55 / 192
アカデミー入学編
第53話 弟子は届けようとした
しおりを挟む
依頼をこなしセリスの家に戻って来た俺は、すぐさま家の様子がいつもと違う事に気づきました。
家の中は、異常な程静かで寒く、暗い雰囲気を漂わせていました。いつもお出迎えして下さるお師匠様の声も姿もありません。
あの方がいらっしゃらないだけで、これほどまで変化が起こるとは驚きでした。お師匠様が眠りにつかれ、目覚める時まで、これが普通だったはずなのですが。
お師匠様の自室を覗くと、アカデミーで使われている鞄が置かれていたので、どうやら一度、お戻りになっているようです。
ただ、部屋の中は物凄く荒れていました。様々な物が、ベッドや机、床の上に落ちています。恐らく慌てて出て行かれたのでしょう。まあ、いつもの事なのですが。
荷物を元の場所に片づけていると、旅で使っていたリュックと寝袋が無くなっているのに気づきました。
その事実に、俺の心臓が大きく跳ね上がりました。
(まさか……、俺に何も告げずに旅へ⁉)
また置いて行かれる。
恐怖で心が固まりそうになったその時、セリスが部屋の前を横切るのが見えました。あの婆は俺に気づき、引き返して部屋の中を覗き込みました。
「クソガキ、戻って来てたのか。リベラならアーシャに誘われて、アカデミーの寮に一泊して来るって出かけて行ったぞ。リュックと寝袋がない? ああ、私が旅道具一式を持っていけと言ったからな」
友達の部屋に一泊するのに、長旅道具一式を持って行かせるなど、馬鹿かこの婆は!
アカデミーの寮では簡易ベッドも借りれますし、風呂も食堂もありますから、最低限自身の着替えなどだけ持っていけばいいのです。
でもまあ、セリスの常識のなさは嫌と言う程知っていますから、それ以上突っ込むのは時間の無駄です。
俺は、それとは別に気になっていたことを尋ねました。
「そう言えば、家に火がついていないみたいだが……、お師匠様はちゃんと夕食を召し上がっていかれたんだろうな?」
「時間がないからって湯浴みだけして、食べずに出て行ったな。まあ、携帯食料と乾燥肉を持って行ってるから心配ないだろ」
……夕食をとられてない……だと⁉
俺はセリスを押しのけると、すぐにキッチンに向かって火を起こし、食材を調理していきました。後を追ってきたセリスが、この忙しい時に声を掛けて来るのが鬱陶しいです。
「お前、何してる?」
「お師匠様に届ける夕食の準備に決まってるだろっ!」
「ばっ、馬鹿か、てめえはっ! お前がそんなものを持って行ったら、お前とリベラの繋がりがばれるだろうが!」
セリスの言葉に、俺は一瞬手を止めました。
……くっ、確かにそうだ。
確かに……、だがっ‼
「お師匠様が、あんな惨めな食事をされている事の方が耐えられるかっ‼」
そう言葉を返すと、俺は調理を再開しました。あの婆が呆れたように手で顔を覆っていますが、どうでもいいです。
出来たての料理の上に小さな風魔法を呼んで粗熱を取り、料理をいくつかの弁当箱に詰めると、紙袋にまとめました。
準備は完了です。
キッチンを出ようとした時、セリスの腕が行く手を阻みました。思わず足を止めると、あの婆が口を開きました。
「おい、どうしてもその料理を届けたいなら……、せめてディディスに頼め。いいな?」
それには答えませんでした。代わりにセリスの腕を払うと、
「俺も今日はアカデミーに一泊する。明日はそのまま魔素の対応に出るからな」
そう言い残し、家を出ました。
あの婆の特大ため息は、聞こえないふりです。
俺がやって来たのは、アカデミー寮のディディスの部屋でした。確かにセリスの言葉も一理あると思い、奴の部屋を訪ねたのです。
……まあ、結果的にはすでにアーシャには知られていたわけですがね。
出て来たディディスは、俺の只ならぬ様子に気づき、すぐに部屋の中に招き入れました。
「早く帰ってリーベルとイチャイチャするんだって、必死で日中戦っているお前が、こんな遅い時間にやってくるなんて……。一体どうした?」
「あの方が……」
「あの方? ……リーベルがどうかしたのか⁉」
ディディスの青い目に、緊張が走りました。
俺は紙袋を握りしめると、喉の奥から言葉を絞り出しました。
「夕食を召し上がらずに……、アーシャの部屋に泊まりに行ったらしい……」
「…………はぁっ?」
少しの間の後、間抜けな声が響き渡りました。
しかしお師匠様の緊急事態です。そんな事を追及している暇などありません。
俺は、ディディスに弁当の入った紙袋を差し出し、この由々しき事態を簡潔に説明しました。
「あの方が、夕食を携帯食料と乾燥肉で済ませようとされている緊急事態だ! ディディス、ここにある弁当を、アーシャの部屋にいるあの方に届けてくれ!」
「……え、何? シオンはリーベルが夕食を食べなかったから、弁当を届けに来たって事か? それが……、緊急事態?」
「当たり前だろうが‼ あんなまずい物で食事をすませようとされているのを、見過ごせるかっ‼」
「……お前の言い分は分かった。ひとまず俺から言えるのはこれだけだ。落ち着けっ、ポンコツ‼」
これが、落ち着いていられる状況か‼
セリスと言いディディスと言い、この緊急事態に何故これほどまで落ち着いていられるのでしょうか。
……え? お前が何故そこまで騒ぎ立てられるかが理解出来ない?
