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幽韻之志
10/会うは別れの始め
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足抜けをして遂には泪町二十四軒で保護観察に処された俺だが、厳しい折檻を受けることもなく留守を預かり、店の掃除や繕い物、プランターの植物に水をやる。以前のような風俗店で激務に追われることが無い穏やかな日々だが、泪町の住人は国家機密レベルの危険因子として収容された凶悪犯罪者ばかり。
「回覧板が戻るまで、昼間でも絶対に一人で外出してはいけない」
足抜けしようものなら、確実に死ぬ。
その証拠としてバケツの水を外の排水溝に捨てたら、野良犬に噛まれた人が狂ったように暴れて陽の光の刺激で散乱して死ぬのを見た。日本には「無い」と言われる伝染病がここでは日常、感染すれば48時間以内に100%死に至る。
他、肌が腐食して真っ黒になった死体を鼠が巣食う。
初めてここへ来た時、常駐している見張りの警察がたまたま交代で居なかったことから三毛猫を抱いて無事に踏切を渡った。
あれは飼い猫ではなく客人で、上皇の使い魔。
上皇とは退位した偉い人のことで…あ、また猫ちゃんが来た。
「いらっしゃいませ」引き戸を開けると足元の匂いを嗅いで、俺を見上げる。
「初めまして、新入りのとめきです。科戸さんに御用ですか?」
声をかけると店内に入り、勢いをつけてカウンターに飛び乗る。積み重ねた皿などの匂いを嗅ぎながら用心深く俺を睨みつけるカギ尻尾のハチワレは極端に短い足を伸ばして毛繕う。
「今日はハチですね。棚の左上にある缶詰を…」
科戸さんの指示で扉を開けて猫缶をひとつ取り出し、置いた瞬間ハチがすり寄って来る。顔が近い、危ないから…ごめんちょっと離れてと缶の蓋を開けると前足をかけて「にゃーん!」早く寄こせと催促するハチとの出会い。
ハチが来る日は何かを意味するようで科戸さんは準備に取り掛かる。
厨房の奥に繋がる暖簾をパッと払った先でお鈴が鳴り、線香の煙を纏わせた科戸さんが戻って来るとハチを小脇に抱えて風呂敷包みを掴む。
「今日は店を閉めて、誰も店に入れてはいけないよ。いいね?」
ハチが鳴いて足早に駆ける姿を見送ると引き戸の内側に付いてる捻締り錠を回してから、奥の部屋を見に行く。
昼間でも暗いこの部屋には電気が無い。
懐中電灯で照らすか、マッチを擦って蝋燭に火を点けなければ何も見えない暗がりに奥方の位牌がある。
西の魔女 宇賀神しづ子
科戸さんの奥方で、晃汰の母親。
姉にあたる宇賀神姉妹がアナスタシア関西支部を仕切っており、関東圏とは何十年も対立関係にあると噂の強豪。亡き奥方の遺影は無く誰も口にしない所をみると相当な訳あり。科戸さんの子を授かる女がまさかこの世にいたとは…妊娠する過程が全く想像できない。
無理やり?
まさか青嵐じゃあるまいし
三人いるってことは生中…3…うわぁ…膝の上で拳を握って、顔を横に振る。
すみません
すみません
手を合わせながら深々と頭を下げて厨房に戻ると、引き戸の外にぼんやりと人影が見えた。俺より小さい子供くらいの背の高さで、ガラス窓を叩いてる。
「おたのもうします。うちのひと、おらんやろか」
聞き取りにくいが女の声で呼び掛けている。
ここで遇うのは人間と限らない。
ぼんやりと動く影は店内の様子を伺いながら、消えた。
―――おたの?
