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アカデミー騒動編

第96話 弟子は見送られた

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 魔素溜り浄化の当日。

 窓から差し込む光が眩しくて、目が覚めました。

 春が近づいているからでしょうか。
 冬のどんよりした曇り空が続いていた中、この日は陽の光が部屋の中を照らしていました。

 魔素溜りの浄化には、もってこいの天候です。

 ……が、俺にとっては魔素溜まりの浄化だろうが、通常の魔素対応であろうが、やることは変わりません。

(お師匠様の朝食とお弁当の準備をしておかないと……)

 この日は、俺の方が先に出発します。

 あの方をお見送り出来ない分、漏れなく準備をしておかなければ……。もし準備が漏れ、お師匠様がお困りになるような事があれば、大変です。

 ……俺のメンタル的な意味で。

 ゆっくり立ち上がると、後ろのベッドで眠っていらっしゃるお師匠様に視線を向けました。

 いつもなら、襲いたくなるような無防備さで眠っていらっしゃる愛らしい寝顔があるのはずなのですが……、

(……え? いっ、いない⁉︎)

 掛け布団がベッドの端に乱雑に飛ばされているだけで、中身は空っぽ。

 全身から血の気が引きました。この間、俺たちが寝坊した時の不安、再来です。

(こんな時間に、お師匠様が起きるはずは……! またセリスの部屋で休まれているのか⁉)

 一瞬にしてベッドを整えると、慌てて部屋を飛び出しました。

 廊下に出ると、おいしそうな匂いと、作業音が聞こえてきました。
 その匂いと音の元は、キッチン。

 まさかと思いキッチンを覗くと、

「あれ? シオン、もう起きたの? 出発まで時間があるんだから、まだ寝てていいのよ?」

 俺のピンクエプロンを身に着け、包丁を手にこちらを振り返るお師匠様の姿がありました。その横では、鍋に火がかけられ、良い音を立てて何かが焼かれています。

 それにしても、お師匠様のエプロン姿……。
 くっ! お似合いすぎて見てるが辛すぎる……。

 次は……、次は是非そのエプロンを、あなたの肌に直接身につけて頂きたいんですが……。

 ……え?
 彼シャツといいエプロンといい、ほんっっとお前そういうプレイ好きだよなって?

 勘違いするな、お師匠様だからだ!

 この方がまだ俺の妻でない世界の不思議を噛みしめながら、テーブルの上には視線を向けると、大きな弁当箱が用意されているのが見えました。
 出来上がった料理が、弁当箱の中に丁寧に盛られています。

 ご自身が召し上がられる弁当にしては、量が多いような……。
 まっ、まさか……。

「お師匠様……、この弁当はもしかして……」

「うん、シオンのお弁当。今日は丸一日、魔素溜りの浄化で大変だもん。私が何もしない分、お弁当ぐらいは準備しようかなって……。あっ! ディディスの分もあるから、二人で食べてね?」

 鍋の中を突っつきながら、にこやかな答えが返ってきました。

 嬉しい。
 すっごく嬉しいです。

 例え、ディディスと二人で食べる分だとしても、俺の事を考えて作って下さったものですから、涙が出そうなくらい、胸が詰まるくらい嬉しい。

 嬉しいです。
 めちゃくちゃ嬉しいです……。

 ……例えそれが、物凄く苦い最上級ポーション味であっても。

 え? 
 感動以外の理由でめっちゃ泣きそうになってんじゃん? って?

 そっ、そっ、そんな訳……あるわけ……、うぐっ……。

 お気持ちは物凄く嬉しい。
 しかし味的な意味で辛い。

 そんな相反する気持ちを抱きながらも、俺は頭を下げました。

「ありがとうございます、お師匠様。俺たちの為に、早起きまでして弁当を……」

 感謝の気持ちに、嘘偽りはありません。
 しかし俺の言葉に対し、お師匠様は料理の手を止めると、少し俯き加減になって仰いました。

「私こそ、こんな事ぐらいしか出来なくてごめんね? 私が行けば、もっと楽に魔素溜りの浄化なんて出来るはずなのに……」

 そのお声は、先ほどとは違って少し低く暗いもの。
 まだ勇者候補の義務、とやらを気にされていらっしゃるのでしょうか?

