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第三章 クロエは振り子を二度揺らす

82 後夜祭

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 帝国の皇子による急ごしらえの結界は、もう張り直しができない状態だった。
 彼の魔力は、パズルをはめるように魔法陣の器を綺麗に満たして、国の四方に均一に張り巡らされたのだった。

 次に張り直せるのは、結界が弱まる一年後の建国祭。
 それまで、外国人である帝国の皇子の庇護のもとで暮らすことになるのは……国として非常に屈辱的だった。

 それもこれも、全部パリステラ侯爵のせいだ。
 彼が儀式で魔力を暴走させて魔法陣を破壊したせいで、とんでもないことになってしまった。

 仮に、あのまま結界自体が消失して、魔物の群れの侵入が容易くなってしまったら、国の秩序は物凄く混乱する。
 それに乗じて、他国から侵略戦争を仕掛けられる可能性も大いにあった。

 それらの最悪の事態を想像すると、友好国である帝国の皇子の結界は、勿怪の幸いと言えるだろう。
 だが、帝国に対して、かつてないほどの大きな借りを作ってしまったことになるが……。







 王宮では、王族たちと帝国第三皇子の非公式の晩餐会が開かれていた。

「まさかローレンス皇子が我が国にいらしてたとは! いやはや驚きましたよ」

「お騒がせして申し訳ありません、国王陛下。実は……お恥ずかしい話ですが、ちょっとした私情で参りまして。その、なんというか……求愛行為というのでしょうか」

 ユリウスは恥ずかしそうに顔をほんのり赤く染める。大女優であるクロエの真似事だ。

「ほう」国王は興味津々に身を乗り出す。「それは、我が国の令嬢に皇子が恋煩いをしているということですかな?」

「そうなんです」ユリウスは苦笑いで頷く。「実は、クロエ・パリステラ侯爵令嬢に何度もプロポーズをしているのですが、なかなか首を縦に振っていただけなくて……」

「それは、それは……!」

 国王は目を見張る。そして、瞬時に頭の中で損得勘定を始めた。

 これは好機ではないだろうか。
 我が国は、これから一年間は皇子の張った結界の加護に甘んじる。
 ということは、帝国の意向には絶対だ。彼らが不当な要求をするとは思えないが、結界を盾に万が一ということもあり得る。

 そこに……パリステラ侯爵令嬢という人質だ。

 皇子と彼女の婚姻が成立したら、帝国側もさすがに皇子の妻の母国には手を出すことはないだろう。
 我が国は皇子の結界で守られて、そして帝国との関係も良好というわけだ。悪くはない。

 それに、こちらとしてもパリステラ侯爵令嬢の今後の扱いには困っていた。
 彼女自身は立派な令嬢だが、家門に問題がありすぎるからだ。
 ……もっとも、もうその家門もなくなるが。

「皇子。年寄のお節介ですが、よろしければ王命で侯爵令嬢をあなたに嫁がせましょう」

「本当ですかっ!?」

 ユリウスは爛々と瞳を輝かせる。
 密かにほくそ笑んだ。上手くいった。

 国益を考えると、自国の貴族が帝国の皇室に入るのは喜ばしいことだろう。
 それに、王はいわく付きの侯爵令嬢の処分に悩んでいたようだ。
 彼女への扱いによっては、平民からの王家の信用が揺らぐ可能性がある。同時に、貴族にも配慮しなければならない。
 だから、上手いこと引取り先が見つかって、王も肩の荷が下りることだろう。

 彼はもう、クロエ自身の気持ちなんて顧みる余裕なんてなかった。このままだと、彼女がどこか遠くへ行ってしまいそうで。

 だったら、強引にでも自身の手元に置いておきたかったのだ。
 責任感の強い真面目な彼女なら、皇子妃になれば真剣に責務を全うすることだろう。外国の生活は大変なことも多いとは思うが、公務に忙殺されることによって、過去の悲しみやしがらみを振り返る暇もなくなるはず。

 そうやって、早くパリステラ家のことは忘れてしまえばいい。
 これからは、彼女自身の幸せを追求して欲しいのだ。


「もちろんです」王は首肯する。「我が国としても、帝国の皇族の方と縁続きになるのは嬉しきこと。クロエ嬢は、まずは王族の養子にしてから嫁がせましょう。……今後の二国間の友好関係のためにも」

「ありがとうございます、陛下! ――あ、そうそう。それと今後一年間ですが、帝国との関税を下げていただけませんか? 仮にあのまま結界が破壊された際の被害額に比べれば安いものでしょう? ……王族同士の婚姻の、ささやかなご祝儀です」

「っ……」

 こうして、ユリウスはクロエとの婚約――と、一年間限定の関税の減額をちゃっかり取り付けたのだった。




 そして、祝い事の前に、けじめを付けなければいけない。

 パリステラ家の、処刑だ。

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