。
国王は約束通り王命を出して、クロエとユリウスの婚約が正式に決定した。
彼女は、王弟であるウェスト公爵家に養子に入り、クロエ・ウェスト公爵令嬢として皇室に輿入れすることとなった。
聖女が無事に呪われたパリステラ家から切り離され、更には帝国の皇子と婚約したことは、貴族からも平民からも祝福された。
特に平民たちの喜びようは凄まじいものがあった。
王都では、婚約を記念したパンや絵皿などが販売されて、ちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。
パリステラ家は歴史上最悪の家門になってしまったが、聖女・クロエだけは奇跡的に救われたのだ。
それは、彼女だけは信仰にあつく、そして我欲を捨てて善行を積んだからだと、平民たちの間で寓話のように語られていた。
一方で、貴族たちも、パリステラ家が窮地に陥ったときはあれほどクロエを冷遇していたのに、公爵令嬢となった彼女に対して、大いに持て囃していたのだった。
そんな様子をクロエは他人事のように見ていた。
彼女は、粛々と帝国へ向かう準備を進める。
これは王命だ……仕方ない。
名に背くのは、即ち反逆罪。だから、差し当たりは唯々諾々と従う素振りを見せるしかないだろう。
あと少し待てば、再び時間は動き始めるのだから。
「クロエ、母君の持ち物は全て持って行くだろう?」
「……えぇ」
処刑の日以来、ユリウスは常にクロエの側にいた。
彼は今度こそ彼女を逃しまいと、しつこいくらいに四六時中くっついていた。
今は諸々の手続きや引越しの準備、パリステラ家の屋敷や領地の処理で大忙しだ。
彼は、肉親が一人もいなくなってしまった彼女を守るように、交渉や執務を請け負っていたのだった。
彼女も特に不満を言うこともなく、彼と一緒にいたが、その大人しい様子が却って不気味に思えた。なにか企みがあって、自分を油断させて失踪するのではないかと、彼は一抹の不安を覚えたのだ。
だが、彼女の様子を注意深く観察していると、それは取り越し苦労のようで、彼は安堵した。
もう少しだ。
もう少しで、今度こそクロエと結ばれる。
そう思うと、妙に気分が高揚してきた。
あとちょっとで、逆行前に過ごした時間を越える。
あの、クロエの心の叫びのような大きな嵐が過ぎたら……次は快晴が待っているはずだ。
それからの二人は、平穏な日々を送っていた。
領地の諸々の手続きや引き継ぎは少しばかり骨が折れたが、雇っていた使用人たちも無事に他の職場を見つけることができて、残すは帝国へ向かうだけとなった。
クロエは、最後にパリステラ家の本邸の中を歩く。
正直言うと、悪い思い出ばかりだった。暗い景色は、己の胸の奥をじくじくと刺して来る。
でも、もう薄れかけた過去の記憶の中に、大好きな母と過ごした思い出も微かに残っていた。
それだけが、彼女の宝物だった。
「……帝国には、嵐が過ぎ去ってから行こう」
「……分かったわ」
クロエの返事に、ユリウスはほっと胸を撫で下ろす。
あの嵐の日は、忘れようがなかった。
馬車の中でクロエを見つけて、思わず彼女を追って、鐘塔に着いて――……。
そのときだった。
出し抜けに、ガシャリ――と、窓ガラスが割れる音が聞こえた。
慌てて現場であるバルコニーまで向かうと、窓の向こう側には信じられない光景が広がっていた。
「聖女――いや、偽聖女を出せーっ!!」
「あの女は魔女よ! この人殺し!」
「今までよくもオレたちを騙してくれたな!」
パリステラ家の前には、武器を持った大勢の平民たちが、集結していたのだ。
彼は一様に眉を吊り上げて、聖女――クロエをきつく睨め付けていた。
呆気なく首が飛ぶ様子は、料理人が朝食のハムを切っているみたいになんの感情も乗っていなくて、クロエは笑いさえ込み上げてきた。
クロエは王族の近くの席で、隣にはユリウスが座って、二人並んで断頭台を眺めていた。
処刑の様子に彼女は特に感想は持たなかった。ただ、目の前で流れる景色を見ているだけだ。
しかし、父親の首が落ちた瞬間、なぜだか急激に視界がぼやけてしまった。意味が分からなくて不思議に思っていると、隣からすっと影が伸びて来て、再び視界が晴れた。
見ると、ユリウスが湿ったハンカチを持っていた。
刹那、彼女の胸の奥から、長いあいだ閉じ込めていた感情が溢れて来る。
普通の家族でいたかった。
父に、自分のことを……そして、母のことを愛して欲しかった。
普通に育って、普通に成長して、自分も普通に婚約者と結婚をして、また普通の家庭を築く。
それは、地味でも派手でもない……そんな普通の人生が良かった。
でも、彼女の望むものは、もう二度と手に入らない。
◆◆◆
パリステラ家は静寂に包まれていた。
あんなに大勢いた使用人たちは一人もいなくなって、今では時おり王家の使いの者が出入りするくらいだった。
家門は消滅したので、これまでパリステラ家が所有してい財産の全てが王家のものとなる。
