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47 皇女の残滓
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「エ……エカチェリーナ様……あ、あたしは…………」
グレースは全身を小刻みに震わせながらおそるおそる私を見て、
「も……申し訳ありませんでしたっ!!」
ゴンと鈍い音を立てて勢いよく地面に頭を擦り付けた。
「あ、あ、あたしはっ……エカチェリーナ様に、と……とんでもないことを……。あ、謝っても、許されることではありません……本当に申し訳ありませっ……うぅ…………」
私は茫然自失と彼女のことを眺める。
しばらく、グレースのすすり泣く声だけが辺りに響いた。
真っ赤な夕焼けがじわじわと青黒く変化していく。
灰になった手紙は風でもうどこかへ飛んで行ってしまった。
「殿下」と、セルゲイに声をかけられてはっと我に返った。彼は困ったように目配せをする。
そうだわ……このままここでぼうっと座り込んでいるわけにはいかないわ。この場を収めることができるのは私しかいない。
前を、見なくては。
私は瞳に残った涙を袖で乱暴に拭いて、唇を噛んだ。
「顔を上げなさい、グレース・パッション伯爵令嬢」
私は敢えて皇女エカチェリーナとして彼女に声をかけた。
「はい……」
グレースはゆっくりと顔を上げる。その顔は煤で真っ黒けで髪も乱れて酷い有様だった。彼女は怯えきった表情でぷるぷると震えながらこちらを見つめていた。
私は軽く息を吐く。
なんだか身体の芯が抜け落ちたみたいに、脱力感でいっぱいだった。それと同時に妙な開放感もある。まるで巻き付いた鎖が外れて、自由に飛び回れるようなふわふわした不思議な感覚だ。
「グレース……あなたの言う通りだったわ。私がフレデリック様に会いたい一心でリーズに来たのが間違いだった。自分の我儘であなたを巻き込んでしまって、ごめんなさいね」
「そ……それは違いますっ! し、知らなかったとはいえ、あたしがエカチェリーナ様に対して無礼な振る舞いをしていたのが悪いのです! こ……今回のこともっ……! ですから、どうか殿下が謝らないでくださいませっ……! 謝らなければいけないのはあたしのほうですっ! 本当に、申し訳ありませんでしたっ……!!」
「いいえ」私は首を横に振る。「もとはといえば、私があなた方を欺いていたことに原因があるのです。ですので、あなたはこれまでの振る舞いも、なにも気にすることはないわ」
私はグレースの瞳を捉えるようにまっすぐに見つめた。
「今回のことも……許します」
「「…………!」」
グレースもセルゲイもはっと息を呑んだ。
「で、殿下……宜しいのですか?」と、セルゲイが困惑した表情で尋ねる。「大切な手紙が……」
「もちろんよ。むしろ、これで自身の進むべき道が分かりました。しがらみがなくなって、なんだかスッキリした気分よ。……フレデリック様のことは、もう諦めようと思うの」
「そんなっ……!」グレースの双眸に再び涙が滲んだ。「エカチェリーナ様は王太子殿下の正式な婚約者ではありませんか! 現に王太子殿下もあなたのことを探していらっしゃいます! それを諦めるなんて……!」
「いいのよ。もともと連邦国の副大統領から言われているの。決して正体を明かしてはならない、って。ほら、私が生きているとなると色々と面倒なことになるでしょう? 最悪、またアレクサンドル国民の命を犠牲にしてしまう可能性だってあるわ。それに、リーズ王国をも混乱の渦に陥れることになるかもしれない。国王陛下はもうフォード侯爵家に向けて舵を切ったみたいだから。そこに私が実は生きてましたってのこのことやって来て、リーズ王国の内政まで掻き乱すのは良くないと思うわ」
私は精一杯の笑顔を二人に向けた。我ながら酷く引きつった変な顔をしていたと思う。
エカチェリーナは死んだ。
その事実を覆すことは、フレデリック様に大きな迷惑を掛けることだろう。
手紙が燃えてなくなったのは図に乗った私への天からの戒めなのだ。
エカチェリーナは、絶対に外へ出て来てはならない。
私は……平民だ。
「エカチェリーナ様……」
「だからもう皇女だったことはなかったことにして、平民のリナとして慎ましく生きることにするわ。それが皆にとって幸福になる最善の道なのよ。ね?」
グレースは涙を流しながら首を左右に振って、
「そんなの、駄目ですっ……! エカチェリーナ様だけが我慢をしなければならないなんて……そんなの絶対におかしいっ!」
「いいのよ、グレース。なんだかもう疲れちゃったの。これを機会に私はもうフレデリック様のことを……忘れ……忘れ…………」
続きの言葉が出なかった。
その代わりに、滂沱の涙が再び流れる。
私は、フレデリック様のことを――、
「わ、私はっ……わた…………わあぁぁぁぁぁぁぁぁんっっ!!」
にわかに張り詰めていたものが決壊して、私は小さな子供のように声を出してなりふり構わずわんわん泣いた。
「エ……エカチェリーナ様っ……! あ、あたしのせいで……。本当にごめんなさいっ……! ごめんなさ……わあぁぁぁぁぁぁぁぁああっっ!!」
呼応するようにグレースも咽び泣く。
それからしばらく私たちは互いに抱き合って疲れ果てるまで泣き続けた。
