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アカデミー入学編
第55話 弟子は疑問に思った
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……何だ、この光景は。
俺は目の前に広がっている光景から、目を逸らせずにいました。それに釘付けになっているのを察したディディスが、肩を揺すってきます。
「……おい、シオン。ガン見してると、周りに怪しまれるぞ」
「……分かってる……。分かってるが……、行動が必ずしも理性に従うとは限らないだろ……」
「あの人がらみで、お前が理性に従った事なんてないだろ」
黙れ。
しかし、文句は口から出てきませんでした。そして相変わらず、視線はその一点を見つめていました。
薄青色のワンピースと白いエプロンスカートを着た、可憐なお師匠様の姿を。
俺とディディスは、魔道具の青空市場に来ていました。この日、お師匠様がエレクトラの店の手伝い、さらにご自分の作品を売りに出されると聞いていたからです。
依頼の途中ではありましたが、ディディスの奴がどうしてもと言うので、立ち寄ったのです。
いや、俺は依頼途中だからやめとけと言ったんですよ。ですが、あいつがどうしてもっ! と言うので。
え? 逆だろって? ……なんでバレた。
俺たちが着いた時には、会場にはたくさんの人々が行き来していました。
本来は、このような人の多い場所には行きたくないのですが、今は時期的に冬。フード付きのマントで顔を隠しても不審に思われないので、人の多い場所でも行動しやすいのがありがたいです。
出店も多いようで、魔道具業界も中々盛り上がっているのが見受けられます。テントが張られた店の前にはテーブルが置かれ、様々な道具が並べられているのが見えました。
その中でひときわ目立つのが……、可愛らしいエプロンスカートを着用されたお師匠様の姿でした。
何と言うかね……、はじけそうなんですよ、胸がね……。
全体的なサイズはピッタリなんです。それなのに、胸の部分のボタンがキッツーな感じで引っ張られてましてね……。
胸元をわざと出すよりも、こっちの方が劣情を抱かされるのは俺だけでしょうか?
ほんと、今すぐ家に持ち帰りたい……。
後ろから抱きしめて、そのまま耳や首筋を攻めながら胸元のボタンをひとつひとつゆっくりと外して……おっと。
あの方は、横で顔なじみと思われる人物たちと話し込んでいるエレクトラの代わりに、客の対応していました。
商品の説明をしたり、代金を受け取って商品を渡したりと、とても忙しそうにされていますが、その表情はとても生き生きなさってます。
ご自身の命を軽視し、魔王と戦って死ぬと仰ってたあの方が、今こうして生きる事を楽しんでいらっしゃるのですから、弟子として愛する者として、これほど嬉しい事はありません。
そうしているうちに、エレクトラの店の前に見知った姿が現れました。
アーシャとノリスです。応援にきたのでしょう。
お師匠様の表情が、パッと明るくなるのが、ここからの距離でも分かりました。何を話しているかは分かりませんが、笑顔を浮かべながら談笑をされています。
その様子を隣で見ていたディディスが、俺の肩を叩きました。
「んじゃ、俺は向こうに行って来るからな。お前は大人しく、そこで待ってろよ」
「おっ、おいっ! 何でお前だけっ‼」
「リーベルとお前の繋がりに気づかれたら困るだろ? だからここは俺に任せとけって。あの人が作った物を買ってこればいいんだろ?」
「別に、お前に誘われて一緒に来た、という体で行けば怪しまれないだろっ!」
「ただでさえリーベルを見る男たちに、殺気立った視線を送ってるお前が、あんな格好をしたあの人を前にして大人しく出来るわけないだろ。だからここで待ってろ」
