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アカデミー入学編

第57話 弟子は調べた

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 ペラペラと紙をめくる音が響き渡っています。そして、

「うぉぉぉ――っ! いねえっ‼」

 疲れと怒りを込めたディディスの叫びと同時に、本をベッドに叩きつける音が響き渡りました。と言っても、ポフッという気の抜けた音でしたが。

「うるさいぞ、ディディス」

「だってさー。この当時、アカデミーで学ぶ勇者候補なんて、山ほどいたんだから、こんな膨大な量を名簿から探すなんて無理! そもそもセリス様が、アカデミーで学んだかどうかも分からないだろ」

「アカデミーで教師をしてたのなら、アカデミー卒業生に決まってる。プライドが高く傲慢なアカデミーが、野良候補に教鞭を取らせるわけないだろ」

「まあそうだろうけどさ……。もう瞼を閉じても、人の名前が並んでるよ……。こりゃ、名前の悪夢を見そうだ……」

 勝手に見とけ。

 奴のぼやきを聞き流すと、ベッドを背もたれにして座ったまま、手元のアカデミー在籍名簿に視線を戻しました。

 俺たちは、アカデミーの図書館から、過去の在籍名簿を借りてきました。もちろん、セリスの過去を洗うためです。

 結局、あの婆が何故アカデミーを突然辞めたのか、知っている者はいませんでした。同時期に教師をしていた者と数名会ったのですが、

『何も告げず、突然アカデミーに来なくなった。後程アカデミーから、セリスが辞めた事を伝えられた』

と、口をそろえて語ったのです。

 もしかすると、本人も意図してなかった突発的な理由で、辞めざるを得なかったのかもしれません。 

 足取りは途切れてしまいましたが、ここで終わらせるわけには行きません。
 アカデミーの在籍名簿なら、出身地が載っていたはず。それを見つける為、ディディスの部屋で名簿を調べていたのです。

 ただ、もう50年以上前の話ですから、名簿が残ってただけでも奇跡としか言いようがありません。

 え? ところで野良候補が何かって?
 ああ、アカデミーで学ばず個人的に師事し、アカデミーに登録をされている勇者候補のことです。
 お師匠様も、こっち寄りの方になります。

 俺が卒業した頃から、アカデミーは野良候補の登録を禁止しています。勇者候補として登録されたければ、アカデミー入学を義務付けたのです。

 アカデミーの名前で仕事をしているのだから、碌な魔法教育も受けてない野良候補に、アカデミーの信頼を落とされたくはないのでしょう。でなければ、依頼料も寄付も入って来ないですからね。

 名簿に視線を向けながら、ディディスが話しかけてきました。

「そうそう、この間リーベルに頼まれたんだけどさ。あの人の友達のノリス君を、一度魔素対応に同行させて欲しいって言われて、オッケーしといたから」

「……は?」

 ページをめくる手が、止まりました。
 ノリスと言えば、勇者候補でありながら、一般生として学んでいる男だったはず。

 勇者候補としての教育も受けてない素人を同行させるなど、考えられません。

「お前、何を考えてる。素人を同行させるなど、足手まといも良いところだ」

「もー、そんな事言うなよー。ノリス君、一般生を辞めて、勇者候補として学びたいって言っててさ。決心つけるために、現場見たいらしいよ。ほら、後輩育成も大切な仕事だと思うなー」