名前だろうか、覚えておこう。
食器を洗い終わると二階から晃汰が下りてきて、狭い通路に肩をぶつけながらあくびをひとつ、寝ぐせの頭を掻きながらカウンターに座ると肘をつけて俺を眺める。
「おはよう。コーヒーにする?」
「昌がいいなぁ」
「なに言ってんの。昨日随分遅かったけど、この辺で飲んでたの?」
「劉青と雀荘行ってた」
「そっか。科戸さんはハチとでかけて、店には誰も入れるなって」
「もう帰って来なくていいよ。普段は居ないのに、こんな時だけ…」
味噌汁をすすりながら小皿を受け取る晃汰はチラっと上目遣いで伸びた顎髭を手の甲で拭い「うまい」のサインをくれてひと安心。
ここに来てから料理の腕は上がったけど、晃汰と体の関係は一切なくて…というより実家で親がいる手前、出来る筈もなく、科戸さんはああ見えて同性愛に理解が乏しく息子の性志向の延長に俺がいることを快く思っていないのは百も承知だ。
俺がここに来て間もなく晃汰に襲われているのを見られた時、純粋に叱られてしまった。親の目を盗んで発情しまくる晃汰と、許されざる関係を今まで続けて来た罪の意識が滲む。
「もう、だめって。この間叱られたばかりでしょう」
「最後までしないから…頼むって」
「ちょっと晃汰…やめて…ここじゃ、だめ」
「父さんが居ない時くらい俺だけのものになってよ」
ガタンッ
両手で尻を持ち上げられて開かれた足の間に晃汰を挟む格好にさせられ、重なる唇に逸る舌を避けると腰を強く押し付けられ「いいの?俺に逆らって」強い命令口調ではなかったが磔にされた心がゆっくりと降伏する。
声を出さないよう息をついて
開かれた恥ずかしい先に…熱が…頭がおかしく…なる。
顔を横に倒すと引き戸の擦りガラスに人の顔が浮かび上がってて、恐怖のあまり悲鳴が出た。
「どうした、急に…」
「外に人が…誰か見てる、もうやだ!」
「は?……誰もい……ぁあ……」
一瞬、晃汰の身体がわずかに震えた。やっぱり、いる。
「おたのもうします」
あの声、さっきの女だ。
白い顔は輪郭をぼかしながらバァーン!外から硝子を叩く手形がはっきり見えて、店内に割れんばかりの音が響き渡り、次第に激しさを増していく。
俺は服を着ることもできないほどの戦慄に身を崩し、晃汰と一緒にカウンターの裏側に隠れた。
「さっきはすぐ消えたのに…なに、あれ…ゆ、幽霊?」
「この店はたまに、父さんに捨てられた女の亡霊が出るんだよ」
「やめて!お…お…俺っそーいうの無理!!」
「父さんは誰も店に入れるなって言ったよね。もし、鍵を開けたら…」
ガチャ
な、なに今の音。
あの引き戸は内側にしか鍵がついてないのに…ずりずり…っ…砂の上を擦りながら戸が開く音に嫌でも聞き耳を立ててしまう怪奇に、息を殺して晃汰に体を預ける。
「久しぶり、元気だった」
「劉ちゃん!」
りゅうちゃん…???
何やら楽し気に話しているが、なんだ劉青の女か…訛りで聞き取れないけど晃汰の胸に手を添えて顔を覗くと額に汗を滲ませ息を殺していた。察してここから動かない方がいいのだろう。
「昌宗。そこで何やってるの?」
頭上から声をかけられ、俺だけ…立ち上がって会釈をした。
まっ白な肌に黒髪を結った小柄な女は柳の葉のような指を揃えて会釈をひとつ、顔を上げると大きく開かれた瞳に見つめられ胸が騒ぐ。
こ
わ
い
例えようもない恐怖を拭えない俺はカウンターの茶碗を片付け、劉青の後ろを通ってその場を離れようとするが、晃汰に足を掴まれて飛び上がる。視線が下がらない様にそっと茶碗を置いて狭いカウンターで劉青と横並び、挨拶するよう促され…息を飲み込んで声を絞ると、女は爪を立てて簪を揺らした。
「とめきはん?」
「はい…ここでお世話になっています」
「青嵐はんとこでほけられたいちびりが、よう笑らけんなぁ」