口を開けろ。携帯食料と乾燥肉を山ほど詰め込んでやる。
俺から説明を聞く奴の表情が、みるみるうちに呆れ顔へと変わっていきます。
「あのさ……、女の子たちがお喋りを楽しんでる場に、俺がこれを届けに行ったら、場がしらけるだろ。リーベルも子どもじゃないんだから、今頃アーシャちゃんが出してくれたお菓子でも食べて満腹になってるって」
「菓子なんかで腹を満たしたら、栄養が偏って身体に悪いだろうが‼」
「お前、母なの? それとも馬鹿なの⁉ とにかく、女の子同士楽しくしている過ごしているところに野郎が行って、水を差したくないね。俺たちのせいであの方がお泊り会を楽しめなかったら、嫌だろ?」
健康面の方が大切だとは思うのですが、お師匠様の楽しみを奪うのも精神衛生上良くない気がします。
それ以上に、あの方が俺のせいでがっかりするなど……、耐えられない。
むしろ俺の方が精神衛生上、良くないです。
思考が落ち着きを取り戻すのを感じました。
「ってことで、俺の言ってる事を理解してくれたようだから……、この弁当は俺が貰うな!」
「おいっ! 誰がお前にやるなど……って、聞いてるのか!」
しかしディディスは俺の静止も聞かず、紙袋を奪い、弁当を取り出すとパクッと肉団子を口に入れてしまいました。
……あの野郎、これが目的だったのか!
しかし、弁当はどんどんあいつの腹に入ってしまっています。
俺は舌打ちをすると、弁当の見返りを要求しました。
「弁当はやるが、代わりに今日はここに泊めろ。あの方がアカデミーにいるからな。さっさと簡易ベッドを用意しろ」
「泊めてやってもいいけど、簡易ベッドだあー? お前なんて、寝袋で十分だ」
そう言ってディディスは、クローゼットから寝袋を取り出すと、こちらに放り投げてきました。
勢いよく投げられたそれを受け取ると、舌打ちし、床に敷いて寝転がりました。こうして人の部屋で寝るのはいつぶりでしょうか。お師匠様の部屋と違う天井に、違和感しか感じません。
食事を終えた奴は満足そうに息を吐くと、寝袋に寝転がっている俺に視線を向けました。その表情はどこか固いです。
「話は変わるがお前……、イリアティナ様には、気を付けた方がいいぞ」
「イリアティナ? ああ、あの第二王女か。気を付けるも何も、ただの一般人だろ」
鼻で笑いましたが、ディディスの表情は固いままでした。
「ああいう目的の為に手段を選ばないタイプの人間は怖いぞ。イリアティナ様は完全にお前を狙ってるからな。勇者候補じゃないからと、あまり甘く見ない方がいいぞ。なんか色々と……噂もあるしな」
「……まあ、心の端には留めておく」
危機感のない返答に、あいつはさらに何か言おうとしましたが、通信珠の反応がそれを阻止しました。
(お師匠様からだ!)
