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アカデミー入学編

第53話 弟子は届けようとした

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 依頼をこなしセリスの家に戻って来た俺は、すぐさま家の様子がいつもと違う事に気づきました。

 家の中は、異常な程静かで寒く、暗い雰囲気を漂わせていました。いつもお出迎えして下さるお師匠様の声も姿もありません。

 あの方がいらっしゃらないだけで、これほどまで変化が起こるとは驚きでした。お師匠様が眠りにつかれ、目覚める時まで、これが普通だったはずなのですが。

 お師匠様の自室を覗くと、アカデミーで使われている鞄が置かれていたので、どうやら一度、お戻りになっているようです。
 ただ、部屋の中は物凄く荒れていました。様々な物が、ベッドや机、床の上に落ちています。恐らく慌てて出て行かれたのでしょう。まあ、いつもの事なのですが。

 荷物を元の場所に片づけていると、旅で使っていたリュックと寝袋が無くなっているのに気づきました。
 その事実に、俺の心臓が大きく跳ね上がりました。

(まさか……、俺に何も告げずに旅へ⁉)

 また置いて行かれる。

 恐怖で心が固まりそうになったその時、セリスが部屋の前を横切るのが見えました。あの婆は俺に気づき、引き返して部屋の中を覗き込みました。

「クソガキ、戻って来てたのか。リベラならアーシャに誘われて、アカデミーの寮に一泊して来るって出かけて行ったぞ。リュックと寝袋がない? ああ、私が旅道具一式を持っていけと言ったからな」

 友達の部屋に一泊するのに、長旅道具一式を持って行かせるなど、馬鹿かこの婆は!
 
