目覚めたら弟子が勇者になってて師匠の私にぐいぐい迫ってくるんですが

めぐめぐ

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アカデミー騒動編

第73話 弟子は言いなりになった

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 気持ち悪い……。
 気持ち悪い……。
 気持ち悪い……。
 気持ち悪い……。

 広いベッドの中、背中に密着する何かを感じ、俺は込み上げる吐き気を抑えました。白い腕が腕の下から回され、相手の肢体がさらに絡みついてきます。

 強い香水の香り、薄い衣擦れの音、自身の身体に伝わる生暖かい感触。

 全てがただただ気持ち悪く、嫌悪感を催すものでしかありません。しかし、それを振り払って逃げるという選択肢は、この時の俺にはありませんでした。

 耳元で、あの女が囁きます。

「ふふっ……、何故こちらを向いて下さらないのですか? こうして毎日のように添寝をして下さってるのに、一度もあなた様から触れて頂けないのは、とても寂しいのです」

 全く寂しさを感じさせない、むしろ楽しんでいるかのような口調に、怒りよりも何も出来ない悔しさが込み上げます。無意識のうちに奥歯を噛みしめ過ぎたのか、こめかみ辺りに痛みが走りました。

 あの女は、こちらの気持ちを分かっているのです。分かっていてあのような言葉を吐き、楽しんでいるのです。
 
 甘く見て、まんまと足元をすくわれた、俺の反応を。



 俺の荷物に、通信珠が仕掛けられていたことに気づいたのは、イリアと会ってから3日後でした。

 イリアは、お互いを繋げた通信珠を用意し、その一つの効果を発動させた状態で俺の荷物に忍び込ませていました。
 そしてもう一つを自身が持つ事で、俺の声を盗み聞きしていたのです。

 俺が見つけた時はすでに、通信珠の効果は消えていました。情報を得たから切ったのか、効果が切れたのかは定かではありません。

 ただ通信珠を忍び込ませたのが、いつもアカデミーに置いて帰る荷物の中だったというのが、不幸中の幸いでした。

 通信珠を見つけた次の日。

「シオン様、お待ちしておりましたわ。少しお時間を頂けないでしょうか?」

 俺は、門の前でイリアに呼び止められました。どうやら待ち伏せをしていたようです。断りの一言を発すると、横切ってアカデミー内に入ろうとしました。

 しかし、

「話とは、シオン様の師匠であるリベラ様の事ですわ」

 俺の足が止まりました。
 あの女は俺の反応に目を細め、楽しそう口角を上げています。

 イリアはこちらに近づくと、耳元に唇を寄せてきました。湿度の籠った生ぬるい息が掛かり、不快感で顔が歪んでしまいます。

 距離をとろうとした時、あの女は周囲に聞こえないように囁いたのです。

「……リベラ様、生きておられるのですね。驚きましたわ」

(……何故、その事を!)

 口の中が乾き、無理やり絞り出した唾液を飲み込ました。しかし、微塵も口内に潤いが戻りません。

 同時に思い浮かんだのは、バレンタの顏。

(あのクソ親父……。内密にと言いながら、イリアにお師匠様の事を話したのか⁉)

 バレンタは、お師匠様が生きていることを何故か知っている。
 そして数日前、イリアに俺があの方の弟子であり、師弟以上の感情を抱いている話を吹き込んでいます。

 その際、お師匠様が生きていることも話したのかもしれない。

 しかし、

(それならば……、バレンタが何故お師匠様が生きている確信を得ているのか、イリアは知っている可能性がある)

 逆にチャンスではないかと。

 この時の俺は、そう思ったのです。

 平常心を保ちながら、できるだけ感情を出さないようにとぼけました。

「……あの方が生きている? それはどこからの情報だ?」

「それは……、この場では申せませんわ。場所を変えてお話しいたしませんか?」

 バレンタがどこでお師匠様生存の情報を得たのか、分かるかもしれない。

 しかし同時に、嫌な予感も感じていました。

 俺が連れて来られたのは、アカデミー敷地内の端にある特別寮でした。

 元々は権力者が宿泊する際に使われる建物なのですが、金さえ払えば一般寮と同じく屋敷丸ごと借りることが出来るのです。

 広い自室に入ると、イリアは部屋の中にいた使用人たちを排しました。そして風魔法をかけ、部屋の中の音を閉じたのです。

 話の準備が整ったと感じた俺は、勧められた椅子に座ることなく、口を開きました。

「で、お師匠様が生きているという情報は、どこから得たものだ?」

「それは……、あなたとディディス様が、一番ご存知では?」

 笑いを含んだ甘ったるい声。

 一体何のことだと俺が眉間に皺を寄せた時、あの女は握っていた拳を開きました。

 先日、俺の荷物に紛れていた通信珠と同じ物。

(……やられた!)