一瞬にして、イリアのこともディディスの警告も忘れ、俺は通信珠を握りしめて耳元に当てました。
「……遅くにごめんね? 私だけど……」
その可愛らしい声を聞き間違えるわけないじゃないですか。
半日以上聞く事の出来なった声に、切なさが募ります。
しかしお師匠様は、アーシャの部屋にいるはず。連絡を取っても大丈夫なのか、気になりました。
「俺は大丈夫ですが……、そちらは大丈夫なのですか?」
「……うっ、うん、大丈夫。アーシャも眠ってるし」
少し言葉を詰まらせながら、返答をされました。まあ今思えば、アーシャに俺との事を話してしまったので、罪悪感を感じていたのでしょう。
「特別用事はないんだけど……。魔素対応で危険な事はない? 無茶とかして危ない目に遭ってないわよね?」
俺の身を案じる言葉の連続に、いつもと違うお師匠様を感じました。どこか不安そうにされているのが、通信珠越しに分かります。
この時は理由が分からなかったので、安心させる為にわざと明るく答えました。
「大丈夫ですよ。依頼など、あなたを妻にする事を考えれば、何一つ苦じゃないですよ」
「つっ、妻って……、まだ返事してないでしょっ!」
声の調子から、慌てふためくあの方の顔が浮かびます。ディディスがいなければ可愛さに、その場で身悶えしてたでしょう。
息を吐く音が聞こえたかと思うと、お師匠様は何度も危険な事をするなと念押しをされました。
「でも十分注意してね? 危ないと思ったら撤退するのよ? 絶対に危険な事はしちゃ駄目よ?」
こうして身を案じているという事は、俺の事を大切に想って下さっているという証拠に他なりません。
そう思うと、自然と口元が緩みました。
「お気遣いありがとうございます。しかしもう遅いですから、お休みください」
「……うん、分かった。そっちもゆっくり休んでね? ごめんね、こんな時間に連絡しちゃって……」
「いえ、あなたからの連絡ならいつでも大歓迎です。ではゆっくりお休みくださいね」
「うん、おやすみなさい、――」
挨拶の最後に告げられた言葉にならない言葉に、耳元からブワッと鳥肌が立ち、体中の血液が物凄い速さで駆け巡るが分かりました。
何故なら、俺の名を吐息交じりに呼んで下さったからです。恐らくアーシャが傍にいる為、声を出さずに名を呼んで下さったのでしょう。
全く本人は気づいていらっしゃらないでしょうが……、あれは反則です。一瞬にして、理性を持ってかれます。
これだけ俺の心をかき乱すだけ乱して、あの方はそれに気づいてないですからね。こちらがどれだけ優位を保ってても、その強烈な一撃で全部チャラになりますからね。
ほんと、罪深い方です。
ほんと……、大好きだ……。
通信珠が切れました。ドキドキする気持ちを落ち着かせる為に深呼吸を繰り返していると、ディディスの怒りを背中に感じました。
振り向くと、奴がめっちゃ睨んでます。
「恋する乙女みたいに顔を赤くしやがって……。うらや……けしからん!」
おい、本音が隠せてないぞ。
どうやら俺とお師匠様の仲の良さが、奴の嫉妬を買ったようです。
ですがその嫉妬すら心地よい。にやっと笑うと、あいつを挑発してやりました。
「……なんだディディス、羨ましいのか」
「う、う、う、羨ましくねーしっ! ね――――しっ‼ 俺だって本気出せば、すぐ相手なんて見つかるしっ! まだ本気出してないだけだしっ‼︎」
「……で、お前の本気はいつ見られる?」
「……うっっっせぇっ! 寝ろっ‼︎」
ディディスの、どこか悲しみに満ちた怒りの声が部屋に響き渡りました。
よく見ると、少し涙目になっていた気がします。
ディディスの奴に、幸あれ。
家の中は、異常な程静かで寒く、暗い雰囲気を漂わせていました。いつもお出迎えして下さるお師匠様の声も姿もありません。
あの方がいらっしゃらないだけで、これほどまで変化が起こるとは驚きでした。お師匠様が眠りにつかれ、目覚める時まで、これが普通だったはずなのですが。
お師匠様の自室を覗くと、アカデミーで使われている鞄が置かれていたので、どうやら一度、お戻りになっているようです。
ただ、部屋の中は物凄く荒れていました。様々な物が、ベッドや机、床の上に落ちています。恐らく慌てて出て行かれたのでしょう。まあ、いつもの事なのですが。
荷物を元の場所に片づけていると、旅で使っていたリュックと寝袋が無くなっているのに気づきました。
その事実に、俺の心臓が大きく跳ね上がりました。
(まさか……、俺に何も告げずに旅へ⁉)
また置いて行かれる。
恐怖で心が固まりそうになったその時、セリスが部屋の前を横切るのが見えました。あの婆は俺に気づき、引き返して部屋の中を覗き込みました。
「クソガキ、戻って来てたのか。リベラならアーシャに誘われて、アカデミーの寮に一泊して来るって出かけて行ったぞ。リュックと寝袋がない? ああ、私が旅道具一式を持っていけと言ったからな」
友達の部屋に一泊するのに、長旅道具一式を持って行かせるなど、馬鹿かこの婆は!
