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第6話 すれ違い①
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「ソフィア、すまなかった!」
「お、お待ちください!」
立ち上がり、部屋の出口へと向かおうとした夫を、ソフィアは後ろから抱きしめた。突然抱きしめられたことに驚いたのか、オーバルの足が止まる。
しばらく立ち尽くしたままの二人だったが、
「すまな、かった……」
沈黙を破ったのはオーバルの謝罪だった。
だが、ソフィアが欲しいのは謝罪の向こうにあるもの。だから、問う。
「何に対する謝罪なのですか?」
オーバルは言葉を詰まらせた。ソフィアの質問は予想外だったのだろう。再び沈黙が続き、やがて空気が動いた。
「……君が催眠術にかかっているのをいいことに、その、色々と……」
「愛していると言ってくれとおっしゃったり、抱きしめたり、膝枕をしたり、ですか?」
息を呑む音がし、抱きしめている夫の体が強張った。だが長い息を吐き出すと同時に固まっていた体から力が抜けていき、やがて観念したようにオーバルが頷いた。
「ああ、そうだ」
「言ってくだされば、いくらでもお相手しましたのに」
「これ以上、君に無理をさせたくなかった。言い伝えのせいで俺と結婚させられて、君の大切な人生を奪ってしまったから」
「それは、どういう……」
「……いたんだろ? 結婚を心に決めた相手が」
「えっ?」
初耳だ。
自分自身のことなのに、全く身に覚えがない。
オーバルに一目惚れしたが、そもそも結婚できるとは思っていなかったので対象外だ。
なので気持ちがまんま声色に出てしまう。
「あ、あの……そんな方、いませんでしたけど……?」
「え?」
今度はオーバルが声を上げる番だった。
「い、いや、それはおかしい! 俺は確かに、君には心に決めた結婚相手がいると聞いたぞ。その証拠に、婚約した後、何度も君に手紙や贈り物を送ったのに全く返信がなかったから、怒って俺を避けているものだと……」
「手紙も贈り物も私の元には届いていませんが……ちなみに、誰からそのような話をお聞きに?」
犯人の目星はついているが、念の為に訊ねると、
「き、君の、お祖父様だ」
「あー……」
予想通りすぎて怒りも湧かなかった。
「嘘ですよ、オーバル様。私には、心に決めた結婚相手なんていません。祖父にまんまと騙されたのです。恐らく、祖父が勧めた相手と結婚しなかった腹いせでしょう」
祖父は、ソフィアの結婚が自分の思ったとおりに進まず、大層腹を立てていた。
しかし相手は自分よりも格上の侯爵家当主。表立って荒事を起こすには相手が悪すぎる。
だからせめてもの腹いせに、こんな地味な嫌がらせをしたのだろう。
祖父の策略によって、ソフィアの恋路を邪魔してしまったと責任を感じたオーバルは、ソフィアに歩み寄ることをやめてしまった。
そしてソフィアも、自分が靴を飛ばさなければ、という罪悪感のせいで、オーバルに自分が抱く本心を隠し続けた。
祖父の些細な嫌がらせが、夫婦のすれ違いを生むとは。
「申し訳ありませんでした。祖父のせいで、あなたに不快な思いをさせてしまって……」
オーバルを抱きしめる腕に力を込める。ソフィアが直接関わっていないとはいえ、身内が侯爵家当主に無礼を働いたのだ。
叱責されても仕方ないと思っていたのだが、代わりに聞こえてきたのは、不安と戸惑いに満ちた確認の言葉だった。
「君は怒っていなかったのか? 大昔の戯れ言で俺と結婚させられて、嫌ではなかったのか? 結婚後、俺を憎んでいる様子を一切見せなかったから、さぞかし無理をしているんじゃないかと……」
「怒っても憎んでもいませんよ。むしろ……」
小さな笑いとともに出そうになった本心に、慌ててストップをかける。しかし、オーバルが体ごと向きを変えると、ソフィアと対峙した。
彼の瞳が、どこか期待するように細められている。
「むしろ、何だ?」
「えっと……」
改めて問われると、気恥ずかしさで心がいっぱいになってしまう。
とっさに後ろに引こうとしたが、今度は彼の手がソフィアの背中に周り、抱きしめられてしまう。体をとらえる腕から、答えなければ離さないという意思が伝わってくる。
ソフィアは俯きつつも、密着した体から伝わってくる彼の速い鼓動を感じながら、覚悟を決めて口を開いた。
「むしろ、嬉しかった……です。だってあなたは世の女性たちの憧れであり、私も、あなたに憧れる女性たちの一人だったのですから。でも――」
同時に湧き上がる罪悪感が、ソフィアを早口にする。
「同じぐらい申し訳なかったのです。私があの時靴を飛ばさなければ、あなたにはもっと良い結婚相手がいたのではないかと。だから、あなたから愛されなくてもいいと思ったのです」
たとえ義務だけで繋がった夫婦であっても、
たとえ彼から愛されていなくとも、
十分に幸せなのだと自分の本心を隠し続けた。
だが、今は――
「……愛しています、オーバル様」
顔をあげると、彼の瞳を見つめながら真っ直ぐ伝える。
墓の下までもっていこうと誓った言葉を、
今の生活に変化を与えたいと思った言葉を、
伝えずにはいられなかった。
彼に愛されたいという本心に今更蓋をして、見なかったふりをするなど出来なかった。
オーバルは大きく目を見開いた。そして何度か目を瞬かせると、ぼそっと呟く。
「ソフィア、まだ催眠術にかかっているとかは……」
