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XXV 焦燥-I
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熱い紅茶を注いだマグカップを片手に、ホールのソファに深く腰掛けた。ルーシャが居なくなったからか、屋敷の中が妙に静かに感じる。
煙草の味が残った口内に、ミルクや砂糖の入れていない紅茶を流し込み、ゆっくりと息を吐いた。
視線の先の壁時計は、16時半を指している。早朝に此処へ来た筈なのに、ルーシャの対応をしていた所為で1日を無駄にしてしまった。まんまとルーシャの術中に陥ってしまった感が否めない。
しかし主犯格の男――アルフレッドの有力な情報を掴めただけでもまだマシだ。アリアに触れられた際に感じた既視感を辿って書類を探していたが、自分でもこんなにもあっさり見つかるとは思っていなかった。
エルに危害が加わる前に、アルフレッド・ガーランドを排除する。明確に情報を掴んだ今、それがエルの夫である自身に残された最大の使命であり、最後の仕事だ。
彼女を守る為なら誰だって、何人だって、殺めてしまえる程の覚悟は疾うに出来ている。
全ての事情を知ったルーシャには、“貴族と関わりのある人物に、簡単に手を出すべきではない”と最後まで反対をされた。
だがアルフレッドが貴族と関りがあった所で、彼が死んでしまえばその権力は何の意味も成さない。
貴族の権力を振り翳そうが、警察がどれだけ人員を増やし夜通し捜査をしようが、確実であり明確な証拠の無い殺人は裁かれない。犯人が特定されていない殺人事件など、世の中腐る程ある。
しかし問題は、迷宮入りした事件の数じゃない。“警察の目をどう欺くか”だ。
警察が貧民の事件を碌に捜査しない事は分かり切っているが、警察である以上少なからず調査はするだろう。
そうなった場合、調査結果が“事故”や“自殺”だと断定される方が断然都合がいい。
事故に見せかけた殺人は、一般的に一番最初に思い浮かぶ手段だろう。殺人だと気付かれない方法は幾らだってある。
自宅への放火や、川に突き落とす等。それらは目撃証言さえなければ絶対に殺人だとは気付かれない。
だが、それは“確実”じゃない。
生半可な方法を取り、殺し損ねてしまったら困る。あの男だけは自分の手で、自分の目の前で、息の根を止めてやらないと確実な安心は得られない。
手段は慎重に選ぶ必要があるだろう。しかし、情報を掴んだからといって悠長に考えている暇はない。
まだ半分程紅茶の残ったマグカップをテーブルに叩き付ける様に置き、ソファの背凭れに深く身を預けた。
――カチ、と心地の良い音を立てて、玄関の扉が解錠される。
その音に、無意識的に扉の方へ視線を向けた。
「ごめん、思った以上に遅くなっちゃった」
ゆっくり開いた扉の隙間から、エルの様子を見に行った筈のマーシャが顔を覗かせた。
思い返してみれば、マーシャが此処を出たのは早朝だ。こんな時間まで、エルと2人で話し込んでいたのだろうか。
――いや、気にするべき所はそこじゃない。エルとベッドを繋いだ手錠はどうなったのだろう。エルは手錠の存在に気付いているのか、それとも眠ったまま気付く事は無かったのか。
「……マーシャ、例の……あれは」
聞きたい事を上手く言葉にする事が出来ず、思わず口籠る。
「あぁ、セディが心配してる様な事は何も無かったよ」
マーシャが柔らかな笑みを浮かべ、向かいのカウチに大きく伸びをしながら倒れ込んだ。
カウチに寝そべった彼女が此方へ抛った、銀の手錠とキーリングを落とさず捉える。
「家着いた時、エルちゃんまだ寝てたから多分手錠気付いてないと思う。あと体調、思ってた程じゃなかった。寝てすっきりしたのかな、元気そうだったよ」
「……そうか、良かった」
大事に至らなかった安堵感に、溜息を漏らす。
「……手間取らせたな」
「全然。彼女と話すのは楽しいから大丈夫。でも、今日は早く帰ってあげなよ」
そう言って笑ったマーシャが、勢いを付けてカウチから起き上がった。彼女の手が、テーブルの上に置かれていた例の心理学の本に伸びる。
大事そうにその本を胸に抱き、時々本を開いては読む事無くページを捲り、溜息を吐いて再びそれを胸に抱く。その彼女の奇行に、ふと本に挟まれていた紙の存在を思い出した。
「その本、変な紙挟まってたけど」
「なっ……!」
マーシャの顔が、絵に描いた様に真っ赤に染まった。あまりに予想外すぎるその反応に当惑する。
紙に挟まれていた紙は、意味こそ分からなかったが別に見られて困る内容という訳でも無いだろう。