ただし、クロエの私物は今も彼女の所有物で構わないと国王が慈悲を与えてくれた。
彼女は今、引っ越しの準備に取り掛かっていた。……といっても、帝国へ持ってくものをただ選別しているだけだが。
国王は約束通り王命を出して、クロエとユリウスの婚約が正式に決定した。
彼女は、王弟であるウェスト公爵家に養子に入り、クロエ・ウェスト公爵令嬢として皇室に輿入れすることとなった。
聖女が無事に呪われたパリステラ家から切り離され、更には帝国の皇子と婚約したことは、貴族からも平民からも祝福された。
特に平民たちの喜びようは凄まじいものがあった。
王都では、婚約を記念したパンや絵皿などが販売されて、ちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。
パリステラ家は歴史上最悪の家門になってしまったが、聖女・クロエだけは奇跡的に救われたのだ。
それは、彼女だけは信仰にあつく、そして我欲を捨てて善行を積んだからだと、平民たちの間で寓話のように語られていた。
一方で、貴族たちも、パリステラ家が窮地に陥ったときはあれほどクロエを冷遇していたのに、公爵令嬢となった彼女に対して、大いに持て囃していたのだった。
そんな様子をクロエは他人事のように見ていた。
彼女は、粛々と帝国へ向かう準備を進める。
これは王命だ……仕方ない。
名に背くのは、即ち反逆罪。だから、差し当たりは唯々諾々と従う素振りを見せるしかないだろう。
あと少し待てば、再び時間は動き始めるのだから。
「クロエ、母君の持ち物は全て持って行くだろう?」
「……えぇ」
処刑の日以来、ユリウスは常にクロエの側にいた。
彼は今度こそ彼女を逃しまいと、しつこいくらいに四六時中くっついていた。
今は諸々の手続きや引越しの準備、パリステラ家の屋敷や領地の処理で大忙しだ。
彼は、肉親が一人もいなくなってしまった彼女を守るように、交渉や執務を請け負っていたのだった。
彼女も特に不満を言うこともなく、彼と一緒にいたが、その大人しい様子が却って不気味に思えた。なにか企みがあって、自分を油断させて失踪するのではないかと、彼は一抹の不安を覚えたのだ。
だが、彼女の様子を注意深く観察していると、それは取り越し苦労のようで、彼は安堵した。
もう少しだ。
もう少しで、今度こそクロエと結ばれる。
そう思うと、妙に気分が高揚してきた。
あとちょっとで、逆行前に過ごした時間を越える。
あの、クロエの心の叫びのような大きな嵐が過ぎたら……次は快晴が待っているはずだ。
それからの二人は、平穏な日々を送っていた。
領地の諸々の手続きや引き継ぎは少しばかり骨が折れたが、雇っていた使用人たちも無事に他の職場を見つけることができて、残すは帝国へ向かうだけとなった。
クロエは、最後にパリステラ家の本邸の中を歩く。
正直言うと、悪い思い出ばかりだった。暗い景色は、己の胸の奥をじくじくと刺して来る。
でも、もう薄れかけた過去の記憶の中に、大好きな母と過ごした思い出も微かに残っていた。
それだけが、彼女の宝物だった。
「……帝国には、嵐が過ぎ去ってから行こう」
「……分かったわ」
クロエの返事に、ユリウスはほっと胸を撫で下ろす。
あの嵐の日は、忘れようがなかった。
馬車の中でクロエを見つけて、思わず彼女を追って、鐘塔に着いて――……。
そのときだった。
出し抜けに、ガシャリ――と、窓ガラスが割れる音が聞こえた。
慌てて現場であるバルコニーまで向かうと、窓の向こう側には信じられない光景が広がっていた。
「聖女――いや、偽聖女を出せーっ!!」
「あの女は魔女よ! この人殺し!」
「今までよくもオレたちを騙してくれたな!」
パリステラ家の前には、武器を持った大勢の平民たちが、集結していたのだ。
彼は一様に眉を吊り上げて、聖女――クロエをきつく睨め付けていた。
1
お気に入りに追加
628
あなたにおすすめの小説
【完結】愛してるなんて言うから
空原海
恋愛
「メアリー、俺はこの婚約を破棄したい」
婚約が決まって、三年が経とうかという頃に切り出された婚約破棄。
婚約の理由は、アラン様のお父様とわたしのお母様が、昔恋人同士だったから。
――なんだそれ。ふざけてんのか。
わたし達は婚約解消を前提とした婚約を、互いに了承し合った。
第1部が恋物語。
第2部は裏事情の暴露大会。親世代の愛憎確執バトル、スタートッ!
※ 一話のみ挿絵があります。サブタイトルに(※挿絵あり)と表記しております。
苦手な方、ごめんなさい。挿絵の箇所は、するーっと流してくださると幸いです。
【完結】長い眠りのその後で
maruko
恋愛
伯爵令嬢のアディルは王宮魔術師団の副団長サンディル・メイナードと結婚しました。
でも婚約してから婚姻まで一度も会えず、婚姻式でも、新居に向かう馬車の中でも目も合わせない旦那様。
いくら政略結婚でも幸せになりたいって思ってもいいでしょう?
