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其の一の五
①
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「為松ちゃん!」
お可奈が、そおっと店の奥から為松を呼んだ。
その声に気づいた為松が、やはりお店の人たちに気づかれないようにそおっとお可奈に近づき、二人はこそこそと話し始めた。
「お可奈ちゃん、今、忙しいんだけど」
「為松ちゃん、夕べの事覚えてる?」
「そりゃー、お可奈ちゃんと出かけた事くらい覚えてるよ。何かにぶつかったかと思ったら自分の部屋に戻ってた。部屋に戻ったらすぐに、番頭さんが来て大目玉さ。私が居ないのを知って、大番頭さん始め、番頭さんから手代さん達みんなが探してたみたいなんだ」
「で、為松ちゃんはなんて言い訳したの?」
「屋台の二八蕎麦を食べに外へ出たって」
「へえ」
「だけど、蕎麦を食べに行くくらいじゃあ時間がかかりすぎるって事になってさ、霧の中を歩いてましたって言ったら……」
「言ったら?」
「今、巷で噂になってる主人のいない蕎麦屋だったんじゃないかって、でもあれは本所の話だし」
つい口をすべらした為松。
以前から知っていた話ではある。
この話にお可奈が興味を持たないはずはないと思っていた。なのでお可奈に知られないよう極力注意をしていたのだが、つい勢いで話してしまった。
「何? えっ、それってどんな話?」
お可奈はやはり興味津々で聞いてくる1。
しまった!
探しに行こうなんて言われたら今度こそみんなを騙しきる自信がない。何とかごまかさねばならないと為松は思った。
「だからさ、狐に化かされたんだろうって。そうそう、確かに河童に化かされたのかもしれないよね」
為松は慌ててごまかした。
「何言ってるの、為松ちゃん! あれは夢なんかじゃない!」
思わず大声を出してしまったお可奈に、大慌てで大番頭の与助が近づいてきた。
「お嬢様、そのような大きな声で。ここはお店ですよ」
与助は店のお客に聞こえないよう小声だった。
お可奈と為松がこそこそと何か話しているのを接客をしながらも気にしていたのだが、話の内容までは気づいていないようだった。
「すみません、大番頭さん」
為松がお可奈の代わりに謝ると、与助は手をぎゅっと握りこぶしを作って軽く為松の頭をたたくふりをした。
「為松ちゃんが謝らなくったっていいのよ。なによ与助ったら、為松に用があって来たんじゃない。悪いけどちょっと為松を借りるわよ」
「かまわないですけれど、為松ももうそろそろ手代として働いてもらってもいいと思っているんですよ。そのための修行ってもんもありますしね。いくら旦那様の言いつけだとは言え、決まった日にお嬢様について行くんならまだしも、あんまりチョクチョク外へ出られても為松のためにならない。それに今は師走なんですよ。お店のお嬢様として少しはお店の事考えておくんなさいまし」
師走の忙しい最中のせいか与助の小言はしつこい。いつもとは違う与助のお可奈に対する態度にお可奈はちょっとばかし面白くなかった。
「ふう~ん。それはおとっつぁんの言ってる事?」
「あっ、いや、旦那様は為松を手代にとおっしゃって、それならばという私の意見です」
お可奈の反撃に、弱った!と言わんばかりの顔つきになった与助。言葉の勢いは少々落ちていた。
「分かったわ、私もそのつもりで考えとく。でも、ちょっと為松を借りるわね。話しておきたいことがあるの。話し終わったらすぐお店に戻ってもらうから」
こそこそとお店にやって来たはずのお可奈だったが、今度は開き直って、堂々と為松の手を握ってグイグイと奥へと引っ張って行く。