「み、見たの? これ」
「……本の間から紙が落ちたから拾っただけだ」
「……あ、……そう」
安堵の表情を浮べた彼女が、いそいそと本のページを捲る。
間に挟んでいた紙を見つけ出し、その紙を真剣に見つめ、時々光に透かして見ては頬を緩ませた。
煙草の味が残った口内に、ミルクや砂糖の入れていない紅茶を流し込み、ゆっくりと息を吐いた。
視線の先の壁時計は、16時半を指している。早朝に此処へ来た筈なのに、ルーシャの対応をしていた所為で1日を無駄にしてしまった。まんまとルーシャの術中に陥ってしまった感が否めない。
しかし主犯格の男――アルフレッドの有力な情報を掴めただけでもまだマシだ。アリアに触れられた際に感じた既視感を辿って書類を探していたが、自分でもこんなにもあっさり見つかるとは思っていなかった。
エルに危害が加わる前に、アルフレッド・ガーランドを排除する。明確に情報を掴んだ今、それがエルの夫である自身に残された最大の使命であり、最後の仕事だ。
彼女を守る為なら誰だって、何人だって、殺めてしまえる程の覚悟は疾うに出来ている。
全ての事情を知ったルーシャには、“貴族と関わりのある人物に、簡単に手を出すべきではない”と最後まで反対をされた。
だがアルフレッドが貴族と関りがあった所で、彼が死んでしまえばその権力は何の意味も成さない。
貴族の権力を振り翳そうが、警察がどれだけ人員を増やし夜通し捜査をしようが、確実であり明確な証拠の無い殺人は裁かれない。犯人が特定されていない殺人事件など、世の中腐る程ある。
しかし問題は、迷宮入りした事件の数じゃない。“警察の目をどう欺くか”だ。
警察が貧民の事件を碌に捜査しない事は分かり切っているが、警察である以上少なからず調査はするだろう。
そうなった場合、調査結果が“事故”や“自殺”だと断定される方が断然都合がいい。
事故に見せかけた殺人は、一般的に一番最初に思い浮かぶ手段だろう。殺人だと気付かれない方法は幾らだってある。
自宅への放火や、川に突き落とす等。それらは目撃証言さえなければ絶対に殺人だとは気付かれない。
だが、それは“確実”じゃない。
生半可な方法を取り、殺し損ねてしまったら困る。あの男だけは自分の手で、自分の目の前で、息の根を止めてやらないと確実な安心は得られない。
手段は慎重に選ぶ必要があるだろう。しかし、情報を掴んだからといって悠長に考えている暇はない。
まだ半分程紅茶の残ったマグカップをテーブルに叩き付ける様に置き、ソファの背凭れに深く身を預けた。
――カチ、と心地の良い音を立てて、玄関の扉が解錠される。
その音に、無意識的に扉の方へ視線を向けた。
「ごめん、思った以上に遅くなっちゃった」
ゆっくり開いた扉の隙間から、エルの様子を見に行った筈のマーシャが顔を覗かせた。
思い返してみれば、マーシャが此処を出たのは早朝だ。こんな時間まで、エルと2人で話し込んでいたのだろうか。
――いや、気にするべき所はそこじゃない。エルとベッドを繋いだ手錠はどうなったのだろう。エルは手錠の存在に気付いているのか、それとも眠ったまま気付く事は無かったのか。
「……マーシャ、例の……あれは」
聞きたい事を上手く言葉にする事が出来ず、思わず口籠る。
「あぁ、セディが心配してる様な事は何も無かったよ」
マーシャが柔らかな笑みを浮かべ、向かいのカウチに大きく伸びをしながら倒れ込んだ。
カウチに寝そべった彼女が此方へ抛った、銀の手錠とキーリングを落とさず捉える。
「家着いた時、エルちゃんまだ寝てたから多分手錠気付いてないと思う。あと体調、思ってた程じゃなかった。寝てすっきりしたのかな、元気そうだったよ」
「……そうか、良かった」
大事に至らなかった安堵感に、溜息を漏らす。
「……手間取らせたな」
「全然。彼女と話すのは楽しいから大丈夫。でも、今日は早く帰ってあげなよ」
そう言って笑ったマーシャが、勢いを付けてカウチから起き上がった。彼女の手が、テーブルの上に置かれていた例の心理学の本に伸びる。
大事そうにその本を胸に抱き、時々本を開いては読む事無くページを捲り、溜息を吐いて再びそれを胸に抱く。その彼女の奇行に、ふと本に挟まれていた紙の存在を思い出した。
「その本、変な紙挟まってたけど」
「なっ……!」
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「……あ、……そう」
安堵の表情を浮べた彼女が、いそいそと本のページを捲る。
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