語るに乏しい僕の祖父

藤崎 柚葉

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世界線α・被験者「藤城廣之」の受難

第十二話  明るい場所に向かって《後編》

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 やがて皆川さんがほとんど空のグラスの中身をあおると、頭を抱えて重々しく話し出した。
「なんてこった……。藤城くんたちがいた世界とは違うかもしれないが、俺もどこかの平行世界からこの世界に来ていたなんて……。もとより何で俺なんかが、中村屋の看板のような小さな違和感に気付けたんだ?」
「それはたぶん、皆川さんの『気付きの種』が芽吹いていたからです」
「気付きの種?」
 僕の疑問の声を拾った山近は一度だけ僕に視線を寄越すと、再び皆川さんに向かって推理を続けた。
「記憶の変化に気付く人と、気付かない人がいるのは、個人個人で思考のくせが違うからだと思います。気付きの種は個々の思考力によって育つのではないでしょうか。だから、人間には元から五感や第六感などの感覚が備わっているんです」
「まとめると、気付きの種とは思考のもととなる感覚の総称で、人間には全員最初から気付きの種が植えられているって事かい?」
「そうなりますね」
 山近と皆川さんのふたりだけで会話が進む。それにしても、やけにふたりは話が合う。SFにそこまで詳しくない僕とマスターは、ここでは完全に聞き役に徹していた。
 山近の話は止まらない。
「その気付きの種がいつどうやって芽吹くのかは外的要因……すなわち出会う人間次第。なぜなら、人間は交流する事で互いを刺激し合いますから。だから変化に気付ける人にかたよりが出るんです。でも、他の人との差異はたったこれだけ。本当は誰もがこの異変に気付けると思います。もっともこれは『地球は宇宙人や何者にも支配されていない』っていう先入観が無ければの話ですが」
 山近はまたずり落ちた黒縁の眼鏡をクイッと押し上げ、「ちなみに皆川さんの場合は、SF小説を書いた人物の見識に触れたのでマンデラエフェクトに気付けたんでしょう」と、話を付け加えた。ただでさえ細い目をさらに狭められると、反論の余地を全く許されていない感じがする。それ以前に僕なんかが突飛なアイデアを言い出すはずがないんだけど。
「なかなか鋭い考察だな……。山近くん、君はそんな事をする誰かの目的は何だと思う?」
 皆川さんは山近にすっかり感心している。
 山近は得意げに考察を述べた。
「そうですね……。これは恐らく、恐怖でどれだけ人をコントロールできるかの実験です。小さな子がアリの観察をしているように、人間も同じように誰かに観察されていてもおかしくはない。ただ、僕たちの場合は超常現象と言う形で、この現実世界に手を加えられています。今の事態を実験だとするならば、さしずめ僕たちはモルモット……いや、奴隷ですね」
「奴隷って……誰の?」
「そこまではさすがに僕でもわからないよ。とにかく、強大な力を授かった誰かのさ」
 横から口を挟んだ僕に、山近の射抜くような視線が突き刺さる。まくし立てるように早口で話していた山近には、さっきまでの落ち着きっぷりは感じられない。皆川さんに頼りにされてからというもの、彼の奥に潜んでいたによっていつもの冷静さは姿を消していた。
 今度は僕に向かって山近は自身の考えの続きを話し始める。
「これも僕の仮説だけど、一連のマンデラエフェクトは、何か大きなプロジェクトの過程の一つなのかも。マンデラエフェクトで人間関係の亀裂が生じる事を前提とすると、この世界には良質な情報という名目の餌が大量にばら撒かれているんだ。でも、その餌の中には権力者の都合よく書き換えられた偽の情報が混ざっている。その毒物を食べるか食べないかで、権力者に楯突くのがどんな人物なのか、何も知らずに従うのはどんな人物なのか国民を選別できるってわけさ」
「とすると、藤城くんのお爺さんは奴らが設定した条件に当てはまったから、実験の標的にされたのかもな。それが今度は俺たちまで……」
「不安になったって何も始まらないよ」
 ため息交じりで不安を吐き出した皆川さんにマスターが声をかける。その声は驚くほど穏やかだった。
「暗い気持ちに持っていかれてはいけないよ。私たちの敵は外側にいるんじゃない。自分の内側にあるのさ。世間はあらゆる方法で我々を現実に縛り付けようとするけれど、迷った時こそ自分を見つめ返してごらん。人生の答えは、最初から君たちがずっと握りしめているはずだ」
 マスターによって、僕らの目の前に置かれたグラスにソフトドリンクが注がれる。
 店内に流れる曲はリズムが落ち着いてきていて、僕らをしっとりとした雰囲気で包み込んでいた。
「元来、人間は今よりもっと自由だったんだ。思考だってそう。自由のヒントはね、愛とか思いやりだと思うよ」
「愛……?」