 お師匠様の罪悪感をはらう為、俺は明るくお答えいたしました。

「いいんですよ。あなたはこれまで十分戦ってきました。これから先の事は、俺たちに任せて下さい」

「でも……、やっぱり……」

「ご心配ですか? お師匠様は……、まだ俺の力を信じて下さいませんか?」

「そっ、そんな事ないわ! シオンの実力は本物だって思ってる! それに私が目覚めて5カ月……。両翼の力がなくても、今いる勇者候補たちが十分頑張ってくれてるし……」

 お師匠様は、俺の言葉を否定しながら、首を横に振られました。

 お目覚めになられた際、自分の力はまだ人々にとって必要なのものなのだと仰っていました。しかし、少し考えが変わられてきたようです。

 その変化は、喜ぶべきものでした。

 ……まあ、今回の魔素溜りの浄化には、お師匠様の力を必要とされましたが、それは秘密です。

 バレンタにも、先日見つからなかったと嘘の報告を伝えています。

 あの親父、見つけられなかった俺を咎めることもなく、笑ってただ一言、ありがとうと言っただけでしたが。
 俺にわざわざ秘密裏で依頼して来たのに、結局は見つかれば儲け程度のことだったのでしょうか?

 あの方の気持ちの変化に喜びを感じながら、俺は言葉を続けました。

「それなら、こんなことに罪悪感を感じないでください。これは、俺たちの問題です。あなたはいつものように、アカデミーでの生活を楽しんでください。生き残った後の人生を……、ご自身の為に生きて欲しい」

「うん……、ありがとう、シオン。私、今の生活が本当に楽しいの。あなたの……、お蔭よ」

「ついでに、早くお答えを頂けるとなおも嬉しいのですが……」
 
「せっ、せっかく真面目に話してるのに、すぐにそうやって茶化して……。もっ、もうっ‼」

 そう恥ずかしそうにおっしゃると、俺に背を向けて料理を再開されようとさなれました。しかし、その手は動きを止めたまま。

 何故なら、俺が後ろからお師匠様の身体を抱きしめたからです。
 みるみるうちに赤くなった耳元で、囁きます。

「……茶化してませんよ。俺はいつも本気です」

「ふぁっ……、しっ、しおん……?」

 耳元にかかる吐息がくすぐったかったのか、あの方の身体がピクリと震えました。一緒に吐き出された甘い声が、気持ちの昂りを呼び起こします。

 抱きしめているだけでは、もう我慢出来ません。

 ……そんな可愛い声で無自覚に煽る、あなたが悪いんです。
 俺は全く、悪くない。

 熱を持つ滑らかな頬に口づけながら、後ろからあの方の柔らかな胸の膨らみを探し当てると、優しく撫でました。

「んっ……、あぅっ……」

 敏感な部分に触れたのか、あの方の身体か大きく跳ねました。時折、小さく身体を震わせながら、耐えるような短い愛声が漏れ出ています。

 一番艶のある反応が起こる部分を服の上から擦りながら、あの方の顔を横からのぞき込むと、頬を真っ赤にしながら、耐えるように口元を手を塞ぐお姿がありました。

 頑張って理性を保とうとされているようですが、瞳は潤み、息も上がっていらっしゃいます。
 
 こんな姿を見せられたら……、もう止められるわけないじゃないですか。  

「……部屋に行きましょう、お師匠様」

「へっ、部屋? もうシオンも、出かける……、んっ、時間……」

「大丈夫です。朝の準備はあなたがしてくださったので、まだ余裕があります」

「でっ、でも……。また、かっ、帰って来てから……」

 問題を先送りされようとなさったので、逃がさないように強く抱きしめ、さらに身体を密着させました。

 熱を籠らせ、あの方の香りが立ち上る首筋に顔を埋め、気持ちをお伝えします。

「今、あなたを愛したいんです」

 お師匠様のお顔が、一瞬にして真っ赤になられました。恥ずかしがっている気持ちが、思いっきり顔に出ています。

 ちょっとした言葉で、照れたり恥ずかしがったり……。そんな心を隠す事の出来ない素直なお姿が、本当に愛おしい。

 俺の言葉が、両翼の聖女と呼ばれる偉大な方の心をかき乱していると思うと、男としての激しい優越感が心を満たします。

 この時のお師匠様は、俺の誘いに悩んでいるように思えました。
 いつもなら、拒絶するか抵抗するか、もしくはその両方の反応を見せるはずなのですが……。

 でもそんな疑問は、頬を紅潮させ息遣い荒くこちらを見つめるお姿を見た瞬間、吹っ飛んでしまいました。
 いつもの元気なご様子から一変、艶めかしい色香を放っていらっしゃいます。
 
