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事故つがいの夫は僕を愛さない
どうして僕を抱こうとするの?
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それからどれくらい経ったのか、ドアのノック音が聞こえて重い瞼を開けた。
泣きながら長く寝入ってしまっていたようで、窓の外はもう暗くなっている。
「天音、入っていい?」
遠慮がちな理人の声が、ノック音に続いた。
まだ顔を見たくない。だけどいつまでもこうして逃げてはいられないだろう。
「……少し待って」
急いで鏡を見て、涙の跡をウェットティッシュで拭う。
天音、もう泣くんじゃない。ちゃんと理人と話すんだ。
鏡の中の自分にそう言い聞かせて、頷いてからドアを開けた。
理人は僕と目が合うと、一瞬眉を寄せて伏し目がちになる。僕の疲れたような顔を醜いと思っているんだろうか。
僕がオメガではなく、どんなときでも美しく映るアルファならよかったのに。
「天音、体調はどう? もう夜だけど、なにか食べられそう? 水を持ってきたけど、おかゆも作ってあるから」
ただ声は優しくて、水のボトルを差し出してくれる。
「ありがと……おかゆ、作ってくれたの?」
「うん。久しぶりだから少し手間取ったけどね。それで、冷蔵庫にあったハンバーグは俺のだよね? 食べたよ?」
「えっ? あれは一昨日の捨て忘れだから食べなくてよかったのに!」
「おいしかったよ? ごちそう様。……作ってくれた日に食べられなくてごめんね」
申しわけなさそうに微笑まれて、胸がきりりと切なくきしんだ。
理人はやっぱり優しいね。ううん、優しいというより、僕への罪悪感がそうさせているんだね。
今までだってそうだった。愛してはくれないけど、気遣いをたくさんしてくれた。
今日は特に、僕に別れを言わなくちゃいけないからおかゆも用意してくれて、残り物のハンバーグを無理して食べてくれたんだね……。
「理人、あのね、昨日」
意を決して言おうとしたのに、また涙がこみ上げてきそうになって、ぐっと息を呑み込んだ。すると、理人が珍しく僕の頬に触れた。
どうして? いつもは触れるのをためらうのに。
「帰ってきたときから思ってたけど、天音、また発情してる。体調が悪いのはそのせいじゃないか?」
――発情? まさか。
「そんなわけないよ。発情期は終わったばかりだって、理人も知ってるじゃない」
「でも、香りが強い……」
うなじに手を回され、腕の中に閉じ込められる。
気のせいか、理人が小さく震えている気がした。僕のフェロモンに当てられているから?
「天音の、香りだ……」
そんなこと滅多に言わないのに、理人は僕の首筋に鼻筋をうずめ、息を大きく吸い込んだ。確かめるように数度繰り返し、長い指で髪を梳きながら首筋を舐め、ちゅ、と吸ってくる。
「んっ……理人……」
どうして、とずっと思っているのに、こんなふうにされると頭がぼうっとして、体の力は抜けていく。
本当に発情期のように体温が上がって、身体中に心臓があるような、至るところの血管が脈打つ感覚が訪れる。
「天音、ヒートを収めよう。おいで」
「理人ぉ」
疼くお腹の中を慰めてもらうこと以外なにも考えられなくなって、理人に誘われるままベッドに胸をつけた。理人の重みと、うなじに立てられる歯の形を感じながら、僕は喉を反らせた。
けれどそのとき、鏡に自分と理人の首から下が映ってはっとした。
理人は、絶対に僕と対面では交わらない……。
行為中に僕の顔を決して見ないし、理人の顔を見せてもくれない……理人と僕は、キスをしたことさえない。
あの彼とは正面で抱き合い、求め合ってキスをしていた。
けれど僕は、そうしてもらったことがない。
ねえ、理人。彼とは一晩中、見つめ合ってキスをして、セックスをしたの? してきたんでしょう? あんなに匂いを絡みつけて、僕を牽制させて……!
「……嫌だっ!」
運命のつがいと一晩を過ごしておいて、どうして僕を抱くの? 彼との余韻が残る身体が、まだオメガを欲しているの?
「やめて、離して!」
違う。馬鹿天音、わかってるくせに。理人は運命のつがいと出会っても、僕が可哀相で、ヒートを放っておいたら僕が困るのをわかっていて、義務でしてくれているんだ。
なにもかも、理人の僕への行為は全部全部罪悪感!
優しい理人は事故でつがった僕を見捨てられないだけ!
