上 下
26 / 88
第一章 地味な、人生でした

26 不思議な出会いでした

しおりを挟む
 空腹や精神的衰弱によって、ぼんやりとして頭が上手く機能しない中で、クロエはかつての継母の発言を思い出す。

 ――干渉は厳禁よ。好きなことをやらせなさい。夜遊びも、男遊びも、どうぞご自由に。

 それは天啓のようなものだった。

 そうだ、自分はもう自由なのだ。好きに過ごしていいし、どこへ行ってもいい。
 もう以前みたいに継母に移動を止められたりされないはず。
 そう考えると、気持ちが少し軽くなった気がした。

 彼女は今、魔法の特訓に行き詰まっていた。屋敷の図書室にある魔導書が読めないからだ。

(そうだわ……王立図書館へ行きましょう)

 あそこは国中の書物が揃えられている。きっと、侯爵家よりも多くの魔導書があるだろう。

 早速、屋敷を出発する。念のため裏口からこっそりと脱出した。
 途中で彼女と鉢合わせした者もいたが、案の定特に咎め立てられたりされなかった。彼らの世界には彼女はもういないのだ。

 馬車は使えなかったので、徒歩で向かった。幸いにも、パリステラ侯爵家から王立図書館はそう遠くなく、徒歩でも十分行ける距離だった。
 さすがに小一時間ほどは歩いて、弱った彼女の足腰には厳しかった。
 それでも、魔法を使えるようになりたいという意思で、なんとか辿り着いたのだ。


(うわぁ……! 広い! お屋敷の図書室とは比べ物にならないくらいの本の山だわ!)

 王立図書館に到着すると、早速魔導書の棚を探して、貪るように読み耽った。久し振りの文字の羅列に、心が踊った。

 彼女のぞっとするくらいの痩せこけた貧相な姿に、司書たちははじめは困惑した。
 だが、王立図書館は学びたい者は拒まずを標榜しており、特に追い出すような真似はしなかった。もっとも、おぞましい者を見ないようにはしていたが。


 こうして、クロエの新しい習慣がはじまったのだった。





◆◆◆





 つくねんと無味乾燥に屋敷にいても仕方がないので、クロエは毎日のように図書館へと通って魔導書を読んでいた。
 時には、息抜きにと流行りの恋愛説を読んだり、背伸びをして政治や経済の本など少し難しいも目を通して、想像以上に充実した時間を過ごしていた。

 ここでも彼女と会話を試みる者はいない。痩せぎすの憐れな姿に眉をひそめる者もいる。
 しかし、少なくとも本とは対話ができた。
 彼女はまるで友達とお喋りするかのように、夢中で読み耽っていた。


 毎日、図書館に通っていると、自然と他の常連の顔ぶれも覚えてくる。やはり学者と思しき人々が多かったが、騎士団の制服の者、聖職者、令嬢……様々な人物たちが出入りしていた。

 そんな多くの人々の中で、不思議と目を惹き付けられる人物がいた。

 彼は――クロエと同じか少し年上くらいの容貌で、流れ星みたいな銀色の髪と、夜空を薄めたようなタンザナイト色の瞳が印象的な、不思議な魅力を醸し出している少年だった。

 クロエが図書館へ赴くと、彼はいつも既に閲覧室に座っていて、とても真剣に書物を読んでいた。彼のそんな真面目な姿が、彼女の励みにもなっていた。

(今日も頑張っているわね。私も負けないように魔法の勉強をしっかりやらなくちゃ)

 いつしか彼は、彼女の意欲を高める起爆剤のような存在になっていた。
 一生懸命に学問の取り組んでいる彼を眺めていると、悲しみで押し潰れそうになっている心も少しは膨らんで、やる気に満ち満ちてくるのだ。






 それは、突然の出来事だった。
 彼女がいつも見ていた「彼」から、話しかけられたのだ。

「面白い本を読んでいるな」彼はクロエに向かってにこりと微笑む。「俺も好きなんだ、その物語」

「っ……!?」

 出し抜けにクロエに向かって放たれた彼の言葉に、目を見張った。
 言葉が、出ない。

(私も……このお話が大好きなの!)

