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終わりの始まり編

第140話 私は対面する

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 ……あれ、ここはどこだろ?

 気が付くと、青が広がっていた。 
 魔王となり、自分の心を守る為に閉じこもっていた青の世界だ。

(私、何してたんだっけ……)

 霧がかかったようにぼんやりとした頭を、頑張って働かせる。
 何かちょっと前にも、同じようなことがあった気がするんだけど。

 確か、神を倒したんだっけ。
 そしてシオンが新居に連れて行ってくれて、ご飯を食べてお風呂に入ってから、新しい下着を身に……つけて……。

 で、私の下着姿を見たシオンが襲って来て、それから……、

 それから……?

 …………
 …………
 …………
 …………

”……リベラ。……リベ……ラ……、あなたがずっと……欲しかった……”

 シオンが、私の名を呼びながら囁き続ける言葉。
 耐えるように唇を噛みながらも、時折短く漏れ出す低い喘ぎ声。

 何度も何度も、頭の中も身体のナカも白く染められながら、痛みと途切れる事のない快楽に翻弄される自分。

 ついさっきまでこの身に起こっていた出来事が、めっちゃ鮮明に思い出された。

 これって……、これって……、あっ……、あぁっ……、

「うっ、わああああああああああああっ‼」

 恥ずかしいっ‼
 超恥ずかしいっ‼

 誰もいない空間に、私の絶叫が木霊した。
 
 両手で頭を抱えながらその場でくるくる回る、という謎の儀式を始めちゃったみたいな行動をとってしまう。

 最後まで……、しちゃったんだよね?
 もう私、両翼の力がないんだよね⁉

 たっ、確か女性勇者候補は処女でなければならないんだから、完全にチカラ失ってるよねっ‼
 完全にチカラ失うようなこと、されちゃったよねっ⁉

 …………
 …………
 …………
 …………

 うわぁああああああああああああああっ‼

 って、ちょっと落ち着こ、私。
 確かに力を失ったことは重要だけど、それは私が決めたことなんだから。

 今考えるべきは……、ここは一体、どこなんだってことだよ⁉

 私さっきまで、シオンと一緒にいたはずなのに……。

 両手で頬を包んでみると、触れている感覚はあるけれど、温もりは全く感じなかった。ということは、やっぱりこの世界は、私の魂の世界ってことなのかな?

 でも、何で今さら。
 魔王じゃなくなったし、神も倒したはずなのに……。

 その時、

「こらこら、何一人で悶絶してるの? リベラ」

 明るい声が響き渡った。
 ここには私しかいない筈なのに突然聞こえた第三者の声に、心臓が跳ね上がり、反射的に視線がそちらを向く。

 一人の女性がいた。

 白く長い髪を高い位置でまとめた、私と同じくらいの背丈の女性だった。
 歳も、同じくらいかな?

 一瞬自分がいるのかと勘違いしてしまう程、私とよく似てる。
 だけど白いまつ毛で縁どられた瞳は、赤い。

 セリス母さんが見せてくれた、姉妹の肖像画が被った。

 もしかして……、もしかして!

「エステル……お母さん?」

「良く分かったわね、リベラ」

 目の前の女性――エステルお母さんが、ニコッと笑って頷いた。

 そう言われると、神との戦いで『太陽』本体に描かれていた女性と似ている。だけど本物は、もう少し幼さを残した雰囲気の女性だった。

 神との戦い後、何度呼んでも『太陽』は来てくれなかった。
 だからもう、エステルお母さんはいなくなってしまったのかと思ってたのに……、こうして、私の前に現れてくれる……なんて……。

 心が、苦しさと悲しさと、初めて母に出会えた喜びでぐっちゃぐちゃになった。
 だけど、思考を置いてけぼりにして、身体は勝手に動いていた。

「お母さん……、お母さんっ‼ うわぁぁぁあああっ‼」

「リベラ……」

 抱きついた私の身体を、エステルお母さんが優しく抱きしめてくれた。泣きじゃくる私をあやすように、何度も何度も優しく頭を撫でてくれている。

 この世界では温もりを感じないはずなのに、お母さんが抱きしめる手はとても温かかった。
 その温かさが、お母さんを襲った悲劇をさらに引き立たせ、涙が溢れて止まらない。

 幸せの絶頂にいたのに、ある日突然全てが奪われた。
 絶望し諦めても仕方がないのに、私を守るために人であることを捨てた。

 そして、私とシオン、ううん、この世界全ての人の命が、お母さんの力によって救われた。

 全てを奪った神への復讐と、娘である私を守る、という目的は達成されたけど……、お母さんが本当に望んだものは、何も帰ってこないんだ。

 愛するお父さんも。
 家族として過ごすはずだった幸せな時間も。

 全部、全部……。

 そう思うと、苦しくてたまらなかった。

 だけどお母さんは私の背中を撫でながら、優しく声を掛けてくれた。

「ごめんなさい。私の力が足りなかったばかりに、あなたを巻き込んでしまって……。私が、神の従僕たちに捕まったせいで、あなたにこんな危険な生き方をさせて……」

「そんなことない! 私は何一つ恨んでないわ!」

 お母さんから発された謝罪に対し、大きく首を横に振った。
 だって、お母さんは何一つ悪くない。

 悪くないんだもん!