「……もういい……しなくていい。離して……」
シーツを掴み、ほふくのように体を前に動かす。
「天音……?」
「触らないで!」
大きな声で言い、思いっきり左手を上げると、理人の左腕にぶつかった。
そう強い力は入っていなかったように思うけれど、理人は小さく「う」と唸って腕を庇い、上体を起こす。
背中から理人の重みが消え、重なっていた肌のぬくもりも、一緒に消えていく。
「もう、こんなの嫌だ。したくない。他に好きな人がいるのに、こんなこと、辛すぎる」
理人が運命のつがいと会ったところを見た、とは言えなかった。言いたくなかった。
僕はシーツの上で丸まりながら嗚咽を漏らした。
「好きな人がいる……。 天音、やっぱりそうだったのか……」
嗚咽のせいで理人の声が聞き取れない。でも理人はおもむろにベッドから下りて部屋を出て行ったから、なにかしら僕が思っていることは伝わったんだろう。
僕は熱いままの体を自分で抱きしめる。
いつかどこかで聞いたことがある。オメガは他のオメガのフェロモンに反応して、一時的に発情期に発するのと同じフェロモンを出すこともあるって。
僕がこうなっているのは、理人の運命のつがいのフェロモンがあまりに強かったせいなのだろう。
僕はよろよろと立ち上がり、机の引き出しから大量の抑制剤を出した。
そして飲み終えてから、自分の指で自分を慰めた。
泣きながら長く寝入ってしまっていたようで、窓の外はもう暗くなっている。
「天音、入っていい?」
遠慮がちな理人の声が、ノック音に続いた。
まだ顔を見たくない。だけどいつまでもこうして逃げてはいられないだろう。
「……少し待って」
急いで鏡を見て、涙の跡をウェットティッシュで拭う。
天音、もう泣くんじゃない。ちゃんと理人と話すんだ。
鏡の中の自分にそう言い聞かせて、頷いてからドアを開けた。
理人は僕と目が合うと、一瞬眉を寄せて伏し目がちになる。僕の疲れたような顔を醜いと思っているんだろうか。
僕がオメガではなく、どんなときでも美しく映るアルファならよかったのに。
「天音、体調はどう? もう夜だけど、なにか食べられそう? 水を持ってきたけど、おかゆも作ってあるから」
ただ声は優しくて、水のボトルを差し出してくれる。
「ありがと……おかゆ、作ってくれたの?」
「うん。久しぶりだから少し手間取ったけどね。それで、冷蔵庫にあったハンバーグは俺のだよね? 食べたよ?」
「えっ? あれは一昨日の捨て忘れだから食べなくてよかったのに!」
「おいしかったよ? ごちそう様。……作ってくれた日に食べられなくてごめんね」
申しわけなさそうに微笑まれて、胸がきりりと切なくきしんだ。
理人はやっぱり優しいね。ううん、優しいというより、僕への罪悪感がそうさせているんだね。
今までだってそうだった。愛してはくれないけど、気遣いをたくさんしてくれた。
今日は特に、僕に別れを言わなくちゃいけないからおかゆも用意してくれて、残り物のハンバーグを無理して食べてくれたんだね……。
「理人、あのね、昨日」
意を決して言おうとしたのに、また涙がこみ上げてきそうになって、ぐっと息を呑み込んだ。すると、理人が珍しく僕の頬に触れた。
どうして? いつもは触れるのをためらうのに。
「帰ってきたときから思ってたけど、天音、また発情してる。体調が悪いのはそのせいじゃないか?」
――発情? まさか。
「そんなわけないよ。発情期は終わったばかりだって、理人も知ってるじゃない」
「でも、香りが強い……」
うなじに手を回され、腕の中に閉じ込められる。
気のせいか、理人が小さく震えている気がした。僕のフェロモンに当てられているから?
「天音の、香りだ……」
そんなこと滅多に言わないのに、理人は僕の首筋に鼻筋をうずめ、息を大きく吸い込んだ。確かめるように数度繰り返し、長い指で髪を梳きながら首筋を舐め、ちゅ、と吸ってくる。
「んっ……理人……」
どうして、とずっと思っているのに、こんなふうにされると頭がぼうっとして、体の力は抜けていく。
本当に発情期のように体温が上がって、身体中に心臓があるような、至るところの血管が脈打つ感覚が訪れる。
「天音、ヒートを収めよう。おいで」
「理人ぉ」
疼くお腹の中を慰めてもらうこと以外なにも考えられなくなって、理人に誘われるままベッドに胸をつけた。理人の重みと、うなじに立てられる歯の形を感じながら、僕は喉を反らせた。
けれどそのとき、鏡に自分と理人の首から下が映ってはっとした。
理人は、絶対に僕と対面では交わらない……。
行為中に僕の顔を決して見ないし、理人の顔を見せてもくれない……理人と僕は、キスをしたことさえない。
あの彼とは正面で抱き合い、求め合ってキスをしていた。
けれど僕は、そうしてもらったことがない。
ねえ、理人。彼とは一晩中、見つめ合ってキスをして、セックスをしたの? してきたんでしょう? あんなに匂いを絡みつけて、僕を牽制させて……!
「……嫌だっ!」
運命のつがいと一晩を過ごしておいて、どうして僕を抱くの? 彼との余韻が残る身体が、まだオメガを欲しているの?
「やめて、離して!」
違う。馬鹿天音、わかってるくせに。理人は運命のつがいと出会っても、僕が可哀相で、ヒートを放っておいたら僕が困るのをわかっていて、義務でしてくれているんだ。
なにもかも、理人の僕への行為は全部全部罪悪感!
優しい理人は事故でつがった僕を見捨てられないだけ!
「……もういい……しなくていい。離して……」
シーツを掴み、ほふくのように体を前に動かす。
「天音……?」
「触らないで!」
大きな声で言い、思いっきり左手を上げると、理人の左腕にぶつかった。
そう強い力は入っていなかったように思うけれど、理人は小さく「う」と唸って腕を庇い、上体を起こす。
背中から理人の重みが消え、重なっていた肌のぬくもりも、一緒に消えていく。
「もう、こんなの嫌だ。したくない。他に好きな人がいるのに、こんなこと、辛すぎる」
理人が運命のつがいと会ったところを見た、とは言えなかった。言いたくなかった。
僕はシーツの上で丸まりながら嗚咽を漏らした。
「好きな人がいる……。 天音、やっぱりそうだったのか……」
嗚咽のせいで理人の声が聞き取れない。でも理人はおもむろにベッドから下りて部屋を出て行ったから、なにかしら僕が思っていることは伝わったんだろう。
僕は熱いままの体を自分で抱きしめる。
いつかどこかで聞いたことがある。オメガは他のオメガのフェロモンに反応して、一時的に発情期に発するのと同じフェロモンを出すこともあるって。
僕がこうなっているのは、理人の運命のつがいのフェロモンがあまりに強かったせいなのだろう。
僕はよろよろと立ち上がり、机の引き出しから大量の抑制剤を出した。
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