セルゲイが大きな身体で震える二人を強く抱きしめてくれた。
もうすぐ、夜が来る。
グレースは全身を小刻みに震わせながらおそるおそる私を見て、
「も……申し訳ありませんでしたっ!!」
ゴンと鈍い音を立てて勢いよく地面に頭を擦り付けた。
「あ、あ、あたしはっ……エカチェリーナ様に、と……とんでもないことを……。あ、謝っても、許されることではありません……本当に申し訳ありませっ……うぅ…………」
私は茫然自失と彼女のことを眺める。
しばらく、グレースのすすり泣く声だけが辺りに響いた。
真っ赤な夕焼けがじわじわと青黒く変化していく。
灰になった手紙は風でもうどこかへ飛んで行ってしまった。
「殿下」と、セルゲイに声をかけられてはっと我に返った。彼は困ったように目配せをする。
そうだわ……このままここでぼうっと座り込んでいるわけにはいかないわ。この場を収めることができるのは私しかいない。
前を、見なくては。
私は瞳に残った涙を袖で乱暴に拭いて、唇を噛んだ。
「顔を上げなさい、グレース・パッション伯爵令嬢」
私は敢えて皇女エカチェリーナとして彼女に声をかけた。
「はい……」
グレースはゆっくりと顔を上げる。その顔は煤で真っ黒けで髪も乱れて酷い有様だった。彼女は怯えきった表情でぷるぷると震えながらこちらを見つめていた。
私は軽く息を吐く。
なんだか身体の芯が抜け落ちたみたいに、脱力感でいっぱいだった。それと同時に妙な開放感もある。まるで巻き付いた鎖が外れて、自由に飛び回れるようなふわふわした不思議な感覚だ。
「グレース……あなたの言う通りだったわ。私がフレデリック様に会いたい一心でリーズに来たのが間違いだった。自分の我儘であなたを巻き込んでしまって、ごめんなさいね」
「そ……それは違いますっ! し、知らなかったとはいえ、あたしがエカチェリーナ様に対して無礼な振る舞いをしていたのが悪いのです! こ……今回のこともっ……! ですから、どうか殿下が謝らないでくださいませっ……! 謝らなければいけないのはあたしのほうですっ! 本当に、申し訳ありませんでしたっ……!!」
「いいえ」私は首を横に振る。「もとはといえば、私があなた方を欺いていたことに原因があるのです。ですので、あなたはこれまでの振る舞いも、なにも気にすることはないわ」
私はグレースの瞳を捉えるようにまっすぐに見つめた。
「今回のことも……許します」
「「…………!」」
グレースもセルゲイもはっと息を呑んだ。
「で、殿下……宜しいのですか?」と、セルゲイが困惑した表情で尋ねる。「大切な手紙が……」
「もちろんよ。むしろ、これで自身の進むべき道が分かりました。しがらみがなくなって、なんだかスッキリした気分よ。……フレデリック様のことは、もう諦めようと思うの」
「そんなっ……!」グレースの双眸に再び涙が滲んだ。「エカチェリーナ様は王太子殿下の正式な婚約者ではありませんか! 現に王太子殿下もあなたのことを探していらっしゃいます! それを諦めるなんて……!」
「いいのよ。もともと連邦国の副大統領から言われているの。決して正体を明かしてはならない、って。ほら、私が生きているとなると色々と面倒なことになるでしょう? 最悪、またアレクサンドル国民の命を犠牲にしてしまう可能性だってあるわ。それに、リーズ王国をも混乱の渦に陥れることになるかもしれない。国王陛下はもうフォード侯爵家に向けて舵を切ったみたいだから。そこに私が実は生きてましたってのこのことやって来て、リーズ王国の内政まで掻き乱すのは良くないと思うわ」
私は精一杯の笑顔を二人に向けた。我ながら酷く引きつった変な顔をしていたと思う。
エカチェリーナは死んだ。
その事実を覆すことは、フレデリック様に大きな迷惑を掛けることだろう。
手紙が燃えてなくなったのは図に乗った私への天からの戒めなのだ。
エカチェリーナは、絶対に外へ出て来てはならない。
私は……平民だ。
「エカチェリーナ様……」
「だからもう皇女だったことはなかったことにして、平民のリナとして慎ましく生きることにするわ。それが皆にとって幸福になる最善の道なのよ。ね?」
グレースは涙を流しながら首を左右に振って、
「そんなの、駄目ですっ……! エカチェリーナ様だけが我慢をしなければならないなんて……そんなの絶対におかしいっ!」
「いいのよ、グレース。なんだかもう疲れちゃったの。これを機会に私はもうフレデリック様のことを……忘れ……忘れ…………」
続きの言葉が出なかった。
その代わりに、滂沱の涙が再び流れる。
私は、フレデリック様のことを――、
「わ、私はっ……わた…………わあぁぁぁぁぁぁぁぁんっっ!!」
にわかに張り詰めていたものが決壊して、私は小さな子供のように声を出してなりふり構わずわんわん泣いた。
「エ……エカチェリーナ様っ……! あ、あたしのせいで……。本当にごめんなさいっ……! ごめんなさ……わあぁぁぁぁぁぁぁぁああっっ!!」
呼応するようにグレースも咽び泣く。
それからしばらく私たちは互いに抱き合って疲れ果てるまで泣き続けた。
セルゲイが大きな身体で震える二人を強く抱きしめてくれた。
もうすぐ、夜が来る。
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