語るに乏しい僕の祖父

藤崎 柚葉

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世界線α・被験者「藤城廣之」の受難

第三十話 知らぬが仏

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「……廣之くん……。廣之くんってば!」
 誰かに強く肩を揺すられている。僕は突っ伏していた机から顔を上げた。
「……あれ? ここ、教室か? 爺ちゃんがいたような……。何で煌希がいるんだ?」
 またしても場面が変わっている。夢かと思ったけれど、僕の寝汗で机の天板は湿っているし、椅子を後ろに引いた時の床を擦る音もリアルだ。教室の窓から見える景色は懐かしく、見慣れた町に西日が差していた。
 ぼんやりとした不安と、期待が混ざる。さっき煌希が僕を名前で呼んでいたような気がしたが、あれこそ幻聴だったかもしれない。
「僕はずっと一緒にいたよ。寝惚けてないで、そろそろ起きてくれ。もうすぐ部活動を終えた委員長が教室にやって来るんだ。今日はこのまま三人で祭りに行く予定だろう?」
「祭り?」
 すぐにはこの状況が信じられず、僕は微睡む余韻を残したまま、目の前に立つ煌希に疑問をぶつけてみた。煌希は呆れた表情で重たそうな眼鏡を中指で押し上げる。
「そうだよ。土崎港曳山まつりさ。君たち、楽しそうに計画していたじゃないか」
 煌希から返事はすぐに返ってきたが、僕にはそんな記憶がない。そのせいでまだ現実世界に戻ってきた自信がなかった。
「煌希。今日って……何月何日だ?」
「今日は七月二十一日だよ。ほら、黒板を見てごらん。まだ今日の日付けのままだよ」
 僕の後ろを指差した煌希を目で追うと、彼の言う通り、黒板には〈七月二十一日〉の文字がはっきりと書かれていた。
 念のため自分の制服の胸ポケットと机の横にかけたリュックサックを探り、自分のスマートフォンを取り出して日付を確認する。やっぱり今日は一学期の終業式の日でもあり、土崎港曳山まつりの最終日でもあった。
「本当はね、僕もさっきこの世界に戻ってきたんだ」
 僕は驚いてスマートフォンから目を離した。煌希の顔を凝視すると、煌希は悪戯の種明かしをする時のような微笑みを浮かべていた。
「さっき君とずっと一緒にいたと言っただろう? あれはね、僕にそういう架空の記憶が与えられていたからさ。前に話した記憶の補正の事だよ」
「えっと……?」
「ちなみに君がここで寝ていたのは、今日ずっと暇さえあれば委員長も交えてマンデラエフェクトについて話し合っていたからだ。途中で委員長が部活動に行くために話し合いから抜けたけど、そのあと君は『寝不足もあるし、話し疲れたから少し眠らせてくれ』と言ってきたのさ」
 煌希は平然とした態度で僕の座席の前にある委員長の椅子に腰掛け、窓から見える校庭を目を細めて眺めていた。
 一方の僕は混乱する頭で煌希から聞かされた話を整理していた。
「煌希……。全部、憶えているのか?」
「憶えているとも。皆川さんやマスターとの会話も、公園で君に記憶の欠片を託した事も。……安心してくれ。ジャズバーはちゃんとこの世界にあるよ。今度、日を改めて確認しに行こう」
「そっか……」
 僕の声が震えたのは決して悲しいからではない。心の底から安心して嬉しさで胸がいっぱいになったからだ。
 煌希は微笑みながら僕にそっと語りかける。
「この世界にあるのは、最初に君から聞かされたお爺さんの話以外、看板のマンデラエフェクトのような特に害のない変化だけだ。僕の知る限り、周囲を大きく巻き込んだ危険な事件は身近にはない。ここは以前と変わらず、平和な世界だよ」
 煌希が眼鏡を押し上げる。そんな動作だけでも安心してしまうのは、僕たちが正常な状態の世界に戻ってきた事が証明されたからだ。
「それと、もう一つ。どうやら正常な世界に戻ってきたみんなの記憶は補正されているみたいなんだ。この世界以外の記憶はみんなにはないが、僕はなぜか飛ばされた平行世界の記憶が薄っすらとある。それでも、君と過ごした元の世界の記憶の方が色濃く存在しているよ。恐らく皆川さんとマスターも、僕と同じ状態だろうね」
「じゃあ、煌希たちと出会った世界が正常な状態に戻ったんだな? つまり、僕たちは今、世界線が狂い始める前の……委員長が僕に煌希を紹介してくれた頃に戻ってきたって事なのか?」
「その通り。……もう大丈夫。僕らの記憶通り、ちゃんと全てここにあるよ」
 僕らはやっと狂った運命から抜け出せたんだ。それを理解した途端、言い知れない緊張からの解放で涙腺が緩む。肩の荷が下りたような気分だ。泣いているのに、妙に清々しい。
「良かった……。本当に……」
 ありったけの思いを込めて、率直な感想をため息と共に吐き出す。
 安心しきっているとはいえ、それでも変なプライドは僕にもきちんと存在していて、泣き顔を見られたくなかった僕は再び机に顔を伏せた。頭上でクスッと笑った声が聞こえる。煌希には何でもお見通しだ。
