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暁ばかり憂きものは
大華 楓 六
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「か、えでっ」
楓の肉張った尖端が俺の入口に張り付いたの感じ、力を振り絞って上半身をよじった。
……ゴトンッ──反動で、懐から鈍く重い音を立てて落ちたもの。
それは百合の形の鍔。保科様からのお守り。
「…………」
楓の動きが止まる。
息は荒いけれど、瞳はもういつもの冷静さを宿しかけて、鍔をじっと見つめている。
大きなため息。
楓は体を起こし、床に腰を落とした。それから目を閉じると、右手で額を覆った。
「楓……?」
「……ごめん。自分を見失った」
大きく深呼吸し、言葉を続ける。
「待つよ。百合が保科様を忘れる日まで。今日こんなことをするなんて早急過ぎた。悪かった」
────違う、そうじゃなくて、楓が心配なんだ。
そう言ってやりたいのに、言葉が出なかった。保科様の言葉が俺を動かし、保科様の鍔が楓に冷静さを取り戻したのは事実だったから。
楓が俺を起こし、鍔を拾って懐に戻してくれる。そして立ち上がると、俺に背中を向けて肌襦袢を羽織った。
俺も気怠い体を立ち上げ、力が抜けきった楓の背中を抱きしめる。
「楓。俺も楓が好きだよ。だからこそこの気持ちを大事に育てていきたい。……二人で、必ず幸せを掴む為に」
伝わって欲しい。俺の気持ち。
まだ消しきれない思いも、戸惑いも、これから大きくなるであろう新しい気持ちや未来への希望……そんなもの達を楓と一緒に分かち合いたい。
楓が、胸の前で結んだ俺の手を取り、こちらに体を向けた。
大きい目を歪ませて、泣きそうな顔をしている。
「ふふ、今日はいろんな楓が見れて嬉しい」
思わず笑うと、楓はもっと泣きそうに眉を寄せて、額を俺の額にくっ付けた。
「百合にだけは全部見せるよ。だから百合も約束して。俺にはいつも本当の気持ちを教えるって」
うん。
頬を挟んでくれている楓の手に手を重ねて頷いた。
もう一度額がくっ付き、次は唇が自然に寄る。
そしていつもの甘いキス。
ちゅ、ちゅ、と、小鳥みたいに囀って、互いを労わるように、優しく甘く。
────いつか、保科様の前で二人で笑って立てるだろうか? ……うん。いつか、きっと……。
その夜、俺は保科様から頂いた鍔を布で包み、化粧鏡の下の引き出し奥にそっとしまい込んだ。
***
楓との日々は楽しかった。
時には友達のように、時には兄弟のように。二人きりになれた時にはすぐに恋人に。
隠れてキスをしながら未来の夢を語る。
「百合は必ず大華になる。そしたらそのあとは俺と同じ座に入れるよう尽力するよ。江戸だけじゃなく全部の国で知られる役者になったら二人で暮らそう? そうだな、少し静かな所がいい。江戸の長屋じゃ、気になって思う存分百合を抱けないからな」
夢物語みたいだけど、努力すれば叶わないことじゃない。
実際、楓には夢を現実にするだけの力があったし、俺も負けないように頑張ろうと思えた。
「思う存分て……楓わかってる? 女形同士だからって、俺も男だよ? 年取って身体が衰えたら嫌ンなった、とか言うんじゃないの?」
「ないよ。絶対にない。百合こそ、そんなふうに考えるってことはさ……」
「ないよ、俺って結構一途なんだから」
「……知ってるよ」
毎回同じような話になって、それから顔を近づけてキスをする。甘い甘い、おいしいキス。
「楓の年季が明けるまでは」と約束して、それ以上の行為は思いを伝え合ったあの最初の日以来していない。
けれどそれが互いを思う気持ちをより高め合い、未来を共に過ごすのだから頑張るんだ、という気持ちの原動力になっていた。
***
季節は移ろい、夏も盛り。
ようやく華屋の新舞台が完成して、新しい演目をやるまであと十日というところに迫っていた。ただし華屋ではまだ、男形を張れる陰間はいない。
以前、経営陣営との話し合いで、楓が早着替えで少しの場面で男形をやる構想が出たこともあったけど、近い年月のうちに女形として身を立てる楓の将来を考えると、それは控えた方が良いだろうとの結論に至った。
ただ、競合舞台もやった猿若町月屋の舞台を見れば、女形だけの華屋の舞台には花がないことは明白だった。
これは今後の課題だとして、華屋の見世に関わる全員の共通認識になりつつあった。
楓が旦那と女将に呼ばれたのは、そんな頃。
「楓、お前は大華だし、舞台稽古や歌舞伎座さんとの会合で褥仕事が回らないのは当然だが、馴染みがとんと顔を出さずに、奥女中関連からの差し紙ばかりになっているのは気づいてるね?
