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物語の終わり編
第105話 俺は始める
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「私……、今、魔王になっているのね?」
あなたが、どんな気持ちでその問い掛けをしたのか。
鋭い視線を向けながらも、その奥で必死に気持ちを隠そうとされている瞳を見れば、嫌と言う程伝わって来る。
認めたく……、ないですよね?
ご自身が、魔王となって世界に害成す存在になっているなど……。
あのセリスですら、現実を受け入れることが出来ず、今まで自身の心を偽り続けてきたと言うのに。
それなのに、あなたは決して逃げずに立ち向かう。
否定し目を背けたいはずなのに、残酷な事実を全て受け入れ、俺に問う。
一番お辛いはずのあなたが問うのなら……、俺は求める答えを差し出すまでだ。
「魔王リーベ……、それが今、この世界であなたに与えられている名です」
お師匠様の瞬きが止まった。
柔らかな唇が何か言おうと薄く開いたが、すぐに閉じられると、きつく真一文字に結ばれる。そして口角辺りが少し震えたかと思うと、上に引き上げられた。
「あはは、やっぱり……、私の記憶違いじゃなかった……んだね。それにしても魔王リーベって、まんま私の名前使って酷くない? もう少し、かっこいい名前付けてよね! って、偽名にリーベルって名乗った私も、人の事言えないかー」
笑顔を浮かべながら、お師匠様が明るく笑われた。
しかし瞳は慌ただしく瞬きを繰り返し、右手は落ち着かない様子で自身の髪や頬に触れている。
全てをご存知だったとは言え、ショックを受けないわけがない。明るく努めていらっしゃるが、内心は酷く動揺されているはず。
ご自身の精神的動揺を悟られまいと、必死で笑顔を浮かべる姿が痛々しかった。
変われるものなら、変わって差し上げたい……。
あなたが救われ今までの生活に戻れるなら、魔王にでも贄でも何にでも、喜んでなってやるというのに!
無理して笑顔を取り繕う姿を直視出来ず、俺は強く握った拳を見つめた。
今まで俺たちやお師匠様を襲った出来事が思い出され、ふつふつとした怒りとなって鳩尾辺りが熱くなっていく。
その時、あの方の自虐的な言葉が、俺の鼓膜を振るわせた。自身を責める内容に、思わず伏せていた顔を上げてしまう。
「私が魔王になってるなら……、また魔素が大量発生して、大変な事になってるんだよね……。魔王になって世界を混乱に陥れるなんて……。やっぱり駄目だな、私って……」
だ……め? お師匠様が?
俺たちを安心させるために必死で作られた笑みが、自虐的に歪むのを見た瞬間、俺の中で沸き上がり溜まっていた怒りが一気に爆発した。
「あなたが……、一体何をしたというのですか‼ どうして……、どうしてあなたばかりこんな……、こんな辛い目にばかり、遭わなければならないのですかっ‼ どうして……」
あなたは、何一つ悪くないのに……。
今まで勇者候補として人々の為に、傷つきながらも戦い続けた。
目覚めてからは、一人の女性として、戦い以外の生き方を模索されていた。
普通の日々を、ただ楽しむ。
何故その普通すらあなたには許されないのか。
運命?
産まれた時から、すでに決まっていた事?