……殺気立ったって……、当たり前だろうがっ‼
胸元に視線を向けるなどという背徳行為を俺以外の男がするなど、許せるわけありません。
俺の意識がディディスから外れた瞬間、奴は脱兎の如く姿を消しました。慌てて捕まえようと手を伸ばしましたが、あっけなく空を切っただけでした。
大きくため息をつくと、伸ばした右腕をだらりと降ろしました。そこから見える種の痣を憎々しげに睨みつけます。
勇者でなければ、こんなコソコソする必要もないのに、全く忌々しい。
奴の後を追うわけにもいかず、俺はエレクトラの店がよく見える場所に移動すると、ディディスたちの様子を伺いました。
ディディスの姿を見つけて、お師匠様の表情が再び明るいものへと変わりました。
本当であれば、あの表情を向けられるのは俺だったはず。
無意識に、両手の拳に力が入るのを感じます。あいつが帰ってきたら、取り合えず問答無用でこの怒りを腹パンに込めようと思います。
ディディスはアーシャとノリスとも少し話をすると、お師匠様の商品をいくつか指さし、金を出しました。あの方は満面の笑みを浮かべると、金を受け取り、商品を包んでディディスに渡しています。
……本当であれば、あの表情を向(以下略)
知り合いたちに手を振り見送ったエレクトラが、お師匠様に話しかけるのが見えました。
2人で話していたのですが、お師匠様はエレクトラにぺこりと頭を下げると、テーブルの前にいるアーシャたちの傍に駆け寄り、出かけていかれたのです。恐らく、自由時間を貰ったのでしょう。その後ろを、しれっとディディスがついて行きます。
(おいっ! 何でお前も自然な流れで付いて行ってるんだっ‼)
怒りに任せ、ディディスの通信珠に連絡を入れようとした時、エレクトラの前にこの場に来るとは思わなかった人物の後姿を見つけました。
(……セリス! 何故こんな場所に⁉)
あの婆も人混みが大嫌いなので、このような場に来るとは予想外でした。しかし、腐っても育ての親。娘の事が気がかりで、こっそりやって来たのでしょう。
このタイミングで姿を現したという事は、お師匠様が席を外すのを待ってたのでしょうね。全く、素直じゃない婆です。
エレクトラはセリスの姿を見ると満面の笑みを浮かべ、あの婆の手を取りました。両手で握り、何度も頭を下げています。
セリスがそれを振り払わないところを見ると、二人の関係が親しい間柄ということが読み取れました。
そんな関係をあの婆が築けていたとは、驚きです。
セリスは、お師匠様が作られた魔道具ランタンを購入していきました。
商品を受け取り立ち去ろうとしたセリスでしたが、エレクトラが呼び止めました。真剣な表情でセリスに何か言ってますが、セリスは一言返すとその場を後にしました。残されたエレクトラが、どこか諦めた表情で息を吐くのが見えます。
短い時間のやり取りでしたが、二人の関係が気になり、俺はエレクトラの前に向かいました。お師匠様もいらっしゃいませんから、暴走する事もありませんし。
少し暗い表情を浮かべていたエレクトラの表情は、俺の姿を見るとすぐに笑顔になりました。客と間違えたのでしょうが、ちらっとフードをあげると、あの女の表情に驚きが浮かびました。
「しっ、シオンくん⁉ どうしてここにいるのですか⁉」
「……さっきの婆とは、知り合いなのか?」
「婆って……、セリス・スターシャ先生の事ですか?」
……セリス・スターシャ……先生?
聞き慣れない単語に、俺の眉根を寄せました。俺の表情を見たエレクトラは不思議そうに、人差し指を顎に当てて首を傾げています。
「あれ? シオン君はセリス先生のお弟子さんでしたよね? 聞いてないのですか?」
誰が、あの婆の弟子だっ!
