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31 加害者の来訪

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 秋良を保育園に送り出し、自宅に帰って仕事を始める。
 しかし、あまり集中できない。
 ちらりと時計を見て「あと4時間……」と呟く。

 事故を起こした運転手からの手紙を読んでから1週間が経つ今日、本人が謝罪にやってくる。

 あれから俺は、手紙の返事を書いた。
 一度会いたいと。
 自分の連絡先を添えて。

 おそらく手紙が届いてすぐに連絡してくれたのだろう。
 電話先の男は声を震わせ、すぐにでも謝罪に伺いたいので、都合のいい時間を教えてほしいと言った。
 そして俺が指定したのが、今日なのだ。


 約束の時間は、昼の1時。
 それまでに最低限の仕事はこなしておかなくてはならない。

 パソコンに向かいながらも、気が気ではなかった。
 それでも、目の前に作業を黙々と進めることで、少しは気を紛らすことができた。







『来てるぞ』


 昼食を終え、お茶を飲むながらぼんやりしていた俺に、兄が言った。


「来てるって?」

『約束の時間まで、外で待ってるつもりらしい』


 兄の言葉に、窓から外を覗く。
 玄関の近くに、身体を小さく丸めた男が立っていた。

 時間はまだ、約束の15分前。
 早すぎる訪問は失礼になるだろうと、家の前で待っているようだ。

 俺は立ち上がり、玄関に向かった。
 玄関の前で立ち止まり、呼吸を整える。
 始めて会う加害者に緊張が高まるが、心を決めて玄関ドアを開いた。


 目があった男は、驚いた様子だったが、すぐに地面に這いつくばるように頭を下げた。

 本物の土下座、初めて見たな。
 そんなことを考えながら、立ち上がるよう促した。

 男の身体は、小刻みに震えていた。


「とりあえず、中へどうぞ」


 男が玄関に足を踏み入れると、ひんやりとした空気が漂い始めた。
 義姉が反応しているのだろう。

 俺は不安になったが、俺の横に立っていた兄の表情には、まだ余裕がある。
 まだ大丈夫ということだろうかと、少しだけ安堵した。

 兄は時折横を向いて話している。
 義姉とは会話ができないと言っていたから、先日言っていた早見さんだろうか?
 時折爆笑しているが、小声で話しているのか、まったく内容がわからない。

 緊迫した場面でふざけないんでほしいんだけどな。
 そう思いつつも、緊張が和らいだ気がした。


 男は、リビングに置いてある兄夫婦の遺影と骨壺を見て、深々と頭を下げた。

 健全な成人男性とは思えないほど痩せ細った男は、兄から話に聞いていた通りの印象だった。
 男は高級そうな菓子折りを差し出し「この度は、まことに申し訳ございませんでした」と改めて謝罪する。

 
 俺と同年代くらいだろうか。
 やつれきっているが、顔立ちはまだ若い。


「大丈夫ですか?」


 気づくと、そう声に出していた。
 男が今にも壊れてしまいそうだったから。

 義姉のこともあり、男に会う気にはなったが、俺は彼を責めるつもりでいた。
 反省していることはわかっていても、家族の命を奪われた怒りが消えることはなかった。
 しかし目の前で震えている男を見ていると、そんな怒りの感情が薄らいでいくのを感じる。

 悲しみが癒えたわけではない。
 でも、ここまで苦しんでいる彼をこれ以上傷つけてやろうとは思わなかった。


 男は「すみません」と小声で何度も繰り返していた。
 その瞳に光はなく、ただ涙だけが零れ落ちている。


 男にティッシュを差し出そうとしたそのとき、何かが軋むような音がした。


 はっとして兄を見ると、険しい顔をして固まっている。
 その視線は、遺影の方へ向けられていた。

 とたん、ガタガタガタガタとけたたましく遺影が揺れ始めた。
 遺影だけじゃない。
 骨壺やお供え物、戸棚の中の食器や本など、あらゆるものが怒りに震えるように揺れている。


 男は多少戸惑った様子だったが、反応は鈍く、ぼんやり座り込んだままだ。
 俺は一時避難した方がいいかと、男に退出を促そうとした。

 そのとき、遺影のそばに黒いもやがあることに気づく。

 もやの形は不安定だが、人のように見える。
 もしかしたら、あれは義姉なのだろうか?
 そう思っていたら、兄が『やめろ!』と叫んでもやに飛びついた。


「……俺、夢でも見てるんですかね……」


 男が言った。
 男の視線も、黒いもやに向けられている。
 どうやら彼にも、あれが視えているらしい。

 俺は「現実です」と返した。


「信じられないかもしれないけど、あの事故で亡くなった3人とも、幽霊になってここにいるんです」

「……そして、俺に怒っているんですね」


 男はすんなり状況を受け入れたようだった。
 こんな非科学的な状況を疑うこともしないほど、男は追い詰められているのだろう。

 男の顔に、うっすらと笑みが浮かぶ。


「俺を殺しに来たんですね。……ちっぽけな俺の命なんかじゃ、何の償いにもならないのはわかってるけど……少しでも気が晴れるならば、それほど嬉しいことはないです」


 男は目を閉じ、両手を広げる。
 義姉の復讐心を受け入れるつもりらしい。
 黒いもやが、男に向かって伸びていくのを見て、俺はとっさに男の前に立ちふさがった。
 
 恨みを晴らしたい義姉の気持ちはわかる。
 できることなら、好きにやらせてやりたいとさえ思う。
 それでも俺は、どんな形であれ、あの優しい義姉に人を傷つけてほしくはなかった。


 黒いもやが、俺の首に絡みついた。
 真綿で首を絞められているように、じわじわと呼吸が苦しくなる。

 俺が低いうめき声をあげると、兄が悲鳴混じりの声で俺の名前を呼んだ。


『春馬、お札だ!早くお札使え!!』


 兄に言われて、お札は胸ポケットの中に忍ばせてある。
 しかし、これを使えば義姉はどうなるかわからない。

 息苦しさに悶えながらも、俺は首を横に振った。
 兄が舌打ちをして、義姉に怒鳴りつける。


『いくらお前でも、弟を殺したら許さないぞ!秋良をまた一人残すつもりか!!』


 秋良の名前に反応したのか、俺の首を絞めていた力が弱まった。
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