 アカデミーの寮では簡易ベッドも借りれますし、風呂も食堂もありますから、最低限自身の着替えなどだけ持っていけばいいのです。

 でもまあ、セリスの常識のなさは嫌と言う程知っていますから、それ以上突っ込むのは時間の無駄です。

 俺は、それとは別に気になっていたことを尋ねました。

「そう言えば、家に火がついていないみたいだが……、お師匠様はちゃんと夕食を召し上がっていかれたんだろうな?」

「時間がないからって湯浴みだけして、食べずに出て行ったな。まあ、携帯食料と乾燥肉を持って行ってるから心配ないだろ」

 ……夕食をとられてない……だと⁉

 俺はセリスを押しのけると、すぐにキッチンに向かって火を起こし、食材を調理していきました。後を追ってきたセリスが、この忙しい時に声を掛けて来るのが鬱陶しいです。

「お前、何してる?」

「お師匠様に届ける夕食の準備に決まってるだろっ!」

「ばっ、馬鹿か、てめえはっ! お前がそんなものを持って行ったら、お前とリベラの繋がりがばれるだろうが!」

 セリスの言葉に、俺は一瞬手を止めました。

 ……くっ、確かにそうだ。
 確かに……、だがっ‼

「お師匠様が、あんな惨めな食事をされている事の方が耐えられるかっ‼」

 そう言葉を返すと、俺は調理を再開しました。あの婆が呆れたように手で顔を覆っていますが、どうでもいいです。

 出来たての料理の上に小さな風魔法を呼んで粗熱を取り、料理をいくつかの弁当箱に詰めると、紙袋にまとめました。
 準備は完了です。

 キッチンを出ようとした時、セリスの腕が行く手を阻みました。思わず足を止めると、あの婆が口を開きました。

「おい、どうしてもその料理を届けたいなら……、せめてディディスに頼め。いいな?」

 それには答えませんでした。代わりにセリスの腕を払うと、

「俺も今日はアカデミーに一泊する。明日はそのまま魔素の対応に出るからな」

 そう言い残し、家を出ました。
 あの婆の特大ため息は、聞こえないふりです。

 俺がやって来たのは、アカデミー寮のディディスの部屋でした。確かにセリスの言葉も一理あると思い、奴の部屋を訪ねたのです。

 ……まあ、結果的にはすでにアーシャには知られていたわけですがね。

 出て来たディディスは、俺の只ならぬ様子に気づき、すぐに部屋の中に招き入れました。

「早く帰ってリーベルとイチャイチャするんだって、必死で日中戦っているお前が、こんな遅い時間にやってくるなんて……。一体どうした?」

「あの方が……」

「あの方? ……リーベルがどうかしたのか⁉」

 ディディスの青い目に、緊張が走りました。
 俺は紙袋を握りしめると、喉の奥から言葉を絞り出しました。

「夕食を召し上がらずに……、アーシャの部屋に泊まりに行ったらしい……」

「…………はぁっ?」
 
 少しの間の後、間抜けな声が響き渡りました。
 しかしお師匠様の緊急事態です。そんな事を追及している暇などありません。

 俺は、ディディスに弁当の入った紙袋を差し出し、この由々しき事態を簡潔に説明しました。

「あの方が、夕食を携帯食料と乾燥肉で済ませようとされている緊急事態だ! ディディス、ここにある弁当を、アーシャの部屋にいるあの方に届けてくれ!」

「……え、何? シオンはリーベルが夕食を食べなかったから、弁当を届けに来たって事か? それが……、緊急事態?」

「当たり前だろうが‼ あんなまずい物で食事をすませようとされているのを、見過ごせるかっ‼」

「……お前の言い分は分かった。ひとまず俺から言えるのはこれだけだ。落ち着けっ、ポンコツ‼」

 これが、落ち着いていられる状況か‼

 セリスと言いディディスと言い、この緊急事態に何故これほどまで落ち着いていられるのでしょうか。

 ……え? お前が何故そこまで騒ぎ立てられるかが理解出来ない?
 口を開けろ。携帯食料と乾燥肉を山ほど詰め込んでやる。

 俺から説明を聞く奴の表情が、みるみるうちに呆れ顔へと変わっていきます。

「あのさ……、女の子たちがお喋りを楽しんでる場に、俺がこれを届けに行ったら、場がしらけるだろ。リーベルも子どもじゃないんだから、今頃アーシャちゃんが出してくれたお菓子でも食べて満腹になってるって」

「菓子なんかで腹を満たしたら、栄養が偏って身体に悪いだろうが‼」

「お前、母なの? それとも馬鹿なの⁉ とにかく、女の子同士楽しくしている過ごしているところに野郎が行って、水を差したくないね。俺たちのせいであの方がお泊り会を楽しめなかったら、嫌だろ?」

 健康面の方が大切だとは思うのですが、お師匠様の楽しみを奪うのも精神衛生上良くない気がします。
 それ以上に、あの方が俺のせいでがっかりするなど……、耐えられない。

 むしろ俺の方が精神衛生上、良くないです。

 思考が落ち着きを取り戻すのを感じました。

「ってことで、俺の言ってる事を理解してくれたようだから……、この弁当は俺が貰うな!」

「おいっ! 誰がお前にやるなど……って、聞いてるのか!」

 しかしディディスは俺の静止も聞かず、紙袋を奪い、弁当を取り出すとパクッと肉団子を口に入れてしまいました。

 ……あの野郎、これが目的だったのか!

 しかし、弁当はどんどんあいつの腹に入ってしまっています。
 俺は舌打ちをすると、弁当の見返りを要求しました。

「弁当はやるが、代わりに今日はここに泊めろ。あの方がアカデミーにいるからな。さっさと簡易ベッドを用意しろ」

「泊めてやってもいいけど、簡易ベッドだあー? お前なんて、寝袋で十分だ」

 そう言ってディディスは、クローゼットから寝袋を取り出すと、こちらに放り投げてきました。
 
 勢いよく投げられたそれを受け取ると、舌打ちし、床に敷いて寝転がりました。こうして人の部屋で寝るのはいつぶりでしょうか。お師匠様の部屋と違う天井に、違和感しか感じません。

 食事を終えた奴は満足そうに息を吐くと、寝袋に寝転がっている俺に視線を向けました。その表情はどこか固いです。

「話は変わるがお前……、イリアティナ様には、気を付けた方がいいぞ」

「イリアティナ? ああ、あの第二王女か。気を付けるも何も、ただの一般人だろ」

 鼻で笑いましたが、ディディスの表情は固いままでした。

「ああいう目的の為に手段を選ばないタイプの人間は怖いぞ。イリアティナ様は完全にお前を狙ってるからな。勇者候補じゃないからと、あまり甘く見ない方がいいぞ。なんか色々と……噂もあるしな」

「……まあ、心の端には留めておく」

 危機感のない返答に、あいつはさらに何か言おうとしましたが、通信珠の反応がそれを阻止しました。

(お師匠様からだ!)