勇者候補時代、命をかけて世界を守ろうと戦い続けたあの方に対する仕打ちが……、これなのか。
(……ふざけるなっ‼ そんなものであの方を縛るというなら、こんな世界いっその事、俺の手で……)
右手の甲に浮かぶ、種の痣を憎しみを込めて睨みつける。そこからチリッと小さな疼きを感じた時、アレグロの強い言葉が、憎しみに染まった俺の思考の流れを止めた。
「おい、シオンっ、変に感情を昂ぶらせるんじゃねぇよっ‼ ちったー、落ち着けっ‼」
……確かに、このまま俺が憎しみを抱いて世界に絶望したら、全てが水の泡だからな。
アレグロの言葉も分かる。
しかし、別の何かがこう囁く。
(でもいいだろ、こんな世界)
――滅んだって。
その時、右手の甲の上に小さな手が乗った。何度も触れ、触れられた愛しい手が、通り抜けると分かっていながらも、優しく俺の手と重なっている。
「……シオン、大丈夫?」
ハッと顔を上げると、目の前で両膝を着き、下から俺の表情を覗き込むお師匠様の顔があった。心配そうに表情を曇らせ、こちらの様子を伺っている。
俺と視線が合うと、先ほどの作り笑いとは違う、心からの笑顔が浮かんだ。
「ありがとう、シオン。いつも私の代わりに怒ってくれて……。ちょっとだけ弱気になってた。……私もね、気持ちはあなたと同じなの」
「同じ……ですか? それはどういう……」
先ほどまで弱々しく笑っていらっしゃった、お師匠様の姿はなかった。
とても強い意志を宿した金色の瞳が、俺を捕えて離さない。
「私は、あなたを救いたいの。幼いころから辛い目に遭って来て、私を助けるためにたくさん頑張ってくれたあなたのその先が……、あんな未来だなんて、絶対に納得できない」
やはり……、ご存知でしたか。この先、俺に待ち受ける結末を。
でも……、あなたが救われるのならどうなってもいい。
俺の事など、どうぞ見捨てて下さい。
お師匠様は、そんな俺の気持ちなど御見通しだったのだろう。
安心させるように表情を緩めると、そっと俺の頬に触れて下さった。
「シオンか私、どちらかじゃない。私たちが救われる道を、一緒に探そう」
触れられている感覚は、もちろんない。
しかし、あの方が俺を想う気持ちは、胸が苦しくなるほど伝わってきた。
先ほどまでの世界に対する憎しみと怒りが、不思議と落ち着きを取り戻し、目の前の女性を愛おしむ気持ちへと、書き替えられていく。
このまま世界を呪っていても、意味がない。
あなたが前を向いていらっしゃるというのに……、俺が全てを投げ出してどうする。
頬に触れているあなたの手の上に俺の手を重ねると、頷いて答えた。
あの方が満足した表情を浮かべ、手を離されたのを確認すると、俺は果てのない空間に向かって言葉を放った。
「おい、聞こえてるか⁉」
皆の視線が、頭上に集まる。
しばらくすると、この青い空間に女にしては低めの声が響き渡った。
「ああ、聞こえている。どうやら、リベラを目覚めさせることに成功したようだな」
「……ああ、ついさっきな。お師匠様が魔王になられてから、どれだけ時間が経った?」
俺の言葉に、声の主が軽く息を吐くのが聞こえた。
どうやら向こうもホッとしているらしい。しかし、すぐさま返答が降って来る。
「約1年だ」
……1年か。
何度も何度も物語を繰り返し、時間感覚が馬鹿になった俺には、それ以上時間が掛かっているように感じたが……、そんなもので済んで良かった。
これがまた、お師匠様が呪いにかかった時のように、10年も経っていたらと思うと……。
しかしお師匠様は、俺とは真逆の反応をとられた。
勢いよく立ち上がられると、声が降って来た頭上を見上げ、声を張り上げる。
「そんな……、あれから1年も経っているなんて……。そっ、それで、みんなは⁉ 今、世界はどんな状況なの⁉」
お師匠様の焦りに満ちた問いかけに対し、声は落ち着いて答える。
「慌てるな、リベラ。安心しろ。君に関わる者たちは皆、無事だ」
「ほっ、ほんと⁉」
「皆、かつてない過酷な状況にもかかわらず、良く持ちこたえている。そして……、皆が君の帰りを信じて待ち続けている。シオンに全てを託してな」
「そう……なんだ……、よかった……。本当に……」
お師匠様は力なく椅子に座られると、前かがみになって両手で顔を覆われた。両肩から力が抜け、今にも崩れ落ちそうになっている。
しかしすぐに顔を上げられると、再び頭上の声に問う。
「それで……、あなたは誰?」
「私の名は、リティシア。ここで、魔王の監視と吐き出される魔素の浄化、君たちと外を繋ぐ連絡係をしている」
「リティシアって……、5代目勇者だよね? 魔素の浄化や外との連絡係をしてるって……、もしかしてあなたは生きているの⁉」