「廣之くん。僕たちを捜してくれてありがとう。僕はね、自分が平行世界にいても君の声がどこからか聞こえてきたんだ。それを辿ってここまで戻ってこれた」
 僕の頭上で煌希の話が終わった頃、遠くから大きな足音が聞こえてくる。あれは体育館の順番待ちをしているバレー部員が室内トレーニングをしている音に違いない。
 今度は一人分の足音が聞こえてきた。駆け足でこの教室に向かって来ているから……きっとあれが委員長だ。
「僕がこの世界に戻ってくる途中、夢の中で紅い椿の花を見たんだ。もしかしたら、君のお爺さんが僕らを助けてくれたのかもしれないね」
「悪い! 待たせたな!」
 煌希が話し終えたタイミングで教室の扉に硬い何かがぶつかった音がした。ビクッと肩を揺らした僕が顔を上げると、バットケースと扉を見比べる委員長が教室の出入り口に立っていた。音の出どころは一目瞭然だ。
「委員長、そんなに急がなくても大丈夫だよ。学級委員長が教室を破壊しないでくれ」
「ごめん、ごめん。ふたりを待たせちゃ悪いと思ってさ。あれ? もしかして廣之は寝てたのか?」
「えっ? 何でわかるの?」
「寝跡。ついてるぞ」
 煌希から呆れたような注意をされた委員長が、僕を見ながら自分の頬を指で刺す。僕は慌てて委員長と同じように自分の頬に触れた。
「うーん、残念!」
「あれ? ここじゃないのか?」
「嘘でしたー! 半袖なので寝跡なんかありませーん!」
「子どもか!」
 何がおもしろいのか、委員長はケラケラと笑っている。拗ねるように視線を逸らした僕と視線が合った煌希は咄嗟に顔を横に向ける。目敏めざとい僕は煌希の肩が小刻みに揺れているのを見つけていた。……よし。絶対にいつかふたりに仕返しをしてやる。
「今日は終業式だけだったから、奇跡的に練習が早く終わったんだ。とっとと祭りに行こうぜ! せっかくお前らといるのに時間がもったいないじゃん」
「委員長は何も変わらないな」
「ん? それどういう意味?」
 扉に手をかけた委員長が振り返る。
 僕は目をパチクリさせた委員長の表情を見て我に返った。何か誤解させてしまったかもしれない。
「いや、その……。僕はいつも委員長にお世話になっているからさ。祭りに誘ってくれたのだってきっと、僕を元気付けるためだったんだろう? 委員長、ありがとう」
 今の委員長にあるのは、祖父に関するマンデラエフェクトの記憶だけだ。ここにいるのは、僕たちにとって大事な祭りの思い出が消えた委員長ではない。それでもそんなの関係なしに、委員長はずっと僕の味方でいてくれた。いつだって彼は僕を暗い場所から明るい場所に連れて行ってくれる。紛れもなく、委員長も代えがたい僕の大切な親友だ。
 委員長は僕にいつも通り爽やかな笑顔を見せてくれた。
「俺はただ、お前らと祭りに行きたかっただけさ。この先も何が起きようが、俺は変わらずお前らの味方でいたいと思うよ。……廣之、心配すんなって。お前はずっとお人好しのまま変わっていないよ」
「委員長……」
「そうそう。廣之の爺さんの事、俺にも話してくれてありがとな。……やっぱりお前はすごいよ。こんな壮大なもんにひとりで立ち向かっててさ。さすが、俺が憧れた男だわ!」
 去り際、僕に向かってニッと笑った委員長は「先に玄関に行ってるぞ」と一言だけ言って教室を後にした。
 委員長が僕に憧れているなんて話は初めて聞いた。今までそんな素振りなんか彼はちっとも見せていなかったのだ。
「あのさ、煌希。君が飛ばされた世界にいた僕は、どんな人物だった?」
「何か不安な事でもあるのかい?」
「……いいや」
 もう気にする必要はないか。自分らしくいよう。大切なものを見失わないためにも。
 僕らは何者からも干渉されるわけにはいかないのだ。思考の自由とは、選択の自由でもあるのだから。
「もう平気さ。大切なものは、全部ここにあるから」
 実はさっき僕がスマートフォンで日付を確認した時に、他の事も確認できていた。
 僕のスマートフォンの待ち受け画面は、ジャズバーで撮った記念写真が設定されていた。今、その写真にはきちんと四人全員が写っている。いつかここに委員長も加わってくれると嬉しい。
 僕が待ち受け画面をもう一度だけ眺めていると、いつの間にか横から覗き込んでいた煌希が幸せそうな微笑みを浮かべていた。
「廣之くん、ただいま」
 僕は祖父のお陰で平行世界を知り、自分を見つめ直す事ができた。思い込みへ誘導するため、当たり前のようにそこらじゅうに罠が散りばめられた世界と、その思い込みを鵜呑みにする自分がいかに危険な事か身をもって知った。だからこそ僕はみんながどこを向いていようと、これからも物事を違う見え方で比較をして、考えて、自分がどうするのかを自分で選ぼう。
 あの異変に気付けたからこそ、描ける未来や希望もあるに違いない。
「おかえり。煌希」
 僕には守りたいものがある。悪意から大切な人を守るために自分の手で未来を創っていく。
 その誓いを、あの椿の木に立てよう。
 きっと、そこには僕を見守ってくれている人がいるはずだ。
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