「お、お、大番頭さん、申し訳ございません。ちょっと外します。すぐ戻ってきますんで」
お可奈に手を引っ張られ歩きながらも、大番頭の与助に頭を何度も下げ謝っている為松だ。それでもお可奈はお構いなしに為松を奥へと引っ張っていく。
「待ってよ、お可奈ちゃん!」
大番頭の与助も、実はお可奈を小さな時から自分の親族の子供の様にかわいがっていた。為松にも同じような気持を持っている。
「しかたないなぁ、すぐ戻るんだよ」
二人に対し自然と我が子にでもいうような口調だ。
「まったく、お嬢様にも困ったもんだ」
口では言いながらも自由気ままなわがまま娘をいつも温かく見守っていた。
まったくもってその憎めない娘に店中の人間が甘かったのだった。
お店からは見えない家の奥へと入ると、お可奈は周りを確かめ誰もいない廊下で立ち話を始めた。
「あんな不思議な体験をしたのなんて、江戸中を探しても私と為松ちゃんぐらいなもんじゃないかしら」
昨夜の事を話し始めると、お可奈の頬は紅潮し興奮が冷めやらないようだった。
「でも、夢だといわれれば夢にも思えるよ」
為松は少しお可奈の気持ちを冷まさないとと思い、いたって落ち着いて話そうとした。
「夢なんかじゃない。だからあの、ナナ太郎って人を探してみようと思うの」
「そう言ったってお可奈ちゃん、江戸は広いよ」
「大丈夫よ、手がかりは、易者、占い師のたぐいよ。私もいろいろ当たってみるけれど、為松もお願いね」
ああ、そうか。そう来たか。と為松は思った。
お可奈だったら絶対に探そうとするだろう。
「お願いって言ったって、私はお店があるし、暮れも切羽詰ってきているし、そうそうお可奈ちゃんに付き合っていたら大番頭さんに怒られちゃうよ」
為松は半分諦めた様に言った。
「為松だって、お店の用で外に出る事だってあるじゃない」
「はあ…」
「それと」
「まだ、何かあるの?」
「さっきの話」
お可奈は為松を見て嬉しそうににっこりと笑った。
「さっきの話?」
「主人のいない蕎麦屋の話。後でゆっくり聞かせてもらうからね」
ああ、これもやっぱり聞き漏らしてなかったか・・・。
怪談話が苦手ではあるけれど、お可奈の身の安全を自分が死んでも守らなければと決心していた為松の胃は、キュッと縮んだような痛みを感じたのだった。
お可奈が、そおっと店の奥から為松を呼んだ。
その声に気づいた為松が、やはりお店の人たちに気づかれないようにそおっとお可奈に近づき、二人はこそこそと話し始めた。
「お可奈ちゃん、今、忙しいんだけど」
「為松ちゃん、夕べの事覚えてる?」
「そりゃー、お可奈ちゃんと出かけた事くらい覚えてるよ。何かにぶつかったかと思ったら自分の部屋に戻ってた。部屋に戻ったらすぐに、番頭さんが来て大目玉さ。私が居ないのを知って、大番頭さん始め、番頭さんから手代さん達みんなが探してたみたいなんだ」
「で、為松ちゃんはなんて言い訳したの?」
「屋台の二八蕎麦を食べに外へ出たって」
「へえ」
「だけど、蕎麦を食べに行くくらいじゃあ時間がかかりすぎるって事になってさ、霧の中を歩いてましたって言ったら……」
「言ったら?」
「今、巷で噂になってる主人のいない蕎麦屋だったんじゃないかって、でもあれは本所の話だし」
つい口をすべらした為松。
以前から知っていた話ではある。
この話にお可奈が興味を持たないはずはないと思っていた。なのでお可奈に知られないよう極力注意をしていたのだが、つい勢いで話してしまった。
「何? えっ、それってどんな話?」
お可奈はやはり興味津々で聞いてくる1。
しまった!
