39 / 92
見えない鎖がほどけるとき
①
しおりを挟む
(またやってしまった)
次に目を開けると眩しい光。小鳥のさえずる声。
(朝だ。朝が来た)
「おはよう、千尋」
すっかり朝の身支度を終えて爽やかに微笑んだ光也が、体を起こした千尋に気づいて当たり前のように髪を撫でてくれる。
「よく眠れたみたいでよかったよ」
そりゃそうだ。全部してもらって一人で気持ちよくなって、途中からは記憶はないが、またもや一人だけで果ててしまったのだろう。
光也の下腹をちらりと覗き見てしまう。光也はあの猛りをどう鎮めたのだろう。申しわけなさすぎる。
「すみません……」
「何が? それより、朝の森林は気持ちいいよ。星空もいいけど山の景色も綺麗なんだ。朝食前に軽く散歩に行こう」
そう言って、肌より少しだけ冷たいミネラルウォーターのボトルを渡してくれる。
咎めることをしない、いつものさり気ない心配りを見せる光也に促され、千尋は外に出て涼やかな風を肌に受けた。
「それにしても本当に豪華……」
夜の暗闇では気づかなかったが、七十坪はある別荘は横一線に伸びる切妻屋根に大きな片流れの屋根が組み合わされたモダンなデザインで、山々が見渡せる展望方向に、通常では見ないサイズのガラス窓が集中的に配置されている。
片流れの屋根の軒下にはガレージとサンデッキが設けられ、デザインだけでなく十分な機能性も兼ね備えられていた。
「でも父やKANOUの持ち物であって、俺が建てたものじゃないからね。俺なら千尋の気配をいつも感じられるような、小さな平屋を建てるかな」
──もう、またそんなことばっかり。
いつもの言葉はもう、口から出なかった。
喉にじんわりとした熱さが絡んでいる。
カラマツ林が両側に続く舗装されていない道をしばらく歩けば、その先に遊歩道入口が見えてくる。入り口にはリョウブの白い花が満開を迎え、さまざまな種類の蝶々が甘い蜜に集まっていた。
「わぁ」
かわいらしい光景に自然に顔がほころび、感嘆の声が出る。
「じいちゃんの家もかなりの田舎で自然がいっぱいだったけど、野原と高原では感じが全然違う。景色って、こんなにもまぶしく感じたかな」
何もかもが輝いて見える。
(ああ、それもそうか……)
祖父の家では閉じ込められた部屋から夜空を見上げる以外、景色を楽しむ時間も余裕もなかった。外を歩くときは誰とも目線が合わないようにうつむいていたから、アスファルトしか見ていない。
「ねぇ、千尋。聞いてもいい? ご両親が亡くなったあと、千尋はどう暮らしていたの?」
「それは……」
光也が聞いているのはどの地で暮らしたとか誰と暮らしたとか、そんな単的なことを聞いているのではないだろう。
千尋は言葉を濁し、せっかく綺麗に見えている富士山も目に映すことができない。
「教えて、千尋。俺も昨日自分のことを話した。恥ずかしい部分もあったけど、千尋はちゃんと聞いてくれただろう? 俺も同じように聞くから……知りたいんだ。千尋のこと。どうして発情期がこなくなっていたのかも、痛みがないと発情しなくなっていたのかも」
無理に顔を上げさせることはしないが、光也は千尋の手を握って力を込めてくる。
暖かい。光也の言葉や体温は、千尋を縛りつけている祖父の鎖を緩めてくれる。
千尋はおそるおそる顔を上げた。
琥珀色の瞳が真っすぐに自分を見てくれている。これまでは叱るか罵るか蔑むときくらいしか、千尋を見てくれる人はいなかった。
(冴ゆる星……)
朝のまぶしい光を受けて輝く光也の瞳に、その言葉が浮かんだ。光也の瞳の光はいつも、千尋の心の暗がりを優しく照らしてくれる。
「あのね、みっくん」
千尋は優しい瞳に気持ちを押され、ゆっくりと口を開いた。
「そう、そうだったのか……」
カワラヒワがキリリコロロとさえずる見晴らし台のベンチに座り、千尋は過去を話した。
