枕営業から逃げたら江戸にいました。陰間茶屋でナンバー1目指します。

カミヤルイ

文字の大きさ
上 下
76 / 149
いつか見た夢

親愛 壱

しおりを挟む
 文月7月前。

 牡丹が大和座に入り、華屋の華は俺だけになった。とは言え「はい、百合が次の咲華ですよ、大華ですよ」となるわけもなく、俺は菊華のままだ。

  「お前にはなぁ、まだ教養がないんだよ。大華に成る者、幕政政治から流通経済、流行りのネタまで熟知してなきゃなんねぇんだよ。書物を読みな、書物をよ」
 旦那から言われ、舞台帰りに権さんに連れられ本屋に寄った。

 ちなみに江戸時代の本屋にも種類がある。
 宗教の経典や医学書・哲学書など、堅い内容の学術書を扱う本屋を「書物屋」
 浄瑠璃・浮世絵なんかの娯楽的なものを扱う本屋を「草紙屋」
 絵本や春画から手習い勉強の参考書まで、種類多く取り扱うのが「書林」だ。

 俺は書林に行きたかったのに「百合はすぐに脱線しそうだ」と書物屋に連れられた。
 書物屋に入るなり紙と顔料の匂いに包まれる。
 この時代は木版印刷で本を刷っているから原料の香りが濃くて、小学校の授業でやった版画を思い出した。嫌いじゃない。

 かと言ってこ難しい本が得意になれるわけでもない。
  「儒教に和歌・俳句……医学書は流石に要らないよなぁ……」 
  「百合ちゃん?」

 本を探す俺の後ろで懐かしい声がする。
 この声は……
  「菖蒲さん!」

 振り向くとやはり懐かしい顔。陰間を引退して男の姿をしているのに、顔はお雛様の菖蒲さんが立っていた。

 懐かしさに互いに手を取り合い「女子」のように騒ぐ。しかし、書店の旦那に睨まれた俺達は店の外へと追いやられ、権さんも一緒に近くの団子屋に入って話に花を咲かせた。

  「菖蒲さん……今は照芳てるよし様か。元気そうだね」
 菖蒲さんは今は「小山内照芳おさないてるよし」として小山内様の元で医者見習いとして励んでいる。

  「うん。ありがとう。百合ちゃんは……」
 照芳様が言葉を呑んだ。
 元気? とも聞けないのだろう。つい先日あった楓の祝言けっこんしきでも再会するはずだったのに、俺は腹痛で行けなかったから。

  「あー、大丈夫。大丈夫です。」
 から元気に見えるかもしれないけど、笑って言った。
 照芳様はそんな俺の背を労るように撫でると、気を遣ったのか話題を変えてくれる。
  「そうだ。書物屋でなにを探していたの?」 

  「それが……」  
 俺は旦那に言われたことを話した。すると、照芳様が思いついたように手を合わせ叩き、言ってくれた。
  「私が教えてあげるよ。これでも菊華を務めたんだ。役に立つと思うよ」 



 照芳様からの提案は願ってもない話で、褥仕事を調整してもらった俺は三日おきに麹町の小山内邸に通うようになった。
 元・菊華だからというだけではなく、医学の吸収も早かった照芳様は頭の造りが違えば人への教え方も上手かった。

  「照芳様のおかげでかなり知識が増えました。ありがとうございます! それにしても、やっぱり華って凄いんですね。照芳様、尊敬します」

  「ふふ。百合ちゃんだって華じゃないか。それに私なんか全然だよ。牡丹ちゃんも影での努力は凄まじかったし、楓ちゃんなんかはもっと……」
 言いかけてハ、と口篭る。

  「……あー、あの、気を遣わないで下さい。私達の会話には絶対出てきちゃうし、芸の道でやって行くならこれからも絶対関わりはあるし……」
 気まずい沈黙を破ろうとして話し出して、俺まで口篭ってしまった。


 ……だめだな。
 楓が去って半年近くになるのに、名前を出せば未だに苦しくて。
 勿論一日中楓のことを考えてるわけじゃない。だけど楓と過ごした今までの日々が当たり前すぎて、思い出は、こうしていとも簡単に日常に入り込んでくる。

 楓の祝言の日だって……仮病じゃない。本当にお腹を下して二日間は褥仕事も休んだんだ。だけど、それで祝言のあとのお披露目会に行かなくて良くなってホッとしたのは確かだった。