「そもそも、催眠術にはかかっていません! で、でも催眠術が失敗したのを、メーナに言い出せない雰囲気で……」
「確かに、メーナは思い込みが激しいところがあるからな。俺も今になって、何故メーナの催眠術が効いたと疑わなかったのか不思議でならない」
はぁっとオーバルの唇から、過去を悔やむようなため息が洩れた。
「お、お待ちください!」
立ち上がり、部屋の出口へと向かおうとした夫を、ソフィアは後ろから抱きしめた。突然抱きしめられたことに驚いたのか、オーバルの足が止まる。
しばらく立ち尽くしたままの二人だったが、
「すまな、かった……」
沈黙を破ったのはオーバルの謝罪だった。
だが、ソフィアが欲しいのは謝罪の向こうにあるもの。だから、問う。
「何に対する謝罪なのですか?」
オーバルは言葉を詰まらせた。ソフィアの質問は予想外だったのだろう。再び沈黙が続き、やがて空気が動いた。
「……君が催眠術にかかっているのをいいことに、その、色々と……」
「愛していると言ってくれとおっしゃったり、抱きしめたり、膝枕をしたり、ですか?」
息を呑む音がし、抱きしめている夫の体が強張った。だが長い息を吐き出すと同時に固まっていた体から力が抜けていき、やがて観念したようにオーバルが頷いた。
「ああ、そうだ」
「言ってくだされば、いくらでもお相手しましたのに」
「これ以上、君に無理をさせたくなかった。言い伝えのせいで俺と結婚させられて、君の大切な人生を奪ってしまったから」
「それは、どういう……」
「……いたんだろ? 結婚を心に決めた相手が」
「えっ?」
初耳だ。
自分自身のことなのに、全く身に覚えがない。
オーバルに一目惚れしたが、そもそも結婚できるとは思っていなかったので対象外だ。
なので気持ちがまんま声色に出てしまう。
「あ、あの……そんな方、いませんでしたけど……?」
「え?」
今度はオーバルが声を上げる番だった。
「い、いや、それはおかしい! 俺は確かに、君には心に決めた結婚相手がいると聞いたぞ。その証拠に、婚約した後、何度も君に手紙や贈り物を送ったのに全く返信がなかったから、怒って俺を避けているものだと……」
「手紙も贈り物も私の元には届いていませんが……ちなみに、誰からそのような話をお聞きに?」
犯人の目星はついているが、念の為に訊ねると、
「き、君の、お祖父様だ」
「あー……」
予想通りすぎて怒りも湧かなかった。
「嘘ですよ、オーバル様。私には、心に決めた結婚相手なんていません。祖父にまんまと騙されたのです。恐らく、祖父が勧めた相手と結婚しなかった腹いせでしょう」
祖父は、ソフィアの結婚が自分の思ったとおりに進まず、大層腹を立てていた。
しかし相手は自分よりも格上の侯爵家当主。表立って荒事を起こすには相手が悪すぎる。
だからせめてもの腹いせに、こんな地味な嫌がらせをしたのだろう。
祖父の策略によって、ソフィアの恋路を邪魔してしまったと責任を感じたオーバルは、ソフィアに歩み寄ることをやめてしまった。
そしてソフィアも、自分が靴を飛ばさなければ、という罪悪感のせいで、オーバルに自分が抱く本心を隠し続けた。
祖父の些細な嫌がらせが、夫婦のすれ違いを生むとは。
「申し訳ありませんでした。祖父のせいで、あなたに不快な思いをさせてしまって……」
オーバルを抱きしめる腕に力を込める。ソフィアが直接関わっていないとはいえ、身内が侯爵家当主に無礼を働いたのだ。
叱責されても仕方ないと思っていたのだが、代わりに聞こえてきたのは、不安と戸惑いに満ちた確認の言葉だった。
「君は怒っていなかったのか? 大昔の戯れ言で俺と結婚させられて、嫌ではなかったのか? 結婚後、俺を憎んでいる様子を一切見せなかったから、さぞかし無理をしているんじゃないかと……」
「怒っても憎んでもいませんよ。むしろ……」
小さな笑いとともに出そうになった本心に、慌ててストップをかける。しかし、オーバルが体ごと向きを変えると、ソフィアと対峙した。
彼の瞳が、どこか期待するように細められている。
「むしろ、何だ?」
「えっと……」
改めて問われると、気恥ずかしさで心がいっぱいになってしまう。
とっさに後ろに引こうとしたが、今度は彼の手がソフィアの背中に周り、抱きしめられてしまう。体をとらえる腕から、答えなければ離さないという意思が伝わってくる。
ソフィアは俯きつつも、密着した体から伝わってくる彼の速い鼓動を感じながら、覚悟を決めて口を開いた。
「むしろ、嬉しかった……です。だってあなたは世の女性たちの憧れであり、私も、あなたに憧れる女性たちの一人だったのですから。でも――」
同時に湧き上がる罪悪感が、ソフィアを早口にする。
「同じぐらい申し訳なかったのです。私があの時靴を飛ばさなければ、あなたにはもっと良い結婚相手がいたのではないかと。だから、あなたから愛されなくてもいいと思ったのです」
たとえ義務だけで繋がった夫婦であっても、
たとえ彼から愛されていなくとも、
十分に幸せなのだと自分の本心を隠し続けた。
だが、今は――
「……愛しています、オーバル様」
顔をあげると、彼の瞳を見つめながら真っ直ぐ伝える。
墓の下までもっていこうと誓った言葉を、
今の生活に変化を与えたいと思った言葉を、
伝えずにはいられなかった。
彼に愛されたいという本心に今更蓋をして、見なかったふりをするなど出来なかった。
オーバルは大きく目を見開いた。そして何度か目を瞬かせると、ぼそっと呟く。
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