それだけじゃない。最近は見世でも女の情念に欠ける。大和屋様も心配していらっしゃるんだ……言ってること、わかるかい」
広間での話は多くの陰間の耳に聞こえ及んだ。もちろん俺の耳にも。
「このままじゃ女形としての道は難しいってことだ」
大和屋様、と言うのは、幕府公認の歌舞伎座三座の中の一つ「大和座」を率いる座長のことだ。
大和座は女形を多く抱えていて、年季が開けたら楓を所属させると一番に名乗りを上げている座だった。
「……旦那さん、女将さん、心配をかけて申しわけないです」
「謝罪が聞きたいんじゃない。楓、私らから見ても最近のお前は女形の心を失いつつあるように見える。その理由を聞いてるんだよ。ここまで這い上がって来たのになぜだ……お前、まさか想い人でもできたんじゃあるまいな」
女将の声が低く重くなる。
……どうしよう。俺がいるせいかもしれない。俺といる時の楓は女形ではなくただの「楓」として振る舞う。自分のことも「俺」と言い、言葉遣いさえ違っている。
そう言った普段の振る舞いが芸に響いているんだとしたら……。
俺は他の陰間と一緒に、障子で仕切られた広間に聞き耳を立てた。
「……旦那さん、女将さん。お願いがあります。私は……女形を辞める。これからの舞台、私に男形をやらせて下さい」
「「ええっ!」」
旦那、女将、だけじゃない。聞き耳を立てていた陰間全員に、楓付きの金剛や金剛のまとめ役でもある権さんも、いつの間にか俺達の後ろにいて、皆一斉に驚きの声を上げた。
楓の肉張った尖端が俺の入口に張り付いたの感じ、力を振り絞って上半身をよじった。
……ゴトンッ──反動で、懐から鈍く重い音を立てて落ちたもの。
それは百合の形の鍔。保科様からのお守り。
「…………」
楓の動きが止まる。
息は荒いけれど、瞳はもういつもの冷静さを宿しかけて、鍔をじっと見つめている。
大きなため息。
楓は体を起こし、床に腰を落とした。それから目を閉じると、右手で額を覆った。
「楓……?」
「……ごめん。自分を見失った」
大きく深呼吸し、言葉を続ける。
「待つよ。百合が保科様を忘れる日まで。今日こんなことをするなんて早急過ぎた。悪かった」
────違う、そうじゃなくて、楓が心配なんだ。
そう言ってやりたいのに、言葉が出なかった。保科様の言葉が俺を動かし、保科様の鍔が楓に冷静さを取り戻したのは事実だったから。
楓が俺を起こし、鍔を拾って懐に戻してくれる。そして立ち上がると、俺に背中を向けて肌襦袢を羽織った。
俺も気怠い体を立ち上げ、力が抜けきった楓の背中を抱きしめる。
「楓。俺も楓が好きだよ。だからこそこの気持ちを大事に育てていきたい。……二人で、必ず幸せを掴む為に」
伝わって欲しい。俺の気持ち。
まだ消しきれない思いも、戸惑いも、これから大きくなるであろう新しい気持ちや未来への希望……そんなもの達を楓と一緒に分かち合いたい。
楓が、胸の前で結んだ俺の手を取り、こちらに体を向けた。
大きい目を歪ませて、泣きそうな顔をしている。
「ふふ、今日はいろんな楓が見れて嬉しい」
思わず笑うと、楓はもっと泣きそうに眉を寄せて、額を俺の額にくっ付けた。
「百合にだけは全部見せるよ。だから百合も約束して。俺にはいつも本当の気持ちを教えるって」
うん。
頬を挟んでくれている楓の手に手を重ねて頷いた。
もう一度額がくっ付き、次は唇が自然に寄る。
そしていつもの甘いキス。
ちゅ、ちゅ、と、小鳥みたいに囀って、互いを労わるように、優しく甘く。
────いつか、保科様の前で二人で笑って立てるだろうか? ……うん。いつか、きっと……。
その夜、俺は保科様から頂いた鍔を布で包み、化粧鏡の下の引き出し奥にそっとしまい込んだ。
***
楓との日々は楽しかった。