探しに行こうなんて言われたら今度こそみんなを騙しきる自信がない。何とかごまかさねばならないと為松は思った。
「だからさ、狐に化かされたんだろうって。そうそう、確かに河童に化かされたのかもしれないよね」
為松は慌ててごまかした。
「何言ってるの、為松ちゃん! あれは夢なんかじゃない!」
思わず大声を出してしまったお可奈に、大慌てで大番頭の与助が近づいてきた。
「お嬢様、そのような大きな声で。ここはお店ですよ」
与助は店のお客に聞こえないよう小声だった。
お可奈と為松がこそこそと何か話しているのを接客をしながらも気にしていたのだが、話の内容までは気づいていないようだった。
「すみません、大番頭さん」
為松がお可奈の代わりに謝ると、与助は手をぎゅっと握りこぶしを作って軽く為松の頭をたたくふりをした。
「為松ちゃんが謝らなくったっていいのよ。なによ与助ったら、為松に用があって来たんじゃない。悪いけどちょっと為松を借りるわよ」
「かまわないですけれど、為松ももうそろそろ手代として働いてもらってもいいと思っているんですよ。そのための修行ってもんもありますしね。いくら旦那様の言いつけだとは言え、決まった日にお嬢様について行くんならまだしも、あんまりチョクチョク外へ出られても為松のためにならない。それに今は師走なんですよ。お店のお嬢様として少しはお店の事考えておくんなさいまし」
師走の忙しい最中のせいか与助の小言はしつこい。いつもとは違う与助のお可奈に対する態度にお可奈はちょっとばかし面白くなかった。
「ふう~ん。それはおとっつぁんの言ってる事?」
「あっ、いや、旦那様は為松を手代にとおっしゃって、それならばという私の意見です」
お可奈の反撃に、弱った!と言わんばかりの顔つきになった与助。言葉の勢いは少々落ちていた。
「分かったわ、私もそのつもりで考えとく。でも、ちょっと為松を借りるわね。話しておきたいことがあるの。話し終わったらすぐお店に戻ってもらうから」
こそこそとお店にやって来たはずのお可奈だったが、今度は開き直って、堂々と為松の手を握ってグイグイと奥へと引っ張って行く。
「お、お、大番頭さん、申し訳ございません。ちょっと外します。すぐ戻ってきますんで」
お可奈に手を引っ張られ歩きながらも、大番頭の与助に頭を何度も下げ謝っている為松だ。それでもお可奈はお構いなしに為松を奥へと引っ張っていく。
「待ってよ、お可奈ちゃん!」
大番頭の与助も、実はお可奈を小さな時から自分の親族の子供の様にかわいがっていた。為松にも同じような気持を持っている。
「しかたないなぁ、すぐ戻るんだよ」
二人に対し自然と我が子にでもいうような口調だ。
「まったく、お嬢様にも困ったもんだ」
口では言いながらも自由気ままなわがまま娘をいつも温かく見守っていた。
まったくもってその憎めない娘に店中の人間が甘かったのだった。
お店からは見えない家の奥へと入ると、お可奈は周りを確かめ誰もいない廊下で立ち話を始めた。
「あんな不思議な体験をしたのなんて、江戸中を探しても私と為松ちゃんぐらいなもんじゃないかしら」
昨夜の事を話し始めると、お可奈の頬は紅潮し興奮が冷めやらないようだった。
「でも、夢だといわれれば夢にも思えるよ」
為松は少しお可奈の気持ちを冷まさないとと思い、いたって落ち着いて話そうとした。
「夢なんかじゃない。だからあの、ナナ太郎って人を探してみようと思うの」
「そう言ったってお可奈ちゃん、江戸は広いよ」
「大丈夫よ、手がかりは、易者、占い師のたぐいよ。私もいろいろ当たってみるけれど、為松もお願いね」
ああ、そうか。そう来たか。と為松は思った。
お可奈だったら絶対に探そうとするだろう。
「お願いって言ったって、私はお店があるし、暮れも切羽詰ってきているし、そうそうお可奈ちゃんに付き合っていたら大番頭さんに怒られちゃうよ」
為松は半分諦めた様に言った。
「為松だって、お店の用で外に出る事だってあるじゃない」
「はあ…」
「それと」
「まだ、何かあるの?」
「さっきの話」
お可奈は為松を見て嬉しそうににっこりと笑った。
「さっきの話?」
「主人のいない蕎麦屋の話。後でゆっくり聞かせてもらうからね」
ああ、これもやっぱり聞き漏らしてなかったか・・・。
怪談話が苦手ではあるけれど、お可奈の身の安全を自分が死んでも守らなければと決心していた為松の胃は、キュッと縮んだような痛みを感じたのだった。
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