抑制剤漬けであったことや、常に監視を受けていたこと、誰も愛さず誰にも依存することがないように、と繰り返された言葉も。
「でも! でもね。部屋から出ないようにするのも、ぶつのも、僕のためだって。僕がオメガであるせいで将来に傷がつかないようにするためだって。じぃちゃんはいつも僕の身を案じてる、って言ってくれてた」
嘘の言葉ではない。千尋は今もそう信じている────信じていないと心を保っていられなかったのは自分でも気づいていない。
それでも、
「愛情っていろんな形があるね。おじいさんがいらっしゃったから、こうして千尋は立派な社会人になっているんだし、たちの悪いアルファの毒牙にかからずに生きてくることができたんだね」
と、光也が否定の言葉を使わないことに救われている。
過去の日々を否定されたらどう答えていいのかわからなかったし、昨夜の言葉通りに、光也があるがままの自分を見てくれている、という安心感を持てた。
「ただ、俺は俺の方法で千尋を愛したい。昨日、守らせてって言ったけど、それは千尋を純粋培養みたいにして悪いものから隔絶するって意味じゃない。外の世界で思うように生きる千尋の隣にいて、困ったときに力になる。千尋が泣いたり笑ったり……そうやって生きていく中で、一人じゃない、一緒に分かち合える相手がいるんだと思ってもらいたいんだ。千尋のご両親が、そうだったようにね」
「お父さんとお母さん……」
両親が揃っていたあの頃、千尋が活発で負けん気強くいられたのは、すぐに手を貸さず、いつも後ろで見守ってくれる両親の深い愛情があったからだ。
光也はそれを思い出させてくれる。あのとき、両親と一緒に微笑んでいたみっくんのことも。
「ねえ、いつかお父さんとお母さんの墓前でも誓わせてくれない? 俺が千尋を守りますって」
当時と同じ笑顔で言われて、胸がきゅうぅと締めつけられる。泣きたいときと同じように目頭が熱くなり、鼻の奥がじんとした。
胸が張り裂けそうだ。
目に涙の膜が張る感じがして、千尋は顔を地面に向けた。
光也はそれをうなずきと受け取ったのか、満足したように小さく「よし」と言って、千尋の手を握ったまま歩き出す。
それから、一緒に小さな花々を見て、せせらぎを渡り、富士山を眺めながら、お昼は静岡でジャンボエビフライを食べようかと言う光也にうなずいて別荘へ戻った。
幼い頃からの好物を忘れずにいてくれる。そんな些細なことにも心が震える。
次に目を開けると眩しい光。小鳥のさえずる声。
(朝だ。朝が来た)
「おはよう、千尋」
すっかり朝の身支度を終えて爽やかに微笑んだ光也が、体を起こした千尋に気づいて当たり前のように髪を撫でてくれる。
「よく眠れたみたいでよかったよ」
そりゃそうだ。全部してもらって一人で気持ちよくなって、途中からは記憶はないが、またもや一人だけで果ててしまったのだろう。
光也の下腹をちらりと覗き見てしまう。光也はあの猛りをどう鎮めたのだろう。申しわけなさすぎる。
「すみません……」
「何が? それより、朝の森林は気持ちいいよ。星空もいいけど山の景色も綺麗なんだ。朝食前に軽く散歩に行こう」
そう言って、肌より少しだけ冷たいミネラルウォーターのボトルを渡してくれる。
咎めることをしない、いつものさり気ない心配りを見せる光也に促され、千尋は外に出て涼やかな風を肌に受けた。
「それにしても本当に豪華……」
夜の暗闇では気づかなかったが、七十坪はある別荘は横一線に伸びる切妻屋根に大きな片流れの屋根が組み合わされたモダンなデザインで、山々が見渡せる展望方向に、通常では見ないサイズのガラス窓が集中的に配置されている。
片流れの屋根の軒下にはガレージとサンデッキが設けられ、デザインだけでなく十分な機能性も兼ね備えられていた。
「でも父やKANOUの持ち物であって、俺が建てたものじゃないからね。俺なら千尋の気配をいつも感じられるような、小さな平屋を建てるかな」
──もう、またそんなことばっかり。
