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第一章 地味な、人生でした

11 私はもう侯爵家の長女ではないようです

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 クロエの新しい部屋は、もとはコートニーに充てがわれていた部屋だ。

 もとより第二子が生まれたときのために用意していた部屋なので、クロエの部屋ほどではないが広くて快適に整われている。日当たりも良いし、中庭に面して静かで落ち着いた場所だった。

 しかし、今は目ぼしい調度品はほとんど持って行かれて、まるで主を失ったような寂寥感漂う空間が残ってあるだけだった。
 そして床の上には、クリスとコートニーが漁った残り滓のクロエの私物が乱雑に散らばっていた。

 クロエは茫然自失と、その汚く食べ残された魚みたいに散らかった様子を眺めていた。
 つつと、涙が頬を伝う。
 悲しみが溢れ返って、たちまち部屋中に広まった。

 あの後、彼女はもう一度部屋の中へ入って自分の持ち物を取り戻そうと奮闘したが、それは徒労に終わったのだった。
 継母も異母妹も「これは正統な侯爵令嬢であるコートニーのものだ」と一歩も譲らず……。

 途方に暮れるクロエに、父が「これらは全て侯爵家の財産から購入したものだ。当主の私に所有の権限がある」と主張して、彼女には指一本触れさせられなかった。

 ……父も、クロエを「不義の子」だと疑っている様子だった。

 愕然としているクロエの前で母娘二人はぺちゃくちゃとかまびすしくお喋りをしながら、クロエの持ち物――主にドレス、宝飾類、高価な小物を品定めして、それらを自分のものとした。
 残ったのは、簡素なワンピースや下着類、本など学問に関するもの……そういった二人が興味のないものだけだった。

 スコットから贈られたものは、今度こそ根こそぎ奪われた。ドレス、アクセサリー、可愛いぬいぐるみ、コーラルピンクの万年筆……全てだ。


 宝飾類もほとんど持って行かれたが、母の形見である虹色に輝くクリスタルのペンダントだけは彼女が肌身離さず身に付けていたので、辛うじて免れた。

(良かった……)

 クロエはおもむろに胸元からペンダントを取り出して、優しく撫でる。
 これだけでも無事で良かった。これは母自身も同然だと思っていたからだ。

 このペンダントは彼女の母が病気で床に伏してから、しばらくした頃に譲られたものだった。
 白銀の鎖に八角錐の透き通るペンデュラムが付いている。

 母曰く「お守り」らしい。
 今は影も形もなくなってしまった、母の実家の伯爵家に伝わる宝石だそうだ。

 母親の家系は不運に見舞われて、継承できる者がいなくなって断絶してしまった。
 同時に財産もほぼ消えてしまったのだが、母はこのペンダントだけは大切に手元に取っていたのだ。

 このクリスタルは、家系に代々伝わる特別な魔力の宿ったペンデュラムだそうだ。

 クロエは「そんな大切なものもらえないわ。それにお守りだったら、お母様が元気になるように自分で持っておくべきよ」と主張したが、半ば強引に母に押し切られてしまった。
 彼女は困惑したものの、こんな貴重な宝物を継承させてもらえるなんて、ちょっと背伸びした気分で胸が踊った。

 このペンデュラムには、時折り母親が自身の魔力を注いでいた。
 小さな石の中には、歴代の持ち主の魔力が宿っているらしい。次の世代に役立てるように、と。

 今この瞬間でも、石から母の魔力が感じる気がする。
 それは包み込むような優しさを放っているようで、触れるだけでクロエの棘の刺さった心は穏やかになった。

 母は、今も私の側にいる。
 そう感じるだけで、少しは彼女の傷も癒えたのだった。




◆◆◆




 コートニーに天才的な魔力があると分かった日から、母娘の態度はますます増長して……それに当主であるロバートの擁護も加わって……どうしようもないところまで来ていた。

 二人はやりたい放題だ。
 少しでも気に食わないことがあれば周囲に八つ当たり、従者への暴力も日常茶飯事だった。

 侯爵も「天才である娘とその母を煩わせる存在」と主張して被害者を一切顧みずに、ゴミみたいに屋敷から放り出した。
 そして、いつの間にか母娘が元々の屋敷から連れてきた侍従たちが権力を握って、古くから仕えていた者たちに冷酷に指示を出していたのだった。


 それに比例して、クロエに対する当たりも強くなっていった。

 彼女が魔法を使えない事実、そして妹は天才的な才能。更に当主もその妹を溺愛していて、反対にクロエには冷遇されている。どちらに付くかは明白だった。

 昔からパリステラ家に仕えている者たちも、新しい侯爵夫人と天才の侯爵令嬢からの暴力に恐怖して、次第に彼女たちへ阿って、クロエのことをぞんざいに扱い始めた。それをクリスとコートニーは面白がり、クロエにもっと意地悪をするようにと煽り立てる。

 ロバートも咎めずに、クロエの立場はどんどん悪くなった。



 そんな中、唯一クロエを庇い立てする人物がいた。クロエの侍女で乳母でもあった、マリアンである。

 彼女はどんなにクリスやコートニーからいたぶられても、絶対に折れずに主を守った。
 クロエに害する者には果敢に立ち向かい、自身が責められても負けなかった。まさに彼女の最後の砦だったのだ。

 クロエは自分のせいで傷付いているマリアンに、酷く心を痛めた。

 ある日、「私は大丈夫だから、もっと自分を大切にして欲しい」と涙ながらに懇願したが、マリアンは「お嬢様をお守りするのが私の役目……亡くなった奥様との約束ですから」と、頑として譲らなかった。

 彼女は申し訳なさを感じながらも、彼女の気持ちが嬉しかった。
 少なくとも、彼女だけは自分の味方だ。たとえ一人だけでも、自分のことを大切に想ってくれているなんて、なんて幸せなことだろう。
 二人の間には深い絆があった。


 だが……そんな強い防波堤は、ある日、いとも簡単に突然崩れ落ちたのだった。

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