「後輩育成したければ、お前一人でやれ」

 こっちはただでさえ、お師匠様からお答えを頂くために、山ほど依頼を引き受けていると言うのに、これ以上面倒ごとを抱え込むのは御免です。

 しかし……、今回は珍しく、奴は引き下がりません。

「そんなこと言うなよー。ノリス君の安全は、俺が確保するから! 絶対に怪我させたりしないから! 頼むっ、この通り‼︎」

「……お前、何が隠してるだろ」

 静かに問う声に、奴はギクリと肩を震わせました。分かりやすい反応に、ため息が出ます。

 俺は手元の名簿を横に置くと、奴の目の前に立って睨みつけました。

「さあ、白状しろ。何があった」

「いやぁー、後輩育成の為に頑張ってるだけデスヨー」

「今すぐ吐かないと、この間の失敗をアカデミーに報告する」

「しおんく――んっ! それだけは……、それだけはぁぁぁぁ――っ!」

 ディディスが俺の腕にすがりついてきましたが、すぐに振り払ってやりました。
 お師匠様ならともかく、野郎に抱きつかれるなど気持ち悪いにもほどがあります。

 腕を振り払われ、ディディスはバランスを崩すとベッドから落ちました。倒れた奴の上に分厚い名簿が落下し、追加ダメージを与えます。ざまぁみろ。

 しかし奴は涙目で腰をさすると、そのまま正座をして俺を真っすぐ見つめてきました。
 いつもと違う様子に、まさか本当に後輩育成に目覚めたのか? と思ったのですが、ディディスはやっぱりディディスでした。

「……シオン、知っているか? ノリス君の妹……めちゃくちゃ可愛いんだぜ?」

 知らんし、どうでもいい。

 どうやらノリスの妹目当てで、この依頼を引き受けたらしいです。たまたまノリスと話をしていた時、忘れ物を届けにやって来た妹と出会ったのだとか。

 全く……、あいつらしい。

 女のこととなると、妙な粘り強さを見せるのがディディスというやつです。

「とにかく、ノリス君の身は俺が守る! だから、俺の明るい未来のために、協力してくれっ、頼むっ! これもアデルア家の発展の為だっ‼」

「家の発展関係なく、女の趣味がヒットしただけだろっ‼」

「うっせぇぇっ‼ それのどこが悪いっ‼」

 ……開き直りやがった。

 ディディスは俺から背を向け、ベッドの上で戻って胡坐をかきました。さらに両手を組み、許可しなければ名簿に二度と触れない、という決意を言葉なく語っています。

 駄々をこねる子どもか……。全くめんどくさい……。

 奴に聞こえるように、わざと大きな音で息を吐き出しました。その音を聞き、ディディスはパッと笑顔を咲かると、俺の方を振り返りました。

「お前だったら、協力してくれると思ってたよ! きっと良い事あるぞ! ってことで、ノリス君がいても大丈夫そうな依頼、俺が適当に見繕っておくから、頼んだぞ、シオン」

 手のひらを返したような変わりように、呆れるしかありません。返答の代わりに、再び肺の中の空気を思いっきり吐き出しました。

 話がまとまったところで、ディディスは床に落ちた名簿を拾い上げると、開かれたページに視線を向けました。が、次第にその口元がニヤリと笑いを作ります。

「ほら、さっそくいい事があったみたいだな」

 そう言って、名簿を俺の前に突き出してきたのです。そこには、

“セリス・スターシャ(15) レグロット”

 あの婆の名が、小さな字で記載されていました。
 名前の横はアカデミー卒業時点の年齢、その横は出身地のようです。

 勇者候補がアカデミーに在籍する期間は3年ですから、12歳という比較的幼い時期に入学しているみたいですね。

 ふと視線を横にずらすと、同じ文字がセリスの隣に並んでいるのが見えました。
 スターシャの姓、レグロットという出身地は同じですが、名と年齢が違います。

 これはもしかすると、

「あの婆、姉がいたのか……。隣に同じ姓がいる」

「まじで? どれどれ……、エステル・スターシャか。卒業時の年齢は18歳。ってことは……、現在だと70歳を超える御婦人だな。レグロットっていうと……、ちょっと待ってろ」

 ディディスは自分の手元に戻した名簿を横に置くと、本棚を漁って地図を取り出してきました。ページの寄れ具合を見ると、良く使われているのが分かります。

「ここだな。この国の南東に位置する小さな村みたいだな」

 レグロットの周りには他に村や町はなく、辺境の地という言葉がぴったりです。こんなド田舎から、セリスとその姉はアカデミーへやってきたのでしょう。

「この姉から、セリスの事を聞きだせるかもしれないな」

「ご高齢だから、もうお亡くなりになってる可能性大だけどな……。でもまあ一度、ダメもとで行ってもいいんじゃないか? 出身地なら、他にもセリス様を知っている人間がいるかもしれないし」

