枕営業から逃げたら江戸にいました。陰間茶屋でナンバー1目指します。

カミヤルイ

文字の大きさ
上 下
53 / 149
暁ばかり憂きものは

思いの重さ 参

しおりを挟む
 
 夢なんかじゃない。起こったことは現実だった。

 旦那や女将、権さんも「陰間や遊女を巡っての刃傷沙汰は良くあることだ」って言ったけど、流石の俺でもこれだけは「はいそうですか」とは言えないよ。

 人ひとり、死んでるんだよ……?


 俺の前に転がった首と吹き出した血飛沫ちしぶきが瞼に染みついて離れない。 一人でいるとどうにかなりそうで、その晩はずっと権さんにしがみつきながら吐き続けた。


  吐く物がなにもなくなって、意識が朦朧としたのか、気を失ったのかはわからない。いつの間にか目は閉じていて、重い頭を二、三度振り、次に目を開くと、自分の部屋で布団に寝かされていた。
 その布団の傍らに、保科様が静かに座っている。


  「……保科様……」
 これは夢? そうだよね、だってお姿が滲んでいる。
 ならばどうか醒めないで。夢ならもう少しだけ消えないで……。

  「俺のそばにいて……」
 けれど、シャボン玉の膜の中の保科様は霞んでいく。

 いやだ、どこにも行かないで……!

 俺は必死で手を伸ばした。


  「百合」

 そこに触れた暖かさ。
 それは俺の腕を取り、上半身を抱き起こした。

 体にかかる心地いい重み。
 懐かしい優しい香り。
 広い暖かい胸。

  「百合……!」
 愛しい人の声。
 俺の頭と腰を抱える力強い腕。
 頬には滑らかな肌の感触。


  「ほんもの……?」
 片腕を曲げると、がっしりとした背中に触れ、肩甲骨の形を感じた。もう片方の腕も同じようにすると、確かに感じる保科様の体温。

  「……っ……百合、辛い目に合ったな。守ってやれず済まない……」
 耳元で、愛しい人の声がする。
  「……う……っ……保科、様ぁ……」

 薄い壁続きの部屋。出入口のふすまの外には恐らく権さんや保科様のお付きの人もいる。

 けれど俺は、初めて保科様に抱きしめられた日のように、溢れる涙を止めることも、声を抑えることもできなかった。
 保科様も同じくなにも言わずに、ただ俺を強く抱きしめ、頭を撫で続けてくれた。

 自然と横抱きに抱かれて、すっぽりと保科様の体に埋もれていると安心できた。涙はまだ滲むけど、嗚咽は出なくなり、自分の中の大きな塊は溶けた気がした……全てではないけれど。


  「百合、すぐに来てやれなくてすまなかった。あとの処理に追われて」
 俺が落ち着いたのを見計らって保科様が言った。
 俺は、涙で濡れてしまった襟元に顔をすり付けて「ううん」と返事をした。

  「ここのところ目立った刃傷はなかったので気を抜いていた。私の管理不足だ。君達に辛い思いはさせたくないのに不甲斐ない」

  「……」
 

 ふ、と冷静な自分が現れる。
 ──そうだ、保科様はあくまでも花街を治める方としてここに来て、俺を抱きしめ、慰めて下さっているんだ。

  「謝らないで下さい。こんなことになるなんて、誰にもわからないから……」
 保科様の胸から顔を上げ、腕を突っ張って少し体を後ろへずらした。

 本当はこのまま離れたくない。なにもかも取っぱらって「悠理」としてこの胸に癒されたい……でも、許されないから。

  「百合?」
 完全に保科様から体を離し、正座して頭を下げる。
  「処理で大変な中、わざわざ一陰間の為にご訪問下さりありがとうございました。此度の私の不始末によりご迷惑をお掛けしましたこと、心よりお詫び申し上げます。私は大丈夫ですので、どうぞ保科様もお休み下さい」

 大丈夫なんかじゃない。辛いし怖い。逃げ出したい……でも、震えるな、俺の声!
 
