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序章 生きるに値しない命

Rise of 6 動き出す闇Ⅱ

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―ノイエ・ヴラド帝国 ノイヴァンシュタイン城 騎士団省―

 
 ノイヴァンシュタイン城には帝国の騎士団を統べる総本部、騎士団省が設けられていた。
 騎士団省は帝国内の騎士団全てを統べる省庁であり、戦時には帝国軍総司令部として機能する。
 今もその役割自体は変わっていない。
 しかし、聖典条約によって帝国は300の領邦に解体され、各領邦は自治権を有する小さな独立国家となった。
 その軍隊である騎士団は皇帝ではなく、領邦の主に仕えているため、騎士団省の指揮下に残っているのは皇帝領内に所領を預かる貴族、又は帝国解体後も皇帝に忠誠を誓う領邦主の騎士団のみ。

 現在の騎士団省はもっぱら皇帝直轄領内の治安維持と皇帝の警備を担うだけであり、その影響力自体はかなり限定的となった。

 だが、帝国領内で連日にわたって起き続ける暴動の鎮圧に追われ、騎士団省は常に慌ただしい。
 帝国中から暴動の報告が幾つも上がってきては、そのすべてにどう対処すべきかを決定し、各皇帝領に指示を出さなければならなかった。
 それも迅速に。彼らが相手にするのは、いつ、どこで発生するかもわからない偶発的な事象であり、帝国解体によって数多の頭脳が領邦の各地に散らばっていった現在、彼らは常に後手に回り続けていた。
 一時はユーロピアを席捲したヴラド帝国軍の司令部も凋落の一途を辿るばかりである。


◇ ◇


「暴徒は鎮圧したが、結局、黒幕は突き止められず終いか」

 タバコをふかせながら報告書に目を通しているのはムラド・アドラー。
 ハインツ・アドラーの父親にして、アドラー騎士団の首領を務める男だ。
 先の大戦での功績を認められ、大戦終結後は皇帝から男爵位を与えられた。
 準貴族である騎士公から出世したわけだ。だが、その真意は先にも述べた通り。

(近頃は暴徒の規模も組織力も格段に向上している。
 ヴラド帝国の滅亡を狙う組織の暗躍というのも眉唾ではないやもしれんな)

 とはいっても、言葉は選ばねばならない。
 ヴラド帝国の統治機構は正常に機能しているとは言えない状況だ。
 むしろ、帝国が君主制から国家連合制に移行してからというもの、この国の統治機構が真面に機能した時は一度たりもない。
 皇帝の影響力が低下した今、各領邦主は自らの利益のために行動し、互いにいがみ合っている。それに拍車を掛けているのが、次の皇帝を貴族が選ぶという《選帝公》システム。あれが事態をより複雑にしていた。

 影響力が落ちたとはいえ、ヴラド帝国における皇帝の力は侮れない。
 その皇帝を自らの手で選帝することができれば、帝国内における自らの地位をより確固たるものにできる。
 となれば、何が起こるか。帝国内の派閥争いだ。

 それに拍車をかけているのが4年前のマクシミリアン元皇太子の追放。
 マクシミリアンの皇位継承権がはく奪されたことで、ガザリウス一世の直系から次の皇帝候補者が居なくなってしまった。
 彼が未だ帝国に残っていれば、候補者は彼一人であるため、彼を中心として権力争いが起こる。
 それならばまだ国は分裂せずに内輪もめで済んだ。
 だが、マクシミリアンが追放された今、次の皇帝はガザリウス一世の傍流から選ばれることになる。
 候補者をリストアップすれば両手を使っても足りないだろう。

 各選帝侯は自分達にとって都合のいい候補者を担ぎ上げ、時には争いを持って権力を固めようとするだろう。
 そうなれば、内戦が起きる。

 連合国も、まさかこんなにも早いタイミングで選帝侯システムが帝国を崩壊の危機に陥れるなど考えてもいなかっただろう。

 故に不確定な情報は漏れないよう厳密に管理しなければいけない。
 今の帝国は見かけだけの存在。
 僅かな情報が帝国を崩壊させるきっかけになりかねない。

「ハインツ、今日はご苦労だった。帰って休め」

 デスクを挟んで向かいに立っているハインツにそう声をかける。
 先の大戦で、戦地に赴いて生き残った息子にして、思慮深く、慎重な性格。
 親への反抗もなければ、命令に背くこともない。
 だが、何を考えているのかわからない時もある、つかみどころのない青年だった。

「失礼します」

 カツッと軍靴の踵を揃え、小さく会釈をすると、ハインツはムラドの執務室を後にした。
 父と同じ部屋にいながら、親子の会話は皆無。
 事務的に報告すべきことだけを述べ、あとは父が報告書を読み終わるまで口を閉ざし、何もない空間を見つめていた。

