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其の一の四
①
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お店のある日本橋から弁慶濠。
この時刻に歩くにはいささか遠い距離である。
ただでさえ何か出てもおかしくは無い時間に、わざわざ物の怪を見に弁慶濠に行こうというのだから、このお嬢様はたいした肝っ玉の持ち主である。
それに比べて心優しい為松は、お可奈の為ならという思いは人一倍強いものの怖がりで、普段なら夜に表に出るなどと考えもしない、少々頼りなげな感じもする男だった。
そんな二人の、暗い夜道をわざわざ堀の近くを通りながらの道行きである。
「お可奈ちゃん、やっぱり今日は戻った方がいいんじゃない? なんだか空も怪しくて雨でも降りそうな気配だし。この時間からだと木戸が閉まって帰ってこれなくなるよ」
この頃のお江戸には町内ごとに木戸が設置されている。
その役割は、主に防犯・防災の為という事だ。
木戸が閉まる時間は夜四つ(午後十時)から明け六つ(午前六時)まで。
その時間内は特別な場合、たとえばお医者様等以外は通る事がまかりならなかった。
これも、その時々、時代時代により規制がかなり違いゆるい事もあった。
しかし、お可奈や為松の住むこの時代のお江戸では木戸がきっちりと閉まる事となっていた。
「何言ってんの。せっかく出てきたんだから、こんな機会はめったにありゃしないわよ」
「だけど弁慶濠はちと遠すぎじゃない?」
「大丈夫よ。弁慶濠に河童が出るとは言っても、弁慶濠まで行かなくてもここらの濠で現れるかもしれないし」
「でも、出なかったらやっぱり弁慶濠まで行くんでしょ。旦那さんや番頭さんたちに見つかるのは時間の問題だと思うのだけど」
「ちゃんと木戸が閉まる前に帰れそうなとこまでで引き返すから。だけど、そんなに心配なら少し急ぐ事にする」
お可奈は小走りなくらいに足を速めた。
「待ってよ。お可奈ちゃん」
為松は、慌ててお可奈の後を追い「提灯が無いと足元が良く見えなくて危ないよ」と提灯を持つ手をなるたけお可奈に近づけた。
「早く、為松ちゃん。こっちこっち」
怖がりの為松であったが、この楽しそうなお可奈とのやり取りがだんだん嬉しくなり、怖いと言う気持を忘れこんな秘密もいいもんだと思い始めていた。
そうして、ようやくたどり着いた弁慶濠あたり。
静まり返っている濠を為松とお可奈はぐるりとと眺める。
立ち止まるとしんしんと冷えているのが身体に伝わり、為松は小刻みに体が震え始めた。
「お可奈ちゃん、誰もいやしないよ。さっ、もう帰ろ」
「う~ん。来てすぐ帰るのもなあ。話によると小さな子供の手が堀の中から見えるって事なんだけど」
「えっ? そんな話あるの?」
為松は、背筋がぞくりとした。
もともと寒くて小さく震えていたが、怖さもあいまって歯の根も合わなくなってくる。
先ほどまでの楽しい気持ちは一瞬で消えていた。
「為松ちゃんが怖がると思って言わなかったんだけど」
お可奈は、身を乗り出し堀の中を覗いていた。お可奈の方は、少々興奮気味で寒さなど感じないようだった。
「ど、どんな話なの?」
「それは、どっかの中間が堀に引き釣り困れて命からがら帰ってきたら、熱出して寝込んだとかって言う話」
「帰ろう! お可奈ちゃん、帰ろうよ」
為松は大きな声でお可奈の後ろから言った。
「待ってよ」
お可奈はますます堀の中を隅々まで見ようとして覗き、終いには木刀を掘りの中めがけてびゅんびゅん振り回す始末だ。
「帰ろうってば」
聞く耳を持たないお可奈に業を煮やして、為松がお可奈の手を取ってぐいっと引いたその時だった。
「弁慶濠の河童に手を引かれてるのですか?」
突然、暗がりの中から声をかけられたのである。