 保科様は小さいため息のような息を吐いた。
  「……そうか。わかった。此度のことは百合の不始末ではない。気に病むだろうが一刻も早く傷を癒されよ。あぁそれと……」
 ガチャ、と言う鈍い音に顔を上げる。

  「既に手入れは済んでいる……お前の打刀だ」
 目の前に百合のつばの刀が置かれて、あの時の光景がブワッと脳裏に広がった。

 保科様から頂いた、俺の大事なお守り。いつも、保科様がそばで見守っていてくれると、毎晩話しかけていた大切な宝物。

  「……や……やだ……」
 なのになぜこんなに汚らわしく感じるのだろう。なぜこんなに怖いんだろう。見ているだけで体中が凍りそうだ。

  「百合、これが嫌なら新しい物を……」
  「いりません! 俺は刀なんかもう欲しくない……! 早く持って帰ってください!」

 整えたはずの呼吸がまた荒ぶり、体が震え出す。

  「……わかった」
 保科様は静かに言い、刀を持ったまま立ち上がり、襖を開けた。

 保科様が帰ってしまうけど、俺にはお見送りの言葉さえ出てこなかった。
 背中に向け、心の中で「ごめんなさい」を繰り返す。

  「百合」
 最後に振り返った保科様の横顔が辛そうに見えたのは、涙で景色が歪んでいるからだろうか。
  「後日、つばは外して届けさせる。これだけは持っていて欲しい」

 言うと、俺の返事は待たずに部屋から出た。お付きの方と権さんが立ち上がる影が見える。
 それから影はもう一つ。

  「保科様、お務めご苦労様でございました。お気をつけてお戻り下さい。百合のことは、私が責任を持ちますゆえ、ご心配されませぬよう」

  「楓……。そうか。……あぁ、頼む……」

 楓もいたのか……?
 影がすれ違って、保科様の足音が遠のいて行く。代わりに楓が部屋に入って襖を静かに閉めた。
しおりを挟む
感想 155

あなたにおすすめの小説

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

【完結】相談する相手を、間違えました

ryon*
BL
長い間片想いしていた幼なじみの結婚を知らされ、30歳の誕生日前日に失恋した大晴。 自棄になり訪れた結婚相談所で、高校時代の同級生にして学内のカースト最上位に君臨していた男、早乙女 遼河と再会して・・・ *** 執着系美形攻めに、あっさりカラダから堕とされる自称平凡地味陰キャ受けを書きたかった。 ただ、それだけです。 *** 他サイトにも、掲載しています。 てんぱる1様の、フリー素材を表紙にお借りしています。 *** エブリスタで2022/5/6~5/11、BLトレンドランキング1位を獲得しました。 ありがとうございました。 *** 閲覧への感謝の気持ちをこめて、5/8 遼河視点のSSを追加しました。 ちょっと闇深い感じですが、楽しんで頂けたら幸いです(*´ω`*) *** 2022/5/14 エブリスタで保存したデータが飛ぶという不具合が出ているみたいで、ちょっとこわいのであちらに置いていたSSを念のためこちらにも転載しておきます。

側妻になった男の僕。

selen
BL
国王と平民による禁断の主従らぶ。。を書くつもりです(⌒▽⌒)よかったらみてね☆☆

王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?

名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。 そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________ ※ ・非王道気味 ・固定カプ予定は無い ・悲しい過去🐜のたまにシリアス ・話の流れが遅い

聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい

金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。 私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。 勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。 なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。 ※小説家になろうさんにも投稿しています。

【完結】元騎士は相棒の元剣闘士となんでも屋さん営業中

きよひ
BL
 ここはドラゴンや魔獣が住み、冒険者や魔術師が職業として存在する世界。  カズユキはある国のある領のある街で「なんでも屋」を営んでいた。  家庭教師に家業の手伝い、貴族の護衛に魔獣退治もなんでもござれ。  そんなある日、相棒のコウが気絶したオッドアイの少年、ミナトを連れて帰ってくる。  この話は、お互い想い合いながらも10年間硬直状態だったふたりが、純真な少年との関わりや事件によって動き出す物語。 ※コウ(黒髪長髪/褐色肌/青目/超高身長/無口美形)×カズユキ(金髪短髪/色白/赤目/高身長/美形)←ミナト(赤髪ベリーショート/金と黒のオッドアイ/細身で元気な15歳) ※受けのカズユキは性に奔放な設定のため、攻めのコウ以外との体の関係を仄めかす表現があります。 ※同性婚が認められている世界観です。

転生したら魔王の息子だった。しかも出来損ないの方の…

月乃
BL
あぁ、やっとあの地獄から抜け出せた… 転生したと気づいてそう思った。 今世は周りの人も優しく友達もできた。 それもこれも弟があの日動いてくれたからだ。 前世と違ってとても優しく、俺のことを大切にしてくれる弟。 前世と違って…?いいや、前世はひとりぼっちだった。仲良くなれたと思ったらいつの間にかいなくなってしまった。俺に近づいたら消える、そんな噂がたって近づいてくる人は誰もいなかった。 しかも、両親は高校生の頃に亡くなっていた。 俺はこの幸せをなくならせたくない。 そう思っていた…

処理中です...