確かに、リティシアが生きていたのは、もう何百年も前の事。お師匠様がそう思われ、驚かれるのも無理はない。
あの方の純粋な驚きに、声の主――5代目勇者リティシアの言葉に、苦笑いが混じった。
「その辺の事情は、君の弟子から聞くといい。……この私の状態が生者と呼べるかどうかは……、いささか疑問ではあるが」
お師匠様には、リティシアの言葉の意図がご理解出来なかったようだ。何と返していいのか困った様子を見せたが、それ以上疑問を口にされる事はなかった。
ふと横にいる歴代勇者たちを見ると、皆表情が曇っている。過去、自分たちの身に起きたことを、今のリティシアの状況と重ねているのだろう。
俺自身も全てを知っているからこそ、リティシアの自虐ネタを笑うことが出来なかった。このままならいずれ、俺も同じ道を進むのだから。
そんな気持ちをかき消すように、俺は頭上に言葉を放つ。
「状況は分かった。お師匠様に全てを説明しておきたい。時間はまだありそうか?」
「説明に要する時間は、十分に取れるだろう。こちらも、リベラを解放する為の準備に多少時間が必要だ」
リティシアから時間の猶予があると聞き、俺はホッと胸を撫で下ろした。
安心したからか、ふと赤毛の男の後姿が過ぎり、思わず奴の安否が口を衝いて出る。
「ディディスは……、どうしてる? セリスと共に、最前線に出ているんだろ?」
俺がディディスと別れる際、あいつはセリスと共に最も魔素のモンスターが集まって危険な場所――、最前線に行くと言っていた。
危険だと止めたのにもかかわらず。
ディディスの名を出すと、リティシアは少しだけ考える間をおいた後、ああ、と言葉を続けた。
「赤毛の彼だな。大丈夫だ、生きている。かなりセリスにこき使われ、毎日ヒーヒー言いながらな」
「そうか……」
……あいつらしい。
セリスにどやされ、ヘラヘラと笑いながら謝罪をする奴の姿を想像すると、自然と口元が緩んだ。
そんな俺の気持ちを察したのか、リティシアの力強い声が響き渡る。
「最前線は、セリスが中心となって上手くまとめているから安心しろ。彼女は、あのエステルの妹だと思えないほど優秀だ。さすが、今まで大勢の勇者候補を育てて来ただけはある」
「エステルの妹? リティシアは、エステル伯母さんを知っているの?」
エステルの名に、今まで黙って俺たちの会話を聞いていたお師匠様が、反応を見せられた。
再び立ち上がると、頭上を見上げる。
「エステル伯母さん? ……ああ、そうか」
あの方の質問に、リティシアは一瞬だけ理解出来ないように言葉を切った。しかしすぐさま納得したように、言葉を続ける。
「エステルと私に、直接の面識はないがね。君も説明の中で知る事になるだろう。エステルと君たち二人は、深く関わっているから」
「シオンと私が……、エステル伯母さんと関係してる?」
今まで無関係だった伯母の存在が深く関わっていると言われ、お師匠様は酷く困惑されているようだ。
仕方ない。
俺だって全てを知った時、驚きを隠せなかったのだから。
しかしリティシアは、それ以上質問に答える事はなかった。
「シオン、リベラへの説明は任せた。私はこれから、準備に移る。全ての説明が終わったら、また呼びかけるといい」
「ああ、分かった」
リティシアの声はそれっきりとなった。
俺は、再び白い椅子に座ったお師匠様と視線を合せた。それに気づき、あの方も真っすぐ視線を返して下さる。
見つめ返す金色の瞳からは、これから語られる話を全て受け止める強い意思が感じられた。
全ての準備が整った。
「これから、魔素溜り浄化の当日から今までの間、この世界に何があったのかをお話いたします。恐らく、信じられない事、納得出来ない事がたくさんあると思いますが……。そして、俺たちにお聞かせください。魔王となったあの日、あなたの身に一体何が起こったのかを……」
「うん、分かったわ」
そうお答えになるお師匠様の言葉には、一切の揺らぎがなかった。
改めて思う。
(あなたは……、強い。俺なんかよりも、ずっとずっと……)
あなたの強さが、光となってこの心を照らす。
そして道しるべとなって、俺をその先へと導く。
今までも。
これからも。
歴代勇者たちは、俺たち二人の周りを囲むように立つと、事の成り行きを見守る体勢に入った。
さあ、始めよう。
あなたと俺が語ることのなかった、物語のその先を。
あなたが、どんな気持ちでその問い掛けをしたのか。
鋭い視線を向けながらも、その奥で必死に気持ちを隠そうとされている瞳を見れば、嫌と言う程伝わって来る。
認めたく……、ないですよね?
