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第1話
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「アイリーン、俺が愛しているのはお前だけだ」
「うふふっ、旦那さまぁ? 今の言葉、奥様がお聞きになったら、どう思うでしょうね?」
「ああ、フェリーチェのことか。元々、爵位目当ての結婚だ。はなっから愛などない。俺があの家を救ってやったんだ。あんな地味で可愛げのない女を貰ってやったことに感謝してもらいたいぐらいだ」
「あぁー、お可哀想ー。こうして奥様は今も、あなたの代わりにトーマ商会で汗だくになって働かれているのですよ? 商いなど、伯爵夫人のお仕事ではございませんのに」
「ふん、どうせ一人じゃ生きられない無能でつまらない女だ。養ってやる代わりにせいぜい俺の為に身を粉にして働けばいい。俺には色々とやることがあるからな」
「まぁっ! 旦那様のやることって……何かしら?」
「ふふっ、分かってるだろアイリーン。もしお前が俺の子を孕んだらフェリーチェの子どもとして育て、いずれはこの家の跡取りにしてやろう。髪色も瞳の色も、お前はあいつと同じだからな」
「とても嬉しいですわ、旦那、ん、まってまだ、ああっん……」
少し開いた扉の隙間から見えるのは、ベッドの上の激しく絡み合う男女の姿。
愛を囁く低い声、それに答えるような甲高い嬌声が聞こえてきた時、吐き気と共に我に返りました。
私は、自邸に戻って来た目的である契約印を握りしめると、息を殺して夫――レイジィの部屋を後にしたのです。
これ以上、夫と女中頭であるアイリーンの情事を目の当たりにして、冷静さなど保てるわけがありませんでしたから。
夫――レイジィ・トーマ・ローランドは、トーマ商会の三代目であり、今は亡き義父様の代に男爵の爵位を賜った貴族でもあります。しかし金で買った地位だと蔑まれており、高い爵位を欲しがっていました。
私――フェリーチェ・グレース・ローランドは、ローランド伯爵家の一人娘。しかし栄光は昔のもの。今は亡き両親が領地の経営に失敗し、金銭的に困窮した家でした。
トーマ家は伯爵の爵位を、ローランド家はお金を。
両者の利害が一致し、私たちは五年前に結婚いたしました。レイジィ様が24歳、私が21歳の時でした。
レイジィ様は、私の父から爵位を継ぎ、ローランド伯爵となりました。
政略結婚でしたから、お互い愛はありません。
夫は初夜ですら顔を見せず、未だに私に触れることはありません。
しかし私は彼を助け愛し、いずれお互い信頼できる夫婦になりたいと望みました。
「俺にはやるべき仕事が山ほどある。だからお前が私の代わりにトーマ商会で働け」
そう言われた時は、彼に信頼されて大切な商会を任されたのだと喜びました。
慣れない仕事でしたが色々と勉強し、店や働くものたちを良くするために、無い知恵をたくさん絞りました。
優秀な従業員たちのお陰で、トーマ商会はこの五年でとても大きく成長しました。
この国の三大商会と並ぶほどに。
でも私が懸命にあなたの店で働いている間、彼は私以外の女性――この屋敷に彼が引っ越ししてきた際、共に連れてきた女中頭アイリーンと愛し合っていたのです。
彼女との間の子に、この家を継がせることも計画して……。
私が帰ってきた時、使用人たちが屋敷に入らせまいとしていた理由がようやく分かりました。
制止を振り切って、中に入っていった私に対する哀れみの視線の意味も。
店に戻る馬車の中で、お菓子の包み紙が見えました。
屋敷に戻ったら、きっと私よりも一生懸命働いているレイジィ様と一緒に、お茶をしようと思っていたのです。
(だけど……もう意味がなくなってしまったわね……。店に戻ったら、皆んなに食べて貰いましょう)
お菓子に罪はないのですから。
これを持って馬車に乗った時、何を話そうかとワクワクしていたというのに。
そう思うと、涙が溢れて止まらなくなりました。
