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序章 生きるに値しない命

Rise of 3 敗戦Ⅲ

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―帝都城塞郊外 灰色の森―


 帝都郊外にある《灰色の森》はその名の通り、全ての木々が灰のような色をしているためにそう名付けられた。木々には葉も生えておらず、幹は歪な形に捻じ曲がっている。
 呪われた大地と称されたヴラドの国土は灰色の土に覆われており、真面な植物が根を下ろすことを悉く拒んだ。そして大地に根差すことができたのは灰色の森に根差したような不気味な植物と、異形の怪物たちのみ。その大地で生存し続けてきた《クドラクの民》もまた世界からは怪物として畏れられてきた。クドラク、蔑称、吸血鬼は世界の裏側からやってきた悪しき存在である、と。

 灰色の森はまさに、世界から見た帝国とクドラクの民の現身であった。
 その一方でヴラド帝国にとって灰色の森は古来の英雄が住まう、神聖な場所であった。
 森は、かつて帝国の建国に寄与した崇高な騎士の領地だったのだ。

 ヴラド帝国に勝利した連合国はその森を休戦協定締結の場にした。
 ヴラド帝国に屈辱を味あわせるために。
 彼らが神聖視する森で膝を折らせ、敗北を認めさせるために。
 連合国の帝国に対する憎悪の現れであった。

 そして創世歴1919年6月28日のこと、灰色の森の傍に陣幕が張られ、ヴラド皇帝ガザリウス一世は連合国側の代表らと和平交渉に臨んだのである。

 同日、連合国とヴラド帝国との間に《聖典条約》が締結された。

 条約によってヴラド帝国は300の領邦に分割され、帝国としての体裁は残すものの、一人の皇帝が支配する専制君主制の国家から、独立した自治権を持つ複数の小国からなる連合国家へと改変された。
 帝位の世襲は許されたものの、後継者は8人の《選帝侯》による選挙で決められることとなった。
 また、戦争の全責任はヴラド帝国のみが負うことと定められ、300すべての領邦は連合国各国に与えた損害の全てを補償することが義務付けられた。

 この屈辱的な聖典条約の締結によってクドラクの民の滅亡は辛うじて免れた。
 しかし、帝国は事実上の解体へと追い込まれ、以降、クドラクの民にとっての暗黒時代が幕を開けたのである。


◇ ◇


―帝都城塞 ノイヴァンシュタイン―


 聖典条約締結から数日後、出征していた騎士たちがノイヴァンシュタインに戻ってきた。
 人々は我さきに城門へと走り、我が子の、親の、恋人の、兄弟姉妹の無事を確かめようと血眼になって帰ってきた騎士たちの顔を見ていく。貴族も平民も関係なく。
 その中に見覚えのある顔を見つけられた幸運な者は喜びの涙を流して力いっぱいに抱きしめた。だが、こちらは圧倒的な少数派だ。

 大切な者の死を宣告された親はその場に泣き崩れ、帰還した騎士たちが持ち帰った遺留品と遺書を抱きしめていた。
 しかし、遺留品や遺書が届けられただけでも幸運なのかもしれない。骸は全て戦場や帝都へと続く街道に捨てられてきた。
 遺留品や遺書を回収する余力すら軍には残っておらず、自分の大切な人が生きているのか死んでいるのかも知らされない。
 だが、その人たちはわかっていた。
 帰還した騎士たちの中にいないということはどこかで朽ち果てたのだと。
 しかし、大切な人たちがどうやって死に、どこに眠っているのか知る由もない。

 そして帰還した騎士たちの中にあの3人がいた。
 ハインツという名の青年騎士とグラハムという名の少女騎士、そしてリヒターという名の青年魔導士の3人だ。

 3人とも酷くやつれた顔をしており、おぼつかない足取りで帝都の城門を潜った。
 その先に広がっていたのは悲惨な光景。大切な人達の死に涙する数えきれない人々の姿だった。

 彼らの亡骸は今、ここへ至る街道のどこかに捨てられている。
 しかし、すぐに肉が腐ってそれが誰かも見分けられなくなるだろう。
 後に残るのは、死体から漂う血の匂いに招かれた異形のクリチャーと、死体を苗床にした無数の虫、そして疫病だ。

「グラハムッ!」

 と、唐突に男性の声がした。
 金髪の少女はその声を聞き、金色の瞳に涙をためる。

「父上……」

 人込みをかき分けて一人の貴族がグラハムに近づいてきた。
 ガザリウス一世が降伏について議論した御前会議で、レーヴェ伯爵と呼ばれていた貴族だ。
 だが、皇帝の狂気に満ちた眼に睨まれても動じなかった凛々しい騎士の顔は、我が子の前でみっともなく涙に濡れ始め、御前会議での凛々しさは微塵も残っていなかった。

「グラハムッ!あぁ、グラハムッ!本当によかったッ!」

 レーヴェ伯爵は血に塗れた愛娘を抱きしめて涙を流す。
 グラハムもまた父親を抱きしめて小さな嗚咽を漏らした。
 涙が枯れるほど泣いた筈なのに、まだ涙を流すことができた。

「リヒターッ!」

 と、今度はリヒターを呼ぶ声が聞こえてくる。
 人込みを使用人のような男たちが乱暴に左右へと押しのけ、大きく開かれた道を横柄な態度で駆け抜けてくる貴族がいた。
 御前会議でクルースニク伯爵と並んで降伏を進言したグロディアス大公だ。

「父上……」

 リヒターはどこか冷めたような横目で走ってきた父親を見る。
 父親との再会をどうでもいいと思っているかのように。
 しかし、グロディアス大公は我が子に駆け寄ると、血と泥にまみれた頬を皺の深い両手で包み込んできた。

