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僕と君の歩む道
③
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「だから会えるかわからなかったけど、直接アパートに行ってみようと思って。でも失敗したな」
黙るばかりの僕とは違い、元彼は話し続ける。
「ヘルパーさんに連絡するまで別の場所で待ってて、なんてカッコつけたら溝にはまるなんてさ。俺もあそこで躓いた事あるのにな。あそこの蓋、まだ変わってないんだもんなぁ、参ったよ……最後に来てから、もう三年も経ってるのにな」
とうとう言葉を呑む元彼。しばらくうつむき、沈黙した。
僕はまだなにも言えない。でも涙だけはとめどなく頬に流れている。
「……三年経って、変わらない物もあるのに、俺達は大きく変わったな。俺は受けの涙を拭くこともできない」
そう言うけれど、斜めにかけたバッグのポケットからハンカチを出してくれた。
なのに僕は受け取ることができない。嗚咽を我慢するのに必死だった。
元彼はハンカチをきゅ、と握った。
「受け、伝えるのが遅くなってごめん。あの日、行けなくてごめん。今までありがとう。俺は、受けと未来を歩いて行くことができません」
「う……ぅう……」
「……別れよう」
元彼の、細くなった顎と喉が震える。
僕はとうとう声を我慢できなくなり、唸るような泣き声を上げた。
でもそれ以外どうすることもできなくて。
元彼もどうすることもできなくて、時間だけが過ぎていく。
すると、彼のスマホの着信音が鳴った。
「ごめん、ヘルパーさんだ。時間契約だから」
彼はゴクリと唾液を呑み込むような動作をすると、電話でやり取りをした。
「直接ここに迎えに来てくれるって。十分位で到着しそうだから、受けはもう行きな」
「でもっ……このままじゃ二度と会えない。連絡先を伝えるから」
ああ、でも俺、スマホを持って出て来ていない。
「僕、入力するからスマホを貸して?」
「必要ない」
手を差し出した瞬間、静かな言葉が僕の胸を刺した。
「受け、俺達は別れたんだ。もう二度と会うことはないよ」
「そんな、そんなこと……僕は」
僕は? なにを言おうとしているんだろう。僕は来週、今の彼と暮らし始める。そばにいて、けっして離れないと約束した。
でも、僕は……まだ元彼を愛してる……! クローゼットの奥にしまい込んでいた思い出と同じで、心の奥底に元彼への思いを押し込めていた。
どうしよう。どうしたらいいんだ。
「ごめんな。言いに来るのが遅くなったせいで、受けの心を余計に傷つけたな」
「ちが……違う、わかってる」
僕が最後に送ったメッセージが、記憶が戻ったばかりの元彼を傷つけただろう。混乱させただろう。
二年前以降、メッセージを送るのをやめ、連絡先を変えた僕がどう過ごしているかを考え、今日会いに来るのも悩んだだろう。
でも元彼は来てくれた。僕が、元彼とは違う未来へと真っ直ぐに歩いていけるように。
ねえ、そうでしょう?
「泣かせてごめん。三年前もたくさん泣かせたよな。俺はもう、謝ることしか受けにできることがない。涙を拭くことも、部屋の前まで送って行くことも、抱きしめることも……一緒に人生を歩くことも、できない。ごめんな」
「謝らないで……」
謝るのは僕だ。元彼を信じて待ち続けることができずに、新しい恋を始めた。
元彼からの本当の別れを嫌だと言いながら、僕では彼のこれからの人生に役立たないだろうことを感じている。
「もう行って」
「ヘルパーさんが来るまでいちゃ駄目?」
「駄目。ヘルパーさん、男なんだ。受けの顔を見てると、俺の恋愛対象に気づかれてしまう。それで避けられたら困る」
わざとだろう。冗談めかして言う。
けれどその後、目を細めて見つめられた。僕はもう、昔と変わらない彼のその表情を見ていられなくなる。
「ごめん。ごめん。ごめんね……好きだった。僕、君がとても好きだった」
細くなった手を握り、目を閉じて伝えた。
「うん。俺も。……ああ、俺にも、できることがあった」
「え?」
思わず顔を上げる。元彼は涙を流していたけれど、清々しい表情をしていた。
「受けの幸せを祈る。俺さ、受けにパートナーがいても、友人として、一番に受けの幸せを祈ってる」
「……ありがとう。僕も、祈っていいのかな」
「ああ。ありがとう。……だから、笑顔で別れよう。別々の道だけど、お互いの幸せを祈って」
うん、と頷いてもう一度手を握り、元彼とあたたかさを共有した。
「さよなら」
ふたりの言葉が揃う。
僕は思い出の袋を持って元彼に背を向け、歩き出した。公園の出口で振り返ろうとした時、軽自動車がウインカーを付けて止まった。
降りてきた人は元彼の名を呼びながら手を振り、迎えに走る。