  「楓の幸せが俺の幸せだ」なんて、かっこつけた割に、祝ってやることも顔を見ることさえも俺にはできなかった。

  「百合ちゃん……」
 照芳様が優しい手で背を撫でてくれる。

  「あ。ハハ。すいません。女々しいですね。早く忘れなきゃって思うんですけど」
 言いながら口の中が熱く苦しくなって、目の縁には涙が滲んだ。

 その涙が一粒にまとまって零れようとした時
  「百合、そろそろ帰らねぇと」
 迎えに来てくれた権さんの声がして、急いで目をこすった。

 照芳様と、奥の部屋にいらした小山内様にお礼をして玄関に出ると、権さんは肩で息をしている。
  
 いつも走って来るのだろうか。 
  「権さん、最近汗が凄いね。大丈夫?」
 俺は毎回その汗を拭く。

 すると、いつもは様子を見ているだけの照芳様が、今日は権さんのそばに寄り体に触れて言った。
  「権さん……今度ゆっくり話せるかな」

  「えっ、なんだよ急に」
 権さんは苦笑いをして身体を引いたけど、俺はピンと来た。
  「ほら~。最近お酒、飲みすぎてるんだよ。最近の権さんたら肌の色も変に黄色いし口も臭いんだよ? 身体を悪くする前に照芳様と小山内様に良く見て頂かなきゃ。ねっ、照芳様」 

 照芳様はふふふ、と笑い、権さんは「ひでぇこと言うなぁ」と、手のひらに自分の息をハアーと吐いていた。


 この時、俺は気づくべきだったんだ。
 照芳様の笑顔の目が笑ってなかったこと。そして、手のひらで隠れた権さんの顔が、なにかを決意した表情だったことに。
しおりを挟む
感想 155

あなたにおすすめの小説

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

【完結】相談する相手を、間違えました

ryon*
BL
長い間片想いしていた幼なじみの結婚を知らされ、30歳の誕生日前日に失恋した大晴。 自棄になり訪れた結婚相談所で、高校時代の同級生にして学内のカースト最上位に君臨していた男、早乙女 遼河と再会して・・・ *** 執着系美形攻めに、あっさりカラダから堕とされる自称平凡地味陰キャ受けを書きたかった。 ただ、それだけです。 *** 他サイトにも、掲載しています。 てんぱる1様の、フリー素材を表紙にお借りしています。 *** エブリスタで2022/5/6~5/11、BLトレンドランキング1位を獲得しました。 ありがとうございました。 *** 閲覧への感謝の気持ちをこめて、5/8 遼河視点のSSを追加しました。 ちょっと闇深い感じですが、楽しんで頂けたら幸いです(*´ω`*) *** 2022/5/14 エブリスタで保存したデータが飛ぶという不具合が出ているみたいで、ちょっとこわいのであちらに置いていたSSを念のためこちらにも転載しておきます。

側妻になった男の僕。

selen
BL
国王と平民による禁断の主従らぶ。。を書くつもりです(⌒▽⌒)よかったらみてね☆☆

王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?

名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。 そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________ ※ ・非王道気味 ・固定カプ予定は無い ・悲しい過去🐜のたまにシリアス ・話の流れが遅い

聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい

金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。 私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。 勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。 なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。 ※小説家になろうさんにも投稿しています。

【完結】元騎士は相棒の元剣闘士となんでも屋さん営業中

きよひ
BL
 ここはドラゴンや魔獣が住み、冒険者や魔術師が職業として存在する世界。  カズユキはある国のある領のある街で「なんでも屋」を営んでいた。  家庭教師に家業の手伝い、貴族の護衛に魔獣退治もなんでもござれ。  そんなある日、相棒のコウが気絶したオッドアイの少年、ミナトを連れて帰ってくる。  この話は、お互い想い合いながらも10年間硬直状態だったふたりが、純真な少年との関わりや事件によって動き出す物語。 ※コウ(黒髪長髪/褐色肌/青目/超高身長/無口美形)×カズユキ(金髪短髪/色白/赤目/高身長/美形)←ミナト(赤髪ベリーショート/金と黒のオッドアイ/細身で元気な15歳) ※受けのカズユキは性に奔放な設定のため、攻めのコウ以外との体の関係を仄めかす表現があります。 ※同性婚が認められている世界観です。

転生したら魔王の息子だった。しかも出来損ないの方の…

月乃
BL
あぁ、やっとあの地獄から抜け出せた… 転生したと気づいてそう思った。 今世は周りの人も優しく友達もできた。 それもこれも弟があの日動いてくれたからだ。 前世と違ってとても優しく、俺のことを大切にしてくれる弟。 前世と違って…?いいや、前世はひとりぼっちだった。仲良くなれたと思ったらいつの間にかいなくなってしまった。俺に近づいたら消える、そんな噂がたって近づいてくる人は誰もいなかった。 しかも、両親は高校生の頃に亡くなっていた。 俺はこの幸せをなくならせたくない。 そう思っていた…

処理中です...