俺のご主人様がこんなに優しいわけがない

及川まゆら

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調教師

仄青き焔を、胸に。

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 病気療養中、といえば
 窓の外に大きな樹があって乾いた葉が一枚また一枚と風に誘われては落ちる悲しくも儚いイメージが正解、だが実際は三度の食事も騒々しくて心拍数が乱れる。

 そんな俺の病室をご覧頂こう。

 「そうだ、とめきの健康を祈願するために伊勢参りに行こう」
 「企画上がったら伊勢でもどこでも行っていいから、仕事しろ。青嵐」
 白衣に眼鏡を光らせる青輝丸は、厳しい命令口調で一歩も引かない。
 この白衣はプレイじゃなくて仕事着。
 首から下がるネームプレートには男前な顔写真と本名・照真輝てるまあきらの文字が柔らかい書体で印されている。名前の下に<おくすり110番担当>毒薬も適切に処方をしてくれそうな薬剤師だ。
 折檻アドバイザーの調教師は副業で、実際の収入があるわけではない。
 青嵐から一字を与えられた通称「青の一門」は組織を支える役割を担うが青輝丸は親にあたる青嵐の側で永久的な奉仕活動を自らの意思で続けている、隷属の類。
 「いい餌が手に入るから」というが、その餌っていうのがむくろ

 死人を対象とした性的愛好者
 ネクロマンサーとしてその筋で青輝丸の名を知らない者はいない。

 常識人に見える真面目なサイコパス、趣味の話をするなら異世界から総攻撃を受けると思った方がいい。
 性癖は人格に根ざし、生まれ持った性質や過去の経験から偏り傾向がみられるというのが一般的だが青輝丸の場合、創られた人格であり、幼少期は名前を呼ばれることなく大人の性欲に殉ずるよう躾けられて手の施しようがないほど命は削られ地獄から辛うじて救われた、それは優しい悪魔の手引きだった。

 当時10歳、輝くばかりの美少年だった彼は歌舞伎一座の末弟から名を挙げた青嵐に身請けされる。しかし特殊な性癖が罪とされ14歳まで鑑別所で生活している時間の方が圧倒的に長かったと聞く。最中に日本ではまだ発症例のない伝染病を発症し、生と死の狭間と娑婆を行き来する、将来有望な少年は青嵐の手により更生され生活保護と就学支援を受けながら都内の薬科大学を卒業。
 就職という履歴の裏側で、確実な心理操作と調教が施されていた。
 この事から素質があっても壊れるのが殆ど
 隷属に至るには稀な成功例だという。
 それこそが鬼才・歌舞伎青嵐の成せる技だと青輝丸は惚ける。
 「だから青嵐は俺の身内、事実上の父親」だと、あっさり回答。今の俺にとって傷に障るより心に突き刺さるので、ご容赦願いたい。
 「子ども相手にそんなことするなんて、犯罪だろ」
 「英才教育の間違いだろ?隷属は支配される意味が違う。
 俺にとって青嵐はご主人様ではゼネラルマネージャー、俺はコテハン。」
 コテは小間使い、ハンは伴侶の略語。
 性愛を含む愛人関係に用いられる業界用語だ。
 一般的な奴隷は親から調教を受ける際、痴情のもつれの原因となる性的な肉体関係を結ばないことが前提で原則的に禁止されている。愛欲は奴隷制度で一番身分が低いため、身を切り売りされて消える運命だ。
 しかし身請けの対象となる隷属は己の人生を捧げる代償としてその身に余る恩恵を愛情の限り受けることが許される。これは危険な愛体験だ。
 「じゃあ、花形は…」言いかけて気まずくなる。
 「お目付役?何度か貰ったけど3人死んだら、誰も来なくなった」
 次に青嵐が「経費の無駄」と、眼鏡のレンズ越しに嫌みを投じる。
 「自分の命を粗末にする無責任な奴らに花形なんか務まらないって。
 それに俺は生きてる人間には興味ない。自分が生きてることでさえ恨めしい」
 体温で温まる腕時計を鬱陶しい目つきで見ながら、短い休憩時間の終わりを告げる針の先を指さし「お前のサイン待ちだから遅くても1時間で終わらせろ」青嵐から黒蜜かりん糖の袋を取り上げて、颯爽と部屋を出て行く青輝丸は俗世に紛れ、再び好感度の高い笑顔を振りまきどっから見ても好青年を演じる。

 いい人そうに見える人が一番やばかったりする予感はアタリだと再認識。

 「伊勢の朔日餅、食べたいのに…」
 聞き分けの無さに叩きたくなる衝動を堪え社長のやる気が削がれる仕事は何か?企画書類を1枚めくるとスケジュールが真っ黒で欄外まで伸びていた。これが寝る間を惜しんで仕事に命を削られる人気者の証拠。しかし少年誌で人気の漫画に夢中な青嵐は、何を思ったか急に立ち上がり「私も海賊王になりたい」瞳を輝かせる。
 「は?魔王は異世界転生しても職業・魔王だろ」
 俺の言葉には子どもみたいに空返事で宿題は後でやるっていうけど追い込みが掛ると巻き返しが尋常ではないので、何も言わないで横になった。

 すっかり寝てしまうと
 悪夢にすべて奪われるから、浅い眠りに漂う。

 走っている、自分の姿を見ている。

 俺は背後から捕らわれ
 籠の中に押しこまれると揺さぶられ、突かれちぎられ痛めつけられる。
 どんなに叫ぼうとしても声にならず終には声も虚しく止めてしまう。
 ようやく開かれた自由への扉
 だけど、傾く床を滑る肢体は冷たい塊になり金網の扉からこぼれ落ちる。
 いつかのように受け止めてくれる人は、もういない。
 なぜ、俺がこんな目に遭うのか?
 誰も教えてはくれない。
 微かに残る記憶は罪悪感で埋め尽くされ、破れながら粉砕する自分を両手に受け止める刹那、誰かに呼ばれたような気がして振り返った。

 寝ても覚めても、悪夢からの悪夢。

 青嵐の呼び掛けに目覚めれば涙が頬を伝い、沸き起こる感情をどうすればいいのか誰に尋ねることもできず、自分から掴んだ手を離す。
 悪い薬と同じで一度でもこの手を取れば逃れることは敵わない。
 綺麗な世界で謳う夢を約束されたとしても、気がつけば幻想や苦しみから逃れるために求めて求め続けて壊れる。それでもいいと思える覚悟が俺には無かった。
 
 二度と会えない亡き人がくれた「嘘」が心の支え。
 何でもするから戻ってきて欲しい。
 お願いだから俺をひとりにしないで。笑われてもいい、この常闇を照らす希望を失ったら俺…どうにかなりそうだ。
 忘れるなんて無理だから信じるしかない。
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