さっぱり意味がわからない上に、笑うと可愛い人形のような女が誰なのか?愛想笑いを浮かべていると劉青が気の毒そうにこっちを見ていた。
「忠興に可愛がられて、いい子になるよ」
「てんごしなや…もらいずてはあかんよ?」
「よしなに」
「よろしいなぁ。ほな、ごめんやす」
俺より背の低い女は草履をはいてるのに足音も立てず、店の入り口で待っていたハチの頭をひと撫で外へ出た。客人は見送るまでが務めだと教えられているので、カウンターから自然と出て後を追ったがそこに女の姿は無く…白檀にも似た香りだけが漂っていた。
「晃汰もう行ったよ、出ておいで」
「どぉーりで父さんが慌てて出て行くわけだ…で、文句を言いにわざわざ?」
「まさか、昌宗のお目通りが適って好かったじゃないか」
疲労困憊を労う迎え酒に口をつける、晃汰の表情がやけに厳しい。
「西から来る風…か、叔父貴も黙っちゃいねぇーな」
晩に、科戸さんは戻らなかった。
晃汰も行き先を言わず出て行ったきり…留守を預かる俺はひとり、不安だった。
「回覧板が戻るまで、昼間でも絶対に一人で外出してはいけない」
足抜けしようものなら、確実に死ぬ。
その証拠としてバケツの水を外の排水溝に捨てたら、野良犬に噛まれた人が狂ったように暴れて陽の光の刺激で散乱して死ぬのを見た。日本には「無い」と言われる伝染病がここでは日常、感染すれば48時間以内に100%死に至る。
他、肌が腐食して真っ黒になった死体を鼠が巣食う。
初めてここへ来た時、常駐している見張りの警察がたまたま交代で居なかったことから三毛猫を抱いて無事に踏切を渡った。
あれは飼い猫ではなく客人で、上皇の使い魔。
上皇とは退位した偉い人のことで…あ、また猫ちゃんが来た。
「いらっしゃいませ」引き戸を開けると足元の匂いを嗅いで、俺を見上げる。
「初めまして、新入りのとめきです。科戸さんに御用ですか?」
声をかけると店内に入り、勢いをつけてカウンターに飛び乗る。積み重ねた皿などの匂いを嗅ぎながら用心深く俺を睨みつけるカギ尻尾のハチワレは極端に短い足を伸ばして毛繕う。
「今日はハチですね。棚の左上にある缶詰を…」
科戸さんの指示で扉を開けて猫缶をひとつ取り出し、置いた瞬間ハチがすり寄って来る。顔が近い、危ないから…ごめんちょっと離れてと缶の蓋を開けると前足をかけて「にゃーん!」早く寄こせと催促するハチとの出会い。
ハチが来る日は何かを意味するようで科戸さんは準備に取り掛かる。
厨房の奥に繋がる暖簾をパッと払った先でお鈴が鳴り、線香の煙を纏わせた科戸さんが戻って来るとハチを小脇に抱えて風呂敷包みを掴む。
「今日は店を閉めて、誰も店に入れてはいけないよ。いいね?」
ハチが鳴いて足早に駆ける姿を見送ると引き戸の内側に付いてる捻締り錠を回してから、奥の部屋を見に行く。
昼間でも暗いこの部屋には電気が無い。
懐中電灯で照らすか、マッチを擦って蝋燭に火を点けなければ何も見えない暗がりに奥方の位牌がある。
西の魔女 宇賀神しづ子
科戸さんの奥方で、晃汰の母親。
姉にあたる宇賀神姉妹がアナスタシア関西支部を仕切っており、関東圏とは何十年も対立関係にあると噂の強豪。亡き奥方の遺影は無く誰も口にしない所をみると相当な訳あり。科戸さんの子を授かる女がまさかこの世にいたとは…妊娠する過程が全く想像できない。
無理やり?
まさか青嵐じゃあるまいし
三人いるってことは生中…3…うわぁ…膝の上で拳を握って、顔を横に振る。
すみません
すみません
手を合わせながら深々と頭を下げて厨房に戻ると、引き戸の外にぼんやりと人影が見えた。俺より小さい子供くらいの背の高さで、ガラス窓を叩いてる。
「おたのもうします。うちのひと、おらんやろか」
聞き取りにくいが女の声で呼び掛けている。
ここで遇うのは人間と限らない。
ぼんやりと動く影は店内の様子を伺いながら、消えた。
―――おたの?