 その空気に当てられ、操られるかのようにお師匠様の身体を抱き上げようとした時、

「わわわわわっ‼︎ お鍋から火がっ‼︎」

 隣でかけていた鍋から、火が上がりました。
 お師匠様は俺の腕から逃れると、慌てて火の上がった鍋に蓋をされました。

 その瞳には正気の光が宿り、艶めかしい雰囲気もいつものご様子へと戻られています。
 煙が立つ鍋の後処理をなさいながら、呆然と成り行きを見守っていた俺に言葉をかけられました。
 
「しっ、シオン! そろそろ、出かける準備をしないと。おっ、遅れるちゃうわ!」

 こちらを見ずに必死で鍋と格闘なさっているようですが……、耳の先まで真っ赤になっているのを見過ごす俺ではありません。
 きっと先ほどの事を思い出し、恥ずかしさで一杯になっていらっしゃるのでしょう。

 ……くっ。
 俺たちをイチャイチャさせない、見えない何かの意図を感じざるを得ない……。セリスの呪いか?

 お師匠様に促され、俺はしぶしぶ出かける準備を始めました。

 身支度を整えてキッチンに戻ると、テーブルの上には可愛らしく包まれた大きなお弁当が置かれていました。

 これが全部、最上級ポーションだとは……。
 瓶にしたら、何十本分の効果があるんでしょうか。

 想像もつきません。

(弁当として食べるのは大変だが……、怪我をしたときや魔力不足の際、回復薬として頂く事にしよう)

 最上級ポーションは高価ですし、流通している量も多くありませんから味はともかく、非常に有り難い存在には間違いありません。
 きっとこの弁当は、魔素溜り浄化の際、とても役に立ってくれるでしょう。

 そんな事を考えながら、弁当を荷物の中に紛れ込ませました。

 玄関に向かうと、お師匠様の姿がありました。
 いつもならお見送りは俺の役目なのですが、この日は全てが逆になりましたね。

「シオン、絶対に無茶はしちゃ駄目よ? 敵は前だけにいるんじゃないんだからね? ちゃんと周囲に気を配るのよ?」

「はい、もちろんです」

 荷物を整えている俺の後ろで、お師匠様が心配そうにされています。

 勇者候補たちの頂点にいらっしゃるあの方の目に俺は、未だに10年前の無力な少年のように思われているのでしょう。

 もう10年も経っているのに、いつまでも変わらない俺の扱いに対し、心の中で苦笑しながら答えました。

 しかしお師匠様は、まだ何か言いたそうにしていらっしゃいます。
 まだ何か心配事でもあるのでしょうか? 

「……シオン? あっ、あのね……」

「どうかされましたか?」

「……えっと……、うっ、ううん、何もないわ。ほら、もう行かないと。またディディスが心配してこの家に来ちゃう」

 迷惑をかけたくないという、優しいお気持ちから出た言葉でしょうが、ディディスの奴にそんな優しいお気遣いなど、ご無用ですよ。もったいない。

 荷物を整え終えた俺は、お師匠様に向き直りました。
 あの方が抱える不安を払拭するように、明るい声で伝えます。

「では行ってまいります、お師匠様」

「行ってらっしゃい、シオン」

 俺の声に答えて下さったのか、お師匠様は満面の笑みを浮かべながら、手を振って下さいました。

(あー……、家から出たくない……。お師匠様の笑顔をずっと見ていたい……)
 
 あの方の笑顔に胸をときめかせながら、ドアのノブを回し外に出ました。

 空は予想通りの快晴。
 太陽の光の眩しさに、思わず手で光を遮りながら瞳を細めます。

 その眩しい輝きは、あの方の法具を彷彿させました。

 さっき別れたばかりなのに、もう会いたくて堪りません。先ほどの笑顔が、脳内を過ぎります。

(さっさと終わらせて、早くお師匠様の元に戻ろう)

 無事帰ってきた俺を見て、あの方はどのような反応されるでしょうか?

 喜んで頂けるでしょうか?
 ホッとして頂けるでしょうか?

 ……俺の実力を認め、ひとりの男として見て頂けるで……しょうか?

 そんな事を思いながら仰いだ視線の先には、春の訪れを感じさせる空の青が広がっていました。

 …………
 …………
 …………
 …………

 この時の話をする度に、心が後悔と悲しみで締め付けられて苦しくなります。

 なぜなら、これがあなたと顔を合わせて交わした、



 ――最■の会話となったのですから。
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