「勇者候補だった時、法具になったお母さんが、たくさん助けてくれたじゃない! それに私が魔王に負けた時、お母さんがシオンを勇者候補にしてくれたから、その力を貸してくれたから、私は生き残る事が出来たの! こんな私にもね、今じゃ友達もいるのよ? それに……好きな人も……」

「ふふっ、知ってるわ。あなたの結婚式、こっそり見てたし」

「ええ――⁉ こっそりなんかじゃなく、堂々と見てくれたらよかったのに‼」

「いや、普通に考えて怖いでしょ。参列者の中に、おっきな金色のメダルとか」

 そりゃシュールな光景かもしれないけどさ!

 自分が言った事を想像して面白かったのか、お母さんがぷぷっと吹き出した。
 私から少し身体を離すと、笑い顔を困惑顔へと変え、眉間に皺を寄せる。

「でもきっとセリスは怒ってるだろうなぁ……。生まれたばかりのあなたを、説明なしで押し付けた形になったもんね……。ただでさえ私が結婚する際、全ての魔素依頼をセリスに押し付けて怒られてるのに……」

「確か、セリス母さんも同じ事言ってたっけ。お母さんが勇者候補をさっさと辞めちゃったから、残った依頼が全部自分に回って来て大変だったって……」

「うっひゃー、ほんと? あなたにそんな話するなんて、相当やばいわね……。もー、セリス怒らせると、めっちゃ怖いもん。私が姉だからって容赦ないからね!」

 どうやら、姉であるお母さんもセリス母さんの怒りは怖いらしい。
 親子そろってセリス母さんの怒りを恐れているなんて、ちょっと笑える。
 
 確かにセリス母さんはとっても厳しい人だけど……、

「でも……、ずっとお母さんの事を探してたみたいよ。ずっとずっと……心配してた」

「そっか……。ちゃんとセリスにも謝っておかないとね……」

 そう呟くお母さんの表情から、先ほどの困惑は消えていた。代わりに、セリス母さんとのことを思い出しているのか、懐かしそうに微笑んでいる。

 しかしすぐに、視線が私に向けられた。 

「でも、安心したわ。あなたも立派に成長したし、愛する人も友達も傍にいるし……。これでもう、思い残すことはないわ」

「おかあ……さん?」

 思い残すことはないって、それって……。

「私の役目は終わったわ。私の幸せをブツ壊しやがった元凶は潰したし、愛する娘の幸せも見届けたし。だからね、もうトスティの元へ帰ろうと思うの」

 トスティ、つまり亡くなったお父さんの元に帰る。
 それは、お母さんもリティシアたちのように逝くという……意味……。

 弾かれるように顔を上げると、お母さんの腕に縋りついた。

「まっ、待って! お母さんは肉体を保ったまま純化したって聞いたわ! 肉体があるんだから、リティシアたちと違って、この世界で生きられるはずだよね⁉」

「そうだけど、さすがの私もこの姿で生きるのはごめんかな? あははっ」

 お母さんが軽く笑っている。

 エステルお母さんが願ったのは、神を倒す武器となること。
 その願いに……、人間に戻ることは、含まれて……いない。

 それに力を使い果たして、もう形を保つことも出来ないらしい。
 
 今ここにいられるのは、私の力と繋がっていたから。
 だけど……、もう両翼の力を失った今は……。

 また泣きそうになっている私の頭を軽く叩くと、お母さんは明るく言い放った。

「そんな顏しないで、リベラ。シオン君と結ばれた事、私なんかのために後悔しちゃ駄目よ? 私の存在が、あなたの足かせになりたくないし。それに……」

 一度言葉を切ると、お母さんは後ろを振り返った。
 そこには、私と同じ白い髪の若い男性が立っていた。シオンよりは少し上かな?
 髪は短くおでこが出ていて、すっきりとした爽やか青年に見える。

 お母さんと同じ赤い瞳を細め、こちらを見つめて立っていた。

 この人、もしかして……。

「おとう……さん?」

「そう。あなたのお父さんのトスティよ。シオン君に負けず劣らずのいい男でしょ? 私を迎えに来てくれたの。だからもう行かないと……。だけど、その前に……」

 そう言ってお母さんは私の額にキスをした。
 ふふっと笑って身体を離す。

「純化した魂は戻せないけど……、あの神とかいうクソ野郎が残した呪いは、私が解いておいたわ」

 クソ野郎って……。
 中々、お母さんもセリス母さん並みに口が悪い時があるな。

 エステルお母さんを見ていると、何でセリス母さんがあれほどしっかりしているのか、分かる気がする。
 自由奔放なお母さんの色んな後始末を、セリス母さんがやってきたんだろうな。

 それにしても、神が私の残した呪いって何だろ?