名前だろうか、覚えておこう。
食器を洗い終わると二階から晃汰が下りてきて、狭い通路に肩をぶつけながらあくびをひとつ、寝ぐせの頭を掻きながらカウンターに座ると肘をつけて俺を眺める。
「おはよう。コーヒーにする?」
「昌がいいなぁ」
「なに言ってんの。昨日随分遅かったけど、この辺で飲んでたの?」
「劉青と雀荘行ってた」
「そっか。科戸さんはハチとでかけて、店には誰も入れるなって」
「もう帰って来なくていいよ。普段は居ないのに、こんな時だけ…」
味噌汁をすすりながら小皿を受け取る晃汰はチラっと上目遣いで伸びた顎髭を手の甲で拭い「うまい」のサインをくれてひと安心。
ここに来てから料理の腕は上がったけど、晃汰と体の関係は一切なくて…というより実家で親がいる手前、出来る筈もなく、科戸さんはああ見えて同性愛に理解が乏しく息子の性志向の延長に俺がいることを快く思っていないのは百も承知だ。
俺がここに来て間もなく晃汰に襲われているのを見られた時、純粋に叱られてしまった。親の目を盗んで発情しまくる晃汰と、許されざる関係を今まで続けて来た罪の意識が滲む。
「もう、だめって。この間叱られたばかりでしょう」
「最後までしないから…頼むって」
「ちょっと晃汰…やめて…ここじゃ、だめ」
「父さんが居ない時くらい俺だけのものになってよ」
ガタンッ
両手で尻を持ち上げられて開かれた足の間に晃汰を挟む格好にさせられ、重なる唇に逸る舌を避けると腰を強く押し付けられ「いいの?俺に逆らって」強い命令口調ではなかったが磔にされた心がゆっくりと降伏する。
声を出さないよう息をついて
開かれた恥ずかしい先に…熱が…頭がおかしく…なる。
顔を横に倒すと引き戸の擦りガラスに人の顔が浮かび上がってて、恐怖のあまり悲鳴が出た。
「どうした、急に…」
「外に人が…誰か見てる、もうやだ!」
「は?……誰もい……ぁあ……」
一瞬、晃汰の身体がわずかに震えた。やっぱり、いる。
「おたのもうします」
あの声、さっきの女だ。
白い顔は輪郭をぼかしながらバァーン!外から硝子を叩く手形がはっきり見えて、店内に割れんばかりの音が響き渡り、次第に激しさを増していく。
俺は服を着ることもできないほどの戦慄に身を崩し、晃汰と一緒にカウンターの裏側に隠れた。
「さっきはすぐ消えたのに…なに、あれ…ゆ、幽霊?」
「この店はたまに、父さんに捨てられた女の亡霊が出るんだよ」
「やめて!お…お…俺っそーいうの無理!!」
「父さんは誰も店に入れるなって言ったよね。もし、鍵を開けたら…」
ガチャ
な、なに今の音。
あの引き戸は内側にしか鍵がついてないのに…ずりずり…っ…砂の上を擦りながら戸が開く音に嫌でも聞き耳を立ててしまう怪奇に、息を殺して晃汰に体を預ける。
「久しぶり、元気だった」
「劉ちゃん!」
りゅうちゃん…???
何やら楽し気に話しているが、なんだ劉青の女か…訛りで聞き取れないけど晃汰の胸に手を添えて顔を覗くと額に汗を滲ませ息を殺していた。察してここから動かない方がいいのだろう。
「昌宗。そこで何やってるの?」
頭上から声をかけられ、俺だけ…立ち上がって会釈をした。
まっ白な肌に黒髪を結った小柄な女は柳の葉のような指を揃えて会釈をひとつ、顔を上げると大きく開かれた瞳に見つめられ胸が騒ぐ。
こ
わ
い
例えようもない恐怖を拭えない俺はカウンターの茶碗を片付け、劉青の後ろを通ってその場を離れようとするが、晃汰に足を掴まれて飛び上がる。視線が下がらない様にそっと茶碗を置いて狭いカウンターで劉青と横並び、挨拶するよう促され…息を飲み込んで声を絞ると、女は爪を立てて簪を揺らした。
「とめきはん?」
「はい…ここでお世話になっています」
「青嵐はんとこでほけられたいちびりが、よう笑らけんなぁ」
さっぱり意味がわからない上に、笑うと可愛い人形のような女が誰なのか?愛想笑いを浮かべていると劉青が気の毒そうにこっちを見ていた。
「忠興に可愛がられて、いい子になるよ」
「てんごしなや…もらいずてはあかんよ?」
「よしなに」
「よろしいなぁ。ほな、ごめんやす」
俺より背の低い女は草履をはいてるのに足音も立てず、店の入り口で待っていたハチの頭をひと撫で外へ出た。客人は見送るまでが務めだと教えられているので、カウンターから自然と出て後を追ったがそこに女の姿は無く…白檀にも似た香りだけが漂っていた。
「晃汰もう行ったよ、出ておいで」
「どぉーりで父さんが慌てて出て行くわけだ…で、文句を言いにわざわざ?」
「まさか、昌宗のお目通りが適って好かったじゃないか」
疲労困憊を労う迎え酒に口をつける、晃汰の表情がやけに厳しい。
「西から来る風…か、叔父貴も黙っちゃいねぇーな」
晩に、科戸さんは戻らなかった。
晃汰も行き先を言わず出て行ったきり…留守を預かる俺はひとり、不安だった。
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