いつもの言葉はもう、口から出なかった。
喉にじんわりとした熱さが絡んでいる。
カラマツ林が両側に続く舗装されていない道をしばらく歩けば、その先に遊歩道入口が見えてくる。入り口にはリョウブの白い花が満開を迎え、さまざまな種類の蝶々が甘い蜜に集まっていた。
「わぁ」
かわいらしい光景に自然に顔がほころび、感嘆の声が出る。
「じいちゃんの家もかなりの田舎で自然がいっぱいだったけど、野原と高原では感じが全然違う。景色って、こんなにもまぶしく感じたかな」
何もかもが輝いて見える。
(ああ、それもそうか……)
祖父の家では閉じ込められた部屋から夜空を見上げる以外、景色を楽しむ時間も余裕もなかった。外を歩くときは誰とも目線が合わないようにうつむいていたから、アスファルトしか見ていない。
「ねぇ、千尋。聞いてもいい? ご両親が亡くなったあと、千尋はどう暮らしていたの?」
「それは……」
光也が聞いているのはどの地で暮らしたとか誰と暮らしたとか、そんな単的なことを聞いているのではないだろう。
千尋は言葉を濁し、せっかく綺麗に見えている富士山も目に映すことができない。
「教えて、千尋。俺も昨日自分のことを話した。恥ずかしい部分もあったけど、千尋はちゃんと聞いてくれただろう? 俺も同じように聞くから……知りたいんだ。千尋のこと。どうして発情期がこなくなっていたのかも、痛みがないと発情しなくなっていたのかも」
無理に顔を上げさせることはしないが、光也は千尋の手を握って力を込めてくる。
暖かい。光也の言葉や体温は、千尋を縛りつけている祖父の鎖を緩めてくれる。
千尋はおそるおそる顔を上げた。
琥珀色の瞳が真っすぐに自分を見てくれている。これまでは叱るか罵るか蔑むときくらいしか、千尋を見てくれる人はいなかった。
(冴ゆる星……)
朝のまぶしい光を受けて輝く光也の瞳に、その言葉が浮かんだ。光也の瞳の光はいつも、千尋の心の暗がりを優しく照らしてくれる。
「あのね、みっくん」
千尋は優しい瞳に気持ちを押され、ゆっくりと口を開いた。
「そう、そうだったのか……」
カワラヒワがキリリコロロとさえずる見晴らし台のベンチに座り、千尋は過去を話した。
抑制剤漬けであったことや、常に監視を受けていたこと、誰も愛さず誰にも依存することがないように、と繰り返された言葉も。
「でも! でもね。部屋から出ないようにするのも、ぶつのも、僕のためだって。僕がオメガであるせいで将来に傷がつかないようにするためだって。じぃちゃんはいつも僕の身を案じてる、って言ってくれてた」
嘘の言葉ではない。千尋は今もそう信じている────信じていないと心を保っていられなかったのは自分でも気づいていない。
それでも、
「愛情っていろんな形があるね。おじいさんがいらっしゃったから、こうして千尋は立派な社会人になっているんだし、たちの悪いアルファの毒牙にかからずに生きてくることができたんだね」
と、光也が否定の言葉を使わないことに救われている。
過去の日々を否定されたらどう答えていいのかわからなかったし、昨夜の言葉通りに、光也があるがままの自分を見てくれている、という安心感を持てた。
「ただ、俺は俺の方法で千尋を愛したい。昨日、守らせてって言ったけど、それは千尋を純粋培養みたいにして悪いものから隔絶するって意味じゃない。外の世界で思うように生きる千尋の隣にいて、困ったときに力になる。千尋が泣いたり笑ったり……そうやって生きていく中で、一人じゃない、一緒に分かち合える相手がいるんだと思ってもらいたいんだ。千尋のご両親が、そうだったようにね」
「お父さんとお母さん……」
両親が揃っていたあの頃、千尋が活発で負けん気強くいられたのは、すぐに手を貸さず、いつも後ろで見守ってくれる両親の深い愛情があったからだ。
光也はそれを思い出させてくれる。あのとき、両親と一緒に微笑んでいたみっくんのことも。
