上 下
159 / 162

XLVI 最後の夜

しおりを挟む
 娘が居なくなって1ヶ月。時が経つのは早い物で、いつの間にか娘の居ない日々が“日常”と化していた。
 エルの精神状態もやっと落ち着き、今や時々笑顔まで見せてくれる。
 だがやはり、娘が居たあの頃に戻りたいと何度も願ってしまう事は変わらない。全て夢だった、なんて事になってくれやしないかと、毎晩眠る度に思う。

 ――現時刻は23時半。
 殆どの物が無くなった家の中で、唯一残された壁掛けのカレンダーの前で足を止める。
 “moving《転居》”と書かれているのは明日の日付。その文字を指先でなぞり、目を伏せた。

 明日、エルと2人でこの家を出る。今日がこの家で過ごす、最後の夜だ。
 自分達に手紙を寄越したシスターセシリアとは2週間前に一度顔を合わせたが、上手くやっていけそうな温和な性格をした人物だった。エルも安心して、孤児院の仕事をする事が出来るだろう。

 瞳を開き、窓辺で空に浮かぶ月を眺めているエルに視線を向ける。
 口にはしないものの、彼女もこの家を出る事に不安を感じている様だった。時々、この家を眺めながら物思いに耽っている。
 彼女の傍へと寄り、その小さな身体を抱き寄せた。空から視線を逸らし、此方に顔を向けた彼女の唇にキスを落とす。

「――心配しなくても、2人は大丈夫だ。きっといつか、俺達の元に帰ってくる」

 不安気な顔をする彼女に、そう言葉を掛ける。
 それは彼女を安心させる為のものでもあったが、自分自身に言い聞かせるものでもあった。

 メイベルの助言を頼りに書いた手紙。もし万が一、該当する使用人に届かなかった事を考えて、内容はメイベルの予言の様に曖昧に書いた。
 全ては、その使用人である女性に懸かっている。彼女がその手紙の意味に気付く事が無ければ、永遠に娘は自分達の元に戻ってくる事は無いだろう。

「――今日はもう眠ろう。シスターセシリアには、朝9時には教会へ来て欲しいと言われているんだ」

 彼女の肩を抱いたまま、ベッドへと招く。
 ふと、彼女を初めて此処へ連れて来た夜の事を思い出した。初対面の貴族令嬢を屋敷から連れ出し、1つのベッドで衣類を身に着けずに眠るだなんて、今思えば正気の沙汰じゃない。しかし、それがあったから自身の人生はより良いものになった。
 もしあのままエルに出会わず、1人きりでこの人生を歩んでいたら。きっと今でもブローカーを続けていただろう。もしかすると、危険な仕事に巻き込まれ孤独に1人命を落としていたかもしれない。
 ベッドの中で、腕に抱いたエルの髪を撫でる。

「おやすみなさい、セドリック」

 ふふ、と小さな笑みを漏らし、彼女が囁く様に告げた。
 それに応える様に、彼女の額にキスを落とす。

 今頃、2人は暖かなベッドで眠っているだろうか。苦しい思いは、していないだろうか。
 出来る事なら、娘が居たあの日々に戻りたい。また4人で、笑い合う日々に戻りたい。
 これが、ただの悪夢で終わってくれやしないか。朝になったら、なんでもない顔で娘2人が自分達を起こしに来てくれやしないか。

「おやすみ、エル」

 ――そんな儚い願いを胸に、今日も深い眠りにつく。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

婚約者から婚約破棄をされて喜んだのに、どうも様子がおかしい

恋愛
婚約者には初恋の人がいる。 王太子リエトの婚約者ベルティーナ=アンナローロ公爵令嬢は、呼び出された先で婚約破棄を告げられた。婚約者の隣には、家族や婚約者が常に可愛いと口にする従妹がいて。次の婚約者は従妹になると。 待ちに待った婚約破棄を喜んでいると思われる訳にもいかず、冷静に、でも笑顔は忘れずに二人の幸せを願ってあっさりと従者と部屋を出た。 婚約破棄をされた件で父に勘当されるか、何処かの貴族の後妻にされるか待っていても一向に婚約破棄の話をされない。また、婚約破棄をしたのに何故か王太子から呼び出しの声が掛かる。 従者を連れてさっさと家を出たいべルティーナと従者のせいで拗らせまくったリエトの話。 ※なろうさんにも公開しています。 ※短編→長編に変更しました(2023.7.19)

愛してほしかった

こな
恋愛
「側室でもいいか」最愛の人にそう問われ、頷くしかなかった。  心はすり減り、期待を持つことを止めた。  ──なのに、今更どういうおつもりですか? ※設定ふんわり ※何でも大丈夫な方向け ※合わない方は即ブラウザバックしてください ※指示、暴言を含むコメント、読後の苦情などはお控えください

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。 *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。 そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。 相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。 トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。 あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。 ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。 そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが… 追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。 今更ですが、閲覧の際はご注意ください。

自信家CEOは花嫁を略奪する

朝陽ゆりね
恋愛
「あなたとは、一夜限りの関係です」 そのはずだったのに、 そう言ったはずなのに―― 私には婚約者がいて、あなたと交際することはできない。 それにあなたは特定の女とはつきあわないのでしょ? だったら、なぜ? お願いだからもうかまわないで―― 松坂和眞は特定の相手とは交際しないと宣言し、言い寄る女と一時を愉しむ男だ。 だが、経営者としての手腕は世間に広く知られている。 璃桜はそんな和眞に憧れて入社したが、親からもらった自由な時間は3年だった。 そしてその期間が来てしまった。 半年後、親が決めた相手と結婚する。 退職する前日、和眞を誘惑する決意をし、成功するが――

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

処理中です...