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物語のその先編

第118話 お師匠様は心を守った

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 どのくらい時間が経ったのか分からない。
 魔素に侵され、変化した身体がどうなったのかも分からない。

 物音は何もしない。

(……皆、どうしてるんだろ)

 自分がどうなってるか分かんないのに、思い浮かぶのは私の大切な人のことばかり。

 アーシャやノリス、エレクトラ先生はどうしてるかな?
 私が連れて行かれる時、必死で無罪を伝えようとして取り押さえられていたっけ。

 ディディスの怪我、命に別状なければ良いんだけど……。
 私がシオンの事を頼んだばっかりに、無茶をしちゃったんだわ。

 セリス母さん、何で通信珠に出てくれなかったのかな?
 あの母さんが通信珠を無くすはずないし。どうしたんだろ、心配だな。

 そして、

「あなたを次の魔王にするつもりなんてなかった……。ごめん……、ごめんなさい、シオン……」

 私を救うために、たくさん辛い目に遭ったその結果が、魔王になる運命だなんて……。

 きっと真実を知ったら、物凄いショックを受けるだろうな。
 私なんて救わなければ良かったと思うだろうな。

(嫌……、シオンに嫌われたくない……)

 優しく見つめる瞳が憎しみで歪むのを想像しただけで、鳩尾あたりがきゅうっと苦しくなる。息が浅くなり、呼吸が早くなってしまう。

 大好きな人から拒絶されるなんて、きっと耐えられない。

 叶うなら私が身代わりになりたい。
 本当なら私が背負う苦しみだったのだから……。

 その時、何か得体の知れないものが這い寄って来た。おぞましい気配に全身の神経が恐怖で張り詰める。

 それはシュルシュルと音を立てて近づくと、身体にまとわりついて来る。必死で振り払おうとしたけど、みるみるうちに身体がそれに覆われてしまう。

 暗くて分からないけど、触手みたいな存在で凄く気持ち悪い。

 そいつはどうやったのか分からないけど、頭の中まで入り込み思考をかき乱していく。

 何か別の意思が、私の思考にとって代わろうとしている。

 自分が……、だんだん分からなくなっていく。

 その時、

「心を強く持って。あいつに心を支配されてはいけません」

 少し高めの少年のような声が響き渡ったかと思うと、私を取り込んでいた存在が消滅した。
 頭の中もスッキリして、自分が何であるかを思い出す。

「今の……、一体何だったの……?」

 意識を持って行かれそうになった事を思い出すと恐怖で身体が震え、その気持ちが思わず質問として口から零れた。

 ただの呟きだったのに、少年声が私の問いにご丁寧にも答えてくれた。

「あなたは敵に心を支配され、操られようとしていたのですよ」

「え? 敵って、さっきの触手みたいなやつ?」

「ええ。でも僕の助けが間に合って良かったです。もう少し遅ければ、あなたは完全に敵に支配され、戻れなくなっていたでしょうから」

「そうだったんだ、危ないところを助けてくれてありがとう」

「いえいえ、どういたしまして」

 …………
 …………
 …………
 …………

 って、めっちゃ自然に会話してる場合じゃなくない、私っ‼
 こんな場所に誰かいることに、もっと疑問を持たないといけなくない、私っ⁉

 順応性、こんなところで発揮してどうするよ‼

「って、あなたは誰⁉ ここはどこなの⁉ わたし……、私は一体どうなったの⁉ 敵に心を支配されるってどういうこと⁉」

「落ち着いてください。僕はあなたの味方です。でもあまり時間が……」

「落ち着いていられるわけないじゃないっ‼ 早くしないとシオンが次の魔王に……。シオンが次の魔王になって勇者に殺されてしまう‼ そんなの、そんなの絶対に……いや……」

 そう、私の事なんてどうでもいい。

 シオンが魔王になって勇者に殺される運命を考えたら、とるに足らない事だ。
 それさえ何とかなれば……、私がどうなっても……。

 両手で顔を覆い何も言えなくなった私に、宥めるような落ち着いた少年声が語り掛けた。

 私にとって希望の言葉を。

「種の痣を持つ勇者を、魔王となる運命から救う方法はあります。だから自暴自棄にならないで下さい」

 えっ?
 シオンを……救える?

「シオンを助けられるの? 私は何をすればいいの? シオンを救う為なら、何だってするわっ‼」

 さっき叫んでた疑問も、全部全部吹き飛んだ。疑いなど持つ余裕なんてなかった。

 ただ一筋の光にすがる様に、声の方向に向かって叫んでいた。

 声の主が言うには、触手みたいなやつは、私の心を操って魔力を一杯作らせようと襲ってきているらしい。
 理由は、作らせた魔力を食べる為。

 でも操られる前に私の周りを魔力で満たしておけば、そっちを食べるからあいつの気を逸らせるんだとか。

 私の心があいつに支配されたら最後、シオンを救うことが出来なくなる。
 だから、何としてでも敵から心を守って欲しい。

 色んな部分を時間があまりないからって理由ではしょられたけど、声の主の話はこんな感じだった。

 とにかくさっきみたいになりたくなければ、魔力を作り続けろってことね!
 やってやるわ!
 
