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其の三の六
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平次郎達がいた日本橋から一転、ここはナナ太郎の住む深川の長屋である。
ナナ太郎の元に、一人、いやお一方、お客が訪ねてきていた。
「こんなに早い時間に出歩いてもだいじょうぶなのですか?」
訪ねてきたのはいつぞやあの暗闇坂で占った豆腐小僧である。夜が活躍の場である物の怪が真昼間にナナ太郎の住む長屋にやって来たとあって、さすがにナナ太郎も大丈夫なのかと疑問に思っていた。
「おいらは何時だって平気さ。明るいと人間が気がつかないだけなんだよ。だから、昼間だって雨の日の薄暗い時には気づいてもらえるわけさ」
戸口に立って話していた豆腐小僧がグッと部屋のほうへ歩み寄った。
その目は何か嬉しそうにキラキラしていた。
「それより、友達ができたんだ。本当にナナ太郎さんの言うようになったよ」
「それは良かったですね」
「毎日……じゃあないけど時々会って話をしたり遊んだりしてるんだ」
「じゃあ、もう寂しくないですね。今までのように豆腐で人間を驚かしたりしなくなったという事ですね」
「いや、それはおいらの仕事だからさ。袖引きの奴だって同じだよ。せっせと袖を引いてる。奴は誰かを探してる……ん? あれまあ、いったい誰を探してるって言うんだろう」
豆腐小僧の話を聞いて、珍しくナナ太郎はふふっと笑った。
「そうですか、まあほどほどにね」
「言われなくたってほどほどだよぉ」
ナナ太郎は、こんなほほえましいやり取りを出来るのは辻占のおかげだなと思った。
そしてふと、これでも感情がないのだろうか、と父親とナナ太郎が信じているあの光の中に現れたかすかな人影に言われたことを思い出した。
これも頭で考えて笑っているだけなのだろうか、と言う思いが横切り、ナナ太郎の顔の表情が一気に無くなった。
「どうかした?」
「あ、いや。豆腐ちゃんはうらやましいなと思いました」
「えっ? なんで」
「寂しいとか嬉しいとか、すごく素直だから。いいですよ。ずっとそのままでいてくださいな」
「おいらは、ずっとこのままだよ。どうやったって変わりようがないさ。だって物の怪なんだもの」
その時、声がするのが先か引き戸が開くが先か、ガラリと引き戸が開いて平次郎が現れた。
「ナナ太郎さんいるかい? 入るよ」
「ひゃっ!」
軽い悲鳴のような声を出した戸口に立っている豆腐小僧である。その鉢合わせに平次郎は驚く様子もなく、まるで、勝手知ったるナナ太郎の家と言った風に慣れた様子で中へと入った。
「ひゃっ、びっくりした。なんだ、馬場先のおじさんかぁ」
「おう、豆腐じゃねえか。今日は何の用でい?」
「ほんのお礼にさ。豆腐を持ってきたんだよ。あれまあ、お客さんを連れてきたの?」
ナナ太郎の部屋の前に二つの人影があった。
「ああ、あちらさん達もナナ太郎さんにお礼を言いたいと言うんでね。ほれ、隠れてねえでこっちへ入ってきたらどうなんで」
平次郎はちらとお可奈と為松のほうを見る。
つられる様に豆腐小僧もそちらの方を見た。
「あれまあ、これはこれは」豆腐小僧は二人の様子を上から下まで見て取ると、何もかも承知したとでも言うようにうんと大きくうなずいた。
「じゃあ、おいらは今日はこれで失礼するよ」
豆腐小僧は、再びお可奈と為松の顔を見て意味深ににっこりと笑い、横をするりと抜けて長屋を後にした。
為松が常にお可奈の後を付いて回るのは旦那様からの言いつけだ。とは言え為松は、心の奥底でお可奈と一緒にいられると言う嬉しい気持ちがある自分を知っている。
しかし、先程の平次郎のからかいようもさることながら、あのような小さな子供にまでも自分のお可奈への気持ちを見取られてしまったような気がして、今、なんとも言えない居心地の悪さを感じていた。
「お可奈ちゃん、お礼を言ったらすぐに帰ろうね」
「何言ってるのよ為松ちゃん。やっと腰を落ち着けてナナ太郎さんに会うことが出来るんじゃない。こうして手土産も持ってきたし、占いの一つもしてもらいたいわ」
お可奈の方はと言うと、人の目など一向に気にしていない様子だった。
