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其の一の一
①
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世の中は、赤穂の四十七人の侍が主君の無念を晴らすため、吉良様のお屋敷に押し入って、見事あだ討ちを成し遂げた。
そんな時代の事である。
赤穂浪士の話も落ち着いたころ、一つの奇妙な噂が江戸中を賑わしていた。
「芝居小屋が一つ、一夜にして消えたってね」
一人が口火を切れば、後はトントンと話は進んでいく。
「ここ一ヶ月くらいで急にもてはやされた妖風座だろ? 」
「音羽の野っぱらにあったっていう妖風座かい? 」
「看板役者の風雷……なんと言ったか忘れたが、えらい美形だったと言うじゃないか」
「その風来何某もろとも消えたらしいが」
「観に行った観客が、音羽の野っぱらで皆呆けていたと言う」
「呆けていたっていうのはこれはまた? 」
「みんなキツネにつままれたみたいになってたってことよ」
「まさかそんな。誰かその場にいた奴に聞いたのかい? 」
「いいや。風に乗った噂とでもいうか」
「噂だろ? 」
などと人々は好き勝手。口々に噂していたのであった。
「酒でも飲んで寝ボケていたとか」
「おおかた、お上にでも潰されたんじゃあないのかね」
「お上にお許しを得ていない宮地芝居だというのに引幕や回り舞台まであったと言うじゃないか」
「いや、お上より弾左衛門じゃあないのかね。路銭でも払ってなかったんじゃあねえのかい?」
その時分のお江戸の芝居はと言えば、中村座、市村座、森田座、山村座。
この4つがが官許の芝居小屋。
つまり、お上よりお許しを得、櫓を上げ興行している芝居小屋という事である。
後には、江戸城の中の女の城、あの大奥の御年寄筆頭の江島様と人気役者の生島の、いわゆる「江島生島事件」により山村座が消えて3つの芝居小屋、江戸三座となるのだが、それはまだ先の事。
そしてこれらの官許の芝居小屋以外にも、まだ多数の芝居小屋があったという。
その官許以外の芝居を牛耳っているのが、弾左衛門というお上より任されている元締めだった。
お上に許されていない興行をする場合、この元締めの弾左衛門に興行税を支払わなければならない。
しかし妖風座と言う新進の一座は、その路銭を弾左衛門に支払わなかった為に潰されたなどとの噂も流れており、有る事無い事さまざまな憶測がなされていた。
だが、その真実を知るものは誰一人いなかった。
実は、この噂の事の起こりは三ヶ月前にさかのぼる。
それは日本橋の米問屋、愛田屋から始まっていた。
愛田屋は、愛田屋利左エ門という苦労人が一代で築いたお店である。
利左エ門とその妻お松がどのようにしてこれほどの店を築いたかと言う出世話は、長い話となり本題からも外れてしまうので省くこととする。
とにもかくにも、後世まで鳴り響く江戸一番の大店「越後屋」には遠く及ばぬものの、「日本橋の愛田屋」と言えば、江戸で知らぬものはいないほどのちょっとした大店である。
その愛田屋の主人夫妻には目に入れても痛くないと思うほどの一人娘がいた。
娘の名はお可奈。
年のころは十五歳。
番茶も出花の十八までにはまだ少し間がある年だ。
その娘が欲しがるものだったら愛田屋の夫婦は何里先でも出向いて手に入れる。
寂しいと言えば、夫婦交代で娘のそばにいてやる。
そんなふうに甘やかしてはいたが、締めるところは締めるという利左エ門夫婦の教育方針で、娘は利発でまっすぐな子に育っていた。
……とは言え……。
まっすぐ過ぎると言えば、過ぎるのである。
自分の正しいと信じる事に対してはまっすぐに突き進んでいく。
こうと決めたら、周囲の言葉などは耳に入れようともしない。
利発であるからして周りの助言を無視することはないのだが、自分の中での好き、嫌い、良い悪いがはっきりしている。
それに対してはどんな相手であっても聞く耳を持つ事はない。
まさにきかない娘。
それでいて、立ちふるまいや風貌、雰囲気など、何とも言えないような、どこか愛くるしいところもある娘だった。