こみ上げる嗚咽を飲み込みながら、私は静かに涙を流しました。
「うふふっ、旦那さまぁ? 今の言葉、奥様がお聞きになったら、どう思うでしょうね?」
「ああ、フェリーチェのことか。元々、爵位目当ての結婚だ。はなっから愛などない。俺があの家を救ってやったんだ。あんな地味で可愛げのない女を貰ってやったことに感謝してもらいたいぐらいだ」
「あぁー、お可哀想ー。こうして奥様は今も、あなたの代わりにトーマ商会で汗だくになって働かれているのですよ? 商いなど、伯爵夫人のお仕事ではございませんのに」
「ふん、どうせ一人じゃ生きられない無能でつまらない女だ。養ってやる代わりにせいぜい俺の為に身を粉にして働けばいい。俺には色々とやることがあるからな」
「まぁっ! 旦那様のやることって……何かしら?」
「ふふっ、分かってるだろアイリーン。もしお前が俺の子を孕んだらフェリーチェの子どもとして育て、いずれはこの家の跡取りにしてやろう。髪色も瞳の色も、お前はあいつと同じだからな」
「とても嬉しいですわ、旦那、ん、まってまだ、ああっん……」
少し開いた扉の隙間から見えるのは、ベッドの上の激しく絡み合う男女の姿。
愛を囁く低い声、それに答えるような甲高い嬌声が聞こえてきた時、吐き気と共に我に返りました。
私は、自邸に戻って来た目的である契約印を握りしめると、息を殺して夫――レイジィの部屋を後にしたのです。
これ以上、夫と女中頭であるアイリーンの情事を目の当たりにして、冷静さなど保てるわけがありませんでしたから。
夫――レイジィ・トーマ・ローランドは、トーマ商会の三代目であり、今は亡き義父様の代に男爵の爵位を賜った貴族でもあります。しかし金で買った地位だと蔑まれており、高い爵位を欲しがっていました。
私――フェリーチェ・グレース・ローランドは、ローランド伯爵家の一人娘。しかし栄光は昔のもの。今は亡き両親が領地の経営に失敗し、金銭的に困窮した家でした。
トーマ家は伯爵の爵位を、ローランド家はお金を。
両者の利害が一致し、私たちは五年前に結婚いたしました。レイジィ様が24歳、私が21歳の時でした。
レイジィ様は、私の父から爵位を継ぎ、ローランド伯爵となりました。
政略結婚でしたから、お互い愛はありません。
夫は初夜ですら顔を見せず、未だに私に触れることはありません。
しかし私は彼を助け愛し、いずれお互い信頼できる夫婦になりたいと望みました。
「俺にはやるべき仕事が山ほどある。だからお前が私の代わりにトーマ商会で働け」
そう言われた時は、彼に信頼されて大切な商会を任されたのだと喜びました。
慣れない仕事でしたが色々と勉強し、店や働くものたちを良くするために、無い知恵をたくさん絞りました。
優秀な従業員たちのお陰で、トーマ商会はこの五年でとても大きく成長しました。
この国の三大商会と並ぶほどに。
でも私が懸命にあなたの店で働いている間、彼は私以外の女性――この屋敷に彼が引っ越ししてきた際、共に連れてきた女中頭アイリーンと愛し合っていたのです。
彼女との間の子に、この家を継がせることも計画して……。
私が帰ってきた時、使用人たちが屋敷に入らせまいとしていた理由がようやく分かりました。
制止を振り切って、中に入っていった私に対する哀れみの視線の意味も。
店に戻る馬車の中で、お菓子の包み紙が見えました。
屋敷に戻ったら、きっと私よりも一生懸命働いているレイジィ様と一緒に、お茶をしようと思っていたのです。
(だけど……もう意味がなくなってしまったわね……。店に戻ったら、皆んなに食べて貰いましょう)
お菓子に罪はないのですから。
これを持って馬車に乗った時、何を話そうかとワクワクしていたというのに。
そう思うと、涙が溢れて止まらなくなりました。
こみ上げる嗚咽を飲み込みながら、私は静かに涙を流しました。
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