 あの女の手のひらの上で転がるそれを見て、憎々しげに睨みつけました。

「申し訳ございません、シオン様……。あなた様の事をもっと知りたくて、先日教室にお送り頂いた際に、紛れ込ませたのです。しかし……、驚きましたわ。まさかリベラ様が生きておられ……」

 不自然に赤く染まった唇が、不気味に笑いました。

「……リーベル・ファルスとして、このアカデミーに通っていらっしゃるなんて」

 守ってきたものが崩れ落ちる音。
 あまりの衝撃に、一瞬目の前の景色が揺れました。

 通信珠を紛れ込ませた後、俺とディディスはお師匠様の話をしていました。

 だから、全てを聞かれていたのです。この女に……。

 お師匠様が生きている、という情報は、この女が独自で手に入れたものだったのです。

 イリアは俺から背を向けると、手に持っていた通信珠をテーブルの上に置きました。

「あなた様とディディス様は、リベラ様の存在を必死でアカデミーから隠していらっしゃるようですが……、私がバレンタ理事長にお伝えしたら、すぐにばれるでしょうね」

 楽しそうに語るイリアの無防備な背中を見ながら、思いました。

(……殺そう)
 
 殺さなくとも、この女の時間を止めて、どこか誰も訪れない場所に埋めてもいい。とにかく早急に、イリアの口を塞がなければならない。

 アカデミーは22年前、お師匠様を過酷な実験の被験者としました。
 そんな奴らに知られたら……、きっと同じ事が繰り返される。

 それどころか最悪、両翼の血を残す道具とされかねない。

 それだけは絶対に……、絶対に避けたかった。

 しかしそんな考えも、あの女に見透かされていました。

「もしかして……、秘密を暴露される前に、私を殺そうとでもお思いに? ふふっ……」

 俺がその気になれば、簡単に殺されると分かっていながらも、あの女は笑っていました。

 何故それほど余裕なのか。
 理由はすぐに明かされました。

「リベラ様の事は、信頼できる相手に手紙を託しています。私がいなくなれば……、その手紙はアカデミーのバレンタ理事長を含め、あらゆる場所に送られるでしょう」

 それでも私を殺せるのか?

 振り返ったあの女の瞳は、そう物語っていました。

 俺の心は完全に敗北に沈みました。

(今すぐ、お師匠様を連れて逃げるしかない……。しかし……)

 心の引っ掛かりが、俺の決断を鈍らせました。

 その隙にイリアが近づき、無意識に俯いていた俺の顔を覗き込むと、提案してきたのです。

 迷うことなく、すぐに屋敷を後にしておけばよかったのに、あの女の言葉を聞いてしまったばかりに……。

「しかし、それはシオン様にご迷惑をかける事になりますわ。……ご友人であるディディス様にも……ね。それにリベラ様は、それはそれはとても楽しそうにアカデミーで生活をされています。それを奪うなど……、シオン様の本意ではございませんでしょう?」