ヘルパーさんなのだろう。その人と元彼の姿が重なり、僕からはもう、元彼の顔は見えなかった。
黙るばかりの僕とは違い、元彼は話し続ける。
「ヘルパーさんに連絡するまで別の場所で待ってて、なんてカッコつけたら溝にはまるなんてさ。俺もあそこで躓いた事あるのにな。あそこの蓋、まだ変わってないんだもんなぁ、参ったよ……最後に来てから、もう三年も経ってるのにな」
とうとう言葉を呑む元彼。しばらくうつむき、沈黙した。
僕はまだなにも言えない。でも涙だけはとめどなく頬に流れている。
「……三年経って、変わらない物もあるのに、俺達は大きく変わったな。俺は受けの涙を拭くこともできない」
そう言うけれど、斜めにかけたバッグのポケットからハンカチを出してくれた。
なのに僕は受け取ることができない。嗚咽を我慢するのに必死だった。
元彼はハンカチをきゅ、と握った。
「受け、伝えるのが遅くなってごめん。あの日、行けなくてごめん。今までありがとう。俺は、受けと未来を歩いて行くことができません」
「う……ぅう……」
「……別れよう」
元彼の、細くなった顎と喉が震える。
僕はとうとう声を我慢できなくなり、唸るような泣き声を上げた。
でもそれ以外どうすることもできなくて。
元彼もどうすることもできなくて、時間だけが過ぎていく。
すると、彼のスマホの着信音が鳴った。
「ごめん、ヘルパーさんだ。時間契約だから」
彼はゴクリと唾液を呑み込むような動作をすると、電話でやり取りをした。
「直接ここに迎えに来てくれるって。十分位で到着しそうだから、受けはもう行きな」
「でもっ……このままじゃ二度と会えない。連絡先を伝えるから」
ああ、でも俺、スマホを持って出て来ていない。
「僕、入力するからスマホを貸して?」
「必要ない」
手を差し出した瞬間、静かな言葉が僕の胸を刺した。
「受け、俺達は別れたんだ。もう二度と会うことはないよ」
「そんな、そんなこと……僕は」
僕は? なにを言おうとしているんだろう。僕は来週、今の彼と暮らし始める。そばにいて、けっして離れないと約束した。
でも、僕は……まだ元彼を愛してる……! クローゼットの奥にしまい込んでいた思い出と同じで、心の奥底に元彼への思いを押し込めていた。
どうしよう。どうしたらいいんだ。
「ごめんな。言いに来るのが遅くなったせいで、受けの心を余計に傷つけたな」
「ちが……違う、わかってる」
僕が最後に送ったメッセージが、記憶が戻ったばかりの元彼を傷つけただろう。混乱させただろう。
二年前以降、メッセージを送るのをやめ、連絡先を変えた僕がどう過ごしているかを考え、今日会いに来るのも悩んだだろう。
でも元彼は来てくれた。僕が、元彼とは違う未来へと真っ直ぐに歩いていけるように。
ねえ、そうでしょう?
「泣かせてごめん。三年前もたくさん泣かせたよな。俺はもう、謝ることしか受けにできることがない。涙を拭くことも、部屋の前まで送って行くことも、抱きしめることも……一緒に人生を歩くことも、できない。ごめんな」
「謝らないで……」
謝るのは僕だ。元彼を信じて待ち続けることができずに、新しい恋を始めた。
元彼からの本当の別れを嫌だと言いながら、僕では彼のこれからの人生に役立たないだろうことを感じている。
「もう行って」
「ヘルパーさんが来るまでいちゃ駄目?」
「駄目。ヘルパーさん、男なんだ。受けの顔を見てると、俺の恋愛対象に気づかれてしまう。それで避けられたら困る」
わざとだろう。冗談めかして言う。
けれどその後、目を細めて見つめられた。僕はもう、昔と変わらない彼のその表情を見ていられなくなる。
「ごめん。ごめん。ごめんね……好きだった。僕、君がとても好きだった」
細くなった手を握り、目を閉じて伝えた。
「うん。俺も。……ああ、俺にも、できることがあった」
「え?」
思わず顔を上げる。元彼は涙を流していたけれど、清々しい表情をしていた。
「受けの幸せを祈る。俺さ、受けにパートナーがいても、友人として、一番に受けの幸せを祈ってる」
「……ありがとう。僕も、祈っていいのかな」
「ああ。ありがとう。……だから、笑顔で別れよう。別々の道だけど、お互いの幸せを祈って」
うん、と頷いてもう一度手を握り、元彼とあたたかさを共有した。
「さよなら」
ふたりの言葉が揃う。
僕は思い出の袋を持って元彼に背を向け、歩き出した。公園の出口で振り返ろうとした時、軽自動車がウインカーを付けて止まった。
降りてきた人は元彼の名を呼びながら手を振り、迎えに走る。
ヘルパーさんなのだろう。その人と元彼の姿が重なり、僕からはもう、元彼の顔は見えなかった。
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