アカデミーの寮では簡易ベッドも借りれますし、風呂も食堂もありますから、最低限自身の着替えなどだけ持っていけばいいのです。
でもまあ、セリスの常識のなさは嫌と言う程知っていますから、それ以上突っ込むのは時間の無駄です。
俺は、それとは別に気になっていたことを尋ねました。
「そう言えば、家に火がついていないみたいだが……、お師匠様はちゃんと夕食を召し上がっていかれたんだろうな?」
「時間がないからって湯浴みだけして、食べずに出て行ったな。まあ、携帯食料と乾燥肉を持って行ってるから心配ないだろ」
……夕食をとられてない……だと⁉
俺はセリスを押しのけると、すぐにキッチンに向かって火を起こし、食材を調理していきました。後を追ってきたセリスが、この忙しい時に声を掛けて来るのが鬱陶しいです。
「お前、何してる?」
「お師匠様に届ける夕食の準備に決まってるだろっ!」
「ばっ、馬鹿か、てめえはっ! お前がそんなものを持って行ったら、お前とリベラの繋がりがばれるだろうが!」
セリスの言葉に、俺は一瞬手を止めました。
……くっ、確かにそうだ。
確かに……、だがっ‼
「お師匠様が、あんな惨めな食事をされている事の方が耐えられるかっ‼」
そう言葉を返すと、俺は調理を再開しました。あの婆が呆れたように手で顔を覆っていますが、どうでもいいです。
出来たての料理の上に小さな風魔法を呼んで粗熱を取り、料理をいくつかの弁当箱に詰めると、紙袋にまとめました。
準備は完了です。
キッチンを出ようとした時、セリスの腕が行く手を阻みました。思わず足を止めると、あの婆が口を開きました。
「おい、どうしてもその料理を届けたいなら……、せめてディディスに頼め。いいな?」
それには答えませんでした。代わりにセリスの腕を払うと、
「俺も今日はアカデミーに一泊する。明日はそのまま魔素の対応に出るからな」
そう言い残し、家を出ました。
あの婆の特大ため息は、聞こえないふりです。
俺がやって来たのは、アカデミー寮のディディスの部屋でした。確かにセリスの言葉も一理あると思い、奴の部屋を訪ねたのです。
……まあ、結果的にはすでにアーシャには知られていたわけですがね。
出て来たディディスは、俺の只ならぬ様子に気づき、すぐに部屋の中に招き入れました。
「早く帰ってリーベルとイチャイチャするんだって、必死で日中戦っているお前が、こんな遅い時間にやってくるなんて……。一体どうした?」
「あの方が……」
「あの方? ……リーベルがどうかしたのか⁉」
ディディスの青い目に、緊張が走りました。
俺は紙袋を握りしめると、喉の奥から言葉を絞り出しました。
「夕食を召し上がらずに……、アーシャの部屋に泊まりに行ったらしい……」
「…………はぁっ?」
少しの間の後、間抜けな声が響き渡りました。
しかしお師匠様の緊急事態です。そんな事を追及している暇などありません。
俺は、ディディスに弁当の入った紙袋を差し出し、この由々しき事態を簡潔に説明しました。
「あの方が、夕食を携帯食料と乾燥肉で済ませようとされている緊急事態だ! ディディス、ここにある弁当を、アーシャの部屋にいるあの方に届けてくれ!」
「……え、何? シオンはリーベルが夕食を食べなかったから、弁当を届けに来たって事か? それが……、緊急事態?」
「当たり前だろうが‼ あんなまずい物で食事をすませようとされているのを、見過ごせるかっ‼」
「……お前の言い分は分かった。ひとまず俺から言えるのはこれだけだ。落ち着けっ、ポンコツ‼」
これが、落ち着いていられる状況か‼
セリスと言いディディスと言い、この緊急事態に何故これほどまで落ち着いていられるのでしょうか。
……え? お前が何故そこまで騒ぎ立てられるかが理解出来ない?