どうやらこの女は、俺がセリスの指導を受けたという事を、知っているようです。セリスは指導者として名が知られていますし、あの婆を身元保証人としてアカデミーに入学しているので、知られていてもおかしくはないのですが。
俺の沈黙が答えだと思ったのか、エレクトラは自身とセリスとの関係を話し出しました。その表情には、昔を振り返る懐かしさが浮かんでいます。
「セリス先生は若い頃から勇者候補として活躍され、その実力を買われアカデミーで実戦演習の指導をなさってたのです。私は先生の教え子なのですよ。個人的にも弟子を取られ、勇者候補の育成に尽力された方なのです」
俺は言葉を失いました。
まさか、あの婆がアカデミーで教鞭を取っていたなど、初耳でしたから。でもまあ、セリスのこれまでの実績を考えると、ありえない話ではないでしょう。
しかしエレクトラの話はこれで終わらず、俺を疑問の海へと叩き込んだのです。
「セリス先生は、教師として素晴らしい方でした。しかし約20年前、お子さんがアカデミーを辞めるのと同時に先生も去られてしまったのです。私、色々と相談に乗って頂いていたので、一言もなく突然辞められたのがショックで……。さっきお会いした時、アカデミーに戻って来て欲しいってお願いしたのですが、断られちゃいました」
「……お子さん……? まさか……」
「そちらはご存知なのですね。ええ、両翼の勇者候補リベラさんですよ」
お師匠様が幼いころ、短い期間だけアカデミーに入学され、何故かセリスによって、すぐ辞めさせられました。その理由は、お師匠様自身もご存じありません。
しかし……、アカデミーで教鞭をとっていたセリスが、同時期に突然辞めている。どこか不自然さを感じました。
そもそも何故お師匠様は、アカデミーを辞めさせられたのでしょうか。幼過ぎて勉強についていけないのなら、適正年齢になってから入学しなおせばいいこと。
しかしセリスはアカデミーに入れず、自身の手でお師匠様を勇者候補として育て上げました。
何故だ?
駆け巡る疑問と得体も知れない不安が、心を満たしました。
俺はエレクトラと別れると、始めにいた場所に戻ってきました。ディディスに置いて行かれた怒りなど、とうに消え失せています。
代わりの残ったのは、不穏な予感。
「……シオン? おい、聞いてるのか、シオン?」
ディディスがいつの間にか戻って来て、俺の肩を揺すっているのにも気づかない程、考え込んでいたようです。
先ほどとはまるっきり違う様子に、奴の表情が変わりました。
「お前……、顔色悪いぞ。何かあったのか?」
「お前が遊び歩いている間に……、色々と……な」
嫌味を言いましたが、出てきた声は思った以上に弱々しいものでした。
しかし俺は腹に力を入れ気持ちを切り替えると、エレクトラから聞いたと前置きして、話を続けました。
「セリスは約20年前まで、アカデミーで教師をしていた。しかし……、あの方がアカデミーを辞められる時、突然あの婆も教師を辞めてアカデミーを去った。……偶然だと思うか?」
「……偶然じゃなさそう……だよな。もしかすると、あの人に掛けられた精神魔法に、何か関係しているかもしれない」
ディディスは唸りながら、少し掠れた声で答えました。
お互い、セリスがアカデミーを辞めた事とお師匠様の件に、何か繋がりのようなものを感じていました。
「一度、セリスの過去を洗うか。アカデミーで教師をしていた時の事を」
「でも20年以上前の話だろ? アカデミーの教師たちも入れ替わり激しいからな。当時のセリス様の事、知ってる人がいたらいいけどな」
確かに、教え子として親しくしていたエレクトラにも、何も語らず去っているのです。あまり収穫は期待できない気がしましたが、やってみなければ分かりません。
方向性が見えてきたら、段々……、ディディスに置いて行かれた怒りが蘇ってきました。
「おい、ディディス。さっきはよくも俺を置いて行ったな」