 彼女は、もうずっと声を出していなかったので、すぐには答えられなかった。ぱくぱくと魚みたいに口だけを間抜けに動かす。

(どうしましょう、言葉が出ないわ……)

 ただでさえ痩せ細って見た目が良くないのに、こんな間抜けな姿では気味悪く映るだろうか……と、不安が過ってますます声を出しにくくなって、焦った。

 すると彼は少し戸惑った顔をして、

「ごめん、突然声をかけたから驚いたよな。いつも君の顔を見かけていたから、すっかり友人になった気分だった」

 クロエは更に大きく目を見開く。
 一瞬、呼吸が止まった。
 ずっと忘れていた、嬉しいという感情が湧き上がってきて、にわかに鼓動が早くなる。

「わっ……」少ししてやっと声が出た。「わ、私も……あなたと同じことを考えていたの。いつも勉強を頑張っている姿を見ていて、自分も負けないように頑張ろう、って……」

 彼は少し目を見張って、それから相好を崩した。

「それは嬉しいな。実を言うと、俺も集中力が切れそうになったときに、密かに君を見ていたんだ。あの子はまだ頑張っているから、自分も頑張ってもう少し先まで読み進めよう、ってね」

「っつ……!」

 心臓が爆ぜそうだった。

 彼は……自分のことを、見てくれていたのだ。

 屋敷では誰からも相手にされていなくて、ゴーストだって忌み嫌われて。
 あまりにも人と関わらな過ぎて、本当に自分の存在は証明できるのだろうかと苦悶していて。開けない夜みたいな延々と続く孤独が恐ろしくて。

(でも、私は……見られていたのね……彼に……!)

 感激のあまり、思わず一筋の涙が頬を伝った。

「お、おい! どうした? 大丈夫か?」と、彼は矢庭に慌てふためく。自分のせいで女の子を泣かせてしまったと、ショックを受けている様子だった。

「いいえ」クロエは首を横に振って「ちょっと埃が目に入ったみたい。あなたのせいじゃないわ。びっくりさせてごめんなさい」

「な、ならいいんだが……」と、彼はポケットからハンカチを取り出す。そして、おもむろに彼女の濡れた頬を拭った。

「!?」

 クロエはどきりと心臓が跳ねて、硬直する。
 こんなに人から優しくされたのはいつぶりだろうか。嬉しさと恥ずかしさが綯い交ぜになって、顔を上気させた。


 彼の彫刻のように整った顔がとても近くて、青紫の瞳に吸い込まれそうに――、

(あら……?)

 彼女はふと違和感を覚えた。じっと彼の双眸を見つめる。

「ん? どうした?」

 涙を拭きおわって、彼は彼女から少し離れて首を傾げた。

「その瞳……」とクロエが呟くように言う。

 彼は少し眉を上げて、

「あぁ、よく気付いたな。俺は生まれたときから左側の目が少し違うんだ」と、肩をすくめた。

 彼の瞳は美しいタンザナイトの色をしているが、近くで見ると左目のほうは若干色素が薄くて、右目に比べてきらりと光彩を帯びているように見えた。それは、夜空に星を散りばめたみたいに綺麗だった。

 そして……この瞳は見たことがある。

 クロエが黙り込んでいると、彼は苦笑いをした。

「ちょっと変だろう? ま、これでも気に入ってはいるんだが――」

「違うの」

 クロエのはっきりとした声が遮る。そして、じっと彼の双眸を強く見つめた。

「お母様も、あなたと同じ瞳をしていたわ」


 彼の瞳は、彼女の母親と同じ輝きを持っていたのだ。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】捨てられ正妃は思い出す。

