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XL 有益な情報-II

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 今の気分は、大変言葉にし難い。しかし敢えて言うのであれば、絶望的、もしくは憤懣ふんまんだろうか。
 資料を挟んだ黒のレザーファイルを片手に、彼の待つホールへと続く階段を降りる。

 エルが自身の元へ来てから約1週間後。街案内に出た自分達が遭遇したのが彼だ。
 泣いていたエルを前にして、彼はまるで当たり前だとでも言う様に「道を尋ねていた」と嘘を吐いた。
 エルを連れ戻した安堵感からかその後彼の正体を突き止める事は無かったが、まさかこれ程時が経ってから答え合わせにする事になるとは思いもしなかった。

 階段を降りた先で、ソファに腰を掛けた彼と視線が交わる。浮かべた微笑は、相変わらず不気味だ。
 ファイルをテーブルに叩き付ける様に置き、彼と向かい合いソファに腰掛けた。

 彼は名家スタインフェルド家の嫡男、キース・スタインフェルド。
 スタインフェルド家とは、エルの誕生日パーティーが行われた晩に、元舞台女優であるマリア・ウィルソンの娘を養女に迎えた家だ。
 子供の名前は、確かノエルと言っただろうか。彼はその養女について気になる点があった様で、此処を訪れたらしい。
 過去の事があるだけに少々疑い深いが、今は彼に言われた通り養女の書類を提示する事しか出来ない。
 現状にいきどおりを感じながらも、彼に見せる様ファイルを開いた。

 彼の指が、静かに書類の文字をなぞる。
 時々何かを呟いては、1人納得した様に読み進めていく姿を見ていると、養女について気になる点があったというのは事実の様だ。
 自身の激しい鼓動を感じながら、ただ黙って彼の姿を見つめる。


「――ふむ、僕が気にしていた事は特に記述されていない様だ」

 書類を全て読み終えた彼が、神妙な面持ちで顔を上げた。

「彼女には、精神疾患、もしくは精神異常の嫌いがあると見ていたんだが……」

「……何か、問題行動がおありで?」

「……いや」

 彼が曖昧に言葉を濁す。
 その顔に浮かぶのは、酷く当惑した表情だ。余程、養女に何か違和感を抱いているのだろう。

「――君、子供はいるかい?」

「……子供?」

 突然の問いに、その言葉を復唱する様に問い返す。

「エルとの子供だ。エルを娶ったのは事実なのだろう」

 彼の鋭い瞳が、自身の左手のリングを一瞥した。右手で隠す様に左手を握り、彼から顔を逸らす。

 彼が無害だという保証は何処にも無い。エルと彼の関係は、ただの知人なんて物でもない筈だ。
 だがもし仮にその気があるのなら、もっと早くに行動していただろう。持ち前の地位と財産を使えば、彼女の所在地を調べる事など容易い。
 それに、自身がエルを娶った事を知られているのであれば、今更子供の有無を隠した所でなんの意味も無い事だ。
 返答に困り言い淀んでいると、彼が苛立ったように大きな溜息を吐いた。

「――あぁ、もうなんだよ面倒臭いな」

 身を投げる様にソファの背凭れに身体を預け、屈託そうな顔で此方を見つめる。

「別に今更、君からエルを取り返そうだなんて思っていないよ。先程の“あの言葉”は、君を揶揄からかっただけだ。君の絶望、もしくは憤怒が見たかったが、君の表情は驚く程変わらなかった。余程自分に自信がある様だね」

 我儘な少年の様な口調で言い放つ彼は、とてもじゃないが紳士的だとは思えない。
 先程の貴族らしい振る舞いから掛け離れたその姿に、酷く困惑する。
 「そういう訳では」と反論の言葉を口にすると、彼がその言葉を制す様にわざとらしく咳払いをした。

「何方にせよ、今のエインズワース家とは関わりたくないんだ。君がエルの居場所を知られたくないのと同じ位、僕だってエルの夫である君と関わった事を周囲に知られたくないんだよ」

「……左様ですか」

「僕とエルの関係は、言わずもがな察しは付いているだろう。だがそれを、他言しないでくれ。もしそんな事が社交界にでも知れたら、間違いなくスタインフェルド家の名に傷が付く」

 両足をテーブルに乗せ此方を睨む彼からはもう、先程の奇妙な感覚は伝わってこない。今の彼は狂気的というよりも、傲慢的だ。貴族特有のその横暴な振る舞いには呆然とする。
 あの奇妙な感覚への疑問は未だ拭えないままだが、これ以上警戒するのは野暮だろうか。彼の言葉に肯定の意を示し、彼の足の下に敷かれたレザーファイルを引き抜いた。
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