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幽韻之志

4/妄想之縄

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 数日後、和室のスタジオで慌ただしく準備が始まる中、青海波柄の着物に足袋を擦り男性モデルとして敷居を跨ぐ世界。俄かに勤まるだろうか、不安だ。

 「ここに座って。もう少し右…爪先を倒して…」

 レンズを向けられると萎縮して、前が開かない様に手で押さえる。
 横から不意に左肩を直されポージングの難しさを知ると同時に緊張から俯くと顎の下に扇子が差し込まれた。
 拒むとシャッター音が空を切り裂き、反射的に体を反らして、青嵐にしがみつく。
 かつて俺は全ての権利を奪われ、凌辱の限りを身に受けた。
 これは仕事、とはいえ…
 騙されてもっと酷いことが起きない保証はどこにも無い。
 青嵐の袂に掴みかかり、胸に顔を埋める。
 わずかな音でさえ怯え狭い所へ潜り込んだまま動けない俺に青嵐の指は優しく折れた。肌の香りに手繰り寄せられ、残酷な過去から意識が戻る。

 言葉は無い
 そして始まる、紡ぎの一時に酔う。
 
 一会に厳しく視線を浴びせられ、降伏。
 解かれた先で空気の摩擦を破る青嵐はそっと唇を寄せて、合図を送り、後手を取る。着衣のまま袖から伸びる手首に回を巻かれて引く音に、目を閉じて堪えながら、縄の端が床を叩くのを見つめていた。
 もっと強く縄を引かれて足元がおぼつかないと思っていたが、上腕に縄が二度ほど回ったところでゆっくりと指が差し込まれ、抜き取る瞬間に縄を引かれて結び目が組み込まれていく。
 厳しい緊縛を受けている筈なのに縄が柔らかく体に馴染み、前屈姿勢になっても縄がついてきて緩まずにいる。俺なら閂(ストッパー)を掛けないと安全性が確保できないのに…下手すれば橈骨とうこつ神経を痛める寸でに気が付く所存、全て外しながら柔軟性に合わせて縄を掛けていく。
 息が詰まれば手を止めて、肩から撫で下ろす。
 吹き返せば縄を引き、体重移動する先を示す様に抱きしめられる。
 辛くもないのに…
 ただ切なくて、感情が破裂しそうになる度に奥歯を食いしばると勘付かれ、足の爪先で素早く縄の輪を作り布を通して噛まされた。息が熱い。 
 首の後ろから下がる縄を組む、高度なテクニックはすべて「思い付き」こんなにも人の心を乱しておきながら青嵐にとっての緊縛はあやとり程度の遊び道具でしかない…それが真実だ。
 
 床に横たわり裾を気にして足を閉じると、間髪入れず複雑な組み込みで達磨縛りを受け、外測に蝶結びが編まれる度に歓声が沸く。
 掛け縄と結び目が蝶の模様になる
 青嵐オリジナル。動画の撮影をするカメラが一気に集中する。
 緊縛は受け手との一対一で行われるもの
 撮影する為のサービスタイムなど青嵐が儲ける筈もなくあっという間に縄が決まる。それも気に入らなければ途中で解き、撮影させないことも多々ある。

 完全に青嵐の独壇場。

 そこに蝶が舞えば、誰でも捕まえようと手を伸ばす。




 僅か5分で解けて消える
 自然界には存在しない蝶の縄目を、俺自身が見ることは適わなかったが…

 これが後に、俺の人生を変える転機になるとは。





 一先ず、解放感に快楽を滲ませる。
 頭が真っ白で、恥ずかしさから畳を張って縁側でひとり佇み、着物の皺を汗ばむ手で伸ばしては繰り返す。
 動けば香る…青嵐の移り香を纏う、俺は泣くまいと堪えていた。
 緊縛を受ける現実はこうだ。
 身動きできない不安に駆られた瞬間、抱きしめられる手の肉感があんなにも優しく「自分の為に」在るものだと安堵に堕ちる。どれだけ恨んでも恨んでも、体が求めて言うことを利かない。手首に残された跡を隠しながら、袖で涙を拭っているとカメラマンを遮り青嵐が隣に掛けた。

 「まるで借りてきた猫だな」

 裾から指が差し込まれ、鋭く反応する。
 縄の跡目で健康状態や体質を知る事ができる、とはいえ触り方が…人目を忍んで逢引きを楽しもうとする男の手付きに感じて振り払おうとしても力が入らず、攻防に負けて肩を寄せた。

 「私のこと、好きかい?」

 いつもならカッと来るのに、胸が張り裂けそうになっているのは青嵐が体だけではなく心まで縛り上げて支配するから。
 ああ、俺もこんなに素敵なご主人様になれたら…
 嫉妬と失望に苛まれ、また涙が顎を伝う。
 風情のある庭に青嵐と二人きり
 いつもと変わらない午後の陽射しは傾き、人生初のモデル経験は終わった。
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