「……何が望みだ」

 この女を殺したい衝動に駆られながらも、何とか言葉を紡ぎました。俺から一歩下がったあの女の顔には、勝利を確信した笑みが浮かんでいます。

 今思い出しても、本当に忌々しい……。

「私との結婚を少しでも考えて下されば……、これほど嬉しい事はありません」

「……わざわざ元奴隷の俺を選ばなくとも、王族なら山ほど相手がいるだろ」

「ふふっ……、ですが勇者様はこの世界でお1人。その者と結ばれることが、どれほど価値がある事か、シオン様はそろそろお気づきになられる必要があると思いますわ」

 ……なるほど。
 この女も、勇者の血が望みか。

 俺の考えが読めたのか、あの女はにやりと口元を歪ませました。

「私がシオン様と結ばれ、勇者候補の子どもを産めば……。もう誰も……、私を無視する事は出来ない。あの女を今度こそ……」

「……あの女?」

 イリアははっと口を閉ざすと、それ以上の言葉を発しませんでした。そして再びこちらに近づくと、息がかかるほどの距離まで顔を近づけてきたのです。

 あの方にはない、強い香水の臭い。

「あなた様を束縛するつもりはありません。ですが……、一日の少しの間、共にいて頂きたいのです。そのかわり、リベラ様の件は他言いたしません。あなた様がそれを了承するだけで、リベラ様はアカデミーでの生活を続けられ、ディディス様もリベラ様を隠していた責任を問われない。……とても良い条件だと思うのですが」

 俺に拒否権はありませんでした。

 あの方が毎日楽しそうにアカデミーに通い、戦い以外の生き方を見つけたのに、それを奪うことは出来ません。

 それに、ディディスの事もあります。

 バレンタが、秘密裏にとは言えお師匠様を探しているのです。
 重要人物の情報を隠していた、それによって処罰を受ける可能性もあります。

 下手すれば、お師匠様の仮の身元保証人のヘイドリック家にも迷惑がかかる。

 イリアの言葉を拒否するには、周囲にかかる被害が大きすぎました。

 その原因が、俺の慢心となればなおさら……。

「さあ、シオン様。どういたしますか?」

「……分かった」

 その一言を吐くのが精いっぱいでした。
 あの女は笑いました。

「……いい子」

 香水の臭いがきつくなったかと思うと、唇に生暖かい何かが這うのを感じました。

 それはすぐに離れると、

「では明日の晩、こちらへお越しください。ふふっ、楽しみにしておりますわ」

 一言を残し、イリアは俺の横を通り過ぎていきました。
 
 ドアが閉まり、部屋に俺一人が残された瞬間、力が抜け膝から崩れ落ちてしまいました。先ほどの唇の感覚が、まだ生々しく残っています。

 服の裾で、唇が切れるまで何度もふき取りました。何度も何度も何度もなんど……。

 この日から俺はイリアの言いなりとなり、毎晩共に過ごす事となりました。

 魔素対応が終わると部屋を訪れ、あの女と共に食事をとる。
 そして、あの女が眠るまで添寝をする。

 誘惑するように身体を絡みつけられ、嘲笑われながら……。

 地獄のような日々でした。

 でも俺が我慢する事で、お師匠様の生活を守る事が出来るなら、それでよかったのです。

 何故ならアガレス島の祭りの時、あの方の寝顔を見ながら誓ったのですから。

 俺の犠牲でお師匠様が救われるなら、喜んで犠牲になると。

 夜中、セリスの家に戻りテーブルを見ると、今日も俺の食事だけが乾燥しないように布をかけられて置かれていました。

 布の上には、メモ書きが乗っています。

『シオン、今日も魔素対応遅くまでお疲れ様。困った事があったら、何でも相談してね。追伸:朝ごはん・お弁当の準備はいりません。だから十分休んで』

 お師匠様の字です。
 文字は脳内で、優しい声となって再生されます。

 その優しさが、とても辛い。

 何故なら俺はあの方を裏切り、別の女と共にいるのですから。本当ならあの方を愛でる為のこの手は、あの女に触れられている。

 そんな手でお師匠様を、穢したくありません。

 しかし文章を見る限り、あの方は俺の異変に気付いているのでしょう。

(お師匠様の顔が……見たい……。あの優しいお声を……聞きたい……)

 メモ書きを手にしながら、そのままテーブルに突っ伏しました。

 イリアに脅されてから、3週間は経っていたでしょうか。

 戻りはいつも夜中、そして罪悪感から、朝もあの方が目覚める前に家を出ている。お師匠様と話すどころか、起きている姿も長く見ていません。

 あの方のお世話も出来ず……、あんな気遣いをさせてしまうなど……、弟子として失格です。

 この時の俺は、誰にも相談する事も出来ず、ただただあの方の為に耐え続けることしか出来ませんでした。
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