 お母さんの足が、お父さんの方へと向けられたから、私の考えが中断された。
 慌ててお母さんに向かって手を伸ばす。 

「まって……、いや、待って、お母さんっ‼」

「やだ、待たないもーん。私だって、お父さんと早くイチャイチャしたいもーん」

 お父さんの元へ向かうお母さんの背中に向かって叫んだけど、お母さんは振り返ることなく子どもっぽい口調で進んで行く。

 そして一度お父さんの手前で立ち止まると、私の方を振り返った。
 満面な笑みの中に、一筋の涙を流しながら。

「あなたに、お母さんと呼んで貰えて凄く嬉しかった。私を……、母にしてくれてありがとう、リベラ」

 そう言ってお母さんはお父さんの方を振り返ると、一歩歩みを進めた。
 今まで動きのなかったお父さんの表情が、喜びで一杯になった。そして、胸に飛び込んできたお母さんを受け止めると、二人は互いを抱きしめ合った。

 何か言っているようだけど、声は聞こえてこない。

 私も二人の元へ向かったけど、見えない壁に阻まれてそれ以上進むことが出来なかった。

 きっとここが、生者と死者の……境目なんだろう。
 声が届かないのも、きっと世界がわけ隔てられているからだ。

 互いの身体を離した二人は、手を繋いでいた。お母さんがこちらを指さしながら、お父さんに何か言っている。

 お父さんは赤い瞳を驚いたように見開くと、お母さんが指さした方をじっと見つめた。
 見えない筈の私の方を。

 きっとお母さんが、私の事を話したんだろう。
 だってお父さんの瞳にみるみるうちに涙が溢れ、それに耐えるように笑顔を浮かべていたから。

 二人が見えない私に向かって手を振って何かを言った。
 聞こえない筈だけど、確かに私は二人が何を言ったのかを、聞いた気がした。

”愛してるよ、リベラ”

と。

「お父さん! お母さん!」

 薄れていく二人の姿を見ながら、私は力の限り叫んだ。
 だけど声に反応したのは、

「お師匠様⁉ どうなさいましたか⁉」

「……え?」

 目の前に突然現れたシオンの姿に、理解が出来ずにとぼけた声をあげてしまった。でもシオンはそんな私をお構いないしに、ぎゅっと抱きしめる。

 身体を駆け抜けていく肌が触れ合う感覚に、私は自分の意識が現実に戻ってきた事を知った。

 さっきの出来事は、夢だったのかな……?
 お父さんのこともお母さんのことも、私の願望が見せた夢、だったのかな……。

 その時、私の顔を覗き込んだシオンが息を飲んだ。

「お師匠様……、あなたの瞳の色が……」

「……え? なっ、なに? どうしたの?」

「金色から赤色へと変わっています。これが……、あなたが持つ本来の色なのですね」

 両手で私の両頬を抑えながら、シオンがじっと瞳を見つめている。

 私の瞳が、金色から赤色に変わっていた。
 ううん、戻っていた。

 お母さんが言っていた『神の呪い』という言葉を思い出す。

(この事を言ってたんだ)

 そして同時に確信する。

 お母さんと話したことも。
 お父さんと会った事も。

 二人と……お別れしたことも。

 あれは……、本当のことなんだって。

 シオンの指が、私の目じりをなぞった。
 その指先を濡らすものを見た時、初めて泣いていることに気づく。

 彼の胸に顔を埋め、何があったのかを話した。

「……エステルお母さんに会ったの。死んだお父さんも来てくれて……、私を愛しているって……、そして……さよならをした……の……」

「そうでしたか……」

「こんな話、信じてくれるの? ただ夢だって、私の妄想だって笑わないの?」

「笑いませんよ。エステルでしたら俺の夢にも出てきましたから」

 えええ――――っ⁉
 なっ、なんだって――――っ‼

 エステルお母さんと会ったの、私だけじゃなかったんだ!

「お師匠様に似た女性でしたね。俺を巻き込んですまなかったと言っていました。そして……」

 シオンは自分の頬を押さえると、ははっと軽く笑った。

「娘を頼むって言うと、俺を一発殴って消えていきましたよ」

 まじかっ!
 セリス母さんと同じ発想じゃない! 

 姉妹だから、考えることも同じってことなのかな。
 セリス母さんの場合は、踵落としだったけど。

 そんな二人の共通点に、悲しみがどこか温かい気持ちへと変わっていく。
 胸の前で右手をぎゅっと握ると、私はシオンにお願いした。

「シオンは知っているんだよね? 私のお父さんとお母さんのお墓の場所を……。私を、そこに連れて行って欲しいの」
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