ご自身が、魔王となって世界に害成す存在になっているなど……。
あのセリスですら、現実を受け入れることが出来ず、今まで自身の心を偽り続けてきたと言うのに。
それなのに、あなたは決して逃げずに立ち向かう。
否定し目を背けたいはずなのに、残酷な事実を全て受け入れ、俺に問う。
一番お辛いはずのあなたが問うのなら……、俺は求める答えを差し出すまでだ。
「魔王リーベ……、それが今、この世界であなたに与えられている名です」
お師匠様の瞬きが止まった。
柔らかな唇が何か言おうと薄く開いたが、すぐに閉じられると、きつく真一文字に結ばれる。そして口角辺りが少し震えたかと思うと、上に引き上げられた。
「あはは、やっぱり……、私の記憶違いじゃなかった……んだね。それにしても魔王リーベって、まんま私の名前使って酷くない? もう少し、かっこいい名前付けてよね! って、偽名にリーベルって名乗った私も、人の事言えないかー」
笑顔を浮かべながら、お師匠様が明るく笑われた。
しかし瞳は慌ただしく瞬きを繰り返し、右手は落ち着かない様子で自身の髪や頬に触れている。
全てをご存知だったとは言え、ショックを受けないわけがない。明るく努めていらっしゃるが、内心は酷く動揺されているはず。
ご自身の精神的動揺を悟られまいと、必死で笑顔を浮かべる姿が痛々しかった。
変われるものなら、変わって差し上げたい……。
あなたが救われ今までの生活に戻れるなら、魔王にでも贄でも何にでも、喜んでなってやるというのに!
無理して笑顔を取り繕う姿を直視出来ず、俺は強く握った拳を見つめた。
今まで俺たちやお師匠様を襲った出来事が思い出され、ふつふつとした怒りとなって鳩尾辺りが熱くなっていく。
その時、あの方の自虐的な言葉が、俺の鼓膜を振るわせた。自身を責める内容に、思わず伏せていた顔を上げてしまう。
「私が魔王になってるなら……、また魔素が大量発生して、大変な事になってるんだよね……。魔王になって世界を混乱に陥れるなんて……。やっぱり駄目だな、私って……」
だ……め? お師匠様が?
俺たちを安心させるために必死で作られた笑みが、自虐的に歪むのを見た瞬間、俺の中で沸き上がり溜まっていた怒りが一気に爆発した。
「あなたが……、一体何をしたというのですか‼ どうして……、どうしてあなたばかりこんな……、こんな辛い目にばかり、遭わなければならないのですかっ‼ どうして……」
あなたは、何一つ悪くないのに……。
今まで勇者候補として人々の為に、傷つきながらも戦い続けた。
目覚めてからは、一人の女性として、戦い以外の生き方を模索されていた。
普通の日々を、ただ楽しむ。
何故その普通すらあなたには許されないのか。
運命?
産まれた時から、すでに決まっていた事?
