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5 記憶喪失だそうですよ

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「お嬢様は、記憶を失っておいでです」

 ジェラルドの答えに、二人は顔を見合わせる。

「なんと!」
「じゃあ、婚約破棄のことは憶えていないのね?」
「そのようです」

 ほっとしたような気まずそうな、複雑な表情を浮かべる夫婦にアリシアは問いかけた。

「あの、お話の途中ですみません。あなた方のお名前を伺ってもよろしいですか?」
「アリシア? お前が冗談を言うなど、珍しいな」
「冗談などではありません。ジェラルド先生の、お知り合いの方でしょうか?」

 その場の空気が凍り付いたのを、アリシアは感じた。

(え、私言っちゃ駄目なこと言った?)

 沈黙を破ったのは、ジェラルドだった。

「公爵、アリシア様は酷い侮辱を受けたのですよ。それなのにあなたはご自分の娘を庇うこともせず、あのような馬鹿げた行いを咎めもしなかった」
「それは……」
「人の脳は、酷いショックを受けると自身の精神を守るために記憶を消すことがあるのです。お嬢様は広間での出来事、そしてそれに関連付けられた辛い出来事や、人々の記憶を消してしまったのです!」

 ジェラルドは公爵家の侍医であると同時に、王族の信頼も厚い医師だ。鋭い眼光でぎろりと睨まれ、公爵は蛇に睨まれたカエルのごとく固まっている。

「あえて問いはしませんが、お心当たりはあるでしょう? 奥方様も同罪です」
「そんな……だって私は、ダニエラの幸せを思って」
「だからといって、許される行いではありません。奥方様も分かっているのでしょう。そもそもお二人は、ダニエラ様の躾を――」

 ここぞとばかりにお説教を始めたジェラルドの様子から察するに、余程怒りが溜まっていたのだろう。

(なんとなく、分かってきたわ)

 彼らの遣り取りを聞くうちに、アリシアは自分の身に起こったことを把握する。

 ただし状況を理解しただけで、両親や妹、そして婚約破棄に関する記憶が戻ったわけではない。おそらく「こういったことが起こったのだろうな」程度の感覚しかなく、アリシアの中ではまるで他人事だ。

(いきなり婚約破棄されたら、誰だって驚いて倒れるわよ。その上、相手は義理の妹なんてやってられないわ)

 お説教が続く中、一人の使用人が書類を抱えて入ってきた。

「旦那様。こちらの書類に関してですが、早急にご指示をお願い致します」
「アリシア、指示を出せるか?」

 父が受け取った書類をそのまま渡されるが、幾つもの数字が並ぶそれを見ても何のことやらさっぱりだ。

「なんですか、これ?」
「小麦の価格変動に関して問題点があると、お前が提案した議題だろう。起きられるのなら、早急に仕事にかかりなさい」
「お止めください公爵! アリシア様は頭を強く打ったのですよ」
「しかしだな。これは急を要する内容なのだ。分かってくれるだろう、アリシア」

 困り果てた様子で腕組みをされても、分からないものは分からない。
 なのでアリシアは、正直に答えた。

「いいえ、分かりません。この数字と価格と、どう関係があるのですか?」
「アリシア、お前……」
「旦那様、帳簿の確認をお願いしたいのですが」

 公爵が口を開きかけたタイミングで、別の使用人が帳簿を抱えて飛び込んでくる。
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