 ページが閉じられ、紙同士がぶつかる軽い音が響き渡りました。

 ディディスはベッドから出ると、本棚の方に向かいました。地図をしまって戻ってくると、何かを思い出したのか、おもむろに手を鳴らしました。

「そうそう。この間、思い切ってリーベルに尋ねてみたんだけどさ。ちょっとした収穫あったぞ」

「収穫?」

「ああ、あの方の心に掛けられた精神魔法絡みの話だ」

 俺は口を閉じると、ディディスに強い視線を向けました。それを受け、ディディスはその時の事を思い出しながら、少し顔を伏せました。
 
「リーベルにさ、落ち込んだ時に元気になる秘訣を聞いてみたんだよな。そしたら、とある言葉を使って、自己暗示をかけてるみたいなんだ」

「自己暗示?」

 俺の疑問に、ディディスは無言で頷きます。

 奴がお師匠様から聞いた話は、こうでした。

 幼いころから、気持ちが不安定になると魔法の効果に影響すると言われ、普段から負の感情に振り回されるなとセリスから言われていたそうです。

 もし一時的に、強い不安や苛立ち、怒りなどに襲われたら、

「私は世界を愛している、そう呟く事で心の安定が取り戻せるよう、セリス様から指導を受けたらしい。まあ本人は、それが自己暗示だって思ってないみたいだけどな」

 お師匠様が、ご自身を利用した奴らを憎まない理由として、世界を愛しているからと答えた事を思い出しました。

 何が世界を愛しているだ……。
 その世界が、お師匠様に対して何をしてくれたというのだ。

 セリスが自己暗示に選んだ言葉に、反吐が出そうです。無意識のうちに、手を握りしめていたようで、爪が手のひらに食い込み、痛みが走りました。

「精神魔法と、小さいころから徹底的に刷り込まれた自己暗示の結果が、あの不自然な立ち直りの早さなんだろうな」

 何故そこまで……、とディディスは小さく呟き、口を閉ざしました。

 確かに、心の不安定さは魔法の効果に関わって来ますが、普段の生活の中でまで自己暗示を使い、徹底的に心を管理する必要はあるのか、疑問でした。
 魔法の効果を気にするなら、魔法が必要な場面だけ自己暗示を使えばいいだけですし。

 しかしこれで、セリスがお師匠様の心に介入している証拠が一つ、手に入りました。

 それと同時に思い出すのが先日、罪悪感を感じられないご自身を責められるような発言をされた事。
 あの時、本当の事を言えたらどんなに良かったでしょうか。

 それはセリスに掛けられた精神魔法のせいだと。
 あなたが気に病む必要など、欠片もないのだと。
 
 とにかく、どのような理由で掛けられた魔法なのか調べ上げ、お師匠様の不安を取り除いて差し上げたい。

「お師匠様が、自己暗示をかけられ、心をコントロールされている事は分かった。とにかく、今度レグロット村でエステルに会って、セリスの話を聞いて来る」

「そうだな。どこかで休みの日でも取って行くか?」

 ……休みを取る……だと?
 呑気なディディスの発言に、こめかみがピクリと動きました。

「依頼量を減らせるわけないだろ。そんな事をしたら、あの方からお返事を頂ける日が遠のくだろうが。今までの半分の時間で依頼をこなす。そうすれば数日で1日分の時間は空くはずだ」

「えっ? ええええ――――っ⁉ 無茶だろっ、無茶すぎんだろっ‼ 今でさえ、一杯一杯なんだぞ?」

 俺を殺す気かっ! とディディスが吠えていますが、実際死んでないのですから問題ありません。
 俺は奴の肩に手を置くと、大切な事を教えてやりました。

「ディディス……」

「なっ、何だよ、改まって……」

「出来る出来ない、じゃない。やるかやらないか、だ」

「うっせぇっ‼ 下心が原動力のお前に、言われたくねえよっ‼」

 ぶーぶー文句を垂れるディディスを見ていると、あいつにこそやる気を出す自己暗示が必要なんじゃないかと思います。

 まあ俺の場合は、お師匠様の為なら、という言葉一つで、やる気が満ち溢れてくるのですが。

 ああ、これは自己暗示じゃなく、愛の力ですね。
 失礼しました。

 ……おい。
 今、変態の力の間違いじゃないかとぬかした奴、出てこい。
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