「私は世界を愛している」

 魔力を作る為、いつもの言葉を唱えた。
 気持ちが前を向き、溢れた幸福感が魔力に変わる……はずだった。

 いや、魔力に変わったんだけど、作られた魔力が物凄いスピードで吸い取られていく。

 持っていた紐を物凄い力で引っ張られるかのように、私の意識もぼやけていく……、ところを再び声の主に救われた。

 少年声に、少し辛そうな声色が混じる。

「はぁ、はぁ……。敵が魔力を食らうスピードの方が早すぎて、その程度じゃ足りませんよ。もっとたくさんの魔力を作り続けなければ、僕がいなくなったとたん、あいつに心を支配されてしまいます」

「そんな事言われても私、この方法でしか魔力を作れないし……」

 あの言葉を唱えて、幸せになった気持ちを魔力に変換する方法しか。

 というかこの魔力量、白金翼発現相当なんだけど。
 普通の戦いじゃ、十分すぎるほどの魔力量のはずなのに、それが足りないってどういう事なの⁉

 頭を抱えた時、声の主からこの場にそぐわない発言が飛び出した。

「ところで……、あなたとシオンさんは恋人同士なのですか?」

 ……え? ええええっ⁉
 こんな時にこの人、何言ってんだ――――っ‼

「しっ、しししシオンと、こっ、恋人どっ、どどど同士だなんてっ、まっ、まだ……、まだだからっ‼」

「まだ……という事は、これからなる予定なのですか?」

「ちっ、違……、いや違わない……、とっ、とにかく私たちはまだそんなんじゃっ‼」

「どちらにしてもあなたにとって大切な人……なんですよね?」

 ――大切な人。

 その言葉が、シオンと過ごした日々を思い出させた。

 たくさんたくさん、優しくして貰って、
 たくさんたくさん、助けて貰って、

 私の身勝手で妻になる返事を保留したのにも拘らず、ずっと傍で待ち続け、毎日のようにたくさんの愛を与えてくれた。

 その愛は時々……、いやかなり高い確率で過激な形を見せたけど。

 でも彼の笑顔を思い出すと、私を呼ぶ優しい声色を思い出すと、愛おしさが溢れだす。心が温かくなって、涙が出そうになるほど胸が苦しくなって、それでいて幸せな気持ちで一杯になって、零れる想いはこんな言葉へと変わる。

(シオンが……好き、大好き!)

 彼がそう願ってくれたように、私もずっと一緒にいたい。

 そう思った瞬間、溢れ出たシオンへの想いが魔力に変わって辺り一面を満たした。闇が祓われ、魔力で満たされた場所が一瞬にして果てしなく続く青い空間へと変わる。

 すっ、凄い!
 こんなにも魔力が作れるなんて! 最高記録じゃない⁉

 驚いているのは、私だけじゃない。
 
「凄い魔力量ですね。やはり上辺だけの言葉が、誰かを本当に深く想う気持ちに敵うわけないですよね」

「上辺だけの言葉? 私は世界を愛してるって言葉の事?」

「そうです。あなたの能力は、感情を増幅させ魔力に変換する力ですから、元になる感情が強ければ強いほど、早く、多くの魔力が作れるのです」

「良く分かんないけど……、世界を愛している気持ちよりも、シオン個人を想う気持ちの方が強いから、魔力をたくさん作れたって事?」

「はい。今まであの言葉で白金翼を発現していたのなら、個人を想う気持ちを魔力にしたとき、どれほどの効果を発揮するのか想像もつきませんね」

 まだ私の能力に、伸びしろがあるって事かな。

 でもシオンを想っただけでこんなに大量の魔力が作られるなんて、ちょっ、ちょっと恥ずかしい……かも。
 
 お前、こんだけシオンの事、好きなんだぜ? って言われているみたいで……。

 って何で皆、めっちゃニヤニヤしてるの⁉
 そんな顔で、私を見ないでって!
 んっ、もっ、もう!

 とりあえず、これだけ魔力を作れば敵から心を守れるみたい。

 でもあいつは貪欲でいずれは全ての魔力を食い尽くしてしまうから、常時魔力を作り続けないといけないらしい。という事は、常にシオンの事を想い続けなければならないってことなんだよね?

 ここで一つ、不安が思い浮かんだ。

 すっごく感動的な本を読んでも、何度も読み返したら感動が薄れちゃうじゃない?