勇者候補時代、命をかけて世界を守ろうと戦い続けたあの方に対する仕打ちが……、これなのか。
(……ふざけるなっ‼ そんなものであの方を縛るというなら、こんな世界いっその事、俺の手で……)
右手の甲に浮かぶ、種の痣を憎しみを込めて睨みつける。そこからチリッと小さな疼きを感じた時、アレグロの強い言葉が、憎しみに染まった俺の思考の流れを止めた。
「おい、シオンっ、変に感情を昂ぶらせるんじゃねぇよっ‼ ちったー、落ち着けっ‼」
……確かに、このまま俺が憎しみを抱いて世界に絶望したら、全てが水の泡だからな。
アレグロの言葉も分かる。
しかし、別の何かがこう囁く。
(でもいいだろ、こんな世界)
――滅んだって。
その時、右手の甲の上に小さな手が乗った。何度も触れ、触れられた愛しい手が、通り抜けると分かっていながらも、優しく俺の手と重なっている。
「……シオン、大丈夫?」
ハッと顔を上げると、目の前で両膝を着き、下から俺の表情を覗き込むお師匠様の顔があった。心配そうに表情を曇らせ、こちらの様子を伺っている。
俺と視線が合うと、先ほどの作り笑いとは違う、心からの笑顔が浮かんだ。
「ありがとう、シオン。いつも私の代わりに怒ってくれて……。ちょっとだけ弱気になってた。……私もね、気持ちはあなたと同じなの」
「同じ……ですか? それはどういう……」
先ほどまで弱々しく笑っていらっしゃった、お師匠様の姿はなかった。
とても強い意志を宿した金色の瞳が、俺を捕えて離さない。
「私は、あなたを救いたいの。幼いころから辛い目に遭って来て、私を助けるためにたくさん頑張ってくれたあなたのその先が……、あんな未来だなんて、絶対に納得できない」
やはり……、ご存知でしたか。この先、俺に待ち受ける結末を。
でも……、あなたが救われるのならどうなってもいい。
俺の事など、どうぞ見捨てて下さい。
お師匠様は、そんな俺の気持ちなど御見通しだったのだろう。
安心させるように表情を緩めると、そっと俺の頬に触れて下さった。
「シオンか私、どちらかじゃない。私たちが救われる道を、一緒に探そう」
触れられている感覚は、もちろんない。
しかし、あの方が俺を想う気持ちは、胸が苦しくなるほど伝わってきた。
先ほどまでの世界に対する憎しみと怒りが、不思議と落ち着きを取り戻し、目の前の女性を愛おしむ気持ちへと、書き替えられていく。
このまま世界を呪っていても、意味がない。
あなたが前を向いていらっしゃるというのに……、俺が全てを投げ出してどうする。
頬に触れているあなたの手の上に俺の手を重ねると、頷いて答えた。
あの方が満足した表情を浮かべ、手を離されたのを確認すると、俺は果てのない空間に向かって言葉を放った。
「おい、聞こえてるか⁉」
皆の視線が、頭上に集まる。
しばらくすると、この青い空間に女にしては低めの声が響き渡った。
「ああ、聞こえている。どうやら、リベラを目覚めさせることに成功したようだな」
「……ああ、ついさっきな。お師匠様が魔王になられてから、どれだけ時間が経った?」
俺の言葉に、声の主が軽く息を吐くのが聞こえた。
どうやら向こうもホッとしているらしい。しかし、すぐさま返答が降って来る。
「約1年だ」
……1年か。
何度も何度も物語を繰り返し、時間感覚が馬鹿になった俺には、それ以上時間が掛かっているように感じたが……、そんなもので済んで良かった。
これがまた、お師匠様が呪いにかかった時のように、10年も経っていたらと思うと……。
しかしお師匠様は、俺とは真逆の反応をとられた。
勢いよく立ち上がられると、声が降って来た頭上を見上げ、声を張り上げる。
「そんな……、あれから1年も経っているなんて……。そっ、それで、みんなは⁉ 今、世界はどんな状況なの⁉」
お師匠様の焦りに満ちた問いかけに対し、声は落ち着いて答える。
「慌てるな、リベラ。安心しろ。君に関わる者たちは皆、無事だ」
「ほっ、ほんと⁉」
「皆、かつてない過酷な状況にもかかわらず、良く持ちこたえている。そして……、皆が君の帰りを信じて待ち続けている。シオンに全てを託してな」
「そう……なんだ……、よかった……。本当に……」
お師匠様は力なく椅子に座られると、前かがみになって両手で顔を覆われた。両肩から力が抜け、今にも崩れ落ちそうになっている。
しかしすぐに顔を上げられると、再び頭上の声に問う。
「それで……、あなたは誰?」
「私の名は、リティシア。ここで、魔王の監視と吐き出される魔素の浄化、君たちと外を繋ぐ連絡係をしている」
「リティシアって……、5代目勇者だよね? 魔素の浄化や外との連絡係をしてるって……、もしかしてあなたは生きているの⁉」