口を開けろ。携帯食料と乾燥肉を山ほど詰め込んでやる。
俺から説明を聞く奴の表情が、みるみるうちに呆れ顔へと変わっていきます。
「あのさ……、女の子たちがお喋りを楽しんでる場に、俺がこれを届けに行ったら、場がしらけるだろ。リーベルも子どもじゃないんだから、今頃アーシャちゃんが出してくれたお菓子でも食べて満腹になってるって」
「菓子なんかで腹を満たしたら、栄養が偏って身体に悪いだろうが‼」
「お前、母なの? それとも馬鹿なの⁉ とにかく、女の子同士楽しくしている過ごしているところに野郎が行って、水を差したくないね。俺たちのせいであの方がお泊り会を楽しめなかったら、嫌だろ?」
健康面の方が大切だとは思うのですが、お師匠様の楽しみを奪うのも精神衛生上良くない気がします。
それ以上に、あの方が俺のせいでがっかりするなど……、耐えられない。
むしろ俺の方が精神衛生上、良くないです。
思考が落ち着きを取り戻すのを感じました。
「ってことで、俺の言ってる事を理解してくれたようだから……、この弁当は俺が貰うな!」
「おいっ! 誰がお前にやるなど……って、聞いてるのか!」
しかしディディスは俺の静止も聞かず、紙袋を奪い、弁当を取り出すとパクッと肉団子を口に入れてしまいました。
……あの野郎、これが目的だったのか!
しかし、弁当はどんどんあいつの腹に入ってしまっています。
俺は舌打ちをすると、弁当の見返りを要求しました。
「弁当はやるが、代わりに今日はここに泊めろ。あの方がアカデミーにいるからな。さっさと簡易ベッドを用意しろ」
「泊めてやってもいいけど、簡易ベッドだあー? お前なんて、寝袋で十分だ」
そう言ってディディスは、クローゼットから寝袋を取り出すと、こちらに放り投げてきました。
勢いよく投げられたそれを受け取ると、舌打ちし、床に敷いて寝転がりました。こうして人の部屋で寝るのはいつぶりでしょうか。お師匠様の部屋と違う天井に、違和感しか感じません。
食事を終えた奴は満足そうに息を吐くと、寝袋に寝転がっている俺に視線を向けました。その表情はどこか固いです。
「話は変わるがお前……、イリアティナ様には、気を付けた方がいいぞ」
「イリアティナ? ああ、あの第二王女か。気を付けるも何も、ただの一般人だろ」
鼻で笑いましたが、ディディスの表情は固いままでした。
「ああいう目的の為に手段を選ばないタイプの人間は怖いぞ。イリアティナ様は完全にお前を狙ってるからな。勇者候補じゃないからと、あまり甘く見ない方がいいぞ。なんか色々と……噂もあるしな」
「……まあ、心の端には留めておく」
危機感のない返答に、あいつはさらに何か言おうとしましたが、通信珠の反応がそれを阻止しました。
(お師匠様からだ!)
一瞬にして、イリアのこともディディスの警告も忘れ、俺は通信珠を握りしめて耳元に当てました。
「……遅くにごめんね? 私だけど……」
その可愛らしい声を聞き間違えるわけないじゃないですか。
半日以上聞く事の出来なった声に、切なさが募ります。
しかしお師匠様は、アーシャの部屋にいるはず。連絡を取っても大丈夫なのか、気になりました。
「俺は大丈夫ですが……、そちらは大丈夫なのですか?」
「……うっ、うん、大丈夫。アーシャも眠ってるし」
少し言葉を詰まらせながら、返答をされました。まあ今思えば、アーシャに俺との事を話してしまったので、罪悪感を感じていたのでしょう。
「特別用事はないんだけど……。魔素対応で危険な事はない? 無茶とかして危ない目に遭ってないわよね?」
俺の身を案じる言葉の連続に、いつもと違うお師匠様を感じました。どこか不安そうにされているのが、通信珠越しに分かります。
この時は理由が分からなかったので、安心させる為にわざと明るく答えました。
「大丈夫ですよ。依頼など、あなたを妻にする事を考えれば、何一つ苦じゃないですよ」
「つっ、妻って……、まだ返事してないでしょっ!」
声の調子から、慌てふためくあの方の顔が浮かびます。ディディスがいなければ可愛さに、その場で身悶えしてたでしょう。
息を吐く音が聞こえたかと思うと、お師匠様は何度も危険な事をするなと念押しをされました。
「でも十分注意してね? 危ないと思ったら撤退するのよ? 絶対に危険な事はしちゃ駄目よ?」
こうして身を案じているという事は、俺の事を大切に想って下さっているという証拠に他なりません。
