俺のご主人様がこんなに優しいわけがない

及川まゆら

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幽韻之志

31/初櫻、視るに未だ有らず。

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 青嵐にそっくり?
 

 稀代の好色一代男に、俺が…嘘だろ。
 どう考えてもアイツは無い。親と妻を殺して幼い子供を連れ去り逃亡するなんざ俺には到底できる筈もなく。青嵐のことは殺したいほど…
 憎しみ?業腹だがそれは恋しさに焦がれる自分に蓋をする理屈で、青嵐のせいで今もこんな事になっているのに、文句のひとつも言わずに麗子の子供を引き取って四苦八苦。何やってんだ、俺?
 
 泪町で科戸さんに匿われ死ぬ目に遭ったのに、死にきれず…
 惨めったらしく玲音に縋って生きてる。
 修羅の道は誰にも等しいものなのか。
 あの時、青嵐はこう言った。
 「親を殺せば、次はお前の番だ」かつての自分がそうであったように、と。
 今まで俺が見ようとして来なかった事実の片紐を指ですり合わせては「これが何なのか?」興味を持ったことは一度も無かった。でも、気が付いてしまった事がある。

 父、黒鬼くろきいづるは日本伝統芸能の艶型・歌舞伎一座を末弟から襲名。
 なぜ優秀な双子の兄、科戸忠興を後継者にしなかったのか?
 青の一門である本家でありながら黒鬼の姓を名乗らない理由は、なぜ科戸さんは妻と姓が異なり六喩会に異双子は在籍しないのか?様々な疑問が頭を駆け巡る。
 俺自身、外部から来た。
 身内ではない…末弟の愚図が青嵐を名乗る境遇に悪寒が奔り、肩を竦めた。


 今まで、青嵐に言われたことを振り返る。


 青嵐は仕事が好きで家業を継いだ。
 設えた檻の中では私自身、傀ぐつとなり
 狂喜に埋もれて死ぬまで働かされる。
 不当に扱われることは耐え難いが
 その理由を皆、口にしないのがここのやり方・・・・・・だ。

 確かに、青嵐は障害と思しき性質があり、制御できない部分を隷属がコントロールして徹底的な管理下で生涯、歌舞伎青嵐を辞めることはできない。
 あの時…
 小夜子が夢に出てきた時の感情は青嵐の記憶が憑依したと思っていたが、俺自身の「声」だったのかも知れない。


 「だから、君と居ると気が紛れていい」


 急に青嵐の声が聞こえて、耳を塞ぐ。

 目に見えない圧力と共に耳鳴りに呼吸が浅くなる。
 鼓動の激しさと共鳴しながら乱れる視界に倒れる俺を支えてくれた玲音の声が、まるで雑踏に掻き消される。何だ、これ…金縛り?体験した事もないような胸のざわめきが地鳴りのように遠くから押し寄せて避けられない。

 俺はそのまま倒れて意識は戻らなかった。



 ゴツン……



 何かが頭にぶつかって、振り返る俺は砂の上でうずくまっていた。

 「庭師の方がお見えになるようです、中へ」

 見知らぬ女性に手を引かれると足がもつれて転ぶ。
 女性は膝についた小石を払いながら微笑んで俺を抱き寄せて立ち上がった。

 「おい、ちぃ!さっさとガキ連れて行け」
 「お嬢様…続きはお部屋でお願いします」
 「聞こえてんのか、コラ!」

 廊下で絵を画いていた小さな女の子は男の野次に「うるせーな聞こえてるよ!ったく…」大声で返事をすると板の間を踏みしめて歩く。

 「千鶴子ちづこが黙ってるからっていい気になりやがって」
 「私は大丈夫です。あら、忠興さん…おかえりなさいませ」
 「ただいま。どうかしたの?」
 「いつものこった。あーあ、聖城の制服いいなぁ」

 女の子より頭一つ背の高い忠興は紺色のブレザーに短パン姿で、ランドセルを背負っていた。

 「私が受験失敗しちゃったから仕方ないか」

 よく見ると女の子は茶色のセーラー服で、ゲイノウジンやチョメイジンを親に持つ子供の通う私立に入れられて学校で毎日いじめられると忠興に話す"オヤジガヤクザダトタイヘンダネ"そう言いながらクスッと笑い庭に視線を向けた。

 「冬に咲く桜?初めて見た」
 「寒桜かな。美しいね」
 「カンザクラ…ふぅーん。あんなチビ桜が冬越せるの?」
 「あれは接ぎ木をされた苗木。おそらく冬眠が出来ずに狂い咲いたのでしょう」
 「寒いのに花なんか付けて…バカ桜!あははっ」
 「裸にされて火照ったのかも。君にも身に覚えは…無いか」

 楽しそうに話すふたりが羨ましい。
 指を舐めていると、忠興が両手を伸ばして微笑む。

 「おいで、おやつの時間だ。行こう」

 床の上に立つと一番背の低い俺はふたりの間で手を繋いで、歌いながら、笑いながら、お父様に贈られた記念樹が大きく育つのを見ていた。

 頭脳明晰で優しい忠興
 美人で気の強い小夜子
 末っ子の泣き虫で「知恵遅れ」と呼ばれる俺の名前は…

 いつかふたりでここを出よう
 大丈夫だよ
 僕が守ってあげる
 たったひとりしか居ないお前の為なら…"誰"…を犠牲にしても構わない
 いつまでも僕だけの青嵐でいてね。

 真っ暗な空に月が浮かぶ
 ゆびきりげんまん
 嘘ついたら…忠興の歌が止まって、微笑む。




 針

 センボン

 飲……マス 指 切ッタ




 赤い爪の指が目の前に、堕ちた。

 温かくて懐かしい匂いがする場所をぎゅっと掴むと、そこは腹の中で凄まじい感情が興り強い衝動を止められず、叫びながら何かを訴え続ける。肺が液体で満たされ吐き出されるとそれまでの世界から解き放たれ全てを失った。
 狭くて温かい…
 懐かしいあの場所へいつか還りたい。


 目が覚めると、あおちゃんが俯せで覗き込んでた。
 「えん!」大きな声で玲音を呼びながら、俺の頭を撫でる。
 何を言ってるのか
 わからない…
 次第に視界と脳の処理速度が戻り、あおちゃんに教える。

 「れん。昔は俺もそう呼べたのに…もう無理かな」
 「えんっえんっ!!」
 「玲音はあおちゃんにあげるね」

 部屋に入って来た玲音と目が合う。
 傍らに座ると、少し様子を見てから手繋ぎ、俺の言葉を待つ。

 「あおちゃんを任せて、ごめん」
 「戻ってきてくれて、ありがとう」
 「泣くなよ」
 「だって…急に居なくならないで」

 あおちゃんが腕を伸ばして玲音を乱暴に撫でる。髪がめちゃくちゃになっても、俺の手に唇を宛がう玲音に掛ける言葉がみつからない。
 意識を失って、今日で3日目。
 夢に見てた小さな花の輪郭がぼんやりと消えかかる意識の中で、夢の使者が囁く。



 
 ――――― もうすぐ逢える、と。



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