 一瞬にして、イリアのこともディディスの警告も忘れ、俺は通信珠を握りしめて耳元に当てました。

「……遅くにごめんね? 私だけど……」

 その可愛らしい声を聞き間違えるわけないじゃないですか。

 半日以上聞く事の出来なった声に、切なさが募ります。

 しかしお師匠様は、アーシャの部屋にいるはず。連絡を取っても大丈夫なのか、気になりました。

「俺は大丈夫ですが……、そちらは大丈夫なのですか?」

「……うっ、うん、大丈夫。アーシャも眠ってるし」

 少し言葉を詰まらせながら、返答をされました。まあ今思えば、アーシャに俺との事を話してしまったので、罪悪感を感じていたのでしょう。

「特別用事はないんだけど……。魔素対応で危険な事はない? 無茶とかして危ない目に遭ってないわよね?」

 俺の身を案じる言葉の連続に、いつもと違うお師匠様を感じました。どこか不安そうにされているのが、通信珠越しに分かります。
 この時は理由が分からなかったので、安心させる為にわざと明るく答えました。
 
「大丈夫ですよ。依頼など、あなたを妻にする事を考えれば、何一つ苦じゃないですよ」

「つっ、妻って……、まだ返事してないでしょっ!」

 声の調子から、慌てふためくあの方の顔が浮かびます。ディディスがいなければ可愛さに、その場で身悶えしてたでしょう。
 息を吐く音が聞こえたかと思うと、お師匠様は何度も危険な事をするなと念押しをされました。

「でも十分注意してね? 危ないと思ったら撤退するのよ? 絶対に危険な事はしちゃ駄目よ?」

 こうして身を案じているという事は、俺の事を大切に想って下さっているという証拠に他なりません。
 そう思うと、自然と口元が緩みました。

「お気遣いありがとうございます。しかしもう遅いですから、お休みください」

「……うん、分かった。そっちもゆっくり休んでね? ごめんね、こんな時間に連絡しちゃって……」

「いえ、あなたからの連絡ならいつでも大歓迎です。ではゆっくりお休みくださいね」

「うん、おやすみなさい、――」

 挨拶の最後に告げられた言葉にならない言葉に、耳元からブワッと鳥肌が立ち、体中の血液が物凄い速さで駆け巡るが分かりました。

 何故なら、俺の名を吐息交じりに呼んで下さったからです。恐らくアーシャが傍にいる為、声を出さずに名を呼んで下さったのでしょう。

 全く本人は気づいていらっしゃらないでしょうが……、あれは反則です。一瞬にして、理性を持ってかれます。

 これだけ俺の心をかき乱すだけ乱して、あの方はそれに気づいてないですからね。こちらがどれだけ優位を保ってても、その強烈な一撃で全部チャラになりますからね。

 ほんと、罪深い方です。
 ほんと……、大好きだ……。

 通信珠が切れました。ドキドキする気持ちを落ち着かせる為に深呼吸を繰り返していると、ディディスの怒りを背中に感じました。

 振り向くと、奴がめっちゃ睨んでます。

「恋する乙女みたいに顔を赤くしやがって……。うらや……けしからん!」

 おい、本音が隠せてないぞ。

 どうやら俺とお師匠様の仲の良さが、奴の嫉妬を買ったようです。
 ですがその嫉妬すら心地よい。にやっと笑うと、あいつを挑発してやりました。

「……なんだディディス、羨ましいのか」

「う、う、う、羨ましくねーしっ! ね――――しっ‼ 俺だって本気出せば、すぐ相手なんて見つかるしっ! まだ本気出してないだけだしっ‼︎」

「……で、お前の本気はいつ見られる?」

「……うっっっせぇっ! 寝ろっ‼︎」

 ディディスの、どこか悲しみに満ちた怒りの声が部屋に響き渡りました。
 よく見ると、少し涙目になっていた気がします。
 
 ディディスの奴に、幸あれ。
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