確かに、リティシアが生きていたのは、もう何百年も前の事。お師匠様がそう思われ、驚かれるのも無理はない。
あの方の純粋な驚きに、声の主――5代目勇者リティシアの言葉に、苦笑いが混じった。
「その辺の事情は、君の弟子から聞くといい。……この私の状態が生者と呼べるかどうかは……、いささか疑問ではあるが」
お師匠様には、リティシアの言葉の意図がご理解出来なかったようだ。何と返していいのか困った様子を見せたが、それ以上疑問を口にされる事はなかった。
ふと横にいる歴代勇者たちを見ると、皆表情が曇っている。過去、自分たちの身に起きたことを、今のリティシアの状況と重ねているのだろう。
俺自身も全てを知っているからこそ、リティシアの自虐ネタを笑うことが出来なかった。このままならいずれ、俺も同じ道を進むのだから。
そんな気持ちをかき消すように、俺は頭上に言葉を放つ。
「状況は分かった。お師匠様に全てを説明しておきたい。時間はまだありそうか?」
「説明に要する時間は、十分に取れるだろう。こちらも、リベラを解放する為の準備に多少時間が必要だ」
リティシアから時間の猶予があると聞き、俺はホッと胸を撫で下ろした。
安心したからか、ふと赤毛の男の後姿が過ぎり、思わず奴の安否が口を衝いて出る。
「ディディスは……、どうしてる? セリスと共に、最前線に出ているんだろ?」
俺がディディスと別れる際、あいつはセリスと共に最も魔素のモンスターが集まって危険な場所――、最前線に行くと言っていた。
危険だと止めたのにもかかわらず。
ディディスの名を出すと、リティシアは少しだけ考える間をおいた後、ああ、と言葉を続けた。
「赤毛の彼だな。大丈夫だ、生きている。かなりセリスにこき使われ、毎日ヒーヒー言いながらな」
「そうか……」
……あいつらしい。
セリスにどやされ、ヘラヘラと笑いながら謝罪をする奴の姿を想像すると、自然と口元が緩んだ。
そんな俺の気持ちを察したのか、リティシアの力強い声が響き渡る。
「最前線は、セリスが中心となって上手くまとめているから安心しろ。彼女は、あのエステルの妹だと思えないほど優秀だ。さすが、今まで大勢の勇者候補を育てて来ただけはある」
「エステルの妹? リティシアは、エステル伯母さんを知っているの?」
エステルの名に、今まで黙って俺たちの会話を聞いていたお師匠様が、反応を見せられた。
再び立ち上がると、頭上を見上げる。
「エステル伯母さん? ……ああ、そうか」
あの方の質問に、リティシアは一瞬だけ理解出来ないように言葉を切った。しかしすぐさま納得したように、言葉を続ける。
「エステルと私に、直接の面識はないがね。君も説明の中で知る事になるだろう。エステルと君たち二人は、深く関わっているから」
「シオンと私が……、エステル伯母さんと関係してる?」
今まで無関係だった伯母の存在が深く関わっていると言われ、お師匠様は酷く困惑されているようだ。
仕方ない。
俺だって全てを知った時、驚きを隠せなかったのだから。
しかしリティシアは、それ以上質問に答える事はなかった。
「シオン、リベラへの説明は任せた。私はこれから、準備に移る。全ての説明が終わったら、また呼びかけるといい」
「ああ、分かった」
リティシアの声はそれっきりとなった。
俺は、再び白い椅子に座ったお師匠様と視線を合せた。それに気づき、あの方も真っすぐ視線を返して下さる。
見つめ返す金色の瞳からは、これから語られる話を全て受け止める強い意思が感じられた。
全ての準備が整った。
「これから、魔素溜り浄化の当日から今までの間、この世界に何があったのかをお話いたします。恐らく、信じられない事、納得出来ない事がたくさんあると思いますが……。そして、俺たちにお聞かせください。魔王となったあの日、あなたの身に一体何が起こったのかを……」
「うん、分かったわ」
そうお答えになるお師匠様の言葉には、一切の揺らぎがなかった。
改めて思う。
(あなたは……、強い。俺なんかよりも、ずっとずっと……)
あなたの強さが、光となってこの心を照らす。
そして道しるべとなって、俺をその先へと導く。
今までも。
これからも。
歴代勇者たちは、俺たち二人の周りを囲むように立つと、事の成り行きを見守る体勢に入った。
さあ、始めよう。
あなたと俺が語ることのなかった、物語のその先を。
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「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
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