「え? ……ぐふっ‼」
俺の拳が、奴の鳩尾に綺麗に決まりました。いつもの通り、身体をくの字にして、ディディスが地面に伏しています。俺は倒れる奴を尻目に、次の依頼用の転移珠を受け取るべく、アカデミーへの転移珠を発動させました。
一瞬、奴の叫び声が聞こえた気がしましたが……、まあ気のせいでしょう。
この時の俺たちは、まだ知りませんでした。
セリスがアカデミーを辞めるに至った怒りを。
お師匠様の心に手が加えるに至った苦悩を。
――そして、その事実の裏に、世界の真実の片鱗が隠されていることを。
俺は目の前に広がっている光景から、目を逸らせずにいました。それに釘付けになっているのを察したディディスが、肩を揺すってきます。
「……おい、シオン。ガン見してると、周りに怪しまれるぞ」
「……分かってる……。分かってるが……、行動が必ずしも理性に従うとは限らないだろ……」
「あの人がらみで、お前が理性に従った事なんてないだろ」
黙れ。
しかし、文句は口から出てきませんでした。そして相変わらず、視線はその一点を見つめていました。
薄青色のワンピースと白いエプロンスカートを着た、可憐なお師匠様の姿を。
俺とディディスは、魔道具の青空市場に来ていました。この日、お師匠様がエレクトラの店の手伝い、さらにご自分の作品を売りに出されると聞いていたからです。
依頼の途中ではありましたが、ディディスの奴がどうしてもと言うので、立ち寄ったのです。
いや、俺は依頼途中だからやめとけと言ったんですよ。ですが、あいつがどうしてもっ! と言うので。
え? 逆だろって? ……なんでバレた。
俺たちが着いた時には、会場にはたくさんの人々が行き来していました。
本来は、このような人の多い場所には行きたくないのですが、今は時期的に冬。フード付きのマントで顔を隠しても不審に思われないので、人の多い場所でも行動しやすいのがありがたいです。
出店も多いようで、魔道具業界も中々盛り上がっているのが見受けられます。テントが張られた店の前にはテーブルが置かれ、様々な道具が並べられているのが見えました。
その中でひときわ目立つのが……、可愛らしいエプロンスカートを着用されたお師匠様の姿でした。
何と言うかね……、はじけそうなんですよ、胸がね……。
全体的なサイズはピッタリなんです。それなのに、胸の部分のボタンがキッツーな感じで引っ張られてましてね……。
胸元をわざと出すよりも、こっちの方が劣情を抱かされるのは俺だけでしょうか?
ほんと、今すぐ家に持ち帰りたい……。
後ろから抱きしめて、そのまま耳や首筋を攻めながら胸元のボタンをひとつひとつゆっくりと外して……おっと。
あの方は、横で顔なじみと思われる人物たちと話し込んでいるエレクトラの代わりに、客の対応していました。
商品の説明をしたり、代金を受け取って商品を渡したりと、とても忙しそうにされていますが、その表情はとても生き生きなさってます。
ご自身の命を軽視し、魔王と戦って死ぬと仰ってたあの方が、今こうして生きる事を楽しんでいらっしゃるのですから、弟子として愛する者として、これほど嬉しい事はありません。
そうしているうちに、エレクトラの店の前に見知った姿が現れました。
アーシャとノリスです。応援にきたのでしょう。
お師匠様の表情が、パッと明るくなるのが、ここからの距離でも分かりました。何を話しているかは分かりませんが、笑顔を浮かべながら談笑をされています。
その様子を隣で見ていたディディスが、俺の肩を叩きました。
「んじゃ、俺は向こうに行って来るからな。お前は大人しく、そこで待ってろよ」
「おっ、おいっ! 何でお前だけっ‼」
「リーベルとお前の繋がりに気づかれたら困るだろ? だからここは俺に任せとけって。あの人が作った物を買ってこればいいんだろ?」
「別に、お前に誘われて一緒に来た、という体で行けば怪しまれないだろっ!」