そう思うと、自然と口元が緩みました。
「お気遣いありがとうございます。しかしもう遅いですから、お休みください」
「……うん、分かった。そっちもゆっくり休んでね? ごめんね、こんな時間に連絡しちゃって……」
「いえ、あなたからの連絡ならいつでも大歓迎です。ではゆっくりお休みくださいね」
「うん、おやすみなさい、――」
挨拶の最後に告げられた言葉にならない言葉に、耳元からブワッと鳥肌が立ち、体中の血液が物凄い速さで駆け巡るが分かりました。
何故なら、俺の名を吐息交じりに呼んで下さったからです。恐らくアーシャが傍にいる為、声を出さずに名を呼んで下さったのでしょう。
全く本人は気づいていらっしゃらないでしょうが……、あれは反則です。一瞬にして、理性を持ってかれます。
これだけ俺の心をかき乱すだけ乱して、あの方はそれに気づいてないですからね。こちらがどれだけ優位を保ってても、その強烈な一撃で全部チャラになりますからね。
ほんと、罪深い方です。
ほんと……、大好きだ……。
通信珠が切れました。ドキドキする気持ちを落ち着かせる為に深呼吸を繰り返していると、ディディスの怒りを背中に感じました。
振り向くと、奴がめっちゃ睨んでます。
「恋する乙女みたいに顔を赤くしやがって……。うらや……けしからん!」
おい、本音が隠せてないぞ。
どうやら俺とお師匠様の仲の良さが、奴の嫉妬を買ったようです。
ですがその嫉妬すら心地よい。にやっと笑うと、あいつを挑発してやりました。
「……なんだディディス、羨ましいのか」
「う、う、う、羨ましくねーしっ! ね――――しっ‼ 俺だって本気出せば、すぐ相手なんて見つかるしっ! まだ本気出してないだけだしっ‼︎」
「……で、お前の本気はいつ見られる?」
「……うっっっせぇっ! 寝ろっ‼︎」
ディディスの、どこか悲しみに満ちた怒りの声が部屋に響き渡りました。
よく見ると、少し涙目になっていた気がします。
ディディスの奴に、幸あれ。
0
お気に入りに追加
563
あなたにおすすめの小説
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
竜の都に迷い込んだ女の子のお話
山法師
恋愛
惑いの森に捨てられた少女アイリスは、そこで偶然出会った男、ヘイルに拾われる。アイリスは森の奥の都で生活を送るが、そこは幻の存在と言われる竜が住む都だった。加えてヘイルも竜であり、ここに人間はアイリス一人だけだという。突如始まった竜(ヘイル)と人間(アイリス)の交流は、アイリスに何をもたらすか。
〔不定期更新です〕
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
人形な美貌の王女様はイケメン騎士団長の花嫁になりたい
青空一夏
恋愛
美貌の王女は騎士団長のハミルトンにずっと恋をしていた。
ところが、父王から60歳を超える皇帝のもとに嫁がされた。
嫁がなければ戦争になると言われたミレはハミルトンに帰ってきたら妻にしてほしいと頼むのだった。
王女がハミルトンのところにもどるためにたてた作戦とは‥‥
最初から最後まで
相沢蒼依
恋愛
※メリバ作品になりますので、そういうの無理な方はリターンお願いします!
☆世界観は、どこかの異世界みたいな感じで捉えてほしいです。時間軸は現代風ですが、いろんなことが曖昧ミーな状態です。生温かい目で閲覧していただけると幸いです。
登場人物
☆砂漠と緑地の狭間でジュース売りをしている青年、ハサン。美少年の手で搾りたてのジュースが飲めることを売りにするために、幼いころから強制的に仕事を手伝わされた経緯があり、両親を激しく憎んでいる。ぱっと見、女性にも見える自分の容姿に嫌悪感を抱いている。浅黒い肌に黒髪、紫色の瞳の17歳。
♡生まれつきアルビノで、すべての色素が薄く、白金髪で瞳がオッドアイのマリカ、21歳。それなりに裕福な家に生まれたが、見た目のせいで婚期を逃していた。ところがそれを気にいった王族の目に留まり、8番目の妾としてマリカを迎え入れることが決まる。輿入れの日までの僅かな時間を使って、自由を謳歌している最中に、ハサンと出逢う。自分にはないハサンの持つ色に、マリカは次第に惹かれていく。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる