79 / 162
XX 結婚記念日-II
しおりを挟む「――セドリック?」
彼女が振り返る前に、頭一つ分程小さな彼女を背後から強く抱きしめた。彼女の甘い香りが、鼻腔を抜ける。
香水や石鹸等の匂いとは違う。砂糖や蜜、花の匂いでも無い。医療時の麻酔やドラッグの様だと例えるのは無粋だが、そう言った方がしっくり来る様な、脳に響く香りだ。
「……本当、この匂いには弱いんだよな」
ぽつりと呟くと、どうやらそこは彼女の耳元だった様で「擽ったい」と彼女が鈴の鳴る様な声で笑った。
「私も紅茶の香りには凄く弱いの。この紅茶ね、中でも特に気に入っている茶葉で……、なんだかお腹が空いてくる香りよね」
彼女が徐に、ポットの蓋を開いた。湯気と共に、紅茶の甘い香りが立つ。
俺が言った“匂い”とは、当然紅茶の事では無い。しかしその勘違いはとても彼女らしく、愛おしく思えた。特に指摘せず、口元を緩め彼女の髪に顔を埋める。
「今日は随分と甘えん坊なのね」
「……そんなんじゃない」
髪の隙間から見えた、彼女の項。その白く美しい肌に不釣り合いな赤、見る人に依っては分かる皮下出血の跡。言わば、所有印だ。
少し前に、見える位置に跡を付けられると隠すのが大変だ、と彼女が真っ赤な顔で怒っていた。この跡も、きっと彼女が気付けばすぐに隠されてしまうのだろう。それでは、所有印の意味を成さない。
彼女に気付かれぬ様その跡に触れるだけのキスを落とし、もう一度強く抱きしめた。
「セドリック、これじゃあいつまで経ってもご飯が作れないわ」
「飯ならもう出来てるだろ」
テーブルの上には、既に十分すぎる朝食が並んでいる。手元にある紅茶も、後はテーブルに運ぶだけだ。
「フルーツがまだなの。昨日、ライリーさんからベリーとプラムを頂いてね。貴方も食べるでしょう?」
彼女が細い指で、台の隅に置かれていた紙袋を指した。
「フルーツよりもお前を先に食いたい」
その手を制す様に掬い取り、白い指を柔く食む。
「ダメよ、セドリック。お仕事だってあるのに」
「1時間もあれば充分だろ」
「急いでするような事じゃないわ」
まるで大した事無いとでも言う様に、彼女が軽く俺をあしらう。
その口調に腹が立ち、彼女の顔を無理矢理此方に向けさせた。
「じゃあせめて、風呂だけでも一緒に」
唇が触れそうな程顔を近づけ、囁き掛ける。
「……だめ、だって」
効果はあったようで、その顔は一気に赤く染まり次第に彼女の声が小さくなる。そんな彼女も非常に愛らしい。
そのまま唇を重ねようと、瞳を閉じゆっくりと顔を近づけた。
「……ん?」
彼女の口と、俺の口の間に挟まれたのは彼女の掌。
俺の口元を手で押し返しながら、彼女が恨めしそうな顔で此方を睨みつける。
「ダメ、って言ってるでしょう!」
満更でもなさそうだったが、俺の腕から抜け出し警戒するように距離を取った彼女の意思は固い。
内心残念だと思いながらも、投降の意味を込めて手をひらりと振った。
「そんな事より、リボンは見つかったの?」
彼女のその言葉に、一瞬にしてポケットに押し込んだリボンと手の内のコームに意識が向く。
「あー……、いや」
曖昧に言葉を濁し、彼女との距離を一歩詰めた。
きっとこういう物は、日頃の感謝や愛の言葉と共に贈るのが一般的なのだろう。しかし自分には、そんな紳士的な贈り方は出来そうに無い。
彼女の腕を取り、自分の方へと強く引き寄せた。
糸の様に細く、柔らかな彼女の髪を撫でる様に手で梳く。
幼少期、不器用なマーシャの髪を毎日纏めてやっていた事がこんな所で役立つとは思わなかった。マーシャの髪とは比にならない程美しい、彼女の髪を緩く編み込み高い位置で1つに纏める。
「セドリック……?」
「うるせぇ、動くな」
手の内に隠したコームを丁寧に差し込み、崩れないよう慎重に彼女の髪から手を離した。
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
律と欲望の夜
冷泉 伽夜
大衆娯楽
アフターなし。枕なし。顔出しなしのナンバーワンホスト、律。
有名だが謎の多いホストの正体は、デリヘル会社の社長だった。
それは女性を喜ばせる天使か、女性をこき使う悪魔か――。
確かなことは
二足のわらじで、どんな人間も受け入れている、ということだ。
孔雀と泥ひばり
まさみ
BL
19世紀ヴィクトリア朝ロンドン。
名門貴族スタンホープ伯爵家の嫡男エドガーは、幼少時から自分に仕える従者オリバーに深い信頼の情を寄せていた。
共に画家を志す二人だが、身分差から来るすれ違いが波紋を呼んで……。
執着尽くし攻め主人×平凡強気受け従者 『驚異の部屋』の番外編ですがこれだけでも読めます。
イラスト:えのも(@Enomo_momo)様

エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

地獄の業火に焚べるのは……
緑谷めい
恋愛
伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。
やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。
※ 全5話完結予定
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる