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日々③
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***
指先に向けて「はー」と息を吐く。白くなった空気が指先に当たる。
けれど何度繰り返してみても、痺れるほど冷えた手は温まらない。
「今年の冬は今までで一番寒いね」
同じ洗濯当番の、年下のたぬき獣人の蕾に声をかけると、
「そうですかぁ? 毎年こんなものだと思いますけど。それよりこれも洗っておいてくださいね」
しゃがんで緋襦袢を洗っている横に、山盛りの布団掛けをドサー!と置かれた。
「俺は花の昼食を準備するよう言われているので、後の洗濯はお願いしますねっ」
「待って。こんなの一人じゃ……」
急いで呼び止めるけれど、たぬきの子は返事もせずに廓の中に入っていってしまった。
先週、十六夜も花になり、夢幻楼の蕾の中では僕が一番年上の古株になったとはいえ、年下の子たちは皆、「ケダモノ」の僕をあからさまに毛嫌いしている。
月華と日向が花になって以降、最後まで目を光らせてくれていた十六夜が蕾部屋からいなくなった途端、分担以上の仕事を割り当てられたり、おやつを取られたり、なんていう少しの嫌がらせを受けるようになった。
「寒……」
ぴゅうぅと風が吹く。落ち葉がカサカサと音を立てて地面を舞う。
隣に並んでいた子がいなくなっただけで、北風の当たりが強くなった気がした。
「ああ、そうか……」
去年までの冬がそう厳しく感じなかったのは、いつもそばに月華がいてくれたからかもしれない。
「毬也」って呼んで、僕を抱きしめて。
「かわいい」ってにしゃっと笑って、僕の頬や耳を舐めて。
耳をピクピクさせて、尻尾を巻き付けてきて、肉球がある手のひらで腕や手を撫でて温めてくれた。
「月華……」
失ったぬくもりの大きさを今さらながら実感して、胸が痛くて熱くなる。滲んできた涙を拭こうと手ぬぐいに手を伸ばすと、布団掛けの山が目に映った。
これは花たちが褥仕事で使った布団の掛け布だ。月華も毎晩この布に縫い付けられて春を売っている。
「やだ……嫌だよ、月華……」
僕とは関わりがなくなった月華でも、僕はまだ月華が好きだ。
兄のような親友の月華。君が、僕が知らない大人に微笑んで、抱きしめられてぬくもりを共有していると思うと今でも切なくなる。
体は痛めていない? 心はすり減っていない? 月華、月華。昔みたいに布団に二人で寝転んで、眠くなるまでくっついて話がしたいよ……。
「ぐす……」
とうとう涙が零れ落ちる。
すると、後ろで足音がして、僕は急いで涙を拭って振り返った。
「あれ……?」
たぬきの子がいる。なぜ戻ってきたんだろう。
「……仕事、戻ってきました」
「えっ? 突然どうしたの?」
「べ、別に。……それと、これ」
その子はきまり悪そうに目をそらしながら答えると、僕になにかを差し出した。
「これ、なぁに? ……あ」
それは、僕がいた世界でいうところのゴム手袋だった。彩里国は日本の明治時代に似た国なので、ゴム製品は高級品だ。
「これ、どうしたの?」
「お、お客様が……置いていってくださったそうです」
「それをどうして君が? それに僕に渡されても困るよ。橘さんに」
「──駄目! 駄目です。これは毬也さんのだそうです! 早く受け取って使って下さい。そうじゃないと、また僕が叱られてしまいますから!」
寒いのか、たぬきの子はガタガタと身を震わせながら僕に手袋を押し付けた。
たぬきのふんわり尻尾がぴぃんと立って逆毛だっている。
「また叱られる? どういうこと? 誰に?」
「~~もう聞かないでください。とにかく洗濯しちゃいましょう」
そう言いながら、急いで洗濯を再開する。
「……じゃあ、半分ずつにしよう」
あまりにその子が必死に洗濯するので、追求はやめにした。その代わり、冷えて赤くなっていく指が痛々しくて、手袋の片方を差し出す。
「……え、でも、これは毬也さんのだからって……」
「僕のなら、僕が使い方を決めてもいいでしょう? ね、寒いから、半分こしよう?」
その子の手を洗濯桶から出し、手ぬぐいで拭いてやって手袋をかぶせる。
「……ありがとうございます。それと……ごにょごにょ」
ふふふ。小さく「今までごめんなさい」だって。顔を赤くして、垂れ目をもっと垂らして言うの、かわいいな。今までのことなんてもう、過ぎたことは気にならなくなってしまう。
暖かい気持ちと一緒に手袋を片方はめた手も温かくなって、僕も洗濯を再開した。すると泡が額に飛んできて、少し顔を上に上げて腕で額を拭う。
「……あ」
月華がいる。
ちょうど顔を上げた先が月華の部屋で、月華は丸窓から顔を覗かせていた。けれど僕と視線がぶつかると、すぐに窓から姿を消してしまう。
夜通し褥仕事をする花が目を覚ますのは、ちょうど昼食前だ。月華も今目が覚めて、お天気でも見るために外を覗いたところだったのかもしれない。
……顔、見れて嬉しいな。
偶然が嬉しくて、洗濯の続きに気合いが入った────不思議なことに、この日以降、他の蕾からの嫌がらせがぴたりとなくなった。誰がくれたのかもわからない、裏面がふわふわした生地の暖かいこのゴム手袋に、おまじないでもかけてあったのかな。
僕は「誰だかわからないお客様」に感謝して、洗濯のときには毎回、当番の子と半分ずつ使うことにした。
なぜだかその子たちは皆、月華の部屋もある花たちの部屋のあたりをチラチラ見て気にしながら、手袋を使っているのだけれど。
