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第39話 その名の向こうにある、何か――

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 ……ここは、どこだ?

 先ほどまで俺は、黒い靄がかかった白い空間にいた。
 でもここは……逆だ。

 闇に包まれた空間。なのに、自分の身体は見える不思議な空間。
 先ほどまで狭間の獣と戦っていたはずなのに、一体どこに来てしまったんだ?

”――思い出せ”

 後ろから、俺と同じ声がした。
 慌てて振り返るとそこには、

 ――俺がいた。

 黒い髪に黒い瞳。
 精悍な顔つきに、鍛えられた身体。

 今でも鏡で見ると、良い男だよなあーと、井上拓真感覚で見てしまう自分の姿が目の前にあった。

 もう一人の俺は、両腕を組みながらこちらを睨んでいる。自分の分身みたいなのが目の前にいるのに、不思議と混乱はない。

 こいつが俺に声をかけ、チート能力を願わせようとしなかった元凶だろうか。
 そう思うと、何か腹が立ってきたぞ。

「さっきからなんだよ。思い出せ思い出せって……一体俺に何を思い出せって言うんだよ。何を忘れているって言うんだよ‼」
”違和感があっただろ”
「……どういうことだよ、違和感って」

 俺らしい、あまりにも雑な返答に、首を傾げつつも突っ込んだ。
 違和感っつったら、今この状況がまさに、違和感の塊なんだが。

 もう一人の俺が、鋭い視線を投げかけてくる。
 めっちゃ怖いやん……

 仕方なく俺は、今までのことを振り返った。コイツが言う違和感ってやつを、記憶の中から探し出す。

 ――そうだ。
 ずっと、ずっとずっと引っかかっていたものがあった。

”ありがとうございます、レオン”

 繰り返されたどこかの時間の中で、薄黄色のドレスを贈られた礼を言いに来たリュミエールの言葉。
 これを思い出すたびに、理由の分からない違和感が、酷く心を揺さぶった。

 その理由がここにきて、俺の中からスッと出て来た。
 今まで、何故こんな簡単なことに気付かなかったのだろうと疑問に思うぐらい。

 リュミエールは俺を――

 

 俺がこの記憶を思い出す度に抱いていた違和感の正体は、これだ。

 繰り返された時間で起こる出来事は、全く同じじゃない。
 ビアンカが経験したように、一度目の人生のリュミエールが攻撃的であっても、二度目三度目のリュミエールがそうとは限らないように。

 なら、俺が覚えていないだけで、彼女が俺を呼び捨てにする出来事があったのかもしれない。百回人生を繰り返せば、一度ぐらいは俺を呼び捨てにするリュミエールが出てくるのかもしれない。

 だが……恐らく違う。
 いや、確信している。

 百回だろうが千回だろうが、リュミエールは俺を呼び捨てにしなかった、と。
 記憶になくとも、戦いの空気感に触れただけで身体が動いたのと同じように、どれだけ繰り返されたか分からない時間の中で、彼女が俺の名を呼び捨てにしたことはないと、心が叫んでいる。

 だからこうして、酷い違和感として俺に訴えかけてきたのだ。

 贈った記憶だけが残っていた薄黄色のドレス。
 俺を呼び捨てにするリュミエール。

 それをきっかけに、これまで違和感をもった出来事が次々と浮かび上がってきた。

 死に戻り、記憶をもつビアンカ。 
 何度もチート能力を授かったはずなのに、世界の破滅を防げなかった俺。
 リュミエールが処刑されることで狭間の獣を祓ったのに、死に戻ったビアンカ一回目の人生。
 しかしその後、何もなかったのに突然死に戻った、あの子の二回の人生。

 そして――

「アリシア」

 前世の記憶を思い出してからビアンカに言われるまで、ずっと妻だと思っていた名前。
 
 俺が忘れているのは……その名の向こうにある、何か――

 鉛のように重い両足を必死になって動かしながら、もう一人の俺に近付く。
 奴に向かって手を伸ばす。

 その手が触れる前に、もう一人の俺の唇が動いた。

”約束したんだ。失った幸せの形を、必ず取り戻すと――”

 幸せの形――

 脳裏に、チェリックの通りで、親子三人、手を繋いで歩いた影の形が過った。

 心が締め付けられる。
 だってそこには、三つの影なかったから。

 本当は……あったんだ。
 あったはずなんだ。

 もう一つの、小さな影が――

 瞳から零れた滴が、頬を伝って落ちていく。
 ギュッと強く瞳を瞑ると、下まぶたに堪っていた涙が全て流れ落ちた。

 唇が、言葉を紡ぐ。

「……すまない」

  ”いいえ――"

「ずっと……ずっとお前を待たせてしまった」

  ”いいえ――”

「忘れていたとはいえ、酷い言葉をたくさん言ってしまった」

  ”ふふっ……そうですね――”

「……そこは否定しないんだな?」

  ”冗談ですよ。分かっています。あなたが強い言葉を使うに至った想いを――”

 ゆっくり瞳を開いた先にいたのは、ギリシャ神話に出てくる女神のような服装をし、頭から被った布で顔を隠している女性――ファナードの女神。

 伸ばしたままだった俺の手が、彼女の顔を覆い隠していた布を取る。

 役目を終えた布が、足下に落ちた。

 視界に映ったのは、ひとまとまりにした艶やかな水色の髪。女性らしい丸みがありながらも引き締まった頬はほんのり赤みを帯びていて、マッチ棒が何本乗るのか試したくなるぐらい長いまつ毛が、青い瞳を縁取っている。

 俺が愛してやまない妻、リュミエールが目の前にいた。
 だが俺の唇は震えながら、彼女の名を呼ぶ。

「アリシア」

 艶やかな唇が僅かに笑みを形作る。
 肯定するように――

「ありがとうございます……レオン。辿り着いて、くれたのですね」

 その言葉が、何の違和感もなくスッと俺の心に染みこんでいった。




 彼女の名は――アリシア・エデル・エクペリオン。

 異世界ファナードの女神にして、井上拓真の前世、つまり俺の前々世である、エクペリオン国王レオン・メオール・エクペリオンの



 ――妻だ。
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