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幽韻之志

2/唯似一大事因縁故出現といぬなり

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 数週間後、アナスタシアの本店でプレイ後の丙に遭遇した。
 出張タイプの俺と違い部屋持ちの丙は一日に3人限定で客を取る高給取り。
 シニア部門の売上は間違いなくトップを誇る丙のVIPルームを掃除する俺だって暇じゃないが先輩の仕事を垣間見ることができるチャンスを逃すまいと使用後の縄を手繰り寄せる。
 店のアイテムはご主人様の仕様に合わせて、全て専属スタッフが管理しており、丙の縄は粗めの仕上がりで蜜蝋は施されていない。
 緊縛を受けた感触を想像する。
 解かれた縄の跡目と呼ばれる折れ曲がった箇所が何センチ感覚で結び目を付け、どこで返しているのかを推測。伝統的な緊縛に独自のセンスを織り込む技術に、もう気が触れそうなほど縄を握りしめて…

 素敵だ……声を漏らす、魅惑の一時。

 「おや、昌宗様」
 「お疲れ様です。次のご予約までお時間があります。お部屋で休みますか?」
 「いいえ、瑠鶯と約束があるので…一度出ます」
 「畏まりました。瑠鶯様をお迎えする支度を整えますので、お待ちください」

 束ねた縄を置いて一礼
 すると、廊下から怒鳴り声が聞こえた。
 聞き耳を立てるとフロントに直接のお申し付けの案件。ここじゃよくある事だが声に聞き覚えがある。最中を掻い潜り、部屋に入って来た瑠鶯が迷惑そうに事態を報告。

 「予約が全然取れないんだって!おかしいんじゃないの」
 「そう言われましても、人気のご主人様ですから」
 「架空出勤かよ!何で答えられないのか理由を言え、ふざけるな!!」

 ああ、やっぱり…

 「梁太郎、どうしたの?」

 ドアから顔を覗かせる俺を見た瞬間、黙る。
 癖っ毛に丸眼鏡の桜井梁太郎は泣きそうな顔で、俺の名をひとつ叫んで駆け寄った。

 「パパぁ!会いたかったよ」
 「はいはい。梁太郎は元気にしていたの?」
 「もう会えないと思って…僕…ごめんなさい…パパ…怒ってる?」
 「そんなことないよ。来てくれて、ありがとう」
 「ほんとに!嬉しい。パパ大好き」

 俺よりも体格のいい男に抱きつかれるのは実に不本意だが、俺しか事態を納めることはできない事を察して体に触れながら優しく説得すると、梁太郎はすぐに応じてフロントに誤りながら次の予約を…取れる筈がない。

 「じゃあ、私の連絡先を教えてあげるね」
 「いいの?」
 「勿論。店のメッセージ機能は一日に3通までしか送れないから、不便でしょう」
 「パパ…それって…営業?」
 「梁太郎が寂しくなって我慢ができなくなった時だけ、連絡が欲しいんだ。必ずお店を通して会うこと。私はここの従業員で店に恩があるから、裏切りたくはない。梁太郎が約束を守れるなら…これを、私からのお願いです」

 震えあがる梁太郎は慌ててスマホを取り出して、床に落とす。

 「こら、慌てない」
 「ご…ごめんなさい」
 「登録は今すぐじゃなくてもいい。梁太郎の気持ちが決まるまで、待っています」

 癖っ毛を下から優しく撫でて指に絡め取り、そっと抜き取る先に梁太郎の瞳はあまく揺らぎ返事をすると躓きながら来た道を戻る。

 「ああ、梁太郎」呼びかけて足元に段差があることを指さす。

 「お仕事、頑張るんだよ。あまり無理をしないように」

 手を振る先に笑いながら消える、彼は深夜に一度だけ俺を呼んだことがあるただの客。
 本指名でもないのに、そこまでする必要があるのか?瑠鶯は腕組み嘲笑、すると丙が鋭い視線を投げるのを俺は見逃さなかった。

 「お前、本当にSなの?」
 「はい。ビジネスライクより、調教師としての生活に比重があるので一度でも接客させて頂いたお客様には感謝の意味を込めるよう躾けられております」
 「ふーん。裏引きしてランカーに入ってるとしか思えないね」

 横を通り過ぎる間際に「売男」と囁かれ、顔を伏せる。

 この職業は体を賭して、心を折る。
 金で買われた時間を他人にとやかく言われる筋合いは無い。
 アナスタシア総本店のランカーでここ半年は常に上位、隷属である以上これだけは落とせない意思プライドを持って勤めている。
 やり方は、誰も教えてくれない。
 ただ、手本となるのは青嵐だけ。アイツの言葉に心を乗せたら客が殺到するようになった。
 青嵐はどんな時も冷酷ではない。奴隷に対する心遣い、配慮と愛情を必要なだけ与えて傅かせる心理的な戦略を意図せずに性格で取り組む。猿真似する俺を「エスじゃない」と否定する瑠鶯にもまた独特な概念が存在するのだろう。そんなことは俺にとってどうでもいい戯言だ。
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