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調教師

悪魔との契約

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 ライブ本番、会場に向かう青嵐と別れる俺はひとり事務所に戻り留守番。

 いつもと変わらない業務。
 昼は、もやしをレンチンして醤油をひとかけする、おひたしに舌鼓。
 使える金はあっても節約を心がけ、食費を抑えることに専念する俺の夕餉はスーパーの見切り総菜ポテトサラダ半額。みかんの甘さで得した気になれる安い自分を笑い飛ばし、豪勢な花束かプレゼントの大量発生を荷解き捌く。
 事務所の奧にある俺の借り部屋まで埋まるほど花の匂いが充満する。ふと足下のバスケットに爪先が当たり、見るとそこにはRenの文字。

 一瞬、飛びつこうとした自分に言い聞かせる。

 あまりにもよくある名前だ
 同一人物であっても青嵐への贈りもの、俺に触れる権利は無い。

 花形お付きの新造と呼ばれていた頃
 思い出すだけで幸せだったのに、今の俺には取り戻せないものが多すぎて…無くしたい。

 観覧車から見えた夜景も、
 指輪も、
 初めてのキスも、

 あの日の約束
 諦めきれない思いが、いつか報われることを夢みて。

 「寂しい」と言えば心が荒み、人の不幸を探して回りそうな意気地なし。だからあんな男の慰みものとして選ばれ、耐え難い苦しみが反芻する悪夢に涙する俺のもとへ届く、あの声。



 「ただいま」青嵐の匂いがした。



 「私が居ないと泣くほど寂しいのかい。可愛いね」
 「青嵐様?おめめ疲れているみたいだから、はい目薬どうぞ」
 「出来の悪い子ほど可愛くて仕方ないのは親として当然です」

 キレイな顔したふたりがしゃがんで俺の前に並ぶ。
 青嵐の右側に、丞。

 「今夜は身内で打ち上げしようと思ってね。君もおいで」
 「え?俺いつから身内なんですか」
 「初めて出会った時からだよ。私達は家族じゃないか」
 「へぇ…迷惑なので二度と言わないでください」
 「じゃあ、恋人」ああいえばこういう。

 青輝丸の腕にくっついて歩く丞が嬉しそうにする反面、俺を見て嘲笑する様が勘に障り、誘いの話を丁重に断る。

 「俺、行きませんから」
 「ですよね。来るって言ったら僕が行けなくなるとこでした」
 「丞、やめなさい」
 「青輝丸。丞さんの言ってることは間違いじゃないよ。青嵐に恥をかかせるだけだから。それだけは避けたい」

 膝を抱えて俯く俺は、唇を真一文字に引っ張って息を殺す。
 それじゃ、と離れる一行を背中で見送る俺は悔しさから寝ていたソファーの背を叩く。
 ただ身を寄せる俺はひとり、揺らぐ視界に気持ちを泳がせる。
 時間の経過と共に廊下の照明が落ちて薄暗くなる部屋に寝返りをする軋みだけが佇む。こんなのいつものことだ。

 浅い眠りがどれくらい続いただろう。
 あらぬ人気を感じて顔を向けると青嵐が居た。

 「うわぁ!びっくりした」
 「え、怖い!なんかいるの?!」お前だ、お前。
 「主賓がいない打ち上げなんて聞いたことない。早く行けよ」
 「君を置いて行くのは、あまりにも忍びないので」

 この先せめぎ合う言葉は無用な気がして黙る。
 何度か鼻をすすった後、袖を引っ張って、口元を隠すように宛がった。

 「今日から私の1年が始まる。大事な日だから君に贈りものをあげようと思って考えていたんだ。私が君の名付け親になろう」
 「それは隷属が貰える、青の一字?」
 「ご名答。私にしかできない贈りものです」
 「俺は隷属見習いで名前が貰える身内とは違う。せめて新造のあだ名くらいが打倒だろ。そんな…」

 言いかけて視線を反らす。
 最も玩具に名前付ける趣味があるとは思えない。
 俺は青の一門に入るより嵐の名前を貰って、誰も俺を知らない処へ行きたい。
 ここに居ても玲音に二度と会えないから。
 あの頃に戻れないなら、せめて…やり直したい。

 「君は玲音の為に、調教師になりたいの?」

 名前を聞いて…
 感情を押し殺す。あんな気持ちになれる相手は二度と現れない。
 最初は好きな男と、て決めてたけどそれが適わないから嫌でもかしずいてそれが路だというのなら武士道とは死ぬ事と見つけたり。

 これはサディストの岐路と似ている。

 

 サディストは皆、最初からサディストではない。

 

 青嵐が希代の調教師といわれるのは、奴隷の育成に長けているわけではない。SMにおいて縄師や吊師の称号も必要ないほど卓越した技術と精神力を兼ね備えているが、天賦の才と讃えられるべき所は同胞の調教。相手の素質を見抜きS要素を引き出して用途に合わせた方向性を見つけて誘導していく調教師。
 黒鬼いづるによって開花した青嵐もまた、サディストへの道を駆け上がって来たのだと云う。
 S傾向になる為には持って生まれた気質はもちろん、生活環境も重要で生まれ出た状態と乳幼児の体験が大きく脳に左右する。人に根差し、訓練することで鋭利な感覚を調整しながら生活する過程でサディストを創るなんて、人でなしのする殊。

 しかし蔑まされるであろう神の仕業に頼らなければ俺はあの男を取り戻すことができない。
 目的のためなら悪魔に魂を売る。
 誰に跪き傅こうが構わないと思うほど貪欲に愛してる。
 希望に背を向け絶望に突き進む衝動性を、俺自身どうすることもできない。

 「誰かのために成し遂げるのは困難です。君がいいなら、それが答えだ」

 ゆっくりと撫でる、その手を…

 「青は嫌だ。どうせなら、嵐がいい」
 「嵐の一字が欲しいなんて君らしいね。でも、今はまだ私の可愛い下僕だから相応しい名前を付けてあげよう。留吉、良い名でしょう」
 「何それ?時代劇に出てきそうな名前だな」
 「人の心に留まり吉と成り変わるように。いいね」

 握り返して、頷く俺は覚悟を決めて証を唇に落とした。
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