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XLVI 最後の夜
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娘が居なくなって1ヶ月。時が経つのは早い物で、いつの間にか娘の居ない日々が“日常”と化していた。
エルの精神状態もやっと落ち着き、今や時々笑顔まで見せてくれる。
だがやはり、娘が居たあの頃に戻りたいと何度も願ってしまう事は変わらない。全て夢だった、なんて事になってくれやしないかと、毎晩眠る度に思う。
――現時刻は23時半。
殆どの物が無くなった家の中で、唯一残された壁掛けのカレンダーの前で足を止める。
“moving《転居》”と書かれているのは明日の日付。その文字を指先でなぞり、目を伏せた。
明日、エルと2人でこの家を出る。今日がこの家で過ごす、最後の夜だ。
自分達に手紙を寄越したシスターセシリアとは2週間前に一度顔を合わせたが、上手くやっていけそうな温和な性格をした人物だった。エルも安心して、孤児院の仕事をする事が出来るだろう。
瞳を開き、窓辺で空に浮かぶ月を眺めているエルに視線を向ける。
口にはしないものの、彼女もこの家を出る事に不安を感じている様だった。時々、この家を眺めながら物思いに耽っている。
彼女の傍へと寄り、その小さな身体を抱き寄せた。空から視線を逸らし、此方に顔を向けた彼女の唇にキスを落とす。
「――心配しなくても、2人は大丈夫だ。きっといつか、俺達の元に帰ってくる」
不安気な顔をする彼女に、そう言葉を掛ける。
それは彼女を安心させる為のものでもあったが、自分自身に言い聞かせるものでもあった。
メイベルの助言を頼りに書いた手紙。もし万が一、該当する使用人に届かなかった事を考えて、内容はメイベルの予言の様に曖昧に書いた。
全ては、その使用人である女性に懸かっている。彼女がその手紙の意味に気付く事が無ければ、永遠に娘は自分達の元に戻ってくる事は無いだろう。
「――今日はもう眠ろう。シスターセシリアには、朝9時には教会へ来て欲しいと言われているんだ」
彼女の肩を抱いたまま、ベッドへと招く。
ふと、彼女を初めて此処へ連れて来た夜の事を思い出した。初対面の貴族令嬢を屋敷から連れ出し、1つのベッドで衣類を身に着けずに眠るだなんて、今思えば正気の沙汰じゃない。しかし、それがあったから自身の人生はより良いものになった。
もしあのままエルに出会わず、1人きりでこの人生を歩んでいたら。きっと今でもブローカーを続けていただろう。もしかすると、危険な仕事に巻き込まれ孤独に1人命を落としていたかもしれない。
ベッドの中で、腕に抱いたエルの髪を撫でる。
「おやすみなさい、セドリック」
ふふ、と小さな笑みを漏らし、彼女が囁く様に告げた。
それに応える様に、彼女の額にキスを落とす。
今頃、2人は暖かなベッドで眠っているだろうか。苦しい思いは、していないだろうか。
出来る事なら、娘が居たあの日々に戻りたい。また4人で、笑い合う日々に戻りたい。
これが、ただの悪夢で終わってくれやしないか。朝になったら、なんでもない顔で娘2人が自分達を起こしに来てくれやしないか。
「おやすみ、エル」
――そんな儚い願いを胸に、今日も深い眠りにつく。
エルの精神状態もやっと落ち着き、今や時々笑顔まで見せてくれる。
だがやはり、娘が居たあの頃に戻りたいと何度も願ってしまう事は変わらない。全て夢だった、なんて事になってくれやしないかと、毎晩眠る度に思う。
――現時刻は23時半。
殆どの物が無くなった家の中で、唯一残された壁掛けのカレンダーの前で足を止める。
“moving《転居》”と書かれているのは明日の日付。その文字を指先でなぞり、目を伏せた。
明日、エルと2人でこの家を出る。今日がこの家で過ごす、最後の夜だ。
自分達に手紙を寄越したシスターセシリアとは2週間前に一度顔を合わせたが、上手くやっていけそうな温和な性格をした人物だった。エルも安心して、孤児院の仕事をする事が出来るだろう。
瞳を開き、窓辺で空に浮かぶ月を眺めているエルに視線を向ける。
口にはしないものの、彼女もこの家を出る事に不安を感じている様だった。時々、この家を眺めながら物思いに耽っている。
彼女の傍へと寄り、その小さな身体を抱き寄せた。空から視線を逸らし、此方に顔を向けた彼女の唇にキスを落とす。
「――心配しなくても、2人は大丈夫だ。きっといつか、俺達の元に帰ってくる」
不安気な顔をする彼女に、そう言葉を掛ける。
それは彼女を安心させる為のものでもあったが、自分自身に言い聞かせるものでもあった。
メイベルの助言を頼りに書いた手紙。もし万が一、該当する使用人に届かなかった事を考えて、内容はメイベルの予言の様に曖昧に書いた。
全ては、その使用人である女性に懸かっている。彼女がその手紙の意味に気付く事が無ければ、永遠に娘は自分達の元に戻ってくる事は無いだろう。
「――今日はもう眠ろう。シスターセシリアには、朝9時には教会へ来て欲しいと言われているんだ」
彼女の肩を抱いたまま、ベッドへと招く。
ふと、彼女を初めて此処へ連れて来た夜の事を思い出した。初対面の貴族令嬢を屋敷から連れ出し、1つのベッドで衣類を身に着けずに眠るだなんて、今思えば正気の沙汰じゃない。しかし、それがあったから自身の人生はより良いものになった。
もしあのままエルに出会わず、1人きりでこの人生を歩んでいたら。きっと今でもブローカーを続けていただろう。もしかすると、危険な仕事に巻き込まれ孤独に1人命を落としていたかもしれない。
ベッドの中で、腕に抱いたエルの髪を撫でる。
「おやすみなさい、セドリック」
ふふ、と小さな笑みを漏らし、彼女が囁く様に告げた。
それに応える様に、彼女の額にキスを落とす。
今頃、2人は暖かなベッドで眠っているだろうか。苦しい思いは、していないだろうか。
出来る事なら、娘が居たあの日々に戻りたい。また4人で、笑い合う日々に戻りたい。
これが、ただの悪夢で終わってくれやしないか。朝になったら、なんでもない顔で娘2人が自分達を起こしに来てくれやしないか。
「おやすみ、エル」
――そんな儚い願いを胸に、今日も深い眠りにつく。
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