時には友達のように、時には兄弟のように。二人きりになれた時にはすぐに恋人に。
隠れてキスをしながら未来の夢を語る。
「百合は必ず大華になる。そしたらそのあとは俺と同じ座に入れるよう尽力するよ。江戸だけじゃなく全部の国で知られる役者になったら二人で暮らそう? そうだな、少し静かな所がいい。江戸の長屋じゃ、気になって思う存分百合を抱けないからな」
夢物語みたいだけど、努力すれば叶わないことじゃない。
実際、楓には夢を現実にするだけの力があったし、俺も負けないように頑張ろうと思えた。
「思う存分て……楓わかってる? 女形同士だからって、俺も男だよ? 年取って身体が衰えたら嫌ンなった、とか言うんじゃないの?」
「ないよ。絶対にない。百合こそ、そんなふうに考えるってことはさ……」
「ないよ、俺って結構一途なんだから」
「……知ってるよ」
毎回同じような話になって、それから顔を近づけてキスをする。甘い甘い、おいしいキス。
「楓の年季が明けるまでは」と約束して、それ以上の行為は思いを伝え合ったあの最初の日以来していない。
けれどそれが互いを思う気持ちをより高め合い、未来を共に過ごすのだから頑張るんだ、という気持ちの原動力になっていた。
***
季節は移ろい、夏も盛り。
ようやく華屋の新舞台が完成して、新しい演目をやるまであと十日というところに迫っていた。ただし華屋ではまだ、男形を張れる陰間はいない。
以前、経営陣営との話し合いで、楓が早着替えで少しの場面で男形をやる構想が出たこともあったけど、近い年月のうちに女形として身を立てる楓の将来を考えると、それは控えた方が良いだろうとの結論に至った。
ただ、競合舞台もやった猿若町月屋の舞台を見れば、女形だけの華屋の舞台には花がないことは明白だった。
これは今後の課題だとして、華屋の見世に関わる全員の共通認識になりつつあった。
楓が旦那と女将に呼ばれたのは、そんな頃。
「楓、お前は大華だし、舞台稽古や歌舞伎座さんとの会合で褥仕事が回らないのは当然だが、馴染みがとんと顔を出さずに、奥女中関連からの差し紙ばかりになっているのは気づいてるね?
それだけじゃない。最近は見世でも女の情念に欠ける。大和屋様も心配していらっしゃるんだ……言ってること、わかるかい」
広間での話は多くの陰間の耳に聞こえ及んだ。もちろん俺の耳にも。
「このままじゃ女形としての道は難しいってことだ」
大和屋様、と言うのは、幕府公認の歌舞伎座三座の中の一つ「大和座」を率いる座長のことだ。
大和座は女形を多く抱えていて、年季が開けたら楓を所属させると一番に名乗りを上げている座だった。
「……旦那さん、女将さん、心配をかけて申しわけないです」
「謝罪が聞きたいんじゃない。楓、私らから見ても最近のお前は女形の心を失いつつあるように見える。その理由を聞いてるんだよ。ここまで這い上がって来たのになぜだ……お前、まさか想い人でもできたんじゃあるまいな」
女将の声が低く重くなる。
……どうしよう。俺がいるせいかもしれない。俺といる時の楓は女形ではなくただの「楓」として振る舞う。自分のことも「俺」と言い、言葉遣いさえ違っている。
そう言った普段の振る舞いが芸に響いているんだとしたら……。
俺は他の陰間と一緒に、障子で仕切られた広間に聞き耳を立てた。
「……旦那さん、女将さん。お願いがあります。私は……女形を辞める。これからの舞台、私に男形をやらせて下さい」
「「ええっ!」」
旦那、女将、だけじゃない。聞き耳を立てていた陰間全員に、楓付きの金剛や金剛のまとめ役でもある権さんも、いつの間にか俺達の後ろにいて、皆一斉に驚きの声を上げた。
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