このまま幸せになれるのかしらと思ってたら⋯⋯アレッ?旦那様が2人!!
どうして旦那様はずっと眠ってるの?
唖然としたけど強制的に旦那様の為に動かないと行けないみたい。
しょうがないアディル頑張りまーす!!
複雑な家庭環境で育って、醒めた目で世間を見ているアディルが幸せになるまでの物語です
全50話(2話分は登場人物と時系列の整理含む)
※他サイトでも投稿しております
ご都合主義、誤字脱字、未熟者ですが優しい目線で読んで頂けますと幸いです
死に戻りの悪役令嬢は、今世は復讐を完遂する。
乞食
恋愛
メディチ家の公爵令嬢プリシラは、かつて誰からも愛される少女だった。しかし、数年前のある事件をきっかけに周囲の人間に虐げられるようになってしまった。
唯一の心の支えは、プリシラを慕う義妹であるロザリーだけ。
だがある日、プリシラは異母妹を苛めていた罪で断罪されてしまう。
プリシラは処刑の日の前日、牢屋を訪れたロザリーに無実の証言を願い出るが、彼女は高らかに笑いながらこう言った。
「ぜーんぶ私が仕組んだことよ!!」
唯一信頼していた義妹に裏切られていたことを知り、プリシラは深い悲しみのまま処刑された。
──はずだった。
目が覚めるとプリシラは、三年前のロザリーがメディチ家に引き取られる前日に、なぜか時間が巻き戻っていて──。
逆行した世界で、プリシラは義妹と、自分を虐げていた人々に復讐することを誓う。
不遇な王妃は国王の愛を望まない
ゆきむらさり
恋愛
稚拙ながらも投稿初日(11/21)から📝HOTランキングに入れて頂き、本当にありがとうございます🤗 今回初めてHOTランキングの5位(11/23)を頂き感無量です🥲 そうは言いつつも間違ってランキング入りしてしまった感が否めないのも確かです💦 それでも目に留めてくれた読者様には感謝致します✨
〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。
※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷
【完結】婚約者が好きなのです
maruko
恋愛
リリーベルの婚約者は誰にでも優しいオーラン・ドートル侯爵令息様。
でもそんな優しい婚約者がたった一人に対してだけ何故か冷たい。
冷たくされてるのはアリー・メーキリー侯爵令嬢。
彼の幼馴染だ。
そんなある日。偶然アリー様がこらえきれない涙を流すのを見てしまった。見つめる先には婚約者の姿。
私はどうすればいいのだろうか。
全34話(番外編含む)
※他サイトにも投稿しております
※1話〜4話までは文字数多めです
注)感想欄は全話読んでから閲覧ください(汗)
「お前を愛するつもりはない」な仮面の騎士様と結婚しました~でも白い結婚のはずなのに溺愛してきます!~
卯月ミント
恋愛
「お前を愛するつもりはない」
絵を描くのが趣味の侯爵令嬢ソールーナは、仮面の英雄騎士リュクレスと結婚した。
だが初夜で「お前を愛するつもりはない」なんて言われてしまい……。
ソールーナだって好きでもないのにした結婚である。二人はお互いカタチだけの夫婦となろう、とその夜は取り決めたのだが。
なのに「キスしないと出られない部屋」に閉じ込められて!?
「目を閉じてくれるか?」「えっ?」「仮面とるから……」
書き溜めがある内は、1日1~話更新します
それ以降の更新は、ある程度書き溜めてからの投稿となります
*仮面の俺様ナルシスト騎士×絵描き熱中令嬢の溺愛ラブコメです。
*ゆるふわ異世界ファンタジー設定です。
*コメディ強めです。
*hotランキング14位行きました!お読みいただき&お気に入り登録していただきまして、本当にありがとうございます!
【1/23取り下げ予定】あなたたちに捨てられた私はようやく幸せになれそうです
gacchi
恋愛
伯爵家の長女として生まれたアリアンヌは妹マーガレットが生まれたことで育児放棄され、伯父の公爵家の屋敷で暮らしていた。一緒に育った公爵令息リオネルと婚約の約束をしたが、父親にむりやり伯爵家に連れて帰られてしまう。しかも第二王子との婚約が決まったという。貴族令嬢として政略結婚を受け入れようと覚悟を決めるが、伯爵家にはアリアンヌの居場所はなく、婚約者の第二王子にもなぜか嫌われている。学園の二年目、婚約者や妹に虐げられながらも耐えていたが、ある日呼び出されて婚約破棄と伯爵家の籍から外されたことが告げられる。修道院に向かう前にリオ兄様にお別れするために公爵家を訪ねると…… 書籍化のため1/23に取り下げ予定です。
愛など初めからありませんが。
ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。
お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。
「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」
「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」
「……何を言っている?」
仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに?
✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる