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本編

祈りと信じる心①

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 ***

 翌日、俺たちがモンテカルスト家に戻ったのは昼前だった。
 プロムの夜は、クラウスがラット化するのを抑えていたから一度の交接で終わったけど、元来アルファの性欲はとにかく強い。何度も何度も射精して、満足を得るまでに一日や一日半かかることもあると言われるくらいだ。

 三回目の途中から理性が飛んでいた俺たちは、いったい何度交わったのか……起きて見てみればそこかしこに赤いうっ血痕があり、床でしていたせいか、身体じゅうの骨が悲鳴を上げていた。
 いや、やっぱり抱き潰されたせいかな。クラウスは全然平気だったけど、俺は腰に力が入らなくて大変だった。
 ただそれらは魔法で癒すことができたけど、問題は……。

「あら、あら? あらあらあらあらエルフィーちゃん?」

 俺のうなじを見た夫人は、歌うように声を出し、踊るように身体を揺らした。目と唇は大きくを描き、虹色の扇子の羽は、いつも以上にはためいている。

「ずいぶん情熱的な刻印になったわねぇ。これは癒えるのに時間がかかるわね。うふふふふ」

 俺のうなじの刻印は、真ん中ではなく少し首筋にかかっている。クラウスが前から咬んだからだけど、柔らかい部分に犬歯の刺さりが深くて、治癒魔法では生傷の状態を完全に治せなかった。

「申しわけない。結局酷くしてしまった……」
「もういいよ。時間が経てば治るんだから。それより……」

 うな垂れる黒豹の頭を撫でた後、俺は夫人の方を見た。

「ニコラちゃんと、アーシェット君のことね?」

 夫人は緩ませていた表情を引き締め、姿勢を正した。

「まずアーシェット君ね。今回の件は主人からアーシェット公爵にお伝えしたのだけど……彼は留学という名目で、今朝のうちに隣国の僻地に送られたそうよ。公爵はもう、彼をこちらに戻すつもりはないって」
「えっ……。そんな。お母上やお兄様たちはそれでいいんでしょうか」
「公爵も夫人も自尊心の塊ですからね……私も彼に怒りは憶えたけど、クラウスがかけた情けを、この地で悔い改める姿が見たかったわ」

 クラウスはぐっと唇を結んでうつむき、額に指を当てた。

 俺は、フェリックスがベータだったことは誰にも言っていない。
 高名なアルファ一家にただ一人ベータで生まれた彼の、苦悩と血の滲むような努力を感じずにいられなかったからだ。
 
 だから酷いことはされたけど、親兄弟からいっさいかえりみられず、即座に見離された彼に胸が痛む。
 今彼は、どれほどの絶望の中にいるんだろう。

 ──君やクラウスに持たざる者の苦悩はわからないだろうね。だから呆れるほど馬鹿で単純で鈍くて……純粋で真摯、寛容でいられる。

 いつも輝いていた彼が一瞬見せた、暗い瞳が頭に浮かぶ。
 
 呆れるほど馬鹿で鈍感と言われてもいい。どうか、彼が家門を外されたことで、逆に第二性バースに囚われない人生を送り、反省して新しい道を見つけてくれますようにと願わずにいられない。
 アカデミーで生徒のために尽力していた彼もまた、彼の本当の姿だったんじゃないかと思うから。

 フェリックス。今、俺の横で辛い顔をしているクラウスも、きっと同じように君のことを祈っているよ。

「それから、これが本題ね。ニコラちゃんだけど」
「はい」

 俺とクラウスは顔を上げた。

「ニコラちゃん……彼こそプロムパーティーの後にクラウスにヒートトラップを仕掛けようと考えていたそうよ」
「あ……それは本人から聞いています」

 クラウスには話していなかったけれど、クラウスの目を見て手を握ると、「いいんだ」というように頷いてくれた。 

「そう。それでは、そのときにクラウスを捜していて体調が悪くなったのも知っているかしら」
「はい。実際にその様子も見ていました」
「では、プロムの夜に体調を悪くした本当の理由を伝えるわね。ニコラちゃん、正直に話してくれたわ。彼はもう一年前くらいから、顕在能力を上げる効果がある、数種類の薬草エキスを試していたんですって」
「一年前!?」

 俺がまだフェリックスに夢中だったころじゃないか。なぜそんな前から。

「ええ。覚醒系を使ったのはつがい解消薬の錬成に入ってからだけど、五年生になって卒業が近づいて不安だったんですって。アカデミーでは席次が評価してくれたけど、努力が結果にならないと評価されない自分は、社会に出れば……魔力が必要なラボでは、価値がないんだって」
「そんな、誰もニコラにそんなことを思わないのに!」

 夫人は悲し気に頷き、続けた。

 ニコラに「自分は価値がない」と植え付けたのは、おそらく今は亡きおじい様だろうと。ラボを創設したひいおじい様の息子であるおじい様も、その息子の父様も魔力はそれなりに高い。おじい様は座学嫌いの俺には期待をかけていなかったけれど、俺の魔力が判明したとき、ニコラの前で言った。
「おまえは価値ある人間だ」と。

「ニコラちゃんは、今まで溺愛してくれていたおじい様がそうあなたに言った言葉で、“ニコラには価値がない”と聞こえたそうなの。それでも四年生までは自力で頑張れていたものの、いよいよ五年生になったとき、成績が少しでも落ちれば卒業後にラボに入れなくなるかも、と焦りが出たそうよ。お薬に頼って勉強にも苦手な魔法の練習にも根を詰めていたんですって」
「そんな……言われた俺でさえ今まで忘れてたのに」
「大勢にとってはなんてことない言葉でも、ある人にとっては一生忘れられない傷になることもあるわ。その人の今後の人生を左右してしまうほどに……ニコラちゃんはきっと、双子のあなたと肩を並べていたくて必死だったのね」

 だから……だからニコラは五年生になってから青白い顔色をしていることが多かったのか……。
 そうやって薬の効果で成績と元来の潔癖さを保ちながらも、副作用で鬱や攻撃性、衝動性の症状が出始めていたところに、俺とクラウスのつがい契約、つがい解消薬錬成の難航が続き、俺のクラウスへの気持ちの変化も感じ取った。
 俺が離れていくことを強く憂えたニコラは、とうとう覚醒系の薬草に手を出し、他の薬も併用して使い続けた……紛れもない薬の過剰摂取オーバードーズだ。

「双子という繋がりがそうさせたのかしらね。おそらくニコラちゃんは、あなたと自分の境界線がわからなくなっていたんだわ。自分にない部分を埋めてくれるあなたが、自分の寂しさや不安を埋めてくれるあなたが、まるで自分の一部……いいえ、半身だと思い込むようになっていたのね」
「それは、俺自身もそう思っていたんです。すべて俺のせいです」

 ニコラの悲しみは俺の悲しみだった。だからニコラの悲しい顔を見るのが辛くて、愛情と過保護を取り違えて接していたように思う。他人には我儘に見えるだろうことも、父様や母様にも見せないのに、俺の前でだけ表現するニコラがいじらしくて……。

 ニコラには俺がいてやらなきゃ、なんて。

「……俺、ニコラを……可哀相だと……思って、しまっていたんだ……」
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