「ねえ、いつかお父さんとお母さんの墓前でも誓わせてくれない? 俺が千尋を守りますって」
当時と同じ笑顔で言われて、胸がきゅうぅと締めつけられる。泣きたいときと同じように目頭が熱くなり、鼻の奥がじんとした。
胸が張り裂けそうだ。
目に涙の膜が張る感じがして、千尋は顔を地面に向けた。
光也はそれをうなずきと受け取ったのか、満足したように小さく「よし」と言って、千尋の手を握ったまま歩き出す。
それから、一緒に小さな花々を見て、せせらぎを渡り、富士山を眺めながら、お昼は静岡でジャンボエビフライを食べようかと言う光也にうなずいて別荘へ戻った。
幼い頃からの好物を忘れずにいてくれる。そんな些細なことにも心が震える。
42
お気に入りに追加
1,161
あなたにおすすめの小説

初心者オメガは執着アルファの腕のなか
深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。
オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。
オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。
穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

孕めないオメガでもいいですか?
月夜野レオン
BL
病院で子供を孕めない体といきなり診断された俺は、どうして良いのか判らず大好きな幼馴染の前から消える選択をした。不完全なオメガはお前に相応しくないから……
オメガバース作品です。

言い逃げしたら5年後捕まった件について。
なるせ
BL
「ずっと、好きだよ。」
…長年ずっと一緒にいた幼馴染に告白をした。
もちろん、アイツがオレをそういう目で見てないのは百も承知だし、返事なんて求めてない。
ただ、これからはもう一緒にいないから…想いを伝えるぐらい、許してくれ。
そう思って告白したのが高校三年生の最後の登校日。……あれから5年経ったんだけど…
なんでアイツに馬乗りにされてるわけ!?
ーーーーー
美形×平凡っていいですよね、、、、

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
【BL】こんな恋、したくなかった
のらねことすていぬ
BL
【貴族×貴族。明るい人気者×暗め引っ込み思案。】
人付き合いの苦手なルース(受け)は、貴族学校に居た頃からずっと人気者のギルバート(攻め)に恋をしていた。だけど彼はきらきらと輝く人気者で、この恋心はそっと己の中で葬り去るつもりだった。
ある日、彼が成り上がりの令嬢に恋をしていると聞く。苦しい気持ちを抑えつつ、二人の恋を応援しようとするルースだが……。
※ご都合主義、ハッピーエンド

人気アイドルになった美形幼馴染みに溺愛されています
ミヅハ
BL
主人公の陽向(ひなた)には現在、アイドルとして活躍している二つ年上の幼馴染みがいる。
生まれた時から一緒にいる彼―真那(まな)はまるで王子様のような見た目をしているが、その実無気力無表情で陽向以外のほとんどの人は彼の笑顔を見た事がない。
デビューして一気に人気が出た真那といきなり疎遠になり、寂しさを感じた陽向は思わずその気持ちを吐露してしまったのだが、優しい真那は陽向の為に時間さえあれば会いに来てくれるようになった。
そんなある日、いつものように家に来てくれた真那からキスをされ「俺だけのヒナでいてよ」と言われてしまい───。
ダウナー系美形アイドル幼馴染み(攻)×しっかり者の一般人(受)
基本受視点でたまに攻や他キャラ視点あり。
※印は性的描写ありです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる