怖い話

かもめ7440

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縫え

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 べちょり・・・べちょり・・・べちょり・・・。
 心臓が早鐘を打つ。
 ナメクジのように近付いてくる―――。
 一突きしたら、膿んだ汁がどろっと流れ出てきそうな音が―――。
 はんたいの方で黒い影となって薄気味悪く揺れている。
 カン―――カン・・・。
 僕に逃げ場所はない。
 しっくいの剥げた巨大な布壁が見えている。
 黒い牛の霜降り肉のような夜の明るさが見えている。
 あるのは、ある―――のは・・窓―――飛び降りるか・・。
 非常階段があるが、あらかじめ・・・。
 吊り下げ梯子や、緩降機を使うタイプの避難用ドアだと知っている。
 そうだ、それはそういうものだと知っている―――。
 、、、、、、、、、、、、、、、、、、
 記憶が少しずつ少しずつえぐられてゆく。 


   *


 ―――何かが僕を見ている。

 それは眠れない夜なんかにふっと天井や、壁の隅から感じる気のせいかも知れない。しかしこの“研ぎ澄まされた感覚”という『暗灰色』は、啓示に満ちている。
 何しろ世の中には、色んな“恐怖症”というのが存在する。
 たとえば、それは視界に入った先の尖ったものが自分に刺さるような錯覚。
 たとえば、それは蜘蛛・・・・・・。

 
   *


 僕は錠によって閂をかけられた思考・・・・・・。
 一つの景色をもっと鮮やかにするためにあえて不吉な景色を足す心理。
 石を喰ったような夜、僕は言っていた。

 「お前の名前は、“影”だ。」

 次の瞬間、夜の闇は水死体のように膨張した。
 そして一つの世界は終わった。
 いや、一つの世界が始まろうとしていた。
 
 ―――ここは夜の国・・・。


   *


 これまで沢山の怖い話を聞いてきた。
 だんだんに低くかがみこんでゆくような小さな声の気配。
 風邪を引いたような犬の声。
 何かが暗闇から這い上がってくるような気配。

 でもどんな話も仕掛け装置があるのだと僕には思われた。
 幽霊なのにどうして物音がするのか。
 見ているだけならば存在しないのと同義なのではないか。
 いや違う―――“神”がいなくなったこの世界では・・・。
 ―――人の複合的な意識は目覚めない・・。

 でもその時、僕は知った。
 そこにはまるで行ったことも見たこともない類のはずの廃墟が・・。
 眼前に―――映し出されていた。
 すべてが泥水の霧のようだった曖昧な夜の・・・。
 その―――空虚な穴は消えていた。
 
 一つだけどんな怖い話にも完璧な答えが存在する。
 どんなに胡散臭くても、そこにどしゃぶりのような精神がある。
 
 ―――無意識に人はそれを呼び寄せる。


   *
 

 べちょり・・・べちょり・・・べちょり・・・。
 生理的にぞっとするこんな電気を帯びたような水の音に・・。
 精彩を欠く。
 それ自体が時間の水底のしずかな反映であるかのように、それは来た。
 僕の中から生み出されたもの、否、僕にしか見えない、僕にしかわからないもの。
 
 悪いことはいくつも積み重なっていた。
 不幸にも見舞われた。
 恋人にふられ、大切な家族を失くした。
 自分では持ち直そう持ち直そうと足掻くがどうしても抜け出られない。
 愁いににみちたこの地獄のなかで僕は生きる気力もうしなうまいとしながら・・。
 会社を休職し、少ない友達との連絡も断ち、いつか世の中を拒絶した。
 僕は極度に芯をちぢめた蝋燭みたいなものだった。
 
 べちょり・・・べちょり・・・べちょり・・・。
 ズルッ―――ズルッ・・ズルッ・・・。
 そして僕はそいつから逃げていた。
 いつまでもいつまでも逃げていた。
 自らの重さを持て余した末に自らの生み出した怪物を欲し―――。
 なお、その怪物によって自らが殺される夢・・・・・・。 

 僕はいつかその扉の前でこの平原を終わらせようとした。
 僕は観音開きのドアの向こうを見た。
 高さ数十メートルの、何もない空間へと一歩を踏み出そうとした。
 誰かが微笑みをたたえ、大きな泡の割れるような笑い声をあげた。
 それは生きたゼリーのようにふるえていた。
 
 崩壊する自分の宇宙、人生を幾通りも延長させるために欲望が生まれ・・。
 恐怖はその時、充血した魚の眼のようになる。

 ―――すうっと、足を踏み出す。

   *

 女子高生たちが、その“膿んだ傷口”になれなれしく触れる。
 「ねえ、あの家出るんだって。」
 (殺してやろうか・・)
 、、、、、、、
 呪ってやろうか―――。

 「知ってる知ってる、でもそんなことあるわけないじゃん。」
 
   *

 ―――ぐしゃっ、と次の瞬間、不思議な音がした。
 「あれ、いまなんか変な音・・」
 、、、、、、、
 きこえなかった?

 と、―――女子高生の携帯電話に不在着信がある。
 もしもし、と電話を取ると、何も喋って来ない。
 気が付くと、ウウ―――ッ・・とか、低く押し殺した唸り声がきこえてくる。
 全身鳥肌が立った。
 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
 呪いは壮大な趣を見せながら伝染してゆく。

 原型をとどめない、しかも、不条理。
 しかしこの水をうしなった焦げ付きそうな熱い砂のうえの魚たちには・・。
 、、、、、、、
 きこえなかった?
 、、 、、、、、、、
 ねえ、きこえなかった?


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