 山近は眉をひそめる。その表情はマスターが何を言いたいのか、心底わからないと言っているようだった。
 マスターは気にせず、そのまま持論を展開させる。
「尊重の心の事さ。今思えば、私は忠助さんに自分の考えを押し付けてしまっていた。それじゃだめなんだよ。私は彼の意見に対して、聞き役になりきれていなかった」
 誰だって自分の意見を頑なに否定されたら、相手の事を忌避きひしたくなる。
 僕だって家族に対して「どうしてわかってくれないのか」と怒りの感情が少なからず芽生えてしまった。でも、僕が守りたいのはその家族なんだ。
 ここで大事になってくるのが、マスターが言うところの共感なのだろう。僕は支配じゃなくて、対話がしたいんだ。
 すると、ここで僕はある事を思い出す。
「一次情報を鵜呑みにせず、あえて正反対の意見を見てから中立の立場を構える。そうすれば、おのずと本質が見えてくる……って、どっかの哲学者が言っていたっけ」
「なんだ。受け売りの知識か」
「悪いかよ?」
 おどけたように言う山近に僕がわざと言い返すと、皆川さんとマスターはクスクスと小さく笑ってくれた。
 山近は笑顔こそ見せてくれなかったが、柔らかく細めた目で僕を見つめると、さっと視線を逸らした。彼は僕とのやり取りで、こそばゆい気持ちにでもなったのだろうか。
「全ての人が藤城くんたちみたいな考え方だったら、まだ議論ができてたかもしれないな。俺は今まで、誰とも対話ができなかったよ。今思えば、科学と自由の主張は別にすべきだった。科学から証明すると、国すらもを統べる奴らの土俵で都合よく改竄かいざんされてしまうからね。だからこそ、陰謀論なんて名前で非科学的な事実が存在しているのかもしれない」
 店内に皆川さんの声がポツリと浮かび上がる。目を伏せて話す皆川さんの表情は、どこか寂しそうだった。
「俺の場合だけどさ、今は特に環境の変化が分かりやすいから、マンデラエフェクトに気付いていない人との会話がより虚しく感じるんだ。でも、本当はずっと前から、俺は人付き合いを無理していたんだと思う。それがわかって、今はむしろスッキリしているよ。納得に近いのかな。逆の立場を考えると、きっと今までもすでに色々な事に気付いて自分にアドバイスをくれてた人がいたのに、俺が耳を傾けなかった事で失った友人が大勢いたんだなって思い知らされたんだ」
 僕も皆川さんと同じ思いだ。
 普段は僕にあまり構わなくても、僕が困っている時は気付いて話かけてくれる父でさえ、祖父の件があって以降は会話が極端に少なくなってしまった。家での父との会話は決まって「爺さんの事はいいから、夏休みでも勉強はしっかりしなさい」から始まる。父は長らく信じてきたものが崩れるのが怖いから、僕との中身のある会話を本能的に避けているのかもしれない。
 目の前にいて触れられる距離にいる相手であっても、意識の次元が大きく違ってきている事を僕はもう知ってしまった。寂しい気持ちもあるけど、同時に清々しくもある。それは、以前より自分の心に耳を傾け、自分で決断するようになったからだ。
 同じ価値観の仲間に出会えたから、僕は前を向ける。
 心なしか皆川さんの表情も晴れやかだ。
「ここにいるみんなと出会って、俺の意識が変わったよ。自分とは違う価値観の人がいてもいいと思うようになってから、少し気持ちが楽になったんだ。だけど、この異常事態を伝える事を決して諦めたわけではなくて、自分の意見は小出しにして、相手が求めてきたら手を差し伸ばすっていう方法でもいいのかもな。俺たちは明るい気持ちで、地道に自由を表明し続けようじゃないか」
「表明って、どこに向かってですか?」
「人々の心にさ。そういう悪巧みをしている権力者には意思を示そう。自由の証明こそが、人々の団結さ。楽しい場所にこそ、人は集まるよ」
 山近の疑問の声に皆川さんが胸を張って答える。
 小難しい話ばかりする皆川さんは、やっぱり明るい変人だ。そんな彼のそばにいる僕らも、明るい変人の仲間入りをすればいい。
「君たちを見ていると、私も不思議な勇気が湧いてくるよ」
 マスターが曲調を変えようと、陽気なジャズを流す。音楽と僕らの前向きな会話が薄暗い空間に溶けていく。その温かな空気が僕の体温と混ざり合うと、視界が開けたように祖父が僕の頭の中にパッと現れた。
 思い出の中でくっきりと現れた祖父は、幸せそうに柔らかい笑みをたたえていた。祖父の背後には紅い椿の花が咲いている。まだ背の低い僕の頭を撫でている祖父の手は、相変わらずしわくちゃだ。
 ──爺ちゃん、この縁を引き寄せてくれてありがとう。
 心の底から、ここに来て良かったと思う。僕の視線を感じたマスターは何も言わずに朗らかな笑顔を見せてくれた。
 僕はそんなマスターのため、マスターと祖父が世界を超えて仲直りできている事を、そっと心の中で祈った。
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