その愛田屋のお可奈こそが、この芝居小屋が一晩で消滅したと言う噂話の発端の一人なのであった。
そんな時代の事である。
赤穂浪士の話も落ち着いたころ、一つの奇妙な噂が江戸中を賑わしていた。
「芝居小屋が一つ、一夜にして消えたってね」
一人が口火を切れば、後はトントンと話は進んでいく。
「ここ一ヶ月くらいで急にもてはやされた妖風座だろ? 」
「音羽の野っぱらにあったっていう妖風座かい? 」
「看板役者の風雷……なんと言ったか忘れたが、えらい美形だったと言うじゃないか」
「その風来何某もろとも消えたらしいが」
「観に行った観客が、音羽の野っぱらで皆呆けていたと言う」
「呆けていたっていうのはこれはまた? 」
「みんなキツネにつままれたみたいになってたってことよ」
「まさかそんな。誰かその場にいた奴に聞いたのかい? 」
「いいや。風に乗った噂とでもいうか」
「噂だろ? 」
などと人々は好き勝手。口々に噂していたのであった。
「酒でも飲んで寝ボケていたとか」
「おおかた、お上にでも潰されたんじゃあないのかね」
「お上にお許しを得ていない宮地芝居だというのに引幕や回り舞台まであったと言うじゃないか」
「いや、お上より弾左衛門じゃあないのかね。路銭でも払ってなかったんじゃあねえのかい?」
その時分のお江戸の芝居はと言えば、中村座、市村座、森田座、山村座。
この4つがが官許の芝居小屋。
つまり、お上よりお許しを得、櫓を上げ興行している芝居小屋という事である。
後には、江戸城の中の女の城、あの大奥の御年寄筆頭の江島様と人気役者の生島の、いわゆる「江島生島事件」により山村座が消えて3つの芝居小屋、江戸三座となるのだが、それはまだ先の事。
そしてこれらの官許の芝居小屋以外にも、まだ多数の芝居小屋があったという。
その官許以外の芝居を牛耳っているのが、弾左衛門というお上より任されている元締めだった。
お上に許されていない興行をする場合、この元締めの弾左衛門に興行税を支払わなければならない。
しかし妖風座と言う新進の一座は、その路銭を弾左衛門に支払わなかった為に潰されたなどとの噂も流れており、有る事無い事さまざまな憶測がなされていた。
だが、その真実を知るものは誰一人いなかった。
実は、この噂の事の起こりは三ヶ月前にさかのぼる。
それは日本橋の米問屋、愛田屋から始まっていた。
愛田屋は、愛田屋利左エ門という苦労人が一代で築いたお店である。
利左エ門とその妻お松がどのようにしてこれほどの店を築いたかと言う出世話は、長い話となり本題からも外れてしまうので省くこととする。
とにもかくにも、後世まで鳴り響く江戸一番の大店「越後屋」には遠く及ばぬものの、「日本橋の愛田屋」と言えば、江戸で知らぬものはいないほどのちょっとした大店である。
その愛田屋の主人夫妻には目に入れても痛くないと思うほどの一人娘がいた。
娘の名はお可奈。
年のころは十五歳。
番茶も出花の十八までにはまだ少し間がある年だ。
その娘が欲しがるものだったら愛田屋の夫婦は何里先でも出向いて手に入れる。
寂しいと言えば、夫婦交代で娘のそばにいてやる。
そんなふうに甘やかしてはいたが、締めるところは締めるという利左エ門夫婦の教育方針で、娘は利発でまっすぐな子に育っていた。
……とは言え……。
まっすぐ過ぎると言えば、過ぎるのである。
自分の正しいと信じる事に対してはまっすぐに突き進んでいく。
こうと決めたら、周囲の言葉などは耳に入れようともしない。
利発であるからして周りの助言を無視することはないのだが、自分の中での好き、嫌い、良い悪いがはっきりしている。
それに対してはどんな相手であっても聞く耳を持つ事はない。
まさにきかない娘。
それでいて、立ちふるまいや風貌、雰囲気など、何とも言えないような、どこか愛くるしいところもある娘だった。
その愛田屋のお可奈こそが、この芝居小屋が一晩で消滅したと言う噂話の発端の一人なのであった。
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