なか
恋愛
「お前に食指が動くことはない、後はしみったれた余生でも過ごしてくれ」    そんな言葉を最後に婚約者のランドルフ・ファルムンド王子はデイジー・ルドウィンを捨ててしまう。  人生の全てをかけて愛してくれていた彼女をあっさりと。  正妃教育のため幼き頃より人生を捧げて生きていた彼女に味方はおらず、学園ではいじめられ、再び愛した男性にも「遊びだった」と同じように捨てられてしまう。  人生に楽しみも、生きる気力も失った彼女は自分の意志で…自死を選んだ。  再び意識を取り戻すと見知った光景と聞き覚えのある言葉の数々。  デイジーは確信をした、これは二度目の人生なのだと。  確信したと同時に再びあの酷い日々を過ごす事になる事に絶望した、そんなデイジーを変えたのは他でもなく、前世での彼女自身の願いであった。 ––次の人生は後悔もない、幸福な日々を––  他でもない、自分自身の願いを叶えるために彼女は二度目の人生を立ち上がる。  前のような弱気な生き方を捨てて、怒りに滾って奮い立つ彼女はこのくそったれな人生を生きていく事を決めた。  彼女に起きた心境の変化、それによって起こる小さな波紋はやがて波となり…この王国でさえ変える大きな波となる。  

かわいそうな旦那様‥

みるみる
恋愛
侯爵令嬢リリアのもとに、公爵家の長男テオから婚約の申し込みがありました。ですが、テオはある未亡人に惚れ込んでいて、まだ若くて性的魅力のかけらもないリリアには、本当は全く異性として興味を持っていなかったのです。 そんなテオに、リリアはある提案をしました。 「‥白い結婚のまま、三年後に私と離縁して下さい。」 テオはその提案を承諾しました。 そんな二人の結婚生活は‥‥。 ※題名の「かわいそうな旦那様」については、客観的に見ていると、この旦那のどこが?となると思いますが、主人公の旦那に対する皮肉的な意味も込めて、あえてこの題名にしました。 ※小説家になろうにも投稿中 ※本編完結しましたが、補足したい話がある為番外編を少しだけ投稿しますm(_ _)m

愛を知ってしまった君は

梅雨の人
恋愛
愛妻家で有名な夫ノアが、夫婦の寝室で妻の親友カミラと交わっているのを目の当たりにした妻ルビー。 実家に戻ったルビーはノアに離縁を迫る。 離縁をどうにか回避したいノアは、ある誓約書にサインすることに。 妻を誰よりも愛している夫ノアと愛を教えてほしいという妻ルビー。 二人の行きつく先はーーーー。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

婚約破棄されたショックですっ転び記憶喪失になったので、第二の人生を歩みたいと思います

ととせ
恋愛
「本日この時をもってアリシア・レンホルムとの婚約を解消する」 公爵令嬢アリシアは反論する気力もなくその場を立ち去ろうとするが…見事にすっ転び、記憶喪失になってしまう。 本当に思い出せないのよね。貴方たち、誰ですか? 元婚約者の王子? 私、婚約してたんですか? 義理の妹に取られた? 別にいいです。知ったこっちゃないので。 不遇な立場も過去も忘れてしまったので、心機一転新しい人生を歩みます! この作品は小説家になろうでも掲載しています

比べないでください

わらびもち
恋愛
「ビクトリアはこうだった」 「ビクトリアならそんなことは言わない」  前の婚約者、ビクトリア様と比べて私のことを否定する王太子殿下。  もう、うんざりです。  そんなにビクトリア様がいいなら私と婚約解消なさってください――――……  

私が死ねば楽になれるのでしょう?~愛妻家の後悔~

希猫 ゆうみ
恋愛
伯爵令嬢オリヴィアは伯爵令息ダーフィトと婚約中。 しかし結婚準備中オリヴィアは熱病に罹り冷酷にも婚約破棄されてしまう。 それを知った幼馴染の伯爵令息リカードがオリヴィアへの愛を伝えるが…  【 ⚠ 】 ・前半は夫婦の闘病記です。合わない方は自衛のほどお願いいたします。 ・架空の猛毒です。作中の症状は抗生物質の発明以前に猛威を奮った複数の症例を参考にしています。尚、R15はこの為です。

貴方といると、お茶が不味い

わらびもち
恋愛
貴方の婚約者は私。 なのに貴方は私との逢瀬に別の女性を同伴する。 王太子殿下の婚約者である令嬢を―――。

処理中です...