「はぁ……」

 ムラドもため息の一つも付きたくなる。
 優秀な息子だが、感情というものが欠落しているのではないかと思う程、人間性に起伏が無い。
 行動は常に機械仕掛けのように正確、しかし、素振りは無機質な雰囲気を漂わせる。
 それでも以前は、まだ人らしいと思える時があった。

(戦争に行ってからか、あんな目をするようになったのは)

 死んだ魚のような生気を失った瞳。
 あの大戦に出征してからハインツは間違いなく変わった。
 だが、どうしてやればいいのかムラドにはわからなかった。
 時が解決してくれればいい、と思いつつも。

(大戦が終結して4年が経つっていうのに、どうしてこの帝都から戦いの音が無くならんのだ)

 これではまるで、4年前の戦争が続いているかのようだ。

「いや、違う」

 戦争は終わっていない。
 4年前、連合国に膝を折ったあの日から帝国は既に次の戦争へと突入していた。
 終わりの見えない、泥沼の戦争に。


◇ ◇


「ハインツ」

 ハインツがムラドの執務室を出て帰途に就こうとするやいなや、いきなり呼び止められた。
 背後から小走りで近づいてくる音が聞こえてくるが、軍靴が床を叩く音は軽く、小さい。
 振り返り、その者の正体を見て理由を納得する。女だ。

「グラハム」

 腰まで届く金色の長い髪に同色の瞳を持つ美しい少女がハインツに駆け寄ってきた。
 グラハム・レーヴェ。
 先の大戦でハインツと同じ部隊に所属していた戦友であり、彼女の父は帝国屈指の武力を誇るレーヴェ騎士団の首領、そして帝国の侯爵だった。

「その…広場でのことは聞いた。大変だったみたいだね…」

 そう言って心配そうな表情を浮かべ、ハインツを見上げてくる。
 だが、ハインツは眉一つ動かすことなく

「そうでもない」

 と返した。その緑色の瞳には相変わらず感情が見えず、まるで死人のようだ。

「いつものことだ。心配しなくていい」

 帝都での暴動などいつものこと。
 それを鎮圧し、見せしめに処刑するためのアドラー騎士団だ。
 死の商人と呼ばれ、民衆の憎しみを一身に受けるためにアドラー家は帝都の治安維持を任された。
 その意図をハインツも理解している。

「そう……」

 と、グラハムは目を伏せ、自分の長い金髪に指を絡める。
 困ったときによくする仕草だということはハインツも知っている。
 自分が口下手で、気の利いた言葉もかけられないということもわかっている。

「もう行っていいか?」

 唯一、できることは彼女がこれ以上、困らないうちにここから離れることだけだ。

「あ、うん。実はもう一つ、あってさ。今日、この後、暇かな?」
「この後?」

 予定はない。
 父からは帰宅するよう言われている。
 あとは家に帰り、ただ、茫然と過ごすだけだ。

「僕も午前は騎士団の役目があるけど、午後からは非番なんだ。
 だから久しぶりに街に出ようかと思うんだけど……その……一緒にどうかな?」

 先ほどの心配する表情から一転し、今度は上目遣いでハインツの瞳を覗き込んでくる。

「…………」

 ハインツは困ったように後ろ頭を掻いた。
 それがある種の返答のようなものなのだがグラハムはじっとハインツを見つめたまま、彼の口からはっきりとした返事が紡がれるまで待ち続ける。

「その、今日は……」

 今日だけではないかもしれないが、そういう気分ではない。
 そう断りを入れようとした。

「グラハム、ここにいたのか」

 と、二人の会話を遮って、足早に一人の男が近づいてきた。リヒターだ。
 リヒター・グロディアス。凛々しい顔立ちをした青年だが、その知的な容貌はどこか傲慢そうでもあった。
 彼の父は帝国でも最大の勢力を誇るグロディアス大公であり、摂政を務める名門中の名門だ。

「リヒター……」
「グラハム、探したぞ」

 とリヒターがグラハムの横に並ぶが、向かいのハインツには見向きもしない。
 まるでそこに誰もいないかのように振舞っている。

「いったい、どこにいたんだ?」

 と、責めるような口調で話しかけてくる。
 グラハムはあからさまに嫌そうな顔をして、リヒターから目を背けた。

「別に、僕がどこにいようと君には関係ないじゃないか。
 それに僕は今、ハインツと話をしているんだ。
 割り込まないでくれないかい?」

 それから助けを求めるようにハインツを見上げる。

「ちっ」

 グラハムにそう言われてしまうと、リヒターもハインツを無視するわけにもいかなくなる。

「なんだ、ハインツ。まだいたのか。さっさと失せろ」

 リヒターは一方的にここから去るように命令する。
 リヒターにとってハインツは邪魔者以外の何物でもない。
 それに、ハインツもグラハムとこれ以上、話すこともない。
 彼女には申し訳ないが、ここで退散させてもらおうとするが