 それと同じで、どれだけ私がシオンを強く想っても、何度も何度もその気持ちを思い返していたら慣れちゃって、作られる魔力量が減ってしまうんじゃないかって思ったの。

 でも声の主にとって、私の不安は想定内だったみたいで、一つの提案をしてきた。

 それは私の記憶を封じ、幸せだった思い出を再現し続ける事。
 そうすれば、慣れてしまって想いが弱まることなく魔力を作り続ける事が出来るんじゃないかって。

「記憶を封じる? 全部、忘れちゃうってこと?」

「もちろん表面上だけですよ。記憶を本当に封じてしまうと、幸せの記憶を思い出す事すら出来ないじゃないですか」

 んまぁ、たしかに。

 でもそんなにうまく行くのかな? と思ったらこの青い世界は私の魔力が作り出したものだから、大抵のことは私の思い通りになるんだって。

 私が許可さえ出せば、声の主が難しい調整を全て代わりにやってくれるらしい。

 私がやることは、ただ一つ。
 幸せを感じる記憶を選び、思い出すだけ。

「さっき僕に、ここはどこなのかと尋ねましたよね。さきほどまで闇だったこの空間は、あなたの魂の世界……心が見る夢のようなものです。この夢から目覚めなければ、あなたを人間に戻す事は出来ません。その為には、あなたと縁の深い方の協力が必要になります。その方が来るまで、魔力を作り続けて持ちこたえて欲しいのです」

「分かったけど、縁の深い方ってもしかして……」

「今までの会話から考えると、シオンさんが最も適任だと思います」

 シオンを連れて来る、と言う発言に胸の奥が苦しくなり、思った事が口を衝いた。

「来てくれるかな。私の事を怒って来てくれないかも……。私が魔王を倒さなかったせいで、シオンが魔王になってしまうんだから……」

「でも、あなたが最も会いたい人なんですよね?」

「……うん」

「それなら首に縄を付けてでも連れてきますよ。それに、彼が魔王になるのは、そもそもあなたのせいではないのですから。ちゃんとその辺も含めて説得します。彼に、何か伝えることはありますか?」

 シオンに伝える事……。
 そんなの、たくさんある。

 でもその中で大切なのは、ほんの少しだけ。

「不甲斐ない師匠でごめんなさいと。それでもあなたを信じて待ってると伝えて欲しい」

「分かりました。ではそろそろ、あなたの心を思い出に封じ込めようと思います。そんな不安な顔をしないで下さい。シオンさんが、必ずあなたを目覚めさせてくれますから」

「……うん、分かったわ。シオンを信じてる」

「その意気込みですよ。では僕はこれで」

 それ以降、声は聞こえなくなった。

 今思えば、私を助けてくれた声の主はハイン、あなただったのね。
 私を助けて苦しそうにしてたのは、あなたの魔力をあいつに食わせる事で、私の心が襲われることから守ってくれてたんだよね。

 一人残された私は、呆然と青い空間に立ち尽くしていた。

 シオンが来て私を助けてくれるまで、どれくらい時間が掛かるか分からない。
 その間、私はずっと魔力を作り続けて、あいつに心を支配されないようにしないといけない。

(椅子、欲しいな。きっと長丁場になるだろうし)

 そう思った瞬間、私の目の前に白い椅子が現れた。

 そっか。
 この世界は、私の思い通りになるって言ってたもんね。

 私は椅子に腰を掛けると、瞳を閉じた。

(私が幸せに感じていた時間はいつ?)

 この問いに、心が勝手に答えてくれる。
 頭の中のイメージと言う形で。

 魔王に殺されたと思って目覚めたら、見知らぬ男の人がいて、
 それが弟子のシオンだと名乗って、
 さらに私の事が好きだと、妻になってくれなんて言って来て……、

 そこから全てが始まった。

 アカデミーに入学して初めて友達が出来て、
 皆が当たり前に過ごす普通の日々が、本当に楽しくて、
 戦い以外で認められることが、本当に嬉しくて、

 私の世界はどんどん広がって行った。
 毎日が楽しくてたまらなかった。

 イリアの件は、もうめちゃくちゃ精神的にきつかったけど、それがきっかけでシオンへの気持ちに気づいたんだから、あれも大切な思い出。

 だから私が繰り返し思い出すのは、あの5ヶ月間。

 最も楽しくて、人を愛する事を知った、かけがえのない時間を繰り返そう。
 何度も何度も繰り返して、ずっとずっと待ち続けよう。

 私の大好きな……あの人を。

(でも、今のこの状態に繋がる事を思い出して、中断しないようにも気を付けないと……)

 だから思い出すのは魔素溜り浄化当日まで。魔王の正体とか私が魔王になってるとか、そう言った事に繋がる情報も全部シャットアウトしないとね。

 それによって今の状態を思い出し、幸せだった記憶の回想が途切れちゃったら大変だから。

 意識が沈む。
 私の心を思い出に閉じ込める作業が、始まったんだろう。

 こうして私は、思い出しては忘れてしまう終わりなき幸せの中に心を沈めて行った。

 
 あなたが私の名を呼び目覚めさせてくれる、あの時まで――。


 さあ私の話はここで終わり。
 後はあなたのその後を、聞かせて?
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