「ただでさえリーベルを見る男たちに、殺気立った視線を送ってるお前が、あんな格好をしたあの人を前にして大人しく出来るわけないだろ。だからここで待ってろ」
……殺気立ったって……、当たり前だろうがっ‼
胸元に視線を向けるなどという背徳行為を俺以外の男がするなど、許せるわけありません。
俺の意識がディディスから外れた瞬間、奴は脱兎の如く姿を消しました。慌てて捕まえようと手を伸ばしましたが、あっけなく空を切っただけでした。
大きくため息をつくと、伸ばした右腕をだらりと降ろしました。そこから見える種の痣を憎々しげに睨みつけます。
勇者でなければ、こんなコソコソする必要もないのに、全く忌々しい。
奴の後を追うわけにもいかず、俺はエレクトラの店がよく見える場所に移動すると、ディディスたちの様子を伺いました。
ディディスの姿を見つけて、お師匠様の表情が再び明るいものへと変わりました。
本当であれば、あの表情を向けられるのは俺だったはず。
無意識に、両手の拳に力が入るのを感じます。あいつが帰ってきたら、取り合えず問答無用でこの怒りを腹パンに込めようと思います。
ディディスはアーシャとノリスとも少し話をすると、お師匠様の商品をいくつか指さし、金を出しました。あの方は満面の笑みを浮かべると、金を受け取り、商品を包んでディディスに渡しています。
……本当であれば、あの表情を向(以下略)
知り合いたちに手を振り見送ったエレクトラが、お師匠様に話しかけるのが見えました。
2人で話していたのですが、お師匠様はエレクトラにぺこりと頭を下げると、テーブルの前にいるアーシャたちの傍に駆け寄り、出かけていかれたのです。恐らく、自由時間を貰ったのでしょう。その後ろを、しれっとディディスがついて行きます。
(おいっ! 何でお前も自然な流れで付いて行ってるんだっ‼)
怒りに任せ、ディディスの通信珠に連絡を入れようとした時、エレクトラの前にこの場に来るとは思わなかった人物の後姿を見つけました。
(……セリス! 何故こんな場所に⁉)
あの婆も人混みが大嫌いなので、このような場に来るとは予想外でした。しかし、腐っても育ての親。娘の事が気がかりで、こっそりやって来たのでしょう。
このタイミングで姿を現したという事は、お師匠様が席を外すのを待ってたのでしょうね。全く、素直じゃない婆です。
エレクトラはセリスの姿を見ると満面の笑みを浮かべ、あの婆の手を取りました。両手で握り、何度も頭を下げています。
セリスがそれを振り払わないところを見ると、二人の関係が親しい間柄ということが読み取れました。
そんな関係をあの婆が築けていたとは、驚きです。
セリスは、お師匠様が作られた魔道具ランタンを購入していきました。
商品を受け取り立ち去ろうとしたセリスでしたが、エレクトラが呼び止めました。真剣な表情でセリスに何か言ってますが、セリスは一言返すとその場を後にしました。残されたエレクトラが、どこか諦めた表情で息を吐くのが見えます。
短い時間のやり取りでしたが、二人の関係が気になり、俺はエレクトラの前に向かいました。お師匠様もいらっしゃいませんから、暴走する事もありませんし。
少し暗い表情を浮かべていたエレクトラの表情は、俺の姿を見るとすぐに笑顔になりました。客と間違えたのでしょうが、ちらっとフードをあげると、あの女の表情に驚きが浮かびました。
「しっ、シオンくん⁉ どうしてここにいるのですか⁉」
「……さっきの婆とは、知り合いなのか?」
「婆って……、セリス・スターシャ先生の事ですか?」
……セリス・スターシャ……先生?
聞き慣れない単語に、俺の眉根を寄せました。俺の表情を見たエレクトラは不思議そうに、人差し指を顎に当てて首を傾げています。
「あれ? シオン君はセリス先生のお弟子さんでしたよね? 聞いてないのですか?」
誰が、あの婆の弟子だっ!