 ぎゅぅ………

 グラハムがハインツの服の裾を摘んでくる。
 行かないで、と自分を見上げる金色の瞳が訴えていた。
 それを目の前で見せつけられたリヒターの表情は余計に険しくなる。

「ハインツ。早く行けと言ったのが聞こえなかったのか?」

 本当は自分だって行きたい。
 でも、はい、わかりました、と言って行ける筈もなかった。
 グラハムはリヒターと話すことを明らかに拒絶している。

「すまない、リヒター。グラハムとはまだ話の続きで」

 と、自分としては珍しく、グラハムを助けようと口を開いたが

「なら後にしろ。こちらが優先だ」

 取りつく島も無く言い返されてしまった。しかも、リヒターは大公家の御曹司。
 自分は男爵位の父を持つだけの一介の騎士。
 貴族の世界では爵位が絶対であり、逆らうことは難しい。

「僕とハインツとの話も重要だ。
 後では困る。だから……リヒターが僕に話があるなら今、言ってくれ。
 それまでハインツにはここにいてもらう」

 グラハムはリヒターと目を合わせることなく、そういった。
 リヒターはグラハムと目を合わせられない代わりにハインツを、敵を見るような目で一瞥すると、再びグラハムを振り向いて

「今夜の件だ。前からオペラに行く約束をしてただろ?」
「それは……君が一方的に言ってきただけで、僕は了承してない」
「お前の父上は了承した。それで十分だ」

 ヴラド帝国では家長(一般的には父)が家庭内における最高権力者である。
 妻や子は父親の財産であり、父親の決定が全てだ。
 たとえ本人が望もうと望むまいと父親の決定には黙って従うことが当然とされていた。

「…………」

 だが、グラハムは答えない。
 そこにはある意味、揺らがない決意が滲んでいる。

「今夜、屋敷まで迎えに行こうと思っていたが予定が少し変わった。
 父がお前を我が家に招待したいと言っている。お前と話したいそうだ。
 午後から俺も非番だから、屋敷に戻ったらすぐ、迎えに行く。
 だからお前もそれまでに準備をしておけ」
「行かない……」

 と小声で断るが、リヒターもそうくるとわかっていたかのように

「お前の父上からは、是非に、と言われている。
 これを無下にすれば、レーヴェ侯爵閣下の面子を潰すばかりか、騎士団の名前にも傷がつくぞ」
「……………」
「きちんと伝えたからな。帰って外出する支度をしておけ」

 リヒターは黙り込むグラハムにきつい口調で命令すると、再びハインツをにらみつける。

「彼女はこの後、忙しい。手間を取らせるな、死の商人」

 と、捨て台詞を残して足早にその場を去っていった。




「相変わらず、俺は嫌われてるな」

 ハインツは、軽い冗談のつもりでグラハムに話しかけるが、彼女は笑わない。
 グラハムの目には涙が浮かんでおり、今にも円らな瞳から零れ落ちそうだった。

「後で君の家に行く」
「でも、リヒターとの約束が」
「僕は了承してない。僕はハインツと一緒に外出する」

 一方的に決めつけるのはリヒターと同じだ。
 だが、リヒターとの違いは、グラハムが美しい少女であることと、今、彼女の瞳が涙に濡れているということだ。

「わかった……」

 そう答えるしかなかった。


◇ ◇


―レーヴェ邸―


 グラハムは屋敷に戻ると、手早く軍服から私服へと着替えた。
 革のホットパンツに、胸元にフリルとリボンのついた丈の短い白のブラウス。
 丈が短いため、グラハムの白くて引き締まった腹部と可愛らしく窪んだへそが大胆にむき出しにされていた。
 貴族の令嬢としては少し大胆過ぎるかもしれないが、帝国の女性魔術師の正装に比べれば遥かに露出度は低いし、なによりもグラハムは気に入っていた。
 女らしい服装をすることで、自分が血にまみれた騎士であることを忘れられるから。

 着替え終わったグラハムはハインツの家へ向かうべく自室を出た。

「グラハム、戻ったのか」

 そこにグラハムの父であるライン・フォン・レーヴェ侯爵が待ち構えていた。
 先の大戦での功績が認められ、侯爵位を受勲した帝国屈指の騎士。
 帝国の事実上の解体後はレーヴェ侯爵領の国主となるも、皇帝の傘下に残っていた。
 ただし、派閥としてはグロディアス大公家に就いているため、皇帝に必ずしも絶対的な忠誠を誓っているとは言い難いが。