それよりも、やっと憧れのナナ太郎に落ち着いて逢う事が出来るという気持ちで、お可奈の胸の内はいっぱいだったのである。
ナナ太郎の元に、一人、いやお一方、お客が訪ねてきていた。
「こんなに早い時間に出歩いてもだいじょうぶなのですか?」
訪ねてきたのはいつぞやあの暗闇坂で占った豆腐小僧である。夜が活躍の場である物の怪が真昼間にナナ太郎の住む長屋にやって来たとあって、さすがにナナ太郎も大丈夫なのかと疑問に思っていた。
「おいらは何時だって平気さ。明るいと人間が気がつかないだけなんだよ。だから、昼間だって雨の日の薄暗い時には気づいてもらえるわけさ」
戸口に立って話していた豆腐小僧がグッと部屋のほうへ歩み寄った。
その目は何か嬉しそうにキラキラしていた。
「それより、友達ができたんだ。本当にナナ太郎さんの言うようになったよ」
「それは良かったですね」
「毎日……じゃあないけど時々会って話をしたり遊んだりしてるんだ」
「じゃあ、もう寂しくないですね。今までのように豆腐で人間を驚かしたりしなくなったという事ですね」
「いや、それはおいらの仕事だからさ。袖引きの奴だって同じだよ。せっせと袖を引いてる。奴は誰かを探してる……ん? あれまあ、いったい誰を探してるって言うんだろう」
豆腐小僧の話を聞いて、珍しくナナ太郎はふふっと笑った。
「そうですか、まあほどほどにね」
「言われなくたってほどほどだよぉ」
ナナ太郎は、こんなほほえましいやり取りを出来るのは辻占のおかげだなと思った。
そしてふと、これでも感情がないのだろうか、と父親とナナ太郎が信じているあの光の中に現れたかすかな人影に言われたことを思い出した。
これも頭で考えて笑っているだけなのだろうか、と言う思いが横切り、ナナ太郎の顔の表情が一気に無くなった。
「どうかした?」
「あ、いや。豆腐ちゃんはうらやましいなと思いました」
「えっ? なんで」
「寂しいとか嬉しいとか、すごく素直だから。いいですよ。ずっとそのままでいてくださいな」
「おいらは、ずっとこのままだよ。どうやったって変わりようがないさ。だって物の怪なんだもの」
その時、声がするのが先か引き戸が開くが先か、ガラリと引き戸が開いて平次郎が現れた。
「ナナ太郎さんいるかい? 入るよ」
「ひゃっ!」
軽い悲鳴のような声を出した戸口に立っている豆腐小僧である。その鉢合わせに平次郎は驚く様子もなく、まるで、勝手知ったるナナ太郎の家と言った風に慣れた様子で中へと入った。
「ひゃっ、びっくりした。なんだ、馬場先のおじさんかぁ」
「おう、豆腐じゃねえか。今日は何の用でい?」
「ほんのお礼にさ。豆腐を持ってきたんだよ。あれまあ、お客さんを連れてきたの?」
ナナ太郎の部屋の前に二つの人影があった。
「ああ、あちらさん達もナナ太郎さんにお礼を言いたいと言うんでね。ほれ、隠れてねえでこっちへ入ってきたらどうなんで」
平次郎はちらとお可奈と為松のほうを見る。
つられる様に豆腐小僧もそちらの方を見た。
「あれまあ、これはこれは」豆腐小僧は二人の様子を上から下まで見て取ると、何もかも承知したとでも言うようにうんと大きくうなずいた。
「じゃあ、おいらは今日はこれで失礼するよ」
豆腐小僧は、再びお可奈と為松の顔を見て意味深ににっこりと笑い、横をするりと抜けて長屋を後にした。
為松が常にお可奈の後を付いて回るのは旦那様からの言いつけだ。とは言え為松は、心の奥底でお可奈と一緒にいられると言う嬉しい気持ちがある自分を知っている。
しかし、先程の平次郎のからかいようもさることながら、あのような小さな子供にまでも自分のお可奈への気持ちを見取られてしまったような気がして、今、なんとも言えない居心地の悪さを感じていた。
「お可奈ちゃん、お礼を言ったらすぐに帰ろうね」
「何言ってるのよ為松ちゃん。やっと腰を落ち着けてナナ太郎さんに会うことが出来るんじゃない。こうして手土産も持ってきたし、占いの一つもしてもらいたいわ」
お可奈の方はと言うと、人の目など一向に気にしていない様子だった。
それよりも、やっと憧れのナナ太郎に落ち着いて逢う事が出来るという気持ちで、お可奈の胸の内はいっぱいだったのである。
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