どうやらこの女は、俺がセリスの指導を受けたという事を、知っているようです。セリスは指導者として名が知られていますし、あの婆を身元保証人としてアカデミーに入学しているので、知られていてもおかしくはないのですが。
俺の沈黙が答えだと思ったのか、エレクトラは自身とセリスとの関係を話し出しました。その表情には、昔を振り返る懐かしさが浮かんでいます。
「セリス先生は若い頃から勇者候補として活躍され、その実力を買われアカデミーで実戦演習の指導をなさってたのです。私は先生の教え子なのですよ。個人的にも弟子を取られ、勇者候補の育成に尽力された方なのです」
俺は言葉を失いました。
まさか、あの婆がアカデミーで教鞭を取っていたなど、初耳でしたから。でもまあ、セリスのこれまでの実績を考えると、ありえない話ではないでしょう。
しかしエレクトラの話はこれで終わらず、俺を疑問の海へと叩き込んだのです。
「セリス先生は、教師として素晴らしい方でした。しかし約20年前、お子さんがアカデミーを辞めるのと同時に先生も去られてしまったのです。私、色々と相談に乗って頂いていたので、一言もなく突然辞められたのがショックで……。さっきお会いした時、アカデミーに戻って来て欲しいってお願いしたのですが、断られちゃいました」
「……お子さん……? まさか……」
「そちらはご存知なのですね。ええ、両翼の勇者候補リベラさんですよ」
お師匠様が幼いころ、短い期間だけアカデミーに入学され、何故かセリスによって、すぐ辞めさせられました。その理由は、お師匠様自身もご存じありません。
しかし……、アカデミーで教鞭をとっていたセリスが、同時期に突然辞めている。どこか不自然さを感じました。
そもそも何故お師匠様は、アカデミーを辞めさせられたのでしょうか。幼過ぎて勉強についていけないのなら、適正年齢になってから入学しなおせばいいこと。
しかしセリスはアカデミーに入れず、自身の手でお師匠様を勇者候補として育て上げました。
何故だ?
駆け巡る疑問と得体も知れない不安が、心を満たしました。
俺はエレクトラと別れると、始めにいた場所に戻ってきました。ディディスに置いて行かれた怒りなど、とうに消え失せています。
代わりの残ったのは、不穏な予感。
「……シオン? おい、聞いてるのか、シオン?」
ディディスがいつの間にか戻って来て、俺の肩を揺すっているのにも気づかない程、考え込んでいたようです。
先ほどとはまるっきり違う様子に、奴の表情が変わりました。
「お前……、顔色悪いぞ。何かあったのか?」
「お前が遊び歩いている間に……、色々と……な」
嫌味を言いましたが、出てきた声は思った以上に弱々しいものでした。
しかし俺は腹に力を入れ気持ちを切り替えると、エレクトラから聞いたと前置きして、話を続けました。
「セリスは約20年前まで、アカデミーで教師をしていた。しかし……、あの方がアカデミーを辞められる時、突然あの婆も教師を辞めてアカデミーを去った。……偶然だと思うか?」
「……偶然じゃなさそう……だよな。もしかすると、あの人に掛けられた精神魔法に、何か関係しているかもしれない」
ディディスは唸りながら、少し掠れた声で答えました。
お互い、セリスがアカデミーを辞めた事とお師匠様の件に、何か繋がりのようなものを感じていました。
「一度、セリスの過去を洗うか。アカデミーで教師をしていた時の事を」
「でも20年以上前の話だろ? アカデミーの教師たちも入れ替わり激しいからな。当時のセリス様の事、知ってる人がいたらいいけどな」
確かに、教え子として親しくしていたエレクトラにも、何も語らず去っているのです。あまり収穫は期待できない気がしましたが、やってみなければ分かりません。
方向性が見えてきたら、段々……、ディディスに置いて行かれた怒りが蘇ってきました。
「おい、ディディス。さっきはよくも俺を置いて行ったな」
「え? ……ぐふっ‼」
俺の拳が、奴の鳩尾に綺麗に決まりました。いつもの通り、身体をくの字にして、ディディスが地面に伏しています。俺は倒れる奴を尻目に、次の依頼用の転移珠を受け取るべく、アカデミーへの転移珠を発動させました。
一瞬、奴の叫び声が聞こえた気がしましたが……、まあ気のせいでしょう。
この時の俺たちは、まだ知りませんでした。
セリスがアカデミーを辞めるに至った怒りを。
お師匠様の心に手が加えるに至った苦悩を。
――そして、その事実の裏に、世界の真実の片鱗が隠されていることを。
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