「父上、僕はそのこれから用事が」
「知っている。ついて来なさい」

 ラインは娘に有無も言わせず、付いてくるよう厳命する。
 父の鋭い眼光に睨まれると、グラハムは借りてきた猫のように大人しくなり、従うしかなかった。
 俯き気味なグラハムをよそにラインは食堂へと向かう。
 グラハムもその背を追いかけて食堂に入るのであった。

 そして、最も会いたくない男と再会する。

「やあ、グラハム」

 水色の髪に、同色の瞳をした端正な顔立ちの青年。
 その全身を貴族の装束に包み込み、手には水色のクリスタルがはめ込まれた杖を持っている。

「リヒター……」

 リヒター・グロディアスだ。

「グラハム、お前は今日、リヒター殿の御屋敷に赴き、グロディアス閣下とお会いする。
 そのあと、一緒にオペラに行く。そうだな?」

 ラインが念押しするように問いかけるがグラハムは口を噤み、答えない。
 その様子にラインは困ったように

「グラハム、リヒター殿に失礼だ。せめて挨拶をしなさい」

 と言ってもグラハムは口を開かない。無視し、父であるラインからも、リヒターからも目を背けた。

「大丈夫です、侯爵閣下」

 リヒターはいたって紳士的に、たしなむような口調でラインとグラハムの間に入る。

「グラハムが嫌がるのも無理はありません。
 私が受け入れてもらえていないことは重々、承知しています」
「ですが、リヒター殿。それでは貴族としての礼節を欠きます」

 ラインはグラハムを振り向くと、意を決したように表情を鋭くし

「グラハム。お前はこれからグロディアス閣下の御屋敷へ行くのだ。
 そんな平民の娘のような格好など止めて、着替えてきなさい」
「はい………」

 グラハムは項垂れたままラインとリヒターに背を向け、食道を後にする。

「はぁ……」

 扉が閉じられると、ラインは深いため息をついて肩の力を抜く。

「全く、あの子は何を考えているのやら」
「いたし方ありません、閣下。
 今夜、あの話を切り出そうと思っていましたが、この調子では上手くはいきそうにありませんので、またの機会にいたします」

 しかし、リヒターはそう言いながらもこうなることはわかっていた。
 彼女が自分を拒絶していることは前々からわかっている。
 だが、彼もバカではない。
 娘がいくら拒絶しようとも、父という外堀から埋めていけばいずれ彼女の逃げ道もなくなる。

「申し訳ない、リヒター殿。それと、御父君からもう一つ、大切な要件があるとか」
「はい。父からある言伝を頼まれております」
「言伝?」
「ええ。書面にして残すことは許されていないこと、だそうです」

 その一言でラインの目つきが鋭くなる。
 書面にして残せない事柄にいいことなどあるはずがない。

「で、その内容は?」
「赤毛の少女」
「といいますと?」
「赤毛の少女を探してほしいそうです、侯爵閣下とレーヴェ騎士団のお力で」
「赤毛の少女?それがグロディアス閣下からの言伝ですか?」
「ええ。その少女は腰まで届く赤い髪に、同色の瞳の持ち主だとか。
 それに、少女は妊娠しており、大きな腹を抱えているそうです」
「赤髪赤眼の少女か。その少女に一体、何の秘密が?」
「そこまでは私も。赤毛の少女を見つけ次第、保護していただきたい、と。
 極力、人目に付かないように」
「ふむ………」

 いったい、その少女が何だというのか。ラインには不吉な予感がした。
 だが、その時、扉の向こうから聞こえたメイドの悲鳴が全ての感情を吹き飛ばす。

「何事だッ!」

 とラインが声を上げると、血相を掻いたメイドが飛び込んできて

「ご主人様、御嬢様がお部屋の窓から外にッ!」

 ドレスの着付けを行おうとメイドが部屋に入ったところ、ちょうどグラハムが部屋の窓から屋敷の外に抜け出したところだったという。

「なんだと……」

 侯爵は深くため息を着いた。
 だが、リヒターはこうなることを最初からわかっているように落ち着いていた。
 そして彼女がどこへ行ったのかもわかっている。
 
(それよりも)

 リヒターは窓の外に目をやる。真っ黒な雲が空を徐々に覆いつくそうとしていた。
 太陽に背を向けられた、滅びの大地に築かれたヴラド帝国。その空はいつも灰色の雲が空を覆い、昼間でも薄暗い。
 しかし、今、帝都の空は普段の灰色の雲よりもずっと黒い雲に覆われようとしていた。
 
 その情景が、帝国の未来を暗示しているかのようで、異常な胸騒ぎがした。
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