お可奈と為松が揃って声のする方に目をやると、今の今まで誰もいないと思っていたこのお堀端に、先日、2人を助けたあのナナ太郎が立っていた。
この時刻に歩くにはいささか遠い距離である。
ただでさえ何か出てもおかしくは無い時間に、わざわざ物の怪を見に弁慶濠に行こうというのだから、このお嬢様はたいした肝っ玉の持ち主である。
それに比べて心優しい為松は、お可奈の為ならという思いは人一倍強いものの怖がりで、普段なら夜に表に出るなどと考えもしない、少々頼りなげな感じもする男だった。
そんな二人の、暗い夜道をわざわざ堀の近くを通りながらの道行きである。
「お可奈ちゃん、やっぱり今日は戻った方がいいんじゃない? なんだか空も怪しくて雨でも降りそうな気配だし。この時間からだと木戸が閉まって帰ってこれなくなるよ」
この頃のお江戸には町内ごとに木戸が設置されている。
その役割は、主に防犯・防災の為という事だ。
木戸が閉まる時間は夜四つ(午後十時)から明け六つ(午前六時)まで。
その時間内は特別な場合、たとえばお医者様等以外は通る事がまかりならなかった。
これも、その時々、時代時代により規制がかなり違いゆるい事もあった。
しかし、お可奈や為松の住むこの時代のお江戸では木戸がきっちりと閉まる事となっていた。
「何言ってんの。せっかく出てきたんだから、こんな機会はめったにありゃしないわよ」
「だけど弁慶濠はちと遠すぎじゃない?」
「大丈夫よ。弁慶濠に河童が出るとは言っても、弁慶濠まで行かなくてもここらの濠で現れるかもしれないし」
「でも、出なかったらやっぱり弁慶濠まで行くんでしょ。旦那さんや番頭さんたちに見つかるのは時間の問題だと思うのだけど」
「ちゃんと木戸が閉まる前に帰れそうなとこまでで引き返すから。だけど、そんなに心配なら少し急ぐ事にする」
お可奈は小走りなくらいに足を速めた。
「待ってよ。お可奈ちゃん」
為松は、慌ててお可奈の後を追い「提灯が無いと足元が良く見えなくて危ないよ」と提灯を持つ手をなるたけお可奈に近づけた。
「早く、為松ちゃん。こっちこっち」
怖がりの為松であったが、この楽しそうなお可奈とのやり取りがだんだん嬉しくなり、怖いと言う気持を忘れこんな秘密もいいもんだと思い始めていた。
そうして、ようやくたどり着いた弁慶濠あたり。
静まり返っている濠を為松とお可奈はぐるりとと眺める。
立ち止まるとしんしんと冷えているのが身体に伝わり、為松は小刻みに体が震え始めた。
「お可奈ちゃん、誰もいやしないよ。さっ、もう帰ろ」
「う~ん。来てすぐ帰るのもなあ。話によると小さな子供の手が堀の中から見えるって事なんだけど」
「えっ? そんな話あるの?」
為松は、背筋がぞくりとした。
もともと寒くて小さく震えていたが、怖さもあいまって歯の根も合わなくなってくる。
先ほどまでの楽しい気持ちは一瞬で消えていた。
「為松ちゃんが怖がると思って言わなかったんだけど」
お可奈は、身を乗り出し堀の中を覗いていた。お可奈の方は、少々興奮気味で寒さなど感じないようだった。
「ど、どんな話なの?」
「それは、どっかの中間が堀に引き釣り困れて命からがら帰ってきたら、熱出して寝込んだとかって言う話」
「帰ろう! お可奈ちゃん、帰ろうよ」
為松は大きな声でお可奈の後ろから言った。
「待ってよ」
お可奈はますます堀の中を隅々まで見ようとして覗き、終いには木刀を掘りの中めがけてびゅんびゅん振り回す始末だ。
「帰ろうってば」
聞く耳を持たないお可奈に業を煮やして、為松がお可奈の手を取ってぐいっと引いたその時だった。
「弁慶濠の河童に手を引かれてるのですか?」
突然、暗がりの中から声をかけられたのである。
お可奈と為松が揃って声のする方に目をやると、今の今まで誰もいないと思っていたこのお堀端に、先日、2人を助けたあのナナ太郎が立っていた。
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