「我が子よ……よかった……よく無事でいてくれた……」

 それから感極まったように抱きしめる大公爵。
 しかし、リヒターは気色悪いと言わんばかりの目で父親を見下ろしていた。
 再会を喜ぶ親子もいれば、喜ばない親子もいる。

「ハインツ」

 と、今度はハインツが後ろから声を掛けられた。
 振り返ると、そこにはアドラーの紋章が描かれた甲冑を身にまとう老齢の騎士が立っていた。
 彼の背後にも同じようにアドラーの紋章を掲げる騎士たちが立っている。

「父上、ご無事でしたか」

 老齢の騎士はハインツの父、ムラド・アドラー。階級は貴族の中でも最下位の騎士公だ。
 ムラドの甲冑は無数の傷と血と泥に塗れ、いかに彼が激しい戦闘に身を投じていたかを物語っている。

「お前が無事で安堵した」
「私もです。兄上や弟達はどこに?」

 とハインツが尋ねるとムラドは4本の剣を見せてきた。
 どれも血に染まり、赤黒く汚れている。

「一足先にタルタロスへ旅立った。
 今頃は兄弟仲良くハデスの冥界を進んでいるだろう」
「そうですか……」
「生き残ったのはお前とリゲルだけだが、我が子が2人も生き残って帰ってこられたのだから、幸せ者と思わねばな」
「そうですね」

 ハインツは兄弟の死を告げられても特に驚いた様子はない。
 それぐらいは最初から覚悟していたことだった。
 でも、彼自身も驚くほど何の感情もこみあげてこなかった。
 心はとうの昔に戦場で死んでいたのだ。

「とにかく今は休もう、ハインツ。戦いは終わった」

 最悪の形ではあったが、戦争は一応の終結をみた。
 しかし、ハインツはそう思うことができずにいる。

「本当に終わったのか……」

 そう言って青年は絶望に暮れる人達を振り返った。
 この戦争で大勢の人が大切な人を失った。
 そして、それだけの犠牲を払いながらも帝国は敗れ、屈辱的な聖典条約に調印させられた。
 帝国は事実上、解体され、戦争のすべての責任を負わされる。

 これは終わりではなく、新たな悪夢も始まりでしかない。
 青年にはそうとしか思えなかった。
 

◇ ◇


―大公ヴィルヘルム・フォン・ハウゼンの屋敷―


 帝国の大公、ヴィルヘルム・フォン・ハウゼンは屋敷にある彼の魔術工房で騎士と会っていた。
 薄汚れた甲冑に身を包んでいる騎士は膝を着き、深く頭を垂れている。
 しかし、ハウゼンは騎士に背を向け、ガラスでできた容器を手にし、興味深そうに内容物を見入っている。

「そうか、残らず死んだか」
「申し訳ございません、閣下……。ご子息を誰一人としてお守り通すこと叶わず……」

 背を向けるハウゼンに騎士は涙を流しながら、3本の剣を束ねて差し出した。
 だが、ハウゼンは騎士を振り返ることなく、ガラスの容器の中を見入っている。

「美しい」
「は……?」

 ハウゼンの漏らした言葉に、騎士は理解できないという表情を浮かべて顔を上げた。
 我が子が残らず戦場で死んだというのに、目の前の老人はその遺品に目もくれず、ガラスの容器の中を見入るばかり。

「閣下、ご子息が亡くなられたのです。何も御思いにならないのですか?」

 と、家臣としてはあるまじき諫言が口を突いてしまうのも無理はない。
しかし、ハウゼンは焼けただれた頬を吊り上げながらゆっくりと騎士を振り返り

「見たまえ。世にも珍しい、尾の繋がった2匹の蛇だ。
 ツヴェルグのガルードから贈られてきた代物だが、これを基にすればより強力なホムンクルスを造ることができる」
 
 そう言ってハウゼンが見せてきたガラスの容器の中身を見て、騎士は絶句する。
 容器の中を気色悪い異物が蠢いていた。尾の繋がった二つの頭を持つ蛇だ。
 それが赤黒い液体を滴らせながら、容器を食い破ろうと暴れている。
 蛇は牙で容器のガラス面を何度も叩くが、ハウゼンが特殊な細工をしているのか割れることはない。

「ゾクゾクするな。
 敵に大切な者を奪われ、敵の大切な者を奪い、悲しみに暮れ、憎悪を燃やし、
 戦いはより凄惨さを増していく」

 ハウゼンは手元の怪物に視線を向けながら大きく目を見開くと

「戦争は進化を促し、進化はより凄惨な戦争へ繋がる。
 次はどんな戦争が我らを待っているのか、楽しみでならん。ククク」

 戦争は種を進化させる道具であり、進化の先にこそ種の生存が約束される。
 今回の戦いでは人間と亜人が進化という点でクドラクの民を上回っていた。
 だが、ハウゼンの興味は既にいずれ起こるであろう次の戦争にしかない。
 クドラクの民が進化を遂げたことにより、より悲惨を究めるであろう次代の戦争だけ。

「そしていつか戦争に勝利し、神を殺す。
 真のティーターノマキアー最終戦争はこれからだ、ククク」

 白い歯まで覗かせて笑うハウゼンを見て、涙を流していた騎士の顔が青ざめていく。
 自分の血を分けた子供たちが戦争で亡くしたにもかかわらず、この老人はまだ戦いを求めている。
 むしろ、我が子を失ったことに快感すら覚えているかのようであった。

 彼は我が子をなんだと思っているのか。
 いや、何とも思っていないのかもしれない。
 とにかく、真面ではない。それだけはよく理解できた。


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