指先に向けて「はー」と息を吐く。白くなった空気が指先に当たる。
けれど何度繰り返してみても、痺れるほど冷えた手は温まらない。
「今年の冬は今までで一番寒いね」
同じ洗濯当番の、年下のたぬき獣人の蕾に声をかけると、
「そうですかぁ? 毎年こんなものだと思いますけど。それよりこれも洗っておいてくださいね」
しゃがんで緋襦袢を洗っている横に、山盛りの布団掛けをドサー!と置かれた。
「俺は花の昼食を準備するよう言われているので、後の洗濯はお願いしますねっ」
「待って。こんなの一人じゃ……」
急いで呼び止めるけれど、たぬきの子は返事もせずに廓の中に入っていってしまった。
先週、十六夜も花になり、夢幻楼の蕾の中では僕が一番年上の古株になったとはいえ、年下の子たちは皆、「ケダモノ」の僕をあからさまに毛嫌いしている。
月華と日向が花になって以降、最後まで目を光らせてくれていた十六夜が蕾部屋からいなくなった途端、分担以上の仕事を割り当てられたり、おやつを取られたり、なんていう少しの嫌がらせを受けるようになった。
「寒……」
ぴゅうぅと風が吹く。落ち葉がカサカサと音を立てて地面を舞う。
隣に並んでいた子がいなくなっただけで、北風の当たりが強くなった気がした。
「ああ、そうか……」
去年までの冬がそう厳しく感じなかったのは、いつもそばに月華がいてくれたからかもしれない。
「毬也」って呼んで、僕を抱きしめて。
「かわいい」ってにしゃっと笑って、僕の頬や耳を舐めて。
耳をピクピクさせて、尻尾を巻き付けてきて、肉球がある手のひらで腕や手を撫でて温めてくれた。
「月華……」
失ったぬくもりの大きさを今さらながら実感して、胸が痛くて熱くなる。滲んできた涙を拭こうと手ぬぐいに手を伸ばすと、布団掛けの山が目に映った。
これは花たちが褥仕事で使った布団の掛け布だ。月華も毎晩この布に縫い付けられて春を売っている。
「やだ……嫌だよ、月華……」
僕とは関わりがなくなった月華でも、僕はまだ月華が好きだ。
兄のような親友の月華。君が、僕が知らない大人に微笑んで、抱きしめられてぬくもりを共有していると思うと今でも切なくなる。
体は痛めていない? 心はすり減っていない? 月華、月華。昔みたいに布団に二人で寝転んで、眠くなるまでくっついて話がしたいよ……。
「ぐす……」
とうとう涙が零れ落ちる。
すると、後ろで足音がして、僕は急いで涙を拭って振り返った。
「あれ……?」
たぬきの子がいる。なぜ戻ってきたんだろう。
「……仕事、戻ってきました」
「えっ? 突然どうしたの?」
「べ、別に。……それと、これ」
その子はきまり悪そうに目をそらしながら答えると、僕になにかを差し出した。
「これ、なぁに? ……あ」
それは、僕がいた世界でいうところのゴム手袋だった。彩里国は日本の明治時代に似た国なので、ゴム製品は高級品だ。
「これ、どうしたの?」
「お、お客様が……置いていってくださったそうです」
「それをどうして君が? それに僕に渡されても困るよ。橘さんに」
「──駄目! 駄目です。これは毬也さんのだそうです! 早く受け取って使って下さい。そうじゃないと、また僕が叱られてしまいますから!」
寒いのか、たぬきの子はガタガタと身を震わせながら僕に手袋を押し付けた。
たぬきのふんわり尻尾がぴぃんと立って逆毛だっている。
「また叱られる? どういうこと? 誰に?」
「~~もう聞かないでください。とにかく洗濯しちゃいましょう」
そう言いながら、急いで洗濯を再開する。
「……じゃあ、半分ずつにしよう」
あまりにその子が必死に洗濯するので、追求はやめにした。その代わり、冷えて赤くなっていく指が痛々しくて、手袋の片方を差し出す。
「……え、でも、これは毬也さんのだからって……」
「僕のなら、僕が使い方を決めてもいいでしょう? ね、寒いから、半分こしよう?」
その子の手を洗濯桶から出し、手ぬぐいで拭いてやって手袋をかぶせる。
「……ありがとうございます。それと……ごにょごにょ」
ふふふ。小さく「今までごめんなさい」だって。顔を赤くして、垂れ目をもっと垂らして言うの、かわいいな。今までのことなんてもう、過ぎたことは気にならなくなってしまう。
暖かい気持ちと一緒に手袋を片方はめた手も温かくなって、僕も洗濯を再開した。すると泡が額に飛んできて、少し顔を上に上げて腕で額を拭う。
「……あ」
月華がいる。
ちょうど顔を上げた先が月華の部屋で、月華は丸窓から顔を覗かせていた。けれど僕と視線がぶつかると、すぐに窓から姿を消してしまう。
夜通し褥仕事をする花が目を覚ますのは、ちょうど昼食前だ。月華も今目が覚めて、お天気でも見るために外を覗いたところだったのかもしれない。
……顔、見れて嬉しいな。
偶然が嬉しくて、洗濯の続きに気合いが入った────不思議なことに、この日以降、他の蕾からの嫌がらせがぴたりとなくなった。誰がくれたのかもわからない、裏面がふわふわした生地の暖かいこのゴム手袋に、おまじないでもかけてあったのかな。
僕は「誰だかわからないお客様」に感謝して、洗濯のときには毎回、当番の子と半分ずつ使うことにした。
なぜだかその子たちは皆、月華の部屋もある花たちの部屋のあたりをチラチラ見て気にしながら、手袋を使っているのだけれど。
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全